ハロウィンの奇怪な奇跡

ハロウィンの奇怪な奇跡

滝落ち・ナイショ話など書いた人


 今日はハロウィン。プレジャータウンは至る所がカボチャランタンやお化け、コウモリや蜘蛛の巣などホラーチックな装飾で飾り付けられ、“トリックオアトリート!(お菓子くれなきゃイタズラするぞ)”と迫る子どもたちの掛け声があちこちから賑やかに響いてくる。

 ヴォルフの家に居候している5人の少年たちも、この日を楽しんでいた。ローは黒いマントを羽織った吸血鬼、ルカはシーツを被ったお化け、ベポはまん丸オレンジなジャックオーランタン、シャチはキャスケットからツノを生やした悪魔、ペンギンは帽子からボルトが飛び出たフランケンシュタイン。そんな仮装をして、愉快に町を練り歩いていた。


「いや〜大漁大漁! 結構な量のお菓子貰えたな!」

「このマシュマロ、チョコが入ってておいしい〜!」

「あっ、もう食い始めてるのかよベポ!」

「おいベポ。食べ歩くのは百歩譲っていいとしても、飴玉だけはやめとけよ。喉に詰まるからな」


 すぐ近くで交わされる兄と仲間たちの楽しげな会話を聞きながら、ルカがたくさんのお菓子でいっぱいになった籠を眺めていた時だった。

 ころり。

 籠越しに、石畳の上を黒猫のキーホルダーが転がってくるのが見えた。踏んでしまわないように急いで拾い上げると、ストラップ部分の紐が千切れている。前方には、ルカと似たようなお化けの仮装をしている子どもが歩いていた。

 きっとその子が落としてしまったのだろうと思い、咄嗟に呼び止めようとした。しかし失って久しい声が出ることはなく、白いシーツをなびかせた背中は脇にある細道の方へさっさと曲がっていってしまう。


(ま、待って!)


 早く届けてあげなければという一心で、ルカは去っていくシーツお化けを追いかけようと細道へ足を踏み入れた。


「おい待て、ルカ! どこに──……!」


 背後から聞こえる兄の声が、一気に遠のいていった。



(あれっ? いない……間違いなくここを曲がっていったはずなのに)


 お化けの格好をした子は自分よりほんの数メートル先を歩いていたはずなのに、曲がり角の先には人っ子一人見当たらない。ルカは首を傾げながらも、落とし主を探そうと寂れた細道の奥へ歩き出した。

 兄やベポたちが一切追いかけてこないことに、違和感すら覚えずに。


(表通りの方は賑わってたけど、ここは道を一本逸れただけなのにすごく静かだ……)


 直前まで居た表通りでは人々の賑わいや音楽が溢れていたのに対して、この細道は打ち捨てられた紙袋がカサリと擦れる音、近づいてくる人間の気配から逃げ出したネズミの足音すら耳に届く。

 人獣型になってキーホルダーから嗅ぎ取った落とし主の匂いは、細道の奥へ続いている。あまりにも希薄で、注意しなければ他の匂いに掻き消されてしまいそうだが。


(……おかしいな、全然匂いが濃くならない)


 落とし主へ近づくにしたがって匂いは濃くなるはずなのに、いつまで経っても薄いまま。試しに仮装のシーツを脱いで嗅いでみても、空気中にうっすらと引き延ばされたようにぼんやりとしていた。


(どうしよう……このまま追いかけてもきりがないし、表通りに一旦戻ってからラッドさんのところへ預けに行こうかな)


 スワロー島の駐在であるラッドの顔を脳裏に浮かべた。落とし主がキーホルダーを探しているのなら、きっと交番にも訪れるだろう。真面目な彼のところに預けておけば安心だと思ったルカは、人型に戻って来た道を引き返そうと歩き出した。

 その時だった。


「ちい兄さま!」


 ルカをそう呼ぶ人物は、一人しか思い当たらなかった。反射的に振り向いた。

 肌に白い痣なんてひとつも無い、元気な頃の妹……ラミが立っていた。


(……ラミ?)


 目を丸く見開き、死んだはずの妹に釘付けになっているルカの前へ次々に人が訪れ始めた。両親、教会の友だち、シスター……誰もが幸せだった頃の姿で、ルカに笑いかけてくる。


(ありえない、ありえない……! 死んだ人が蘇るなんて、そんなこと……っ!!)


 今すぐに飛びついてしまいたい気持ちを抑え、ルカは必死に自分へ言い聞かせる。生きるための本能が、誘いに乗ってはいけないと警鐘を鳴らしていたからだ。

 あちらへ行けば、引き返せなくなる。跨いではいけない不可視の境界線が、生者であるルカと死者である彼らの間にはあった。


「ちい兄さま、どうしたの?」

「こっちですよ、ルカくん」

「ルカ、おいで! 一緒にお祭りへ行こう?」


 思い出の中にある笑顔のままで笑いかけてくる、大切だった人たち。今でも大好きな彼ら。切ないようなやり切れないような、たまらない気持ちが込み上げてくる。頭を抱え込んで、ルカはその場にうずくまった。


(忘れるな、みんな死んじゃったんだ……! もし生きてたのなら……あの3年は一体何だったんだ……!)

