ボツ話
ふと気がつくと、そこはどうやらトレセン学園の入り口だった。
どうやらというのはそう判断するのに数秒ほど時間を要したからで、そうなってしまったのは僕らの知っているトレセン学園とは少し違う外観をしていたからだった。
あたりを見回して見覚えのある街並みや通りがあったから、そこでようやくトレセン学園だと判断できたのだ。
「……なんで僕はここに?」
とりあえず僕のトレーナー室があった場所へ向かおうと足を進めながら、違和感に思考を巡らせる。
確か僕は……あの子とふたりで家にいたはずだ。
なにかイベントごとがあったわけではない普段通りの1日を過ごして自宅に帰り、出迎えてくれたあの子の少し焦げた料理を食べてからお風呂に入り、そしてあの子と布団に入って目を閉じた────ところまでは覚えている。
あの子に何か不審なところはなかったし、よくないものが近づいているようなことも言っていなかった。
考えられるとすれば……────
「おっと……」
思案し続けているあいだに僕のトレーナー室へ到着していた。
鍵を探そうと懐を弄って、気づく。
今の僕の格好はワイシャツにパンツという、とても簡素な格好だった。ふだんの仕事はスーツを着ているため、ラフな服装で学園にいることが少し恥ずかしい気持ちになってしまう。
幸い授業中なのか、あたりにヒト気はないから助かったが。
さて、問題の鍵だが────
「……ないな」
ない。ポケットにも、どこにも。
となると、やはりここは僕の知るトレセン学園ではないようだ。
カフェと行動するなかで異空間────……たとえば気づけば知らない場所にいたり、幾何学模様の浮かぶ不思議な空間にいたりといった経験があるため、その類だとは思うのだけれど。
これまで飛ばされるようなことがあれば、必ずカフェやあの子が共に飛ばされていたから解決に難儀することはなかったが、いまは僕ひとりだ。
「まずは自分の状況を確認する必要があるな」
口の中で小さく呟き、僕は鏡のある場所を探して歩き始めた。
結局見つけたのはトイレだけで、その前に身体を写して確認する────
身体に欠損はなく、透けているようなことはない。
衣服はシンプルなシャツとパンツスタイル。
ポケットにはトレーナーバッジとスマートフォン、そして黒猫がデザインされたメモ帳。
そしてなにより、僕は鏡を見て心底驚いてしまった。
「……絶対老けてるよな、これ……」
僕の見た目年齢がかなり老けていた。あまり大きく変化はしていないように見えるが、ところどころ小皺が見えるし髪に白髪も混じり始めている。
さすがに50代とまではいかないだろうが、それでも一般的におじさんと呼ばれて然るべき年齢には見えた。
「まさかな……」
なにやら予感しつつスマホの電源を入れ、そこに表示された日付を見て僕は深くため息を吐いた。
「……20年後……」
僕が暮らしていた時間から20年経過していた。
・・・
スマホの中を確認しながら情報を整理して、どうやら僕は20年後の世界でもトレセン学園でトレーナーを続けているらしかった。
ロック画面には黒髪のウマ娘と、その隣に同じく黒髪の小さなウマ娘が並んだ写真が設定されていて、おそらく僕の妻と娘だということが窺えた。
それを見て、少し嬉しい気持ちになる。
……どうやら僕は大切なヒトと、ずっと一緒にいられるようだ。
写真からは妻たちへの愛情が深く感じられ、LANEにも早い帰りをとメッセージが届いていた。
いますぐにでも会いたい気持ちが胸の奥から溢れ出してくる。
すぐに家に行って、大切な彼女とその娘に会いたいと……────ただ、少し気になったのは、あの子のこと。
僕と彼女────マンハッタンカフェが結ばれたとしたら、あの子はどうなってしまうのだろう。
あの子も一緒にいられるのだろうか。それだけが不安で、心配で、僕は浮き足立つような感覚のまま、スマホから得た情報をもとに自分のトレーナー室へ向かった。
再び戻ったトレーナー室の扉に、僕はスマホをかざして部屋のロックを解除した。
甲高い機械音が鳴ると、直後に鍵の開く音。指をかけて開くと驚くほど滑らかに扉は開いて僕を迎え入れた。
少しずつ変わっていた学園の外観とは打って変わって、トレーナー室の内観はとても見覚えのあるものだった。
デスクもラックもそのままで、小さな箱に詰められたミントキャンディも新しい。
デスクには写真があり、そこでもカフェと娘がにこやかに微笑んでいた。