ルハン 奴隷IF 序章…過去篇
え4お願い いつまでも いつまでも
超えられない夜を
越えようと手を繋ぐ
この日々が続きますように
※注意
捏造設定、キャラ崩壊、設定改変、エミュ下手等、素人のSSであることを充分に理解した上でご覧ください。
尚、文中のおれ、わたし、わらわなどの一人称は原作のフォントを尊重し、ひらがなであることを重視しています。
また、この過去編のハンコック、ルフィのキャラエミュ、一人称等が原作と乖離しているのは仕様です。原作開始時期には通常のキャラエミュに戻ることを想定しています。
どうして忘れていたんだろう
それは、原初の記憶。記憶の水底に沈んでいた、わたしの原風景。何もかもが呪わしかった地獄で、わたしたちは出会った。
これはわたしの終わりの記憶。
これはわらわの始まりの記憶。
〜11年前 赤い大陸上 聖地マリージョア〜
その日はわたしが奴隷にされて3年、奴隷のまま3度目の誕生日を迎えて、14歳になった日だった。こんな様になっても誕生日を覚えている自分に、陰鬱な気分になっていたところへ、わたしが入れられていた牢に小さな男の子が入ってきた。
「ウゥ、ヒックッ、じいちゃん…ごべんなばい…グスッ…」
新しく子供が入れられると、その子はおおかた泣き喚く。無理もない。親元から離されてわけもわからず焼き印を入れられる。当然声をあげてしまい、うるさいと躾をされる。わたしもそうだった。躾をされた子供は運が悪ければそのまま死ぬ。何度も見た光景に顔も上げる気にならなくて、わたしはその子を努めて無視しようとした。
でもその子は他の子と違った。
「ねぇ…おねえちゃんはだれ?」
しばらくして泣き止んだその子は、わたしに気付くと声をかけてきた。わたしはいつもどおり無視していたけど、諦めずに声をかけてきた。
「ぼくはね、ルフィ。モンキー・D・ルフィっていうんだ」
「…ハンコック」
ルフィと名乗った子供は、何度も諦め悪く声をかけてきた。わたしが返事をするまでしつこく声をかけてくるものだから、監守に睨まれる前に仕方なく話に付き合ってあげた。
「ねぇ、名前を教えて」
「おねえちゃんはどこから来たの」
「ここってどこなのかな」
まだまだ舌っ足らずの言葉で沢山話しかけてきた。正直初めはうっとうしくもあったけど、怯えながらもわたしの周りをトテトテと歩く様子が妙に可愛らしくて、気づけば世話を焼き、いつの間にか牢の中ではほとんど一緒にいるようになった。
「ねぇハンコック」
「お姉ちゃん、ね。ハンコックお姉ちゃんと呼びなさい」
「なんで?ハンコックはぼくのおねえちゃんじゃないよ?」
「わたしのほうが年上だからよ。ルフィも最初、わたしのことお姉ちゃんって呼んだでしょ?」
「ふーん、じゃあハンコックねーちゃん」
「…まあ、それでもいいわ」
代償行為だったのかもしれない。当時のわたしは、それまで長く一緒にいた妹たちとも離されて、希望を失っていた。余興と称して食べさせられた悪魔の実の能力のせいで、珍種好きの下種天竜人に目をつけられたのだ。
ぽっかり空いた心の穴に替わりを埋めるように、わたしはルフィに構った。飼い主に呼ばれない時間、監守の目が離れた時間に、二人で身を寄せ合ってヒソヒソと話をした。他に頼りもない状況でわたしだけがルフィの味方だったから、あの子もわたしによく懐いてくれた。
ルフィが鞭で散々に打たれたときは抱きしめて慰めた。飼い主の下卑た趣味につきあわされたときは、ルフィが頭をなでてくれた。そのうち、わたしはあの子を弟のように思うようになり、あの子もわたしの本当の姉弟のように振る舞った。なんの希望もない場所でお互いにすがって生きるようになった。
