ミレニアム編 2話

ミレニアム編 2話


「はぁぁぁ…」


ミレニアムタワーのセミナー事務室。

他のセミナーの生徒達が一様にキーボードを打鍵して作業を進めている中、私は憂鬱な気分のままに天井を見上げていた。


「あら。ユウカちゃん、ため息なんてついてどうしたんですか?」


「ノア…」


そんな私に声をかけたのは親友のノアだった。

気の置けない間柄であるが故に、私は自分の疲労感を隠さずに語る。


「この間、アリスちゃんが下からC&Cをぶち抜いたでしょ…?」


「あっ…」


ノアは私の一言で全てを察した様だった。

その目は先程まではからかいが多分に含まれていたが、今は憐れみと同情が半々といった状態だ。

逆に私はノアの意表を突き、してやったと​────


「あぁぁぁ…」


「な、何か手伝いましょうか…?」


ダメだ、完全に疲れている。

何故自分の残務量で勝ち誇っているのだ。

嘆きと再認識した疲労感で思わず目の前の机へ額から突っ伏す。


「うぅ…ありがとうノア…でもこれ、財政の問題だから…」

「それに内々に処理しておかないと、モモイ達の成功体験に水を差しちゃいそうで…」


「私の出る幕は無さそうですね…」


エンジニア部や他の部活のいつものやらかしは屋根や部屋が吹き飛ぶ程度。

対して今回のゲーム開発部との騒動は多階層だ。

ミレニアム製の建築物でなければ倒壊は免れなかった損害は、かなりの痛手だった。

おまけに巨額の使途不明金まで見つかり、詳細調査の許可を貰おうとしてもリオ会長と連絡もつかない。

こんなことなら、押収品を説教の後に返却しておけば良かったと思わない日は無かった。


「仕方ありません…では私は多少でも助けになるように承認系の書類を片付けておきますね。」


「お願いするわ…」


そう言うとノアは死に体の私に背を向け、自分の机へと戻っていく。

だが机につくと引き出しから何かを取り出し、すぐに戻ってきた。


「お疲れのユウカちゃんには、これをあげます♪」


机の上にコロコロとなる音。

ノアの握った手が開かれると、そこには銀紙に包装された5つのキャラメルがあった。


「最近私が気に入って食べてるものです。良かったらどうぞ。」

「ちなみに、内2つは特別製です♪」


「ありがとう…」


すぐに食べる気にもなれない為、私は顔だけを向けて力無く返事をする。

しかし、その時ある事が気になった。


「…ノア、手が震えてない…?」


「え…?」


キャラメルを置いた手、その指先が小刻みに震えていたのだ。

私は少し心配になり、上体を起こして向き直る。


「自覚が無い病気は怖いわよ。ちゃんと見てもらった方が…」


「そ、そうですね、来週に健康診断があるのでその時にお医者様に伝えてみます。」

「あ、もうこんな時間…!すみません、ユウカちゃん。次の予定があるのでまた後で…!」


「ノ、ノア…?」


触れられたくない事だったのだろうか。

ノアは自らの手を隠すように胸元に抱えると、足早に事務室を出ていってしまった。

私はスッキリしない心持ちのままに作業に戻る。


「…あれ…?これ…」


置いていったキャラメルに視線を遣る。

特別製という言葉が気になったのだが、それは一瞬で露見した。

包み直したであろう銀紙の包み方が他とは明らかに違うのだ。

おまけに中身が少し見えてしまっている程のお粗末さ。

最初から紛れ込ませる意図が本当にあるのか、と疑わざるを得ない有り様だった。


「ノアも…疲れてるのかしら…」


それは偶にイタズラを仕掛けてくる彼女らしからぬものだった。

ノアが置いていったキャラメルには、どうにも手をつける気が起きなかった。


​────​────​────​────​────​───


「ハレ先輩、どう…?こっちはダメだったよ…」


