プロローグ
シャンクスが俺を庇って左腕を失った日、ウタは寝ていた。そのまま5日くらい寝ていたと思う。シャンクスはウタが新しい国ではしゃいで能力を使い過ぎたせいで疲れてるんだって言ってた。俺は自分のせいでシャンクスが腕を失ったことが悔しくて、辛くて、情けなくて、そしてウタにも申し訳なくて、寝ているウタに縋って泣いたし、一向に目を覚まさないウタへの心配でも泣いた。でも寝ているウタの顔は全然苦しそうとかじゃなくて、変な寝言もたまに言うくらい普通だったから、俺は寝坊助すぎるウタを笑ったし、今思えばとても励まされたと思う。
おかしかったのはシャンクスたちの方だ。その時のシャンクスたちは本当に急いで出港準備をしていて、しかももうフーシャ村には戻って来ないと言う。でもそんなに急いで準備したってウタは寝てるし、ちゃんと起きてるウタとお別れをしたかったからウタが起きるまでは待ってくれと何度もせがんだ。だって寝てるウタをそのまま連れて行っちまうもんだと思ってたから。でも、シャンクスはウタを置いていくと言った。
『俺の娘を…ウタを頼む、ルフィ』
納得はできなかった。ウタは赤髪海賊団が大好きで、シャンクスが大好きだった。そんなウタを何も言わず置いていくなんて信じられないと思ったし、泣きながら「ウタを捨てるのか」と罵った。この先の航海が危険だからとかなんとか色々言っていたシャンクスに、だったらウタとちゃんと話さなきゃ駄目だと訴えたが、シャンクスは困ったように笑うばかりだった。どうしたって納得できなくて、俺はボロボロ泣いて預かったばかりの麦わら帽子をつき返そうとした。でも気づいたのだ。シャンクスが、赤髪海賊団の全員が、今にも泣きそうな顔をしてることに。
『頼む…ウタの傍にいてやってくれ』
それは縋るような響きで、シャンクスのものとは思えないような震えた声だった。そうするしかない理由がきっとあったのだろう。だから俺は頷いた。
誓ったのだ。
ずっとウタの傍にいると。
『シャンクス…?待って、なんでっ!』
赤髪海賊団が港を離れてすぐ、寝ていたはずのウタが港にやってきた。ウタが寝ていたのは港にほど近い宿で、港の人だかりを見てやってきたのだろう。出港した船を、自分の家を視界に入れて、ウタは直ぐに駆け出した。
『ウタっ!!』
そのまま海に落ちそうになったウタを飛びついて引き止めて、そして見たウタの顔を、俺はずっと覚えている。
『なんで!?行かないで!置いてかないでぇーー!!っなんでだよシャンクスーー!!』
大粒の涙を流しながら、いつか大声対決をした時の比じゃない声量の悲痛な叫びで、シャンクスを呼んでいたウタ。
それから俺と一緒にフーシャ村で育てられるようになったウタは、とても見ていられなかった。一日中港で海を見つめていて、夜になればずっと泣いていた。ウタはずっとシャンクスを待っていた。俺がいくら話しかけても上の空で、たぶん俺がシャンクスの麦わら帽子を持っていることも納得がいかなかったのだろう。何度も喧嘩して、それでも俺とウタは一緒にいた。しばらくして泣く時は俺に縋るようになった。ウタが笑えるようになるまで時間がかかったし、歌を歌えるようになるまでにもしばらくかかった。ウタはシャンクスたちを罵って、それでも海を見つめることを辞めなかった。置いていかれたことを信じたくなかったのだろう。迎えに来てくれることを信じたかったのだろう。
そんなウタを見て、俺はあのときシャンクスを引き留めなかったことを何度も後悔した。
ダダンに預けられてコルボ山に住むようになっても、エースやサボと兄弟になっても、ウタは海を見つめていた。信じることに疲れて、諦めて、ウタの悲しみが憎しみへと変わっていくのを、ずっと傍で見てきた。赤髪海賊団を捕まえるために海兵になると誓ったウタを、深い悲しみで歪んでいくウタを、絶対に1人にしちゃいけないと思った。だから俺は海兵になった。
初めは正直嫌々だったけど、海兵としての日々は楽しかった。悪いやつをぶっ飛ばして、感謝されて、むず痒い日々ではあったけど、仲間と、なによりウタとする仕事は楽しかった。いつしか海賊になりたいとは思わなくなっていて、ウタが笑っているのことが一番大事だと思うようになった。
だから許せなかった。怯えるウタを連れて行こうとするあいつを。俺からウタを引き離そうとするあいつを。
部下たちは俺を止めた。でも俺はそれを振り払った。俺はウタのために海兵になった。ウタの傍にいるために海兵になった。それが叶わないなら、俺が海兵でいる意味はないのだ。
振り切った右手に後悔はない。たとえ相手が神と崇められる存在であったとしても、ウタを泣かす人間を俺は許さない。
「ウタを泣かしてんじゃねぇ!」