ヤッキュイーン!新しいお菓子よ!

ヤッキュイーン!新しいお菓子よ!

スコープネコ


 「……おはようございます」


 朝練を終え、ジャージ姿かつ寝惚け眼でトレーナー室に入る芦毛のウマ娘、メジロマックイーン。はしたないと思いつつもトレーナーしか居ないならと言う認識もあり、その欠伸を隠すことが出来ずに居た。


「やっぱり寝不足になってたか」

「う……事前に相談していたとは言え、お恥ずかしい限りですわ……」


 苦笑いと共にトレーナーが指摘すると、マックイーンはバツが悪そうに目を逸らしながら肯定する。トレーナーとしても実の所責める気は無い。彼女の言う通り事前に相談されており、その上でトレーナーも了承しつつ予定も組んでいる。結局の所、二人の間では何も問題は起きていない、という訳だ。


「若い内から熱中できる趣味があるって言うのも良い事だとは思うけどね。元より休養期間な訳だし少しぐらいは構わないよ」

「いえ! 如何なる時でもメジロのウマ娘として自己管理……程度……ふぁ……」


 真剣な表情を取り繕うも即座に緩み、そのまま眠気の波が表に出る。そのままうつらうつらと船を漕ぎかけて、ハッと意識を引き上げる。完全に取り繕うも何も無い状態であったとしてもそれはだらし無い姿を見せる言い訳にはならないと彼女は己を律しているのだ。実に立派であるが、自分の前では気を抜いても良いのにとトレーナーは内心微笑む。


「そうだね、朝食前に眠気覚ましにコーヒーと何か甘い物を食べながら話そうか、朝練も終えた後だし丁度いい。話のタネは……うん、こっちに持ち合わせが無いから、昨日の試合について聞かせてくれたら嬉しいね」

「……! そうですわね、コーヒーブレイクと言うには速すぎますが、少しばかりの雑談といたしましょう」


 飽くまで誘われたから、と言った様子のマックイーンは内心に残る持て余した感情の熱を用意する。何処から話そうかと思案する彼女の目の前には手早くコーヒーに小ぶりのチーズケーキタルト、そして聞き手であるトレーナーが用意された。

 そして先ずは喉に一度、温かなコーヒーを通らせてから優雅な雰囲気を漂わせて切り出す。


「最初に、昨晩の試合は日本一を賭けた物とあってお互いに譲れない物でしたわ。前六試合の三勝三敗はの合計点は驚く事に同点……となれば正に一進一退の鬩ぎ合い、その行く末を見届ける意味でも重要な最終戦です」


 コーヒーと同じく味わう様に沁み沁みとした声音で語る。朝からそわそわとした様子を思い出し、道理で楽しみにしていた訳だとトレーナーは頷きながら思う。それに今の機嫌を見るに良い結果だったのだろう、とも予想が付くが口にはせず聞きに徹する。


「三回ウラまで互いに点を譲らず。押せば押されての鬩ぎ合いと言える進みでした……ですが! 四回表、ヴィクトリーズの攻撃でスリーランホームランの先制! 打者の活躍は正に過去の英雄の再来とも言われて……!」


 感極まった様子で立ち上がる。トレーナーはその姿に乙名史記者を重ねたがマックイーンは即座に咳払いと共に座り直す。赤くなった顔を隠す様にチーズケーキタルトを口に含み、甘味によって小火騒ぎの起きた思考を鎮火する。


「……そして、ウラもその活躍に続く様に好投にて相手を抑え、五回表。勢いのままに三連続タイムリー、チャンスを逃さない気持ちと必死に食らいつく心、そして二人のチームメイトが作り上げた流れに上手く乗った三者三様の素晴らしい攻撃でした」


 優雅と感情の競り合いを制したのは優雅であった。静かにチーズケーキの風味が広がった口内を少量のコーヒーの風味と競わせる。苦味に競りかけられたチーズケーキの風味は口内を駆け巡り見事レコード勝利を収めた。優勝である。