「…ダメ…やっぱりバックドアも無しに正攻法でこれを突破するのは…」


サーバマシンから放たれる緑のランプが明滅し、モニターの光が各々の顔を照らすヴェリタスの部室。

端末の冷却も兼ねているからか、エアコンはゴウゴウと音を立てて冷気を放っている。

そんな中目の下に濃い隈を作り、苦悶に歪んだ表情のマキからの報告に私は肩を落とした。

リオ会長が管理しているセミナーのサーバにアタックをして四日目。

何の成果も得られない日々に、私達は失意と苛立ちを募らせる。

気分を紛らわせようとして手元の妖怪MAXに手を伸ばし、軽すぎるそれを口へと傾けた。


「ぁ…」


しかし、無い。中身が、もう一滴も無かった。

いくら振っても甘い匂いだけが下りてくるそれは、最早空き缶と呼ぶのが相応しかった。


「ハ、ハレ先輩…その空き缶、私が処分しておくよ…!」


「ッ…!…いい、処分くらい自分でするから…!」


大事な、数が限られている妖怪MAX。

この空き缶は後で切り開き、内側を舐めとるつもりだ。

みすみす渡すようなマネを誰がするものか。

そう考えていると、少し離れたところから呻き声が聞こえてきた。


「ゔ、ゔあ”ぁぁ…!!足り、ないです…!苦しい…苦しいぃぃ…!!」


「こっちも、ダメ…もうどこの卸業者もセミナー…いや、リオ会長に処分されてる…」


その呻き声はぼさぼさの髪を掻き回すコタマ先輩のものだ。

そして続いた声はチヒロ先輩のもの。

チヒロ先輩も首や腕を搔きむしった傷跡が生々しく残っている。

私達ヴェリタスがこんな窮状に追い込まれたのは、少し前に遡る。

箱で買った妖怪MAX。

注文したのは二四本入の二箱だったのだが、届いたのは三箱だった。

その三箱目に入っていたのはまさかの発売目前の新作、幸せのリンゴ味。

発注ミスかと思ったが、添付されていたメッセージにはリピーターである私達に感謝として先行配布した旨が記載されていた。

私達は嬉々としてそれを飲んだ。あまりに強烈なそれを。

全てのエナジードリンク、いや、今まで口にしてきたもの全てを過去にする程の美味。

そして、凄まじい幸福感を与えるそれに、私達は完全に魅了されてしまった。


「あれが…あれが無いと…あの幸せを、もっと…!」


「マキ、頭に響くから少し静かにして…!私だって…」


「チヒロ先輩、今のはあたしじゃなくてコタマ先輩…」


もちろん、最初の内は”これはおかしい”という理性も働いてはいた。

だが、身体が言う事を聞かない。

もう飲むまいと缶を手放すも、瞬きをした次の瞬間には口に注ぎ込んでいる。

そんなことを繰り返していると───もう、どうでもよくなっていた。

それに、チヒロ先輩すら誘惑に抗いきれずに飲んでいたのだ。

私達が諦めるのにそう時間はかからず、買い占めて束の間の楽園を謳歌していた。

だが最近、状況が変わってしまった。


「こんな事なら…前にリオ会長を見かけた時に襲って…」


「それは最終手段、だけど…私も気持ちは同じ…」


「………これはもう、あたし達への宣戦布告…そう受け取ってもいいんじゃないかな?」


そう、セミナーだ。

セミナーのリオ会長が、自治区内での流通を規制し始めたのだ。

おかげでミレニアム内ではほぼ手に入らなくなってしまった。

今は協力者のおかげで何とか少量は供給されているが、足りない。

規制前のあの快楽を忘れられない。もう一度味わいたい。

だからこそ、セミナーのサーバへのアタックで規制に抜け道を作り、今一度あの快楽を取り戻そうと躍起になっているのだ。


「ッ!来た!!」


苛立ちが募り過ぎ、遂には憎悪へと変わりかねない状況。

そこに差し込まれたのはインターホンの音だった。

私達は一目散に部室の出口に駆け寄る。

そして、開け放たれた先にいたのは宅配のドローンだった。


