ヤドリギの木の下で
秘密の友がいる。一族にも親にも弟にも秘密の友が。柱間という少年はマダラにとって一種の天啓だった。この戦国の世でマダラの馬鹿げた夢を笑わずに聞いたのは柱間だけだった。加えて一族の同年代では最早誰も歯が立たないマダラより強い良き好敵手だった。もしかすると敵対一族かもしれない。その事は常に心に引っかかってはいるがマダラにとって例え泡沫の夢でも柱間との語らいや修行は無くしがたいものだった。
二人の待ち合わせはその都度変えている。万が一身内の誰かにバレては面倒な事になる。バレるリスクを減らす為の工夫だった。待ち合わせは二人が初めて会った河原の近くが多かったが森の中で待ち合わせすることもあった。森の大きな山桜にはこれまた立派なヤドリギがある。今日はそのヤドリギの下での待ち合わせだった。マダラがヤドリギの下に着いた時ヤドリギには文が結んであった。
急用が出来た故また今度
朝早くにこれを結びに来たであろう友の顔を思い描く。申し訳なさそうに文を結んでいるのが見えた。今日は会えないのかと少しの落胆とまた今度の言葉に心が少し温かくなるのを感じているとマダラの頭上から何か白い物が落ちてくる。
「すまない!退いてくれ」
頭上から落ちてきたのは短く白い髪をしたマダラより少し年下であろう少女だった。弟のイズナと同じくらいのように見える。なんで上から落ちてきてるんだだとかお前誰だとか色んな考えが巡ったがそんなもの全てかなぐり捨てる。兎に角受け止めてやらないとこいつ大怪我するぞ!マダラが手を広げて受け止めてやると目線を配る。少女は一瞬戸惑っていたものの、覚悟を決めたのかマダラの腕の中に飛び込んだ。抱きとめた腕で少女の頭を庇う。勢いよく後ろに倒れ込む身体、地面に体を打ちつける衝撃に備えて目を瞑るが衝撃は訪れず代わりにマダラは水の中に沈みこんだ。
水遁の術か。
腕の中の少女が印を結んでいた。こいつ忍か!マダラと少女はすっぽりと大きな水球の中に包まれていた。どうやら水遁の術で衝撃を殺したらしい。水球が弾ける。当然マダラと少女はびっしょりと濡れていた。呆然としていると腕の中の少女はふてぶてしく言い放つ。
「退けというのに退かないから濡れる羽目になったのだ。貴様、馬鹿なのか?」
「助けてやったのになんだその言い草ァ!」
「助けてくれだなんて言ってない。一人でなんとかなった」
「可愛くねぇ奴だな!?」
少女はへの字に口を曲げてこちらを睨んでいる。たとえ一人で何とかなっていたとしても助けてくれてありがとうだとかそういう殊勝なこと言えないのかこいつ。うちはの娘連中にはあまりいない気の強いタイプだ。
「だいたいなんで上から落ちてきたんだよお前」
びっしょりと濡れた着物の裾を絞りながらマダラは子供に問う。少女はしぶしぶと言った顔でもぞもぞと言う。
「…弟の月命日だから弟の好きだった山桃を取りに来た。木を伝って帰る途中で鷹が飛び出してきて驚いて足を…」
「滑らせたと」
またも口をへの字に曲げる少女を見てため息が漏れる。呆れた顔をされていることに気付いた少女はむっと顔をした。
「受け止めてくれて助かった!礼を言う!もうこれでいいだろう!失礼する!」
「おい待て!そんな濡れたまま帰ったら風邪引くだろうが!」
少女の生白い手を取る。思ったより華奢で柔らかな手に少し驚く。男兄弟ばかりだったので近い年頃の女と触れ合うことがあまりないから新鮮だった。
「火、焚いてやるから乾かしてから帰れ」
少女はしぶしぶ頷いた。火遁で火を付けてやれば、ほぅと感心したように少女は火を眺めていた。
「火遁得意なんだな」
「…まぁな」
「あったかい」
大人しく焚き火に当たる姿は少しは可愛らしいかもしれない。口を開けばちっとも可愛くないが。少女はうちはにはいない顔立ちをしていた。写輪眼でもないのに赤い瞳はうちはにはあまりいない一重で、透けるように白い肌をしていて見るからに不健康そうで少し心配になる。儚げとでもいうべきだろうか。極めつけは雪のような真っ白な髪だ。うちはの昔話に出てくる雪女がこんな姿をしていたと爺様に聞いた事がある。真っ白な髪と真っ白な肌を持った雪女はいつまでも若々しく子宝にも物凄く恵まれたとかなんとか。
「なんだじろじろと……助平」
「前言撤回!一つも可愛いくねぇ!」
少女は胸元を隠しながら揶揄うように助平と言った。そんな薄着で恥じらいとかあるのかよとかそんなまな板みたいな胸を隠す意味あるのか?!と叫びたくなるがそれは流石に女に言うべき言葉ではないだろう。マダラはぐっと我慢した。
「ふふっ、お前面白いな。揶揄いがいがある」