ルフィが牢に来て4ヶ月経った頃だったろうか、私とルフィは一緒に連れ出された。その時の飼い主はとびきりの下衆で、奴隷と奴隷を番わせて、お互いが依存するようになっるのを眺めて楽しみ、然る後にその仲を引き裂き、大切なものが目の前で汚されるのを見せつけ、その反応を楽しむ。そういう倒錯した、理解しがたい趣味の下衆野郎だった。
「お前たちを番わせてやるえ、わちしのおもちゃとして働けることを光栄に思うんだぇ〜」
飼い主は次の番にわたしたちを選んだ。牢にいる間、僅かに監守の目が離れる時間は共依存の芽がある組み合わせを自然に作らせるための意図した間隙だったらしい。
わたしたちは二人きりの牢を用意されて、次の日からはずっと行動を共にした。奴隷の仕事をするときも一緒に呼ばれた。片方がしくじればもう片方が罰せられた。ただ一人しかいない味方を失わないように、傷つけられないように、自分のせいで傷つけられたと嫌われないように、必死になって仕事をした。わたしが飼い主を乗せて運び、ルフィが飼い主を大団扇で扇いだ。涼しくなければこれみよがしにルフィの前でわたしを叩いた。「お前のせいで姉が叩かれるんだえ」とルフィに見せつけた。わたしは叩かれると泣いてしまって。自分のせいでわたしが傷ついたと、あの子を泣かせてしまうのが悔しかった。
最初の大失敗は酷かった。疲労したわたしが転んで、飼い主を背から落としてしまったのだ。飼い主はその場でルフィを引き倒して馬乗りになりその場でガンガンと顔を殴りつけた。止めて、許して、ごめんなさい、半狂乱になって止めようとして周りの護衛に取り押さえられた。あの子が自分の失敗で痛めつけられるのをただ眺めることしかできなかった。
幸運にも最初の失敗と躾からわたしたちは生き残った。まだ6歳のはずのルフィは30回は殴られたはずなのに、最低限の治療で生き延びた。その頑丈さを飼い主はますます気に入ってしまったらしく、わたしたちはより苛烈な仕事を与えられるようになった。
過酷な日々の中でわたしたちはより互いに依存した。それは飼い主の下衆な思惑通りだったけど、片時も離れたくなかった。ルフィがいないと気がおかしくなりそうだった。
飼い主は共依存の奴隷をおもちゃにする趣味をずいぶん長く続けているようで、わたしたちを互いに依存させる環境を作る手腕に長けていた。そのために様々な命令を受けた。
ある寒い夜には薄い毛布だけを一枚渡されて眠れと言われた。わたしたちは身を寄せ合って、かじかみながら、丸くなって眠った。ある日の食事は食器を用意されなかった。私だけが手を付けていいと言われて、ルフィが直接手を付けることは禁じられた。口だけは使っていいと言われたので、口移しでルフィに食事を食べさせた。
…これはダメだ。良くないものだと、頭ではわかっていても、わたしたちは飼い主が作るぬるま湯の地獄から抜け出せなかった。逃げ場がないというのもあったが、ただ一人の味方が、愛しい弟(この頃にはもうそう思うようになっていた)の体温が、吐息が自分の体に取り込まれると思うと、この命令に従うのも悪くないと、一瞬でも思ってしまった。そのうち飼い主の命令も喜んで聞くようになるのだろうか。他人事のように思いながらわたしは弟の口腔を貪った。
飼い主に遊ばれるようになって半年もした頃、わたしはまた、失敗した。食事を飼い主の口に運ぶ仕事。わたしは見た目が良かったから、こういう日常の仕事もよく回ってきた。慣れた仕事のはずだったのに、わたしは食器を取り落として、飼い主の服を汚した。顔を青ざめさせるわたしをみて、飼い主は口を歪めて席を立った。ルフィは怯えながらも、わたしに笑いかけてみせた。飼い主はルフィの頭をつかんで壁に叩きつけ始めた。
「下々民が!何度!言ったら!分かるんだぇ!?お前が!しくじれば!コイツを!痛め!つける!だえ!」
ガンッ!ガンッ!ガンッ!
