“ヒーラー”アリスの旅立ち
「今回のアビドス陥落作戦の合同進行においては、私たちミレニアムが主戦力となります。中毒者の対処を無人ロボットに任せつつ、戦闘に長けた部隊を敵本拠地に送り出し……」
「ゲヘナとトリニティからはどのような戦力が期待できるのでしょうか」
「ゲヘナからは救急医学部、万魔殿の残存勢力、そして風紀委員会が。しかし委員長の空崎ヒナはいない状態での参加ですので、著しい戦力の低下が見られます。一方、トリニティからは救護騎士団、正義実現委員会の委員長、剣先ツルギ、リーダーである歌住サクラコをはじめとしたシスターフッドの残存勢力が参加する見込みです」
「………主犯格である空崎ヒナ、浦和ハナコ、小鳥遊ホシノの処遇は?」
「捕らえた学園にそれぞれの処遇を任せるという話になっています。ミレニアムサイエンススクールとしての方針は……少なくとも、退学などでは済ませないほど苛烈な報復を予定しています」
「ま、待ってくださいノア先輩!」
「………アリスちゃん」
天童アリス。一年生で、ゲーム開発部の唯一の生き残り。他の三人は皆、今流行りの麻薬によって中毒者となり、ミレニアムの隔離室に隔離されている。彼女だけが無事であったのは、タイミングが良かったのか、それとも……彼女自身の持ち得る“体質”のおかげか。
「退学ならわかります。皆さん、それほど悪いことをしてきましたから。でも、その、それ以上ってなんですか!?もしかして、殺してしまうのですか!?そんなのダメです、それだけはしちゃいけないです!」
「………アリスちゃん」
「アリスは知っています。これは、誰かを殺して解決する話じゃありません!確かに悪いことに対する罰は大事です。でも、それはあくまで定められた罰を執り行うことに意味があるのです!誰かを処分する。報復する。そんなことで終わる話じゃなくて、もっと長く、根気強く向き合って─────」
「アリスちゃん。その言葉は正しいです。間違っているのはきっと私たちです。でも……ごめんなさい。正しすぎます」
その顔は、泣きそうで、怒りで壊れそうで、でも後輩であるアリスの目の前だから飲み込んで。一生懸命笑顔を浮かべて。きっと、何も忘れられないのに。あの苦痛もあの絶望も、すぐに思い出せるまま、笑って。
「私の私情が挟まれていないかというと、それは言い切れません。でもそれよりも、私はミレニアムのセミナーです。この学園の生徒を統括し、導く立場にあります。そんな私が、彼女を許すことはできません。それは私のくだらない感情論じゃない。………上に立つ者としての、役目です。私は、セミナーの生塩ノアとして、残酷な悪にだってなります」
「それは……でも、それでも……」
「ごめんなさい、アリスちゃん。大丈夫、アリスちゃんは参加しなくても構いませんよ。こんなもの、背負わなくて良いですから。………今日は解散とします。また後日、打ち合わせを………」
「アリス。ちょっと宜しいですか?」
「……ヒマリ先輩?」
「はい。………先程のお話の件で、三人っきりでお話ししましょう」
三人っきり、というのはなんだろうとアリスは思った。あの会議があった後にすぐ、ゲーム開発部の三人との面会を行ったのだ。ちょっと今日は色々ありすぎて、疲れている。けれどヒマリのその真剣な表情に、なんだか聞かなきゃいけないことだと直感的に感じ取って……
『………アリス』
「リオ会長……」
「気にしないであげてください。我らが偉大なるビッグシスターはその臆病さと尊大さによって未だに私たちのところに顔を出せないのです。見苦しいとは思いますでしょうが、許してあげてくれませんか?アリス」
「いえ!アリスはちゃんとリオ会長とお顔を合わせて話したいですが、リオ会長がまだ顔を出せないのならその時まで楽しみに待っているだけですから!」
「………だそうですよ、リオ?」
『…………もう少しだけ、待ってちょうだい。まだ決心できないの』
「はい!それで、なんですか?」
二人が一緒にいて、それでいてアリスに話がある、というのだ。きっととても真剣で、とても大事な話なのだろう。その内容がどんなものであれ、アリスができることは耳を傾けるだけだ。そしてそれがアリスにしかできない、そんな特別なクエストなら何がなんでも頑張ろうという気合いも十分である。
「今回のアビドス陥落作戦は、用意周到かつ無慈悲で冷酷な下水道のごときリオはもちろんのことですが、白魚のような手と泡影のごとき儚さを持つ天才美少女ハッカーこと私、ヒマリも全力で支援する予定です」