「お前はムカつく奴だよ…」
「打てば響いて面白いからつい…」
「ついで揶揄うなこの野郎」
少女はくすくすと笑っている。いい性格してるなこの女。ふと名前が知りたくなった。忍故、姓はお互い名乗れないが名前だけでもと思い少女に問う。
「なぁ、お前名は?」
「…名乗れないし名乗りたくない。だからお前が勝手に名付けろ」
「はぁ?」
「好きに名付けて好きに呼べ」
突然名付けろと言っても困る。マダラは少女を見る。頭の天辺から爪先まで恐ろしく白い。真っ白だ。
「…真白?」
少女はじっとりとした目をしながら呆れたように呟いた。
「安直」
「お前が好きに名付けろって言ったんだろうが!喧嘩売ってるなら買うぞコラァ!」
「はいはい、私が悪うございました。…随分可愛らしい名だが悪くない。一人でも何とかなったが一応助けてくれた礼だ。お前と二人きりの間は私は只の真白だ。お前が何処の一族の者だったとしても手は出さない。ただし二人きりの時だけだ」
この風変わりな忍びの少女は二人きりの時だけの休戦協定を結ぼうと言いたいらしい。イズナと変わらない年で高度な水遁を使える少女は確かに敵に回られれば厄介だろう。それが二人きりの状況という制限付きだが仲良くしてやると言っている。他所の一族だからこそ得られる知識もあるかもしれない。少女は手を差し出す。マダラはその手を取った。
これがもう一人の秘密の友との出会いだった。
真白はいつもふらりと現れる。不思議と柱間といる時は決して姿を見せない。柱間がいない日に限って彼女は現れた。柱間が親戚の用事とやらで会えない日に真白はマダラの前に現れた。真白は籠いっぱいの鮎や岩魚を持っていた。ふふんと得意げな顔をして真白は笑った。
「待っていたぞ。お前、火遁得意だったろう?これを焼いてくれないか?」
「…なんで俺が」
「お前の巧みな火加減に感動してな。これで魚を焼いたら絶品になるに違いないと思っていた。今日はお前が来やしないかと山中を感知で探っていたら見つけてな!これ幸いと急いで捕まえてきた」
「感知能力の無駄遣いが過ぎる!」
真白は感知には自信があるらしい。その感知能力の幅は幼いながらにかなり広範囲のようだ。柱間がいるときに限って現れないのはオレが誰かと一緒にいると感知しての事のようだ。しぶしぶ魚を焼いてやれば、赤い瞳がきらきらと輝いた。山のようにあった魚はみるみる真白の腹の中に収められていく。細っこい体のどこにそんなに入るのか。頬を膨らませながら焼き魚を頬張る真白は小動物にも似ていた。
「お前も食べていいぞ」
真白は俺が焼いた魚を一串差し出す。オレは首を振って断った。
「そんな美味そうに食ってるところ見るだけで俺は腹いっぱいだからお前が全部食え」
「そうか?でもこういうのは一緒に食べた方が美味い。お前も食べろ」
グイッと差し出された鮎をマダラは遠慮なく受けとった。マダラが魚を頬張る姿を見て真白は少し寂しそうな顔をしていた。
「どうしたよ、食べ過ぎて腹でも下したか」
「失礼な奴だな…」
「まぁ…言いたくないなら言わなくていいけどよ。なんか吐き出してすっきりするなら聞くぞ」
「……弟の事を思い出していた」
「弟…」
初めて出会った時、真白は弟の月命日だと言っていた。亡くした弟を思い出してふと寂しくなる気持ちはマダラにも覚えがある。弟の好物が献立に出た日なんかは無性に悲しくなる。
「ほんの少し前まではこうして一緒に魚を焼いて食べたり修行をつけてやったりしていたんだ。姉者、姉者とくっついてきて可愛くて可愛くて」
真白は慈しむような顔で弟の話をした。彼女の大切な宝物の話をしてくれた。
「私の弟は二人いたんだ。二人に姉者と呼ばれるのが大好きだった。今はもう誰にも呼ばれはしないがな」
「戦か?」
「あぁ…大人達は馬鹿だ。馬鹿ばっかりだ」
血を吐くような苦しさを込めた一言だった。彼女にはもう弟はいない。姉と慕ってくれる者はいない。彼女は未来の俺の可能性そのものだ。弟イズナを守れなかった場合の俺だ。今やたった一人の弟イズナを失って誰にも兄と呼ばれなくなった自分を想像する。背筋がぞっとする。それはきっと足元が崩れていくような恐ろしい感覚がするのだろう。
「そうだな…馬鹿ばかりだ」
「お前のところはもう他に兄弟はいないのか?」
「一人だけ弟がいる。その弟だけは絶対守り抜く」
「あぁ…私には出来なかったから。お前が変わりにやり抜いてくれ」
寂しげに真白は笑った。頭の中ではいつか柱間と語った本当の同盟の話が巡る。もしも本当の同盟を結んで平和な世の中に出来たなら真白の寂しさも埋められるだろうか。