ポメラニアン、怒りの日

ポメラニアン、怒りの日



「心地良い……これが”シャバの空気”というものね…!」

おおよそ千年前に起こった戰の後のゴタゴタに巻き込まれ囚われの身になったマグダレーナは、しかしながら特に直接的な危害が加えられるようなことにはならなかった。

死神側の「新たな楔となりうる存在である以上下手に干渉し過ぎて問題が起き使い物にならなくなる可能性は避けねばならず、ゆえに必要になる日まで健康体を維持し続けるべし」との方針により、家畜の如くケアが為されることになっていたからだ。

マグダレーナとしても、さほど心配はしていなかった。兄が倒された折、千年ののち復活して今度は成功する旨をきっちり予告していたためである。彼女の中には兄を叱る機能こそあれ、兄がした約束を疑うという選択肢はハナから存在しえない。ゆえに——いや、実の所をいうとほんのちょっぴりばかり不安と兄不足で心身共に調子を崩したりしなくもなかったのだが——封じられてしまったからには仕方ない、千年良い子で待っていようというのが彼女の定めた方針であった。

しかしここで問題が発生する。想定される年月は確実に過ぎたというのに、待てども待てども兄が来ないのである。

マグダレーナは泣いた。それはもうみいみいと泣き散らした。あまりにも弱るので、困り果てた曳舟桐生がおはぎを差し入れるついでに「最近虚圏の方で滅却師が何やらやってたみたいだよ」などと教えてやるほどにはぺったんこに溶けていた。

さらに時は過ぎ、流石に何もしてこないのは妙だ、という話になる。

諦めたのであればそれで良い。問題は、想定しているよりはるかに悪辣で対処に困る策を見出していた場合だ。どちらか確かめることができれば一番いいのだが、兎にも角にも「何かをする余力が残っているか」ということを確かめる術が必要であった。

そこで誰かがこう言い出した。「ここにいるではないか、向こうにとってもしも見つけたら罠であろうが何がなんでも拾いに行かざるをえない存在が」と。

マグダレーナとしては、流石におかしいと言わざるをえない。私、兄様ほどじゃないけど結構強いはずなのに、どうして皆はまるで私が御しやすいポンコツであるかのように見るのかしら。

だがしかしまあ、そういうわけで彼女は一時釈放された。一応は向こうの生存確認に加え「仮に度を越した手に打って出ようとしているならば、ここでそれに反抗するような輩をねじ込めば瓦解の一手となろう」だったり「うまいこと諦めさせてYo」だの言い含められてはいるが、なんてことはない、実の所は霊王のスペアが兄ニウム不足で衰弱死などという前代未聞の事件を防止する意図も含まれていたりする。

それに、「このままではお父様がかわいそうですもの、最悪私が代わりになるのではダメかしら」とマジで言える女は、兄に比べればはるかに御しやすいのであった。

下に降ろされてもどうすれば良いのかわからなかったのでとりあえず「おやつに食べな」と包んでもらった最中をもぐもぐしていたらいつの間にか周りの風景が変わっていたのはびっくりであったが、マグダレーナは気を取り直して「まあ兄様のすることだものね、たぶん」と頷く。


(構造はあまり変わっていないみたいね…これなら兄様がいそうなところも自力で見当がつくかしら)

袋の中身を完食したあたりで、迎えが来ないことを些か不思議に思いながらも、立ち上がって歩き始めた。

それにしても、先ほどからすれ違う人が知らない人ばかりである。しかも皆一様にものすごく疲れた顔をしているのだ。

何かあったのだろうか。もうヒューベルトでもいいから、誰かしら知っている人が通りがかって説明をしてくれたりしないだろうか。

そんなことを考えながら「その辺をフラフラしてみる」というタスクをこなしていると、何やら子供のものらしき声も聞こえてくる。……いや、まあ、兄が後進の世代の育成をすることの大切さに気づいてくれたのであればそれは非常に喜ばしいことであるのだが。

(というか子供いいわね、子供。毎日毎日怖い坊主のあんちきしょうの顔とか見すぎた私には癒しが必要なのだわ。ちょっと様子でも見に参りましょう)

一応弁解しておけば、彼女はいわゆる”その手の趣味の人”ではない。単純に「守るべき」とか「導くべき」と思う存在に著しく弱いだけである。特に子供は精神的に未熟で無垢な将来性の塊なので大好きだ。

とてとて駆け回るあどけない少年少女を見つめながら「ふへぁ」と息を零す姿は不審者情報に載せられてもおかしくないそれだが、本当にそういう趣味ではない。おそらく子犬でも雛鳥でも子ゴリラでも同じ対応である。