「………それは、つまり……」
『私たちも、小鳥遊ホシノたちへの報復に躊躇はしないということよ』
「そう、ですか……ヒマリ先輩たちも……」
改めて言われると、応えるものがある。みんな、あの一件で大変なことになってしまった。いや、アリスの方がおかしいのかもしれない。だってみんな、大事な人が傷つけられたからそれが許せないというだけなのだ。許せないけど、やり返したくないアリスの方がおかしいのかも。多分それは、自分可愛さで……
「勘違いしないでください、アリス。これはノアも言った通りのことで、私たちのエゴなだけ。それに参加したくないというあなたの願い、あなたの優しさは決して間違いではありません。いえ、そうですね。……間違っているのは、きっと私たちです」
『何も説得をしようとしたわけじゃないわ。今ここでアリスに伝えたかったのは、私たちとは別の方法で世界を救えるかもしれない、ということを伝えたかったの』
「別の、方法で……?」
「昨日、アビドスとの繋がりが深い先生がいらっしゃるシャーレを、この私の天才的かつ芸術的、未来永劫末代に渡って私と同じ才能は現れないであろう腕前であるハッキングで盗聴傍受した結果……先生と、先生に与する一部の生徒、そして一定数の大人たちは、小鳥遊ホシノたちを処分するのではなく、救う方針で計画を進めていることがわかりました」
「先生が……」
それは、つまり。今のアリスと同じ考えで、その考えを現実にするために、奇跡を起こそうとしているということ。そのために頑張っている人がたくさんいて、先生ももちろんその一人だということ。諦めず、前を向いて、ハッピーエンドに向けて戦っているパーティーがいるということだ。
『その中にはこのキヴォトスに眠る神秘について詳しいような人物も見受けられたわ。彼らならば……あなたの箱舟の機能を、正しく活性化させられるかもしれない』
「名もなき神々の王女である、アリスの……」
「ケイはあなたの中から失われました。しかし、あなたの機能が喪失したわけではありません。彼らの協力があれば、あなたが死ぬことなくその機能を稼働させられるかもしれない」
『そうしたら、そうね。アビドスのあの砂漠を消失させることだってできるかも。あくまで仮定に仮定を重ねた途方もない与太話だけれど』
「リオなら絶対に選びませんね」
『当たり前よ。リスクが大きすぎる』
そんな危険な内容を、アリスに教えてくれるのは何故だろう。アリスに、何を期待しているのだろう。アリスは、何をすればいいのだろう。………いや、わかっている。アリスはとっくにその答えをわかっているのだ。でも、何故それを二人はアリスに教えてくれたのかが疑問で……
「私たちは選ばない。けれど、アリスなら絶対に選ぶでしょう?ならばその手段を可愛い後輩であるアリスに教えないのは、先輩として卑怯です」
『きっと大変な旅になるわ。仲間になるミレニアムの生徒は誰一人いない。あなたはたった一人で、気づかれないようにこの学園を脱出して、そしてシャーレを目指す。そこまでがただの前座で、本番はそこから。とても苦しい旅路でしょう』
「それで?アリスはどうしますか」
そんなこと、決まっている。
「アリスは勇者になります。みんなが死なずに済むような、みんなが生きて笑えるような、そんなハッピーエンドを目指します。……ありがとうございます、ヒマリ先輩、リオ先輩。アリスは、勇者の旅に出かけます」
『ええ。いってらっしゃい、アリス』
「学園の監視カメラは私たちがハッキングして妨げておきます。だから早く。最後に、ゲーム開発部のみんなに話をしても良いですが……」
「いえ。勇者は、悲しい別れを振り返らないのです。それにまた、今度会えますから」
パーティーの仲間たちと別れて、勇者が独りで強くなるために修行を重ねるイベントは王道ものだろう。勇者見習いであるアリスにも、その機会が訪れたというだけ。この旅を通して、アリスはもっと強くなる。光の剣のような武器で戦うアタッカーの職業ではなく、優しい光を振り撒くヒーラー的な職業にジョブチェンジだ。世界を滅ぼす兵器は、かつて世界を救う武器へと転じた。しかしそこからもう一工夫。世界を癒やすお薬になるのだ。
「行ってきます。アリスは……勇者は、頑張ります!」
その道はとても辛くて、悲しいことはたくさんあります。何度も心が折れそうに、何度も泣きたくなるのです。たった一人の冒険というのは、思っていたよりも痛くて、きついです。でも、それでも。
─────世界を一度救った勇者は、再び世界を救うでしょう。