ヤマイモワルドのネタ(タロウ)

ヤマイモワルドのネタ(タロウ)


 喫茶どんぶらのマスター・五色田介人は、一人で閉店準備に取り掛かっていた。テーブルを拭いていると、まだ施錠していなかった入り口に人の気配がした。

「今日はもう……」

「客ではない。あんたに用がある」

 不遜な声音で入ってきたのは桃井タロウ。昼間に一度、配達の仕事で訪れたときに比べ、眉がきつく顰められている。

「マスター。あんたは『ワルド』と名乗る生命体を知っているか。今朝、一線交えたのだが、脳人とは違うゲートで消えてしまった。それからは気配すら掴めない」

 一息に告げて、スツールに腰掛ける。日頃からマイペースな男だけれど、今日はマイペースと言うより焦っているようだ。介人は掃除の手を止め「奥へ」と招く。以前タロウを治療した手術室に入り、眩しいほどの灯りをつけた。今日は手術台が空いているので、そこに座ってもらう。タロウは珍しく落ち着きがない。

 蝶ネクタイを緩めた介人は息を吸い、

「ワルドって言ったの⁉︎ 本当に? 語尾はなんだった?」

「…………山芋と言っていた。急にどうしたんだ」

「何でもない。……用事はその連絡だけ?」

「いや……本題は……」

 これまた珍しく、勿体ぶった物言いをするタロウだが、やがて意を決したようにシロクマ宅配便の制服を脱いだ。細い体が無影灯に照らされ、本来の色白さがさらに際立つ。

「ワルドに受けた攻撃だ」

 胸板にこびりついた白い何かが、服と肌の間で糸を引いた。ワルドの語尾から察するに内包する世界はヤマイモトピア、この白濁は山芋をすり下ろした「とろろ」だろう。

「受けた箇所が耐え難く痒い。だがワルドは、自分の手で触れば痒みが増すだけだと言った。実際にそうだった」

 服を丁寧に畳む手が震えている。

「だから、あんたならどうにかできないかと」

 昼に来たときはいつもと変わらない様子だったが、朝に交戦したならすでに能力を受けていたはず。丸一日耐え続けたのか、と意志の強さに感服する。

「いいよ」

 念のためにゴム手袋をつけた。指先に凸凹があって物を掴みやすいタイプだ。とろろを掬うように端から撫でるが、ねとりと纏わりつく柔らかさはあるのに全く取れない。ワルドの攻撃だけあって厄介だなとため息を吐けば、流れた空気だけでも刺激になるのか、体が強張った。

「取れないね」

「ッ……あ、ああ」

「シュウ酸カルシウムの一般的な対処法……温水と酸性を試してみよう」

 建設的な対応に終始する介人は、キッチンへ向かう。湯を沸かし、酢かレモン汁でも探そうと考えたのだ。

 ──だが、タロウは、待てと言いたい気持ちを抑えるので必死だった。一番痒い部分には触れられないまま、周囲ばかり撫でられて、とっくに限界だと思っていた痒みが尚も酷くなっている。もう一秒だって我慢したくない。太腿に置いた手を胸へ動かして、また戻して、その繰り返し。

 自分で掻いても悪化すると経験済みだ。そんな中で目に入ったのは、虹色の手術器具だった。あれなら、自分の手ではない。もしかしたら。少しだけ、試してみるだけ……。

 ヘラのような器具を二本取って、ジンジンと疼く乳首に近づける。一度許してしまえば簡単だった。硬い先端で引っ掻いたり押しつぶしたり、好き勝手にいじめ続ける。一日中我慢していたのだ。サインを貰うため胸ポケットのボールペンを出し入れしたり、大きな荷物を抱えたり、わずかな刺激でさえ声が出そうになって、それでも仕事中だけはと耐え続けた。

「はっ……ふ……ぅうう……!」

 甘い考えだった。道具を介してみても、痒みは積み重なるばかり。今更手を止めることもできない。手を止めれば痒いし、動かせばもっと痒い。

「あ゛、ぁ、こんなの、どう、しろと……!」

 ドアが開く。

 ボウルや酢の瓶を持った介人が、はしたない姿を晒すタロウとは対照的に、無表情に立っていた。

「ワルドの攻撃は強い。意識でどうにかなる方が少ない」

 運んできたあれこれをトレイに並べる。

「表には誰もいない」

 ん、と両手を広げる介人。先ほどと同じゴム手袋。十の指先は凸凹している。

 ごく、と唾を飲み込んで、なんとか「頼む」と絞り出した。

「……いいよ。後ろに座らせてくれるかな」

 ベッドの端に腰掛けているタロウ。その背もたれになるような位置へ移動した介人は、手袋を引っ張ってはめ直す。

 表情だけは取り繕っているタロウも熱っぽい息は隠しきれない。どこまでも事務的に、態度を変えない介人がありがたかった。

 ついさっきまでもどかしく撫でるだけだった介人の指は、今度は過たずに乳首を捉え、ぎゅうっと握り潰す。

「ひ──ァ、あ、あああっ!」

 ズボンの中がじわり、と濡れるのを感じたものの、制止する気にはならない。それどころかもっと、もっとと言わんばかりに胸を突き出す。ぼんやりしてきた脳裏に、もう一度「いいよ」と囁かれた気がした。



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