ビルの谷間、紫煙を燻らせ。贖
#スズミ#セリナ#喫煙描写これはきっとよくないことだ。健康とか、医療とか、そういう事柄以前の、もっと深いところで決められているやってはいけないことだ。そう頭では理解しているが、ぞわぞわと背中を這い上る心地よい背徳感と、熱を帯びた高揚感とをセリナは跳ね除けることができない。否定の言葉も肯定の言葉も紡げず、せめて恥ずかしさから逃れようとそっと目を瞑るばかり。
「では、いきますね……」
口内、咽頭、気管、気管支、肺胞。深く吸い込まれ、スズミの身体の奥底に触れた煙が、柔らかく吹き付けられてはセリナの唇を撫でる。薄い皮膚から取り込まれた砂糖は触覚を鋭敏にし、粘膜が擦れ合っているわけでもないのにジリジリと疼く甘い痺れを齎した。
まるで乳飲み子に授乳するかのような、あるいは離乳食を噛み砕いて口移しするかのような何とも情けのない格好をさせられているセリナだが、普段は他人へ与えている慈愛の施しが自身になされている事実に、ぬるま湯へ浸かるかの如き安心感を覚えてしまっている。
このままではいけない。この浮遊感に、この暖かさに溺れてしまう。息ができない、這い上がらなければ。これを深く吸ってしまったらきっと戻れない。枯れた精神に、ひび割れた心に染み込んでしまう。
「セリナさん……?」
僅かばかりに怪訝そうな表情を浮かべ、スズミは再び煙を肺に湛える。
「吸って、ください」
ただのお願い。その言葉に背中を押すほどの力はなく、手を引くようなものでもない。境界線の向こうから手を差し伸べただけで、そちらへ行くかどうかはセリナの自由意志に任されていた。
まだ選べる、断ろう。意を決してパチリと目を開けると、目が合った、合ってしまった。深く、吸い込まれるような澄んだ赤い瞳。
「あ……」
何かが落ちて砕けて壊れた。そして、境界線をセリナは自らの意思で踏み越える。
「はい……」
頭がくらくらする。酸素が少ないせいだ。地に足がついていない。砂糖を吸っているせいだ。胸が高鳴る。悪い事をしているせいだ。だから、この気持ちは勘違いで、終わったら全部忘れているはずで、今だけの錯覚だから、大丈夫。大丈夫、だから。
「もっと、もっと……ください」
「セリナさん?これ以上は吸いすぎです」
「いえ、お砂糖はいりません……ただ、息を吸わせて……」
スズミの泣きぼくろを親指で撫でながら、セリナはその頬に手を添える。そして、ごめんなさいと一言呟き、夢見心地で口を吸った。