「五回ウラ、そこからはそのリードを全力で守る意地と後半で何としても巻き返したい意地による緊張感のある試合でした。優勢であっても油断慢心はせず、劣勢であっても諦観屈服はせず。打たれても決してお互いに点を許してなるものか……私達の走るレースで言うならば最終直線にて感じる物と似たものを感じましたわ」


 この回のプレーはアレがこうで。あそこの読み合いは。気が付けばチーズケーキタルトとコーヒーを、それこそ野球の表とウラの如く交互に口の中と言うマウンドに放り込む。

 トレーナーにとって、野球は実の所詳しく理解している訳ではない。けれど、マックイーンの見せる輝いた瞳とピッチ走法の如く回り続ける口を見ればその魅力は容易に伝播する。飾り気の無い『好き』と言う炎は周りの心に良く燃え移り、同じ熱を与える事など良くある事なのだ。故にトレーナーは『知識』ではなく『感情』にて彼女から伝えられる熱を楽しんでいる。流石にトレーナーは仕事の都合上、長時間の野球観戦は念入りな予定調整が必要になる為難しいが、それでも。


「そしてついに最終。九回表……ただ抑えるだけじゃ意味がない。最後まで全力で点をとりに行く姿勢を見せて下さった事により、合計四回の攻防中は不変だった点数を一点分、動かす事になりました。観客の中には『これでもう勝負は決した。もう安心だ』……そう考える人も居たと思いますわ。けれど、追い詰められた相手が易々と勝ちを明け渡す事もなく」


 最後まで全力なその姿にマックイーンは大きな感銘を受けた。事実スポーツの種類が違えど同じ競技者として最後の直線で例え何バ身も離されていても諦める事は無く、同時に何バ身も差を作ろうと最後まで脚は緩めないだろう。


「一点。満を持してマウンドへと立った守護神相手に奪い取った一点はその点数以上に大きな意味と価値があった様に思えますわ……」


 コーヒーが尽きて見えたカップの底を眺めつつ、チーズケーキタルト最後の一口と共に語り終えたのは38年の時を踏み越えて選手達が手に入れた栄光。トレーナーは語り終えたマックイーンの浮かべる、喜びを噛み締めた表情を見る。それに包まれた感情はまだまだ語りたい、もっと魅力を伝えたいと実に雄弁であるが、しかし。熱心な野球ファンと言う訳ではないトレーナーに語って良い物なのか。これ以上語るのは流石に聞き手として苦痛になるのでは、と。本筋を語れた事による満足感に甘んじる理性と細部を語り尽くしたい不満を覚えた本音で揺れている。

 それを容易に見抜いたトレーナーは口元を緩ませながらそっと時計を見る。時間としてはまだ速いが、確かに彼女が次を語るには時間も心許なく、場合によっては優等生らしからぬ遅刻をしてしまうかもしれない。眠気もすっかり飛んだ様子の彼女も時間を把握したからか理性がしっかりと本音を押さえつけてしまった様だ。少しばかり残念そうな表情を振り払い、表情を整える。


「コーヒーとタルト、ご馳走様でした。そろそろ着替えて授業の方へと……」

「うん、行ってらっしゃい」


 立ち上がったマックイーンはトレーナーから見て自然に見える笑顔を見せて扉に向かう。トレーナーはやっぱりね、と内心で予定を少しばかり修正しつながら「あぁ、そうだ」と声に出す。扉に手を掛けたマックイーンは退室の直前、トレーナーが声を出した事でふと立ち止まり振り返った。振り返った先でトレーナーは悪戯っ子の様に笑いながら……


「また、午後のトレーニング終わりにでも疲れを取る為に何か飲むつもりだから付き合って欲しいな」


 さも私は困ってますと言いたげな声音と共に放たれたその言葉に、マックイーンは思わず瞬きを二回する程度の間を生む。そして、トレーナーから見て心からの物に見える笑顔を向ける。


「────えぇ、私からも是非!」




 その日。周りの生徒は実に上機嫌なメジロマックイーンを目撃し、さて何か良いことがあったのか……と。その日の話のタネが一つ、生まれたのだった。

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