『コンニチハ、コチラハヴェリタス様ノ部室デオマチガ「うるさいっ!!!」』


私は苛立ちのままにまどろっこしい事を言ってくるドローンを撃ち抜く。

気づけばドローンの持っていた荷は奪われ、皆の手によって段ボール箱はバリバリと引き千切られていた。

そして、私達はようやくそれと再会する。


「あぁ!これぇ…!!ごくっ、ごくっ…!!」


「っぷはぁ…!あぁ…しあわせぇ…!」


「……………」


「っはあ”ぁぁぁぁ…!」


箱から転げ出た缶を手に取り、温いのにも気にせず一気に喉奥へと流し込む。

脳に染み渡る甘味。それは忽ち理性を溶かし、私達を楽園へと誘う。

チヒロ先輩はその幸福を誰よりも噛みしめていた。

飲む姿勢で呼吸を忘れているのかと思うほど静かに、チマチマと飲んでいるのだ。

目は完全に裏返り、鼻血を垂れながらも飲み続けるその姿は落ち着いて見るとあんまりなものだった。

だが無理もない、恐らく一番苦しかったのはチヒロ先輩だ。

一度受け入れてからも、何度もこれはダメだと自ら断とうとしていた分摂取量が一番少なかったのだから。

そんな時、別の誰かの声がした。


「あら、ドローンを破壊されるのは困るのですが…」


「…同型機の予備部品があるから、すぐに直すよ…」


破壊されたドローンの脇から現れたのは憎きセミナーの一員であるノアだった。

だが、彼女は私達の敵ではない。むしろその逆の協力者だ。

ミレニアム内にどこから引っ張ってきたのか、この妖怪MAXの手配をしたのは彼女なのだ。

だが、私は彼女に現状良い印象を持っていない。


「…それで、いい加減教えてくれないかな?」


「何をですか?」


「リオ会長を裏切ってまで、私達にこれを融通してくれる本当の理由を。」


彼女はセミナーだ。即ち私達に与することは裏切りに他ならない。

だというのに、以前聞いたその理由は納得のいくものではなかったのだ。

あまりに不自然なその行動に、私は問わずにいられない。


「前にもお話しましたが…私は自然な形でこの妖怪MAXの含有成分である砂漠の砂糖を、誰の手にも取れる状態にしたいのです。」

「私もこの通り…っぷぁ、砂漠の砂糖の愛好家ですから♪」

「皆さんには有事の際に私の味方になって頂きたいので…そのための協力と供給です。」


「…そう。」


やはり答える気が無いと悟り、私は引き下がる。

私の様子を見たノアは、一呼吸を置くと新たな情報を私達に提供してきた。

セミナー内にも蔓延させる手筈を進めていること、ヴェリタスへ資金をある程度横流しできる様にする書類が完成したこと等だ。

どれもこちらにとって良い情報ばかりで、少し心にゆとりができる。

だが、ノアは最後に踵を返しながら気になる一言を残して去っていった。


「…リオ会長とヒマリ部長が、何やら密談をされていた様です。」

「今後何かしらのアクションを起こすかもしれませんので、警戒をお願いします。」


私はその言葉に対して何があったのか気になったが、今となっては知るべくも無い。

しかし、ノアが廊下の角を曲がり姿が見えなくなった頃にコタマ先輩は何かを思いついた様だった。


「そうです…!あの周辺の私の盗聴器を全て使えば…!」


そう言うとコタマ先輩は跳ねる様に自席に向かい、端末を操作する。

どうやら密談の音声データ取得を試みている様だった。

そしてものの数分で喜色に満ちた声で私達を呼び、チヒロ先輩以外が身を寄せ合う事となった。


「…再生します。」


私達は固唾を飲んでその音声データに耳を傾ける。

そして───


『今回構築した物流管理システム…”砂漠の砂糖”を警戒したいのは…』


「これは…!」


その内容に絶句し、私達は覚悟を決めた。


​────​────​────​────​────​───