やはり子供はいいわね、本当に素晴らしい。この世の宝。これは後ほど是が非でも兄様にこの辺りに合法的に出入りさせてもらえるようねじ込んでもらわねばならないわね。

そんな事を考えうんうんと大きく頷きながら子供たちの姿を見守っていると、不意に振り向いた子供の一人とばっちり目があった。

しばしこちらをぽかんと凝視した後駆け寄ってきたその顔に既視感を覚え、マグダレーナは僅かに微笑む。

…あらまあ。そうよね。これだけ時が経っているのだもの、そういうこともあるでしょう。悔しいわね、そういう時が来るようならちゃんと近くで手助けとかしてやりたいと思っていたのだけれど。

しかし、その微笑みが長続きすることはなかった。

今しがた軽く頭を撫ぜたばかりの少年が、目に大粒の涙を貯めたかと思えばみるみるうちに泣き始めたからである。

「ど、どどどどうしましょう、私泣かせてしまうようなことなんて何も…」

顔を真っ赤にし「ごめんなさい、ごめんなさい」としゃくりあげる少年を咄嗟に抱き上げ、マグダレーナは「だ、誰も責めたりなんてしてないわよ…」と狼狽しきった声をあげる他なかった。

「ひっく、う、えらくなって、やくにたつって、いったの、にっ…ちゃんとできなくて、ごめ゛ん゛な゛さ゛い゛…!」

「……ん?」

静かに湧き上がる違和に首を傾げるマグダレーナのところに、知らない女性が慌てた様子で駆け寄り深く頭を下げる。

本来きっちりとまとめられていたであろう金髪は僅かに乱れ、顔にはありありと疲れの色が浮かんでいた。

「申し訳ありません、目を離した隙に…」

「いいわよ。子供なんてそんなもんでしょ。こっちこそ、よくわからないけど泣かせちゃって悪かったわね」

肩に顔を埋めぐじゅぐじゅと泣きじゃくる子供の背中を撫でていると、女はようやく僅かに安心したように顔を上げた——直後に、目を見開いて固まる。


「…失礼ながら。陛下の妹様、でございますか」

「そうだけど。…なんか解放されちゃった」


沈黙。

絶句ってやつね、とマグダレーナは一人思考を進める。いや、私としてもちょっと訳がわからないのでその反応は正しいけども。


「……………陛下のところへ案内させます。とりあえずその方はこちらでお預かりしますのでそこでしばらくお待ちください」

「はあ」

差し出してみれば、子供はすんなり相手の腕の中に収まってくれる。

ああよかった、これで離れるのを嫌がられたりしたらとても困っていたわ、と安心していると、今度は服の裾がくいくいと引っ張られた。

振り返れば、また子供である。

「なあ」

「なあに?」

こっちもなんか見覚えあるわね、なんかどっかで見た感じの目力なのだけれど…と首を傾げるマグダレーナの腰に手を置き(セクハラではない。背が高くヒールまで履いている女の身体で幼児が届きうる最もマシな部分がちょうどその範囲なのだ)、少年は「帰って来れてよかったな」と笑った。

「………んんん?」

「今度また遊ぼーぜ」

そういって、先程の女性が消えた方へと少年が走り去る。


「………………………ふむ」

マグダレーナは首を傾げた。傾げて傾げて、たっぷり90度は曲がったかなというあたりで、バタバタと駆け寄ってきた案内役の下っ端らしき男の方にくるりと向き直る。

「ねえ、オマエ」

「はい」

「現代の兵器がたくさん載ってる本持ってきて。今すぐ」





爆音とともに部屋の扉が吹き飛んだのを見て、部屋の主は「ああ、きたか」と静かに覚悟を決めた。

凄まじい量の爆煙が舞い上がる中、影がぬるりと姿を現す。

「ねえ、兄様」

それは鈴の鳴るような可憐な声である。であるのだが、今は聞くだけで底冷えするような謎の恐ろしさを放っている。

「今己の口から全てを告白し可能な限りの弁明を図るのと、勝手に全てを把握した私にすっごく怒られるのと、どちらがよろしいですか?」

それは華奢な身体である。であるのだが、肩に抱えているのはパンツァーファウスト。いわゆる対戦車兵器だ。

「私、兄様と百度喧嘩をすれば九十九回負けるでしょうけど…」

それは美しい微笑みである。であるのだが、どう見ても起源を大きく遡り威嚇を表している方のそれである。

「今回が一度の方でないとも限りませんよね」

案の定激怒している妹が階段をずんずんと登ってくるのを見下ろしながら、玉座の上の兄は「……頼む、話し合おう」と諦めの声を溢した。




「ふぅん。つまりここ最近自分の子供たちを見ていて『あれ?他の奴ら頼りなくない?』と思うところあったが故に今までの倍は厳しくいこうと思ったら、流石に耐えかねて不満を爆発させた方々と兄様の間に板挟みにされた者が精神に異常をきたし、そこから連鎖反応でどんどんこうなったと」

