リバース・ディスティニー オーバーチュア
「アビドス高校3年生……小鳥遊ホシノか」
「お、おじさんも有名人? そうだよ、私が小鳥遊ホシノ。君達の事は一応知ってるよ~」
口調は緩やかだが、その所作に油断や隙は一切存在しない。
私もハルナも決して気を抜かず、相手から目を逸らす事はしない。
後ろに隠れているカスミは、本来震えていそうなものだが、声音には滲ませず言葉を続ける。
「訳あって取り戻す……か。貴女は実質的にアビドスのトップだったはず。そういう意味と捉えてもよろしいか?」
「構わないよ。なりふり構ってられなくてね。必要な情報は提供するよ」
「それはこちらとしても願ったり叶ったりだが……対価として何を望む?」
「何も。強いて言うのなら、おじさんは情報を提供する。君らはこの事態を打開するために動く。それが望みかな」
予想外。という他ないだろう。
こちらとしては共同戦線を張るつもりでいた。
小鳥遊ホシノの強さは情報部時代からよく知っているつもりだ。
これほど心強い戦力もそうはいない。その上アビドスの内情を知っている、まさにこの状況におけるジョーカーだ。
「……理由を聞かせてもらおうか?」
「単純だよ。おじさんと一緒にいると君らが行動しにくい」
「それは自明の理だけれども……貴女はそれでいいの? 小鳥遊ホシノ」
例えば、これから私達が協力者を探すとして、その者たちが"アビドスの制服"を着ている生徒を信用するだろうか?
私達はゲヘナだ。だから混沌とした事態でも拘る事は無い。信頼に足るか否か、損得勘定が成立するかどうか。その程度ですっぱりと割り切るのは容易な話。
だが他の学校なら……話は別だろう。特に今から向かうトリニティならなおのこと。
それでも、この状況で単独行動をするのは無謀ではないのか? という疑念は残るのだが……小鳥遊ホシノはそれこそ笑い飛ばす。
「おじさんはおじさんでやることがあるからね~。それに、完全に単騎ってわけでもないから心配はご無用だよ」
「協力者がいるの……?」
「一応ね。ただ、今は伏せた方がいいかな。お互いのためにも」
その瞬間だけ彼女の表情が真剣なものになる。であれば、一旦は深追いしなくとも良いだろう。
「……二人の意見を聞こうか」
カスミが小声で私達に問いかける。
「私は構いません。少しでも情報が得られるのであれば、今はそれに代えるものはありません」
「私もよ」
「……了解した」
彼女は大きく息を吐き、私達の間から前に出る。
「であれば、私達は貴女を歓迎しよう。まずは……コーヒーでも飲みながら状況整理させてもらおうか」
「──想像とは、時に陳腐なものだ。事実は小説より奇なり、などという言葉がある。まさにそれは今のキヴォトスを指すと言って差し支えないだろう」
一通りの情報交換を終え、カスミはそう零す。
「おじさんもその点は同意かな。神の見えざる手……いいや、とんだ悪神が干渉してるかのようだ」
ホワイトボードに追記され情報に改めて目をやる。
まず記載されたのはアビドスシュガーの性質と状況についてだ。
・アビドスシュガーを摂取したものは、至上の甘さと強い中毒症状に囚われる。
・個人差はあるが、暫く接種していないものは狂暴化する。
・摂取量と症状の相関関係は不明。継続摂取の方が影響は大きいと推測されている。
・アビドスシュガーの製法は、アビドス砂漠の砂を特定の温度で熱すること。逆に特定の温度で冷やすとアビドスソルトとなる。
・砂糖に比べて大量添加しにくいことから塩は流通量が少ないものの、食の重要な要素を構成しているため、こちらもじわじわと中毒者を増やしている。
・アビドスシュガーによる中毒症状はアビドスソルトでも抑えられる。逆もまた然り。
・アビドスシュガーおよびソルトの流通にはカイザーグループも侵食されており、扱う企業は増えている。特にブラックマーケットでは安価な製品の流通も始まっている。
・流通の大本は、アビドス対策委員会。正確には小鳥遊ホシノを除いた4人によるもの。
この時点でだいぶ頭が痛い。
キヴォトス全域を侵食していると言っていいだろう。
あまりの規模に、どのように対処するのが正解かも検討がつかない。
「……砂糖と塩。この中毒性、もしや……これは美食を探求する者として……」
反して、隣に座っていたハルナは至極真面目な表情で呟いている。何か良い案でも思いついたのだろうか、いやまさにそれを思案している最中か。
「私が気にするべきは……むしろこちらね」
次に記載されたのは各勢力の状況だ。ただ概ねはカスミの情報と大差は無いので、違いだけをあげるのならば……
・アビドス対策委員会の4人は下記の役割で分担している。
十六夜ノノミ:全体管理担当
砂狼シロコ:治安維持担当
奥空アヤネ:流通管理担当
黒見セリカ:製造管理担当