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ…!!」


ツカツカと誰もいない廊下にヒールの音が響く。

しかしその音の間隔はあまりに短く、競歩か小走かといったものだった。

その音の主であるノアは荒い呼吸のままセミナーが管理する物置の鍵を開ける

そして忙しなく扉を閉め、後ろ手に鍵を再度掛けた。


「う、う、うぅ、うゔぅ…!」


ノアは呻き声をあげながら耳元のヘッドギアに手を翳し、通信を開始する。

その表情は苦悶と焦燥に満ちており、普段の余裕を持った彼女からは想像もつかない有り様だった。


『​…もしもし。』


「​も、もしもし!?」


聞こえてきたのはボイスチェンジャーで変換された声。

男とも女とも分からぬその相手に、ノアは鬼気迫る様相で捲し立てる。


「あれ、あれを、わ、渡しました!ユウカちゃんに、渡しました!!」

「早く、早く…!わ、私、私の、さ、砂糖…!!」


『…食べる所まで見た?』


「あっ…!?」


途端に呼吸を止めて青ざめ、絶望を露わにするノア。

ノアに指示を出したと思われる人物はその様子に落胆したのか、大きな溜息を吐く。


『セミナーと言ってもこの程度…任せたのが間違いだったかな。』


「申し訳ありませんっ!待って、待って下さいぃ…!!」

「何でもじまずっ!私の権限の及ぶ範囲で、何でもしますから、どうか…!!」


相手の失望した様子にノアは半狂乱になって縋りつく。

大粒の涙に鼻水や涎まで垂らし、この場にいない相手に土下座までしていた。

その姿は優雅さや気品といったものは一切無く、憐みすら覚える程の情けないものであった。


『…渡せただけ良しとしよう。…次は無いよ。』

『端末に次の指令のリストを送った、私の指示は身命を賭して遂行する様に。』


「っ…!はい!ありがとうございます、ありがとうございます…!!」


ノアが相手の赦しを得た事で安堵すると同時に、その通話はブツリと打ち切られる。

すると、彼女の懐からは何かの電子音と電子錠が開く音が鳴った。


「あぁ、やっと…!」


羽織っていたジャケットを脱ぎ捨てるべく立ち上がるノア。

壁に背を預け、懐から取り出したのは電子錠が掛かっていたであろう硬質な小さな箱。

中には注射器と、これから注入するであろう透明な溶液が入っていた。

注射器に溶液を充填しながら袖を捲り、露わになったのは悍ましい数の青い注射痕。

二の腕をゴムチューブで縛り、彼女はその細腕に浮いた血管へと注射器を躊躇いなく突き立てる。


「はっ、はっ、はっ…!」


溶液が注入され、更にビキビキと浮き上がっていく血管。

その様子を見るノアの口角はだらしなく上がっていた。

涎を垂らし、これから起こる事に期待を膨らませているのは誰の目から見ても明らかだ。

そして遂にゴムチューブの留め具は外され、血流は解き放たれる。


「ひぃっ…!ひぅぅぅ!い、ひひ、ひ…!!」


身体を大きく跳ね上げ、奇怪な笑い声と共に仰け反っていくノア。

背を預けていた壁に強く頭を打ちつけ、頭皮が少し裂けて白い壁面に赤い雫が真っ直ぐな一本線を描く。

その上彼女の股からは体液がスパッツに染み出し、びちゃびちゃと足下に滴り落ちる。

そして、アンモニア臭のする水溜まりを作り出していた。

だが彼女は気にも留めていない。

脳内を駆け巡る快楽によって痛みすら感じていないのだ。


「ゔへっ…!」


このまま背骨が折れるのではないかと思われるほどの姿勢。

だがその矢先にガクガクと震えていた足が水溜まりで滑り、べちゃん、と盛大に尻もちをついてその場に仰向けに倒れた。


「あ”~~~………♡♡♡」


焦点が定まらない目で天井を見上げる彼女の顔は、幸福に満ちていた。

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