「ルカ、大丈夫!?」

「こっちにおいで、父様が診てやるからもう大丈夫だ」


 声をかけられるたび、スワロー島の穏やかな生活で徐々に忘れかけていたトラウマが、ジワリと滲むように蘇っていく。

 銃弾に倒れた両親、転がる友達の死体、地を掻いて息絶えたシスター、炎に巻かれた病院に取り残された妹。瞼の裏に焼きついた惨状が、コマ送りのようにクルクルと場面を変えていく。

 はくはくと浅い呼吸を繰り返し、吐き気に口を抑えた。まるで傷口に指を入れられて、無遠慮にまさぐられているような心地だった。


(ダメだ、立ち止まってちゃ……はやく……兄さまの、ところに……)


 うずくまったまま、震える四肢をどうにか交互に動かしてじりじりと後退していく。不恰好極まりないが、この場から逃れられるならどうでもよかった。兄のところへ帰りたい一心で、必死にルカは奮闘していた。

 そこへ、どこからか煙が漂ってきた。頬を撫でるように、白いモヤが通り過ぎていく。


(タバコの、匂い……)


 不意に鼻先を掠めた懐かしくて安心できる匂いに、つい顔を上げてしまった。次の瞬間、ルカは前髪に隠れた瞳を大きく見開いた。

 深い紅のコイフ、金髪、ピエロのようなメイク、真っ黒でふわふわした羽のコート、ハート柄のシャツ。全て、記憶の中に居る“彼”そのもので。

 一度は捨てようとした命と潰れた心を、暖かな優しさで救ってくれた恩人。大好きで、逢いたくて仕方がなくって……でも、二度と逢えないと思っていた人。

 コラソンが、ルカの目の前にいた。


(───コラさん?)


 恐る恐る立ち上がり、一歩、二歩と近づいていく。すると、受け止めてやると言わんばかりに腕が大きく広げられ……張り詰めていた糸が、プチンと切れた。

 思わずルカはコラソンに向かって走り出した。両目からぼろぼろとこぼれ落ちる涙が、地面に散らばって水玉の跡を残していく。


(コラさん、コラさんッ! ぼく、ずっと会いたかったんだよ!! コラさんに言いたいこと、たくさんあって……!!!)


 両手を伸ばして駆け寄ってきたルカに、コラソンの目つきが愛おしげに柔らかく緩む。にっこりと口角が上がって────……。


 がぱり。

 頬まで引かれた口紅に沿うように、口が裂けた。


(…………え?)


 信じられない光景に、ルカはコラソンらしきなにかへ抱きつく直前で足を止めた。

 口の中は歯も舌もなく、真っ黒で。みるみるうちに顎の可動域すら遥かに越えて、大きく開き続ける。


(いや、ただの口じゃ無い)


 “入り口”だという認識が、ストンと頭に落ちてきた。それを皮切りに、先程まで見えていた世界がたちまち歪んで本性を剥き出しにしていく。

 黒い羽のコートに見えていたのは、無数の黒い手。コイフや赤いハート柄のシャツに見えていたのは、夥しい量の返り血。コラソンの面影は影も形もなく、死体の肌色に近い巨大な肉塊が脈打っている。至る所が泡が湧き立つようにぼこぼこと歪に膨らみ、爆ぜるのを繰り返していた。

 “よくないもの”だと一目で解る、悍ましき容貌。それを目と鼻の先で捉えてしまい、ルカは思わず硬直した。肉塊は隙だらけの獲物を逃すまいと、黒塗りの腕の群れで小さい身体を力任せに掴んだ。きつく握りしめられた細腕が、ミシミシと音を立てて軋む。


(痛いッ……! やだやだやだッ!! 離して!! いやだ、怖いよ、やめて、やだ……ッ!)


 “入り口”が、眼前に近づいてくる。視界が黒に覆われる。飲みこまれる。思考が恐怖一色に塗りつぶされる。


「〜〜〜〜……ッ!」


 たった一言、“たすけて”と声の出ない喉から絞り出した悲鳴は音にならず、空間に響くことはなかった。


 ────怪異を貫いた銃声も、同様に。うじゃうじゃ生えた腕のひとつが、ぐちゃりと脆く崩れ落ちた。

 ルカを捕まえる黒い腕を次々と無音の弾丸が捉え、飛沫に変えていく。気づけば“入り口”は消えて、肉塊自身のものであろう体液がいくつもの銃痕から垂れ流されていた。


(……何が、起きたの……?)