一言ごとに額を叩きつけられて、ルフィの顔は血まみれになっていた。
ガンッ!ガンッ!ガンッ!
「やめてください!どうか、ゆるしてください!お願いします!ご主人様!ルフィを殺さないで!」
「奴隷の分際で主人に指し図するのかえ?生意気だえー!」
飼い主はわたしの頭もつかんで叩きつけようとした。顔が傷つけば私の価値は失われるかもしれない。そうなれば今度こそ殺されかもしれないのに、わたしの胸にあるのは安堵だった。ルフィから矛先をそらすことができれば、それだけで良かった。
なのに、ルフィは飼い主に噛み付いてわたしを庇った。殴られても蹴られても腕に噛み付いて離さず、護衛に取り押さえられるまで必死に抵抗した。
「ぼくの!番だろ!ねーちゃんをいじめるなぁ!」
文字通り飼い犬に手を噛まれる形になって、飼い主は表情を消した。怒りのままに銃を抜き………その場で動かなかった残りの護衛を撃ち殺し、ルフィを連れて部屋の奥に消えていった。
「躾け直してやるえ」
それから3日の間ルフィは牢にもどってこなかった。
わたしは絶望していた。失敗した失敗した失敗した。またわたしは間違えた。わたしのせいでルフィが痛めつけられた。今度は戻ってこないかもしれない。戻ってきても嫌われているかもしれない。グルグルと、最悪の想像がアタマを埋め尽くす。出会ってから一年も経っていないのに、隣りにあった温もりが感じられないことに気が触れそうになる。きっとあの子に合う前のわたしならこんなに取り乱すことはなかっただろう。奴隷生活のなかで冷え固まったわたしの心を、ルフィが解きほぐしてくれた。再び血の通うようになったわたしに、孤独の痛みら深く刺さって、耐え難い痛みを訴えてくる。
膝を抱えたまま時間がすぎるのを待つ。…また牢が開く音がした。看守が食事を運んできたんだろう。いっそ食べることもやめてしまおうか。今のわたしに、これ以上失うものもない。
…ドサッ
いつもとは違う、重いものが落ちるような音にわたしは顔をあげた。そこにはボロ雑巾のようになったルフィが倒れていた。
「…!? ルフィ!? ルフィしっかりして! ヤダヤダ死なないでお願いおいていかないで…」
全身傷だらけの弟の姿に取り乱す。切り傷に打ち身、散々手を変え品を変え痛めつけられたのだろう。血の出ていないところと変色していない皮膚のほうが少ないという有様で、それでもルフィは生きていた。
「……あぇ…?ねーちゃ…」
「ルフィ…ごめんなさい…ごめんねわたしのせいで。あぁひどいこんなに…ごめんね、ごめんねぇ…っ!」
ボロボロのルフィを抱きしめて何度も謝る。涙が溢れることに腹が立って仕方ない。お前のせいでこんなに弟が傷ついたのに、泣く資格なんかないだろう。
「ねーちゃ…あいたかった…」
「……!っうん、わたしも、わたしも会いたかったよ、ルフィ」
「ギュッてして…」
「うんっ」
「どこにもいかないで…」
「うんっ」
「ひとりにしないで…」
「うん、うんっ…!大丈夫だよルフィもう絶対離さないから、もう絶対間違えないから………!」
泣きながらわたしにすがりつくルフィを抱きしめる。怖かった、この子を失ってしまうかもしれなかった。もう二度と離さないと固く決意する。
「ルフィ…ルフィ、大丈夫だよルフィ。おねーちゃんはどこにもいかないからね…」
その日の夜。
「ルフィ…ルフィ…良かった、わたしのルフィ…」
泣きつかれて眠ったルフィは、起きたと思ったらすぐに甘えてきた。わたしもこの子に甘えられている時間が幸せだから、今日は抱き合いながら寝ることにした。
「ん…ルフィ、もうあんなことしちゃだめだよ? またアイツに逆らって連れて行かれたら、お姉ちゃん泣くからね」
頭をなでながらそう語りかける。もうあんな無茶をさせるわけにはいかない。
「やだ」
…思わず手が止まった。今なんて言ったこのアンポンタン。
「ダメよ、約束して。もう絶対あんなことしませんって」
「やだ!」
「ヤダじゃない!」
何を言い出すのだ急に!
