プトぐだ

プトぐだ


「マスター。どうしてそんなところにいる? 吾と書を読むのなら、うん。そうだな」

 立香はふわりと浮いた体に目を白黒させる。プトレマイオスが立香を猫のように持ち上げて自らの膝に乗せたのだと一拍遅れて気が付いた。

「これが一番良かろう。……ん、どうした?」

 するりと腹を撫でて去っていくプトレマイオスの手に、思わず頭上の顔を見上げると金の目が書から立香の方へ移される。プトレマイオスは立香よりも頭が良いので、考えていることはよくわからないが、おそらく他意はないのだろう。ただ本が読みやすいから膝に乗せただけだ。そう判断した立香は首を横に振る。ふ、と猛禽のように鋭い目が緩んだ。

「ううん。なんでもないよ。今日は何を読むの?」

「マスターの時代の書を借りてきた。吾の慣れ親しんだものとは幾分違うが、それもまた興味深い」

 プトレマイオスが手にしているのは数年前に流行ったベストセラー本だ。立香も読んだことがあった。学生でも読みやすい文体の、恋の物語。

 もう読んでから時間が経ったからか内容は朧げだ。今再び読んだなら、前とは違う感想になるかもしれない。

「これ、カルデアに来る前に読んだよ。懐かしいなあ。プトレマイオスにも気に入ってもらえると良いな」

「ああ、これを読んだマスターの感想も聞きたくて、選んできたのだ。現代の知識は吾の図書館にもあるが、吾はお前の話が聞きたい。マスターがこれを読んでどう思ったか、吾がどう思ったか、後で話そう」

「うん」

 プトレマイオスが立香を囲むように腕を回し、立香の膝の上で本を開いた。


 今日の読書会も随分盛り上がった。気が付けばもう夕食時で、立香は一度部屋に戻ると言ってプトレマイオスと別れた。いつも通りに見えるよう抑えつけた足取りは自室に近づくほど速くなり、たどり着く頃には半分走っているような速さだった。

 部屋の中に入るなり、立香は顔を覆って大きなため息を吐いた。心臓がバクバクとうるさい。プトレマイオスと一緒にいた時は本に集中していたのもあって平気だったが、思い出すと恥ずかしすぎる。

 プトレマイオスは立香のことを可愛い孫かなにかと思っているのかもしれない。それか犬猫。そうでもないと近過ぎる距離感に説明がつかない。プトレマイオスは立香をよく撫でるし。

 立香をすっぽり覆ってしまう大きな身体とか、意外と高い体温とか、耳元で響く声とか、ふわりと香る古い紙の香りとか。大きな手とか。あまりに近過ぎるので、立香はそういったものを意識せずにはいられない。

「どうしよう……」

 しかし、近くて恥ずかしいから離れてと言うのもまた恥ずかしい。そのため、こうしてプトレマイオスの前では平静を装って自室で悶える羽目なっているのだが、解決策は一向に思い浮かばない。

 立香は取り敢えず顔の熱を覚ますことに専念したのだった。


「ふむ。もう少しかな」

 機嫌良く歩くプトレマイオスを見てフェイカーが嫌な顔をした。それどころか隣の人間にあいつ碌なこと考えてないぞ、などと言っているが、プトレマイオスは気にしなかった。それくらいは許してしまえるくらいには機嫌がいい。

 立香がプトレマイオスを意識し始めている。これは分割思考で再現した立香の思考から読んだものでもあったし、先ほどの読書会で触れ合ったときに感じた心拍から知ったものでもある。

 立香に惹かれる者は多いが、立香はその悉くを躱している。ちょっとやそっとのアプローチでは意識すらしない。その鈍さが身を助けることもあるのだろうが、プトレマイオスにとってはそれでは困る。だからこうして少しずつ触れ合いを増やし、それに慣れたら触れ方を変えて意識させた。

「ま、吾の執念深さを侮ったのが運の尽きか。吾以外に奪られなかったのは助かったが」

 今日触れた薄い腹を思い出す。その腹の中の、胃の腑の悉くまで奪い取ってみせよう。プトレマイオスはそう改めて誓って、次の読書会の予定を立て始めたのだった。

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