パラマヴィシュヌロカ
【元ネタ】史実
【CLASS】アーチャー
【マスター】
【真名】パラマヴィシュヌロカ
【性別】男性
【身長・体重】168cm・65kg
【属性】混沌・善
【ステータス】筋力B 耐久C 敏捷A+ 魔力A 幸運C 宝具A+++
【クラス別スキル】
対魔力:B
魔術発動における詠唱が三節以下のものを無効化する。
大魔術、儀礼呪法等を以ってしても、傷つけるのは難しい。
単独行動:B
マスターからの魔力供給を断ってもしばらくは自立できる能力。
ランクBならば、マスターを失っても二日間現界可能。
【固有スキル】
神性:B
神霊適性を持つかどうか。最高神ヴィシュヌの化身たる神聖王。
特にヴィシュヌの太陽神としての神性を得ている。
カリスマ:B
軍団を指揮する天性の才能。団体戦闘において、自軍の能力を向上させる。
カリスマは稀有な才能で、一国の王としてはBランクで十分と言える。
皇帝特権:A
本来持ち得ないスキルも、本人が主張する事で短期間だけ獲得できる。
ランクがA以上の場合、肉体面での負荷(神性など)すら獲得する。
魔力放出(炎):A
武器に魔力を込める力。 アーチャーの場合、日輪の如き光熱が魔力となって使用武器に宿る。
このスキルは常時発動しており、アーチャーが握った武器はすべてこの効果を受けることになる。
―――スーリヤヴァルマンとは、「日輪を纏う者」を意味している。
ボッカタオ:A
クメール王朝から伝わるカンボジアの伝統武術。
徒手空拳と武器術を併せた総合武術であり、また対人のみでなく対獣戦法としても優れる。
発祥はアンコール・ワット建造時代――つまり、アーチャーの在世と言われている。
【宝具】
『天を灼く金翅の王(スパルナ・ガルトマーン)』
ランク:A+ 種別:対軍宝具 レンジ:1~70 最大捕捉:500人
太陽鳥ガルダの両翼を背に現し、自らのものとして扱う。
自身が太陽の属性を持ち、ガルダ鳥と深い関係を持つヴィシュヌ神を称したこと、
そして“ガルダの如く敵王を斃した”という逸話などの複数要素がミックスされて生まれた宝具。
飛翔能力、パラメーター向上、対軍規模の神炎放射、神性特攻などの力を発揮し、
特に、竜蛇とその属性を持つ英雄に対しては絶対的な優位性を獲得する。
かつて並み居る神々を打ち倒した太陽翼そのものよりは劣化しているが、
英霊程度を灼き滅ぼすには十分の神威を秘めている。
『燦然光輝・天上伽藍(アンコール・ワット)』
ランク:A+++ 種別:対城宝具 レンジ:1~99 最大捕捉:1000人
クメール建築の頂点。アーチャーが築き上げた大伽藍。
アーチャーが思い描く神代の再現であり、天と地を結んで繁栄をもたらす鎮護寺院であり、そして神聖王がヴィシュヌ神の元へと還り、融合する儀礼のための大神殿・大墳墓である。
カンボジア縁の精霊召喚、ヒンドゥー由来の神々の加護、“乳海攪拌”による不死性の獲得、そして、ヴィシュヌ神の『光耀弓(シャールンガ)』の真名解放が可能となる。
この伽藍内ではアーチャーの全能力が爆発的に高められ、敵対者の能力は低下するが、例外的にヒンドゥー神話系統の英雄の力も生前そのままに回帰させてしまう効果がある。
東南アジア世界に冠たる至宝にして、現存する宝具であるが故に破格のランクを誇っている。
【Weapon】
『光耀弓・果て無き穹天(シャールンガ)』
最高神ヴィシュヌと大英雄ラーマが使用した天上の最高兵器の一つ。対城宝具。
通常使用ならば制限なく扱えるが、真名解放は『天上伽藍』内部に限定される。
アーチャーがこの弓を使用できるのは、ヴィシュヌ神の化身たる神聖王を自称したこと、そして彼が埋葬されたと思しき『天上伽藍』がヴィシュヌ神との融合を目的とした施設であったからだろう。
―――伽藍の内部の、弓を引くラーマ彫刻とヴィシュヌ像は、神聖王と同じ姿に造られている。
【key word】
『太陽王』
スーリヤヴァルマンとは、『太陽として守護する者』、『陽光を鎧とする者』といった意味を持つ。