「またあんなことして!今度は殺されちゃったらどうするの!」
厳しい顔になって叱りつける。痛い目を見たのに、まさか懲りてないとは思わなかった。
「だ、だって…」
バツが悪そうな顔をして、それでもルフィは頑として譲らなかった。
「だ…だってあいつ、ねーちゃんのことまで殴ろうとした。ねーちゃんの顔まで」
ぼくの番なのに…と小さく呟くルフィ。それを見てわたしの顔が急に熱くなった。耳まで真っ赤になってるのが分かる。確かにあの下衆飼い主はわたしたちを「番」と呼んだけど、まさか意味わかってるのだろうかこの子は。
「…んんっ///。そ、それはそれよ。ルフィ、わたしはあなたのつ、番よ?それでわたしのことを守ってくれるのは嬉しいわ。…でもね、わたしはあなたのお姉ちゃんだから。わたしが痛いことよりも、おなたがいなくなっちゃうことのほうが辛いの」
だから約束して?と、腕の中のぬくもりに確かめる。
「もう危ないことはしないって。どうしてもしなきゃいけないときは、わたしも一緒。ね、分かった?」
ルフィはしばらく頬を膨らませて不貞腐れていたけど、渋々「……わかった、約束する」と言ってくれた。置いていかれるのは痛いより辛い、という言葉には思うところがあったようだ。
「うん、いい子ね。おやすみルフィ、愛してるわ」
わたしは昔の母の記憶を真似てルフィの額に唇を落とし、愛しい弟/番をもう一度抱きしめて眠りに落ちた。
そして、運命の日が来る。
『ねぇルフィ。ここを出られたら何がしたい?』
『?…どういうこと、ねーちゃん』
『あのね、ここからわたしたちが解放されて、どこにでも自由に行けるようになったら、あなたは何がしたい?』
『ん〜? う〜んと、わかんない』
『…?…ほら、えーと例えば、おうちに帰りたいとか、お母さんに会いたいとか、そういうの』
『えー、ぼくおかあさんもおとうさんもいないもん。わかんないよ』
『いないの?』
『うん、あったことないもん。おじいちゃんはいるけど、いっつもカイヘーになるんじゃーっていうからあんまりあいたくない』
『ふーん、じゃあどうしよっか。』
『えっとねー、おねーちゃんとおんなじとこに行きたい!』
『え、どこって?』
『ほら、前にきいたでしょ。おねーちゃんのお家、にょーがしまっていうとこ。いっしょに行きたい』
『…そっかー、でも難しいなー。女ヶ島は男子禁制だから、ルフィは入れないんだよ?』
『えー!?じゃあここ出たら、ねーちゃんといっしょにいれないの!?やだ!』
『そうだね、それは嫌だね、どうしよっか』
『えーと、えーと……』
これは在りし日の思い出。薄手の毛布に包まって、寒い牢の中で二人、身を寄せながら話したこと。最初は故郷に帰りたいと思ったけど、妹たちもルフィもおいて帰ることはしたくなかった。ルフィと一緒にいられないなら逃げ出す意味すらないともおもった。逃げ出すならきっと一緒に。自由になって、ホントの家族になりたいと思っていた。
それなのに……
ドゴォン!!!
