パージ
戦争の悪魔は走る。行く当てはないが、一刻も早くこの場から離れなくてはならない。
フミコの自宅の周囲には訪ねてきた2人に加え、公安の職員が6名待機しており、大人しく同行しなかった場合、フミコを拘束する手筈になっていた。
ちなみに、岸辺はこの場にいない。かつて最強のデビルハンターと自称した彼も、今は七十路に入っている。弟子に協力を求められなければ、キガに会いに行ったりはしなかった。
フミコを狙う銃弾が放たれるが、戦争の悪魔は最初から狙撃を警戒、遮蔽物のある道を選ぶように逃走している。それでも、いずれは弾丸に動きを止められていただろう。一人なら。
不意に、狙撃手の視界に影が落ちる。
太陽が雲に隠されたにしては濃い、不吉を予感させる影。原因を確かめようと、狙撃手はスコープから目を離し、空を見上げた。
「あっ!?」
頭上から巨大な黒い影が、狙撃手を目指して降ってくる。狙撃手の視界で、巨大な爪が急速に拡大していく。
黒い影は狙撃手のいた建物に墜落すると、轟音と共に彼を圧殺。崩壊した建物の中から、太く強靭な四肢を持つ巨大なコウモリがその場に現れ、戦争の悪魔を狙う公安職員を次々襲い始めた。
「どこだ!?三船フミコ!!迎えに来た!」
「コウモリ!」
電柱に身を隠したまま、戦争の悪魔はコウモリに呼びかける。
「貴様を迎えに来た」
「飢餓の使いか…」
戦争の悪魔の前に降り立ったコウモリの悪魔は、巨大な顔を彼女に近づける。戦争の悪魔は巨大コウモリの背中に捕まると、フミコの自宅周辺から飛び去った。
多摩地域にあるサービアエリア。
休息をとっていたドライバーや家族連れは、上空からコウモリの悪魔がやってくると散り散りになって逃げ出した。エリア内に停められている一台のワンボックスカーのドアが開き、中から出てきた少年がコウモリの悪魔に合図を送る。
「お疲れ!」
「黙れ!無礼な小僧が…」
コウモリの悪魔は戦争の悪魔が背中から降りると、大きな翼で大気を打って再び高度を上げていく。
「見てないで早く乗れ!」
「お前は?」
車に乗り込んだ戦争の悪魔は、車内から現れた少年に何者か尋ねる。少し考える仕草をした少年は「ソードマン」と名乗った。2人が乗り込んだ事を確認すると、運転手は車を発進させた。
「武器を預かるぜ、貸しな」
「必要ない」
「…そうか。途中で落っことすなよ」
それきり、車内の会話は無くなった。
「ここだ。…ってか、もう昼じゃねぇか」
車を乗り換え、時に迂回しつつ、戦争の悪魔とソードマンを乗せた車が到着したのは、八王子市内にあるL字型のビルの前。入り口の真上にはチェンソーマンの頭部を象った彫刻が飾られ、それを見た戦争の悪魔は顔を歪ませた。
「元々はどっかのカルト教団の建物だったらしいぜ。それをチェンソーマン教会が吸収して建物ごと奪い取ったんだ!」
「チェンソーマン教会…。チェンソーマンがここにいるのか?」
「その辺は後後!中を案内させるから」
案内役の少年がやってきて、ソードマンと戦争の悪魔はビルの中に入った。
中は美術館など公共施設に近い雰囲気で、エントランスには10名近い信者らしい人々がいた。玄関を入って正面、奥に向かって長い廊下が続いている。
「あの奥はなんだ?」
「あそこはチェンソーマン結婚式場です」
「結婚式?」
案内役の少年の説明によると、チェンソーマン教会信者はあそこで結婚式を挙げるらしい。そして夫婦の間にできた子供にもチェンソーマン教会に入ってもらうのだと言う。
「三船さんもあそこで結婚して…チェンソーマン教会に入信するんですよね…」
「はあ?するわけないだろう」
「えっ!?あれっ!?」
「貴様らの信仰について聞きにきたんじゃない。さっさと休める所に案内しろ」
チェンソーマンの信奉者だらけの施設の空気など、吸うだけで不快になってくる。いっそ、この場で暴れてやるかと戦争の悪魔が怒りを溜めていると、廊下の奥から1人の男がやってきた。
「おう、やっときたか」
「やあ、初めまして…俺はバルエムだ」
長髪を後ろで結び、オールバックにした男はフミコに握手を求めてきた。
「三船フミコだ。チェンソーマンの信奉者と握手などできるか」
「つれないな。お互い、チェンソーマンに会いたい者同士。仲良くやれそうじゃないか?」
「私はチェンソーマンを殺すが」
「ふ〜ん…そういうのもいいんじゃないか。多様性が大事ってよく言うしな」
戦争の悪魔は決意表明込みで挑発するが、バルエムに気を悪くした様子はない。彼は公安に追われる身となったフミコに、施設内で出家信者達が寝起きする部屋のうち、空いている一つを与えた。
「チェンソーマンと名乗り出たヤツがいたが、あれはお前らの仲間か?」
「そうだ。本人がちっとも降りてきて下さらないんで、こっちで立てることにした」
戦争の悪魔は鼻で笑った。
「最近はあんまり活躍してくれなくて困っちゃうよな?」
「そうだな」
「なあ、どうしたらチェンソーマンが戻ってくれると思う?」
「東京で悪魔が暴れたら出てくるだろ」
私のような、という一言を、戦争の悪魔は心の中で付け加える。
「おっ、中々いいんじゃないか、それ」
バルエムは口数が多く、それが戦争の悪魔にはうっとおしかった。割り当てられた部屋に着くと、バルエムが合鍵を渡してきた。
「三つ星ホテルには及ばないが、雨風は凌げる。これからよろしくな!
それじゃいい時間だし、食堂に案内しよう」