フレバンスの悪夢

フレバンスの悪夢


日差しに半ば目を閉じながら、少し身をかがめて星見の文字盤をくぐる。

さっきまでの日差しは何処へやら。雨の降りしきる薄暗いそこは、海の匂いを捻じ曲げるほどの生臭さに満ちていた。

時計塔のへりにあたる部分から見下ろせば、かろうじて海から顔を出している細い砂の道の先に、古い造りの建物群が確認できる。道の脇には遺体を浮かべる小舟が、遠くにはマストだけを寂しく突き出した船の残骸たちが見えた。並ぶ積石は、供養のためのものだろうか。

「…よし、行くぞ」

誰に聞かせるでもなく呟いて、雨水を吸い湿った砂に足を降ろした。

降ろしたんだが。

「って、どわあ!!!」

踏み出した片足は砂を突き破って沈み、おれはおそらく空中にあたる場所に放り出された。ビルゲンワースの湖もびっくりだ。あん時は流石に同じ道を歩いてる住民が無事でおれだけ沈むなんてことはなかったろ。

この夜にモノにした月歩で体勢を立て直し、真っ白な地面に着地する。ヴァルトールが協力を申し出てくれて良かった。おれ独りでゼファー先生の指導をなぞってるだけじゃ、短期間でここまで使えるようにはならなかっただろうから。

連盟の長を自称する彼が海兵だったのか、それともCPだったのか、おれも知らない何者かだったのかは分からない。でも、この悪夢で手を取る理由なんて、"お互いを狩る必要がない"というその程度で十分だった。もしかすると彼とは、悪夢の中で出会えて良かったのかもしれない。

お約束通りにすっ転びそうになったのをギリギリで踏みとどまって、足を滑らせないよう立ち上がる。

はたして、砂の底であるはずのその場所は、脳を痺れさせる甘い甘い匂いで噎せ返るほどだった。

白、白。甘く冷たく幸せなこの香りを、おれは知っている。

珀鉛だ。

白い街並みの影に、まだらに白いブヨブヨとした皮膚を引きずる影が蠢く。脳が思考を拒否した。だって、そんなはずがない。

海の患者がひしめく実験棟には、半世紀ほど前のフレバンスの発掘調査報告書が残されていた。だからマリアが隠したものは、かつてビルゲンワースに蹂躙された旧い旧い時代のあの国の夢であるはずだ。

ただ母なる上位者と、その白い赤子の眠りを奉る小さな村の追憶であるはずなのだ。

近付く気配に、反射的に銃を構えた。海の患者に似た、白く肥大した頭部を揺らめかせる眷属が街のあちらからもこちらからも集まって来ている。

どうして、この人たちが悪夢に囚われているんだ。

全てを忘れる目覚めを、夢の終わりを残酷なやり方で運ぶ狩人が、滅びた国の彼らにはなお必要なのか。

背筋を伝う悪寒に、ぐっと奥歯を噛み締める。

悪夢の赤子はここには居ない。あの雨の降る村の奥で、母の亡骸と共に在るはずだ。血に宿る獣からの解放を求め、太陽の名を冠する赤子を求めて人ならぬ母を狩ったその末路が、神秘に呑まれた海の患者と頭蓋を失った"失敗作たち"だったのだから。

まだ先に、進まなくては。

おれは嘘を選んできた。そして悪夢が果てるまで、きっとそれは変わらない。

もはや帰る場所もない、大噓吐きのバケモノだ。

けれどそんなおれだから、深く暗い悪夢の底に誘われた。おぞましい世界の秘匿のその奥で、呪いすらも狩り出すことができるのだと知ってしまった。

ロー、もうあとほんの少しだけ待っていてくれ。

そうしてお前を呪った白い痣が消えたら、おれが首を狩り落としてやるから。

ようやくその手を放してやれるから。

獣除けの煙草に火を点け、平静を呼び込む。漁村の雨に打たれた鴉羽は、真っ白な石畳にぼたぼたと黒い染みを作っていた。

「…狩りを始めよう、”鬼哭”」

迫る白い影に、嘆く死者たちの魂をその名とする刀を引き抜いた。






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