『襲撃だー!』
『警備は何をしている!門を固めろ!』
『ダメです!突破されます!』
『近衛をよべ!速やかに天竜人聖下方を内門にお連れしろ!』
『おい、奴隷が逃げるぞ!』
『奴隷共の開放が狙いか!?』
『断定できません!陽動の線も考えられます!』
『手が足りんぞ!どうするんだ!』
『…っ!仕方がない、奴隷は捨て置け!聖下方の身の安全の確保が先だ!…通信手、連絡しろ!奴隷は捨て置けと言っているんだ!回収に向かわせられる戦力はない!全て護衛と襲撃犯鎮圧に当てろ!』
それはルフィがマリージョアに連れて来られて、ちょうど一年がたった日の夜だった。轟音と共に門を砕いて現れた、赤肌の怪物の如き男が、私達奴隷を解放した。
「鍵は開いた、行け!もう二度と捕まるな!」
他の奴隷たちも開放しながら逃げろと言い残して、鍵束をおいた男、奴隷解放の英雄、フィッシャー・タイガーはマリージョアの奥地へ突撃していった。
周囲から聞こえる砲声と、天竜人たちの汚い悲鳴、そして開放された奴隷たちの歓喜の声が、呆気にとられたわたし達を正気に戻した。
「…自由だ!」
「おい、向こうの軍艦だ!アレに乗り込め!」
「…おお神よ!感謝いたします!」
ウオオオオオォォォ!!!!
次々に開放されていく奴隷。各々が歓喜の声を上げながら港に走っていく。わたしはルフィをかかえて走っていた。
「姉さん!こっちへ!」
「ハンコック姉さん!」
「ソニア!マリー!無事だったのね!」
逃げ道の最中で幸運にも妹たちと合流できた。ふたりとも汚れてはいても健康に見える。なんてことだ、こんなにも突然に、望んでいた救いが訪れるなんて。
「姉さん、その子は?」
「ルフィ、同じ牢の子よ。おいていけない」
「でも…」
「話はあと!早く逃げるよ!」
千載一遇の機会。流れ出す数多の奴隷に紛れて逃げれば、本当に逃げおおせることもできるかもしれない。逸る心に身を任せて駆け出すわたし達に、しかしまだ追いすがるものがいた。
「待て!」
「…ッ!近衛兵!もうここまで…」
「奴隷番号b0859ハンコックとd0505ルフィだな。ジャルマック聖より、お前たちだけは絶対に捕らえて連れ戻すよう指示が出ている。大人しくしろ!」
「冗談じゃない!ここまで来て!諦めたりしないわ!私たちだって九蛇海賊団の船員よ!錠がなければお前たちなんて…」
「だろうな…力づくで捉えさせてもらおう!」
ジャルマック。あのクソ飼い主の名前だ。一年かけて『育てた』わたし達のことがよほど惜しいらしい。他の奴隷たちは差し置いて、まず最初に手元に戻そうとするほどに。
それが最後の戦闘になった。この機会を逃せば再度逃げ出す前にルフィと引き裂かれるだろうわたしと、天竜人直々の命令で文字通り首がかかっているだろう猟犬。互いに必死になって戦った。……そして忌々しいことに、当時の環境でロクに鍛えることができなかったわたしたち姉妹では、仮にも聖地の警護を任される兵を相手に勝つことはできず、膝をつく結果となった。
「そんな、ここまで来て…」
「逃げて姉さん…!」
「…ッゼェ…ハァ…手こずらせやがって小娘共が。生かして捕えろって命令なんだよ…!お前らは所詮は天竜人さまの所有物なんだ。人権なんざねぇんだから大人しく諦めりゃいいものを…」
苛立たしげに吐き捨てて、天竜人の犬がわたしに近づいてくる。嫌だ。来るな。戻りたくない。わたしたちは…
ガッシャーン!!!!
「うおぉ!? なんだコレは、海楼石の鎖か!?……テメェかクソガキィ!」
「ねーちゃん!逃げよう!」
いつの間にかわたしたちから離れていたルフィが、近衛兵の背後から顔を出した。手から捨てたのはたくさんの鎖。壁に繋がれていた奴隷たちが外して、そこら中に落ちていた鎖を海兵の体に取り付けたのだ。
「んのっ畜生!外れねぇ!テメェガキィ…!!!これ外しやがれ!殺すぞ!」
キレた近衛兵が凶相を浮かべてルフィを脅しかけるが、ルフィは構わずわたしたちのところまで戻ってきた。
「ぼ、ぼくはお前なんかこわくないぞ!その鎖は爆弾が付いてるんだからな!はずしたら爆発するぞ!」
そうだ、錠はたくさんあっても鍵はもう持ち去られている一つしかない。タイガーが他の奴隷に預けたものだ。ならば一度相手を繋げてしまえば鍵を持たない相手は動けない!