 あまりにも突然のことで理解が追いつかず、ルカはぽかんと口を開いたまま突っ立っていた。その小さな頭を、背後から大きな手が鷲掴む。

 次の瞬間、ルカの体は宙を舞っていた。ぐるりと回る視界の中で……不器用な笑顔を浮かべたピエロメイクが見えた気がした。


 細道から、今度は何もない薄闇の中に立っていた。


『ルカ……!』


 どこか遠くで自分の名前を呼ぶ声がした。誰だろうか、聞き慣れた声だった。


『……ルカ、起きろ……ルカ……!』


 少しずつ、声が近づいてくる。


(……兄さまの声だ)


 起きないと。そう思ってまぶたに力を込めると、ゆっくり薄闇が裂けていく。暖かいオレンジ色の灯りが眩しくルカの両目に差し込んできた。


「……ッ!」

「意識が戻った!!」

「ルカ! 聞こえてるか、おい!」


(……あれ?ぼく……なんで必死に呼ばれてるんだろう)


 ぼんやりとした意識のまま、何が起きたのかと視線をあちこちに巡らせる。明るさに目が慣れきっていないせいで周りの状況がよくわからない。血が巡ってくる感覚と共に、少しずつ記憶が蘇っていく。


(そうだ……たしか、ハロウィンでみんなと一緒に町を歩いてて……)


 思い返すうちにだんだん目が明るさに慣れていき、やっと見えたのは兄と診療所の先生の必死な形相。ここでやっとルカの体は動くようになった。返事がわりに何度か頷けば、二人の表情に安堵が滲んだ。

 起きあがろうと身じろぐと、すかさずローは一気に目つきを鋭くして「絶対に動くな!」と叱りつけた。ルカがその剣幕にショボンと縮こまったところに、先生は心底ほっとしたように深くため息をついた。


「本当に意識が戻って良かった……! だけどまだ安心はできないから、万が一に備えて二人ともここに泊まっていきなさい。ヴォルフさんには私が連絡しよう」


 兄弟がコクリと頷くと、彼は目尻に浮いた涙を拭いつつ電伝虫をかけにいった。十分ほど経った頃に戻ってきて、「意識が戻ったことを伝えたら、ベポくんたちが大喜びしていたよ」とにこやかに知らせてきた。

 ルカは気を失っていたことは察せたが、まだ正確に何が起きたのか把握できていない。どうして自分がこうなっているのか兄の手に文字をなぞって尋ねると、ローは視線を足元へ彷徨わせてから重々しく口を開いた。


「お前、突然どこかに走り出したかと思ったらいきなり倒れて……呼吸も、心臓も、止まってたんだ」


 兄の言葉に、ルカは前髪に隠れた目をぎょっと見開いた。予想以上に危険な状態だったらしく、一歩間違えたら死んでいたかもしれない事実に涙と冷や汗がじわじわ滲みだす。

 ローはみるみる青ざめていくルカを落ち着かせるように、一回り小さい手をぎゅっと握りしめた。


「大丈夫だ……今、お前は生きてる。だから落ち着け」


 強張りをほぐすように、握る手に力を込めたり緩めたりを繰り返していく。さらにわしゃわしゃと髪を掻き混ぜるように撫でてやれば、少しずつルカの表情に穏やかさが戻っていった。手の甲を指でなぞられる感覚がして、ローはその軌跡に集中する。


【ありがとう にいさま】

「ったく、心配かけさせやがって……本当に、生きててよかった」


 ルカの手を包む一回り大きな手に、グッと力がこもる。危うく目の前で弟の命を取りこぼすところだったローの頬には、濡れた跡が残っていた。


「……なぁルカ。倒れる前、なんで急に走り出したんだよ」


 ローの口からぽつりとこぼされた疑問に、ルカはここで目覚める前のことを思い返した。


(たしか、前を歩いていた人が落とし物をしてて……それを渡そうとして、細道まで追いかけて行ったんだっけ)


 細道に入ってからここで目覚めるまでの記憶が抜け落ちているから、多分そこで倒れたんだろう。ありのままを伝えると、ローは目を丸くしたあとに眉根を寄せて呟いた。


「お前が倒れていたところに、細道なんてなかったはず……」


 ────翌日。検査の結果、何の異常も無かったため帰されたルカはローと一緒に自分が倒れた場所へ訪れた。入ったはずの細道は無く、ただ煤けた石壁があるだけだった。











ちょっとした解説的なもの

細道へ先に入っていったお化けの仮装の子ども…釣り餌。人間ではない。

黒猫のキーホルダー…目印、マーキング。

フレバンスの人々やコラさんのような何か…獲物の記憶や望みから怪異が作り出した“あちら側”へ引き込むための罠。幻覚であり本人ではない。

無音の銃弾…守護霊さん。

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