・スケバンやヘルメット団など行くあての乏しい者を中心に人数を増やしている。
・中毒者の中にはより良い砂糖を求めてアビドスへ行く者も多い。
・各勢力や企業の中心人物を中毒者に仕立て上げ、取り込んでいる
・主にアビドスへ降ったものは下記の通り──
連邦生徒会:七神リン、不知火カヤ
トリニティ:百合園セイア、蒼森ミネ、古関ウイ、若葉ヒナタ
ゲヘナ:羽沼マコト、氷室セナ、鰐渕アカリ、陸八魔アル
ミレニアム:美甘ネル、天童アリス、生塩ノア、白石ウタハ、明星ヒマリ
その他大勢
・前述に当てはまらずとも、中毒症状が認められ実質的に機能不全に陥っている組織も多数存在。
(あのマコトが本当に……? 気にはかかるけれど、一旦は置いておきましょう)
「この情報はいつのものだろうか、小鳥遊ホシノ」
「一週間前だね。もう少し増えてるかもしれないけど」
この悪夢の広がりは想像以上だ。誰が敵になっていてもおかしくはないだろう。
「さて、これらの情報を元におじさん達がすべきことを纏めようか」
「その前にひとつ聞かせてくださいますか?」
ここまで考えこんでいたハルナが手を挙げる。
「シャーレの先生に関する情報はありますの?」
それはキヴォトスにおける防波堤。あまねく奇跡の始発点。
この状況だろうと最も真っ先に頼るべき存在。
だが、小鳥遊ホシノは首を横に振った。
「ま、さか……!」
すぐさま最悪の想像がよぎる。
「大丈夫。先生が砂糖を摂取したわけじゃない。ただ、今表立って動けない、のが正しいかな」
「どういうこと……?」
うーん、どこから話すべきかなあ……と悩む小鳥遊ホシノに対して、次はカスミが口を開いた。
「なるほどな。それが貴女だけアビドスを脱して自由に行動できている理由か」
「……へえ、よくわかったね。その通りだよ」
「私は先生に助け出されて、アビドスを取り戻すために行動してる。先生は別行動中……具体的に言うと、"天童アリス"を助け出すための準備を進めてる。私はそのサポートだね」
──つまり、小鳥遊ホシノは捉えられていた? そして天童アリスがキーとなる?
「まあ、これでようやく前提情報が並んだし、順をおって話そうか」
「──アビドスシュガーは、元々おじさんが見つけたものだった。最初はすごいものを見つけた! これは砂漠に隠されたお宝かもしれない! なんてはしゃいだものだよ」
「けれど、すぐにその性質に気づいて、それを封印した。幸い、中毒症状も大したことなかったしね」
「でも数か月前……対策委員会の誰かがその存在に気づいた。そして気が付いたらおじさん以外は砂糖に囚われていた……おじさんが頑なに拒んだせいで、みんなはおじさんを閉じ込めた」
「……その間のことは思い出したくはないかな。ともあれ、アビドスの異変に気付いた先生がやってきて、ノノミちゃん達とどういうやりとりをしたのかはわからないけど、ボロボロになりながらおじさんを助けて脱出した」
「そして気づけば、アビドスシュガーと名付けられた砂漠の悪魔はキヴォトスを侵食し始めていたんだ」
「……この事態の解決には色んな方法があるけれど、一番根治に必要になりそうなのは天童アリス。そして、アビドスはそれを知ってアリスちゃんを閉じ込めている。まるで、……おじさんの代わりのように」
「先生はそれを打開するために動いてる。私の役目は、このキヴォトスを飛び回って君らみたいな勢力をバックアップすること──以上だよ」
情報が濃い。
だが、納得は大いにできた。
さすればおのずとやるべきことも見えてくる。
「ふむ……これは風紀委員長、君の活躍が期待されるな!」
「ええ、そうね。こうなればわかりやすい」
「小鳥遊ホシノ。改めて貴女に協力しましょう。私達は各自治区の無事な勢力にコンタクトをとる。そして自治区内で暴れている中毒者の制圧を進める……先生が動きやすくなるように、ね」
「助かるよ。定期的に連絡は取り合おう。こちらも何か情報の更新があれば共有するね」
ここからはスピード勝負だ。ゲームのよう……というと不謹慎だけど、各自治区をクリアして情報と勢力を集め、最終的にアビドスを目指す。とても明瞭な話。
「では、私達の目指す場所はトリニティから変わらずだということだな!」
「そうですわね……早速出発しましょう」
「小鳥遊ホシノ、貴女は一旦どうするの? シャーレに戻るのかしら」
「んー……私はもう少しやることがある。それとシャーレはもぬけの殻だよ。先生を抑えられたらゲームセットだからね」
それは当然の事だろう。もし……この騒動の裏に悪意をもった存在がいるのなら、先生は最優先で抑えなければならない。
「わかった。じゃあ先生に伝言をひとつお願いできるかしら」
「いいよ、教えて」
『落ち着いたら、またピアノの演奏を聞いてもらえるかしら』
──かくして、舞台は整えられた。
反逆の運命は廻り出した。