「姉さん今のうちに!」
「えぇ、ルフィ!来なさい!」
痛めた体に鞭打って無理矢理に動く。
これでもう足止めもない。追っ手はまだまだ先だ。後は軍艦に乗り込むだけで…
「…そう簡単に逃がすかァ!」
油断。致命的な油断だった。無力化したと意識を外してしまった近衛兵がそこらの錠を投げつけてきた。繋がれてしまえばわたしも外せない。あ、コレ捕まっ……
「…!ねーちゃん!」
横合いからルフィが飛びついてきた。鎖のつながった錠がわたしではなくルフィに当たる。
「狙いが逸れたか……まぁオーダーの片方は達成だ。最低限首はつながるか」
ザリザリと音を立ててルフィの鎖が引き寄せられる。ルフィが離れてしまう!
「ルフィ!…待ってなさい!すぐに助けるわ!」
油断、油断だ。自分が嫌になる。
「ねーちゃん逃げて!」
「あなただけ置いていけるわけ無いでしょう!?」
「おうそうだ。テメェかわいい弟分をおいて自分だけ逃げんのか、九蛇の誇り高き戦士様よぉ!?」
海兵がいやらしく唇を歪める。砕けるほどに奥歯を噛み締めて睨みつける。もう時間がない。追手が到着すればいよいよ打つ手がなくなってしまう。
「…蛇のお姉ちゃん!ハンコックねーちゃん連れて行って!」
「何言ってるのあなた!…そんなことしたら……!」
「オイクソガキ。テメェ余計な口を……」
「いって! はやく!」
ルフィがガチャガチャと鎖を鳴らして暴れる。近衛兵は舌打ちをしてルフィを殴りつけた。
「……ええ、ごめんなさいね、ルフィくん…!!」
「ソニア姉さん!?」
「手伝ってマリー。…いそいで」
「……っ。ごめんなさい…!」
「ソニア!?マリー!?何を、離しなさい!」
妹たちが無言でわたしを捕まえて、軍艦に向かい始めた。何のつもりだ。待って、やめて、まだルフィが、
「離して、離しなさい!」
「姉さん……」
「約束したの!ずっと一緒って!一人にしないって!私は絶対あの子を……!」
「姉さん!!!」
マリーが私の頬を張った。わたしの顔を動かして、その拍子に後ろを見てしまった。
「もう、増援が来たわ。軍艦も出る」
黒服の男たちに気を失ったルフィが渡されるのを。あの子の首にもう一度錠がかけられたのを。
「あ……あああ…あぁ…………ぁあぁああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!?!?!?」
なりもふりも構わず暴れる。離して、今すぐあの子のところにいかないと!あの子が独りになってしまう!あそこにおいていってしまう!