世界を照らすヴィシュヌ神の光輝として、アーチャーは太陽(スーリヤ)を名乗ったのだと思われる。
始まりの神聖王ジャヤヴァルマン2世は太陽族と月族の結合であり、太陽族の守護戦士だったという。
故にアーチャーは、真なる神聖王たる己が日輪の力を揮うのも必然だと豪語するだろう。
在りし日は武によってクメールの威光を諸国に轟かせ、現代に至っては彼が遺した大伽藍がクメールの栄華を全世界に伝える。アーチャーは東南アジア世界に於ける『太陽王』と言えるだろう。
【解説】
クメール帝国の隆盛期の王。スーリヤヴァルマン2世。在位1113-1145年。
又の名をプリヤ・ボトム・ソリヴォン(蓮と太陽の王)とも伝えられる。
謚号をパラマヴィシュヌロカ(至高なるヴィシュヌ神の元へ向かう者)という。
1113年、東北タイからアンコールに入り、王位争奪戦に勝ち抜いて即位し、帝国を統一。
1116年、宋朝との国交を回復。このルートを巡ってチャンパと争い、勝利して1140年までチャンパを占領した。
更に陸路を求めて李朝ベトナムを攻撃し、西方にも進出してタイ諸部族を服属させた。
生涯不敗というわけではなかったが、2世の活動により東北タイ、カンボジア西北平原、チャオプラヤ流域、メコン下流を結び、タイ湾、南シナ海、ベンガル湾へ進む交易ルートを確立した。
これはスーリヤヴァルマン1世が作り上げた巨大な国際ネットワークの再結合及び拡大であった。
その版図はメナム川上流域からマレー半島北部にまで及び、アンコール文明の輝ける時代を築いた。
最期についてはよくわかっていないが、多忙な戦乱の中で死没したと考えられている。
建築事業としてはトマノン、チャウサイデヴォダ、バンテアイサムレ、ベンメリアなどの神殿を建造したが、何を措いても第一に挙げられるのは、世界最高峰の神殿寺院たるアンコールワットである。
これは環濠と城壁に囲まれた神殿自体が都城であり、規模・設計・装飾のどれにおいても際立った進化を遂げた、それ以前の巨大神殿とは全く異なる存在だった。
アンコールワットは帝国の記念碑であり、クメール伝統の宇宙観の具現であり、豊穣を願う水の神殿であり、死後の2世がヴィシュヌ神と融合するための墳墓であった。
帝国崩壊後は庶民の仏教信仰の寺院となり、現代カンボジアでは国家の象徴として国旗に描かれている。
この大伽藍に魅せられたとある西洋人は「クメール遺跡に比べればエジプトのピラミッドなど石を積み重ねただけのものに過ぎない」と断言した。
研究が進むまで西洋人たちはクメール遺跡群について、アレクサンドロス大王かトラヤヌス帝が建てたとか、幻想帝国アトランティスや理想国家ポリテイアの具現だとか語ったという。
強大なるクメール帝王たちの中でも、スーリヤヴァルマン2世はジャヤヴァルマン7世と並んで突出した王と評価されているが、この二人の大建築事業が民を疲弊させ、
後の帝国の急速な凋落の原因になったとも言われたていた。
しかし、史料・遺跡研究の結果、二人の王による繁栄の揺り戻し説は近年では否定された。
帝国凋落の真の原因は上座部仏教台頭による神聖王の権威の失墜、外国勢力の成長、
都市部が開発され尽くしたためなど、複数の説がある。
【コメント】
外征を多く行ったがベトナム相手に失敗もあったので、ベトナム英雄がやや苦手。
ガルダ能力を得たのは、竜蛇の国ベトナムを意識したのもあるのだろう。
ただし大伽藍の中の拡張した空間内で戦うならば相性も無視できるほど強くなる。
基本尊大な態度だが、コサラ国の理想王ラーマには敬意を表す。
偉大なクメール王達も自らに並び立つ存在として認めている。
生前は王としての活動に全霊を注いだため、個人として個人を愛するということを知らずに死んだ。
故に聖杯にかける願いは「恋をしてみたい」。例えば、コサラの偉大な王と妃のような大恋愛を。
適正クラスはライダーだが、ヴィシュヌとラーマへの憧憬からアーチャーとなった。
見た目は褐色肌のラーマ君をイメージ。一人称は余(クメール)。