「……………お前を取り戻すためでもある。不安を残す状態で実行には移せぬだろう」

「当初はそういうことができる方の力を借り、壊れ方を比較的穏当な精神の退行のみで止める措置のみに留めていた。しかし、大の大人が子供のようにきゃいきゃいとはしゃぐ姿は見苦しいことこの上なく、それが原因でまた精神力が削られるものが出たため、仕方なく見た目の方も子供になるように処置を加えたと」

「…うむ」

「まあ、兄様……」

兄が己を思っての言葉に僅かに顔を赤らめ恥じらう要素を見せた妹は…

「ばっっっっっっっっっっっっかではございませんこと」

…これ以上なく冷静だった。


「兄様。かつて私はこう述べたと思います。今あるこの世とは大いなる罪により齎されたものであり、本質的には汚れているかも知れない。だからこそ、私はその中においても責務と義を以て美しくあり続けることを尊びたい、と。さて兄様。私から見て、先述した貴方の行いは美しく見えていると思いますか?」

「…………………………子供は、好きだろう?」

「今のははい(ヤー)かいいえ(ナイン)で答える質問ですよ?」

沈黙。

「………ッフー…………まあいいでしょう。起きてしまったことは仕方がありませんし、兄様から必要最低限の量の説明はいただいたかと存じます。では、私の意見を述べさせていただきますね」

こうなることを想定してか手際良く用意されていたらしき資料をべしべしと叩きながら、マグダレーナは眉根に皺を寄せる。

「まず現世の学校に通わせている所を呼び戻して子守を手伝わせているという娘と、その手伝いに来てくださっているというご友人の方に関しては即刻お帰りいただいて。学生生活に差し支えましょう」

「しかし…」

「あと、こちらの現在死神側に保護されていらっしゃるという脱走兵の方を無理に連れ戻す計画も差し止めといたします」

「…いや、しかしだな…」

「それと、かろうじて持ち堪えてくださっているという息子と数人のご友人についてはその「そういうことができる方」とやらのサポートに専念することをメインとし、それ以外に割く労力は可能な限り減らして参りましょう。そのご友人の方が最悪の状況に至るのを食い止めているというのであれば、それが生命線。賓客の如く丁重に保護すべきです」

「話を…」

「だってもでももしかしも禁止です!」

「レーナ…」

「そのように可愛らしく困った顔をなさっても、駄目なものは駄目!」

張り上げられたその声に扉の前で警備を担当していた兵士は「今こいつ陛下相手に可愛いっつったか?」とギョッとしていたが、無論中にいる当人達は知る由もなかった。

「…お、お前の好きそうなドレスも用意しておいた…」

「ドレスで育児ができますか!クリノリンで交通事故が起きますよ!!今すぐ当世のジャージなるものでもまとまった量調達していらっしゃい!」

実の所「最近甘いもの食べ過ぎてたから昔のサイズで作った服は入らないかも…」という懸念なども頭になくはないのだが、とにかくあげられた怒声に兄が僅かに目を逸らすのを見て、妹は「ふん」と鼻を鳴らす。


「私としても、子供に負担をかけたのは問題だったとは思っている。……他に道がなかった」

「あら、まあ。兄様は歴史学者にでも転職なさったのかしら。過去の可能性の有無が断言できるなんて」きらりと”緑色に”輝く目を細め、マグダレーナがくすくすと笑った。「この私の、目の前で」


再び、沈黙。


「……わかった。昔から人心の把握に関してはお前が上手だ。この件に関しては委ねる」

「わかればよろしい。では、とりあえず先程のことに加えて、今世話にかかりきりになっている方々の休みは増やしますからね。あの働きようでは早晩限界が来ますし、どう考えても想定される業務の範囲外です」

「しかし、それでは人手が…」

「何をおっしゃいます兄様」

マグダレーナが目を開き、ちょうど目の前の相手を見下ろすような形で立ち上がる。

「ここに」兄の手を両手で包み込み、にっこりと笑った。「一人余っていますね?」


「……………………………しかしだな」

「しかしは先ほど禁止いたしました。私も手伝いますので、せいぜいお髭でも引っ張られてしまいなさい」


Report Page