『ダメよ姉さん!ダメ!……ッソニア姉さん!』
『うん、……ごめんなさい姉さん』
ソニアが人獣形態をとり、私の首筋に口を寄せた。微かな痛み。そうしてわたしはあっけなく意識を手放した。
こうしてわたしは、ルフィを失い、引き換えたように自由を得た。
結局、次にわたしが意識を取り戻したのは、逃亡する軍艦の上だった。目覚めてすぐに半狂乱になったわたしは、ルフィを取り返しに海に飛び込もうとした。わたしの弱い心には、これ以上失うことが耐えられなかったのだ。すぐに取り押さえられたけど、今度は抜け殻のように動かなくなった。
やがて元奴隷たちを載せた軍艦は無事に逃げおおせ、わたしたちは自由を獲得した。天竜人から逃れたは良いものの、次は半分自失したままの私を抱えてどうやって故郷に帰ろうかと、途方に暮れていたと妹たちを、外界に出ていたアマゾン・リリー先々々代皇帝グロリオーサが拾ってくれた。…ハンコック個人として、ニョン婆様には本当に感謝している。当時の木偶にも劣るわたしでは、妹を守るどころか、あの子達の足手まといにしかならなかったから。
わたし達を拾ったグロリオーサはその足でシャボンディに向かい、更に二人の知人の協力を仰いでくれた。もう二人の恩人は『冥王』レイリーとアマゾン・リリー先々代皇帝シャクヤク。彼女らに保護されたわたし達姉妹は、長い奴隷生活の傷を癒やし、自立のための面倒まで見てもらった。
わたしはといえば、抜け殻のような有様から少しずつ回復しようとはしていた。けれどわたしは不定期に暴れて、疲れたら眠るという様を繰り返すようになった。そんなわたしを見かねたシャッキーが、事情を聞いて用意してくれたのが忘却薬だった。曰く、嘗て数多の戦士たちを葬り去った死病、『恋煩い』。その治療薬として開発されるも、失敗に終わった不完全品だという。この薬を服用したものは愛した異性の記憶を失い、恋煩いから逃れられる。その効能を利用すれば、あの地獄での記憶と、弟を失った悲しみから逃れられるかもしれないと。正気でいられる僅かな時間を縫って、わたしは考えた。ルフィのことを忘れて、妹と自分を守るために生きていくことを選ぶかどうか。悩んで悩んで悩み抜いた末に、わたしは薬を取った。
『いい、ハンコック。あなたがこの薬を使うというのなら、そのことにアタシは何も言わないし、口外もしないわ。でも気をつけて、この薬はあくまで欠陥品。忘却薬なんて銘打っちゃいるけど、本当に記憶を消してしまう訳じゃあないの。あなたの大事な弟の記憶は、あなたの記憶の深く深くに押し込まれる。そのコと過ごした記憶と一緒にね。だからもしその記憶に強く関連するようなことを体験したり、あるいは……まかり間違って本人と会っちゃったりしたら。押し込めた記憶は蘇るわ』
あなたの愛情と一緒にね、と付け加えて、シャッキーは私の頭をなでてくれた。
こうしてルフィとの記憶を捨てたわたしは、心身を復帰させた。忘却薬は想定のとおりに作用し、わたしに残ったのは妹たちへの愛と、ルフィに出会うまでの地獄の記憶、支配され、奪われることへの強烈な忌避感、そして胸の奥に穴が空いたような喪失感だった。
正気に立ち返ってから今に至るまでは早かった。これから何をすると聞いたニョン婆たちに「強くなりたい、稽古をつけてくれ」と頼み込んだ。わたしの胸に残った恐怖と喪失感が絶えず訴えかけてきたのだ。強く、強く、もっと強くなれ。二度と誰にも奪わせないように。隙きを見せるな。誰にも支配されたくない。
衝動とは別に胸に残る喪失感を埋めるように、わたしはひたすら戦いに明け暮れた。力を、能力を、技を、覇気を鍛え上げ、研ぎ澄まし。ひたすらに強さを求めた。
自分を強く見せることに腐心しだしたのもこの頃だ。ただ強いだけでなく、美しく。誰もが挑む気もなくすような「強さ」を体現しようとした。口調をより尊大に。「わたし」という一人称はより高飛車な「わらわ」に。
やがて『わらわ』はアマゾン・リリーに帰郷し、女帝の座を手に入れた。富、名誉、地位、力。望みうるおおよそすべてを手に入れたわらわはこう称されるようになった。「世界で最も美しく、気位高い女。海賊女帝 ボア・ハンコック」と!
わらわは至った。誰にも脅かされることのない、弱者を踏みにじる「強者」の階へと。
強ければ何をしても許される。最も美しいわらわは最も正しい。嘗て唾棄した天竜人の如き理で持って、わらわは『七武海』、世界の頂点の一角に立った。
そうして、今。
全てを手に入れた『海賊女帝』の前に。
嘗ての『奴隷ハンコック』の。あの日の「わたし」の罪が、姿を表した。