ハニトラウダが牙を剥いた話
メカぐるめない◆xMNDkv7Lvwzu父がラウダにそれを命令したのは、兄が寮を追い出された直後、決闘委員の一員となった報告の場だった。
『ちょうど良い。あの女の娘を探れ』
「あの女の娘とは……スレッタ・マーキュリーを?」
『決闘委員になったのだろう? 忌々しいが現ホルダーの小娘とも接点が増えるはずだ』
「ーーわかりました」
本当に忌々しい、ラウダにとっては全ての災厄の引き金に思えるあの女。もちろんラウダとて、少なくともいずれはエラン・ケレスとグエルの決闘が起きたのはわかっている。わかってはいるが疎ましい。
『期待しているぞ、ラウダ。
……いいか、間違ってもグエルのようにあんな小娘に絆されるんじゃないぞ』
「はい、父さん」
父の言葉はラウダにとって心外だった。あんな女に絆されるなど想像するだけで虫唾が走る。けれども表面だけでもそのように振る舞わなければいけない。それが父の言い付けだからだ。
そうして、ラウダの心をささくれ立たせる日々は始まったのだった。
スレッタ・マーキュリーにほんの少し接しただけでもわかる。この女はただの駒だ。素直で従順で無知な、あのあからさまに怪しい母親を盲信する操り人形。近づいたところで得られるものなどほとんどありはしないだろう。
早々にそう結論付けて父に報告したが、それでも少しでも情報を得るために探り続けるように言い付けられた。
お陰様でスレッタの中でラウダの評価は『自分にも紳士的に接してくれる頼りになる優しい先輩』だ。実に笑わせてくれる。
そうしてひと月、ラウダはスレッタを実に丁重に扱った。スレッタの愚鈍さと、それと裏腹に時にやたらめったら鋭い舌鋒に積み重なる憤懣を薄氷の下で押し殺して。
◆◆◆◆◆
『ええい、何をもたもたしているラウダ! あの女についてなんの情報も掴めないのか!』
「……申し訳ありません」
『もういい、あんな女の娘など知ったことか!』
一方的に通信が切れる。そうしてあまりにも呆気なく、ラウダの苦難の日々は終わりを告げた。あの女とこれ以上関わりを深めたくてもいい。その解放感よりも不満の方が大きかった。無益だとわかりきって嫌々こなした仕事にねぎらいの言葉一つ父はくれない。ーー結局自分本位なのだ。父は。
通信室を出て寮を出て、学園内を進む。新しく増えた自分の立場、決闘委員としての役割を果たすために。
「あ、ラウダさん! こんにちわ」
父のスレッタ・マーキュリーと出くわしたのはラウンジの少し手前、委員以外は滅多に立ち寄らない場所だった。
(つくづく間の悪い女だな)
何も知らない愚かな女。母親の思惑も、ラウダの思惑も。
知ったことか、と父は言った。ーーそれならば。
何が楽しいのかパタパタとよく動く目障りな手首を掴む。キョトン、と目を丸くするスレッタ。
ーー憎い女。忌まわしい魔女。近付くだけ時間の無駄で、だけど今、ちょうどよく自分の前に現れた女。
「行くよ」
「えっ、あっ、はい?」
戸惑うスレッタに構わず歩き出す。今日は決闘委員会のラウンジは誰も使用しないはずだ。ラウダがより円滑に業務を進めるために過去の記録を閲覧したいと言ったところ、それなら一人の方が集中できるだろうと他の面々が遠慮したのだ。
ズンズンと早足で突き進むラウダに、事態を飲み込めていないスレッタが小走りでついてくる。普段と様子の違うラウダの様子を伺いながら、それでもスレッタは無抵抗だ。ーー本当に愚鈍な女。
鼻で嘲笑って、そうしてラウダの口から自然と愚痴がこぼれ出した。
「もううんざりだ」
「父さんは人の気も知らないで好き勝手言う」
「兄さんも人の気も知らないで好き勝手する」
それでも、憎めはしない。二人とも大事な家族で、ラウダの人生の一部、いやほとんど全部だ。
ラウンジの扉が背後で閉まる。オートで明かりがつく。誰もいない。誰も来ない。おあつらえ向きの舞台。ラウダの心を苛む二人と憎むことができないなら、この不満の矛先は。
「ーーだったら、こっちだって好きにさせてもらうさ」
振り向かれたスレッタはヒュッと息を呑む。ギラギラと悪意に塗れたウルフアイに射抜かれて。
「全部お前が悪い。ーーだから、何をしたって構わないんだ。そう思わないか?」
「や、やです……やめてください……」
弱々しく震えるスレッタの頼りない手首を、ギリギリとありったけの憎悪を込めて握り潰す。堪りかねたスレッタが振り解こうとしてもビクともしない。
「やだ、やだ誰か助けてお母さん、ミオリネさん、チュチュ先輩!」
助けを呼ぶ、だんだん大きく甲高くなる声が耳障りで、ますますラウダの目は険しさを増していく。ーーラウダを本当に怒らせたのはその名前だった。
「助けて、エランさんッ!」
「うるさい」
ーーパンッ。
空いた手で丸い頬を張る。ラウダの感覚では軽く、痛みよりも衝撃の方が大きいだろう強さ。父の折檻に比べればじゃれあいもいいところだ。
呆然としたスレッタがそこに触れる。何が起きたのかわからないと言うように。
「痛……?」
じわじわとその目に怯えが混じっていく。濡れていく。涙が溢れる。哀れな様子もラウダの怒りを煽るばかり。
(この女、よりにもよって、エラン・ケレスだと……!?)
兄はこの女をエラン・ケレスから守ろうと父の言い付けを破って決闘しーー3度目の敗北を味わったのに。
込み上げる激情のままラウダはスレッタを振り回し、放り捨てる。壁に叩きつけられて短い悲鳴を上げた軽い体がずるずると床に落ちていく。
スレッタがラウダから逃げようと立ち上がるよりも早く、ラウダは細い足首をを捕まえた。
「脱げよ」
「は、はい?」
「その制服を脱げ、って言ってるんだ」
サッとスレッタの顔に赤みが差して、いっそうラウダは苛立った。性的な意味で言ったわけはない。少なくともこの時点では。
自然と声が荒ぶる。こんな、こんな愚かな女のせいで! 兄は!
「そのホルダーの制服はお前なんかのためにあるんじゃない。その制服は兄さんのーーグエル・ジェタークのものだ!」
「勝ったのは私です!」
スレッタの言葉にラウダは一瞬真っ白になった。ーーこの女、今、何を。
「決闘、勝ったのは私です。だからホルダーは私です。あの人も強かったけど、わ、私の方が強いんですから!」
(この女、本当に救いようのない馬鹿なんだな)
激発する感情の裏側、理性の片隅でいっそラウダは感心した。
この状況で正論を言って、本当に相手が止まると思っているのだろうか? 火に油を注ぐだけに決まってるのに。
(ああそうか、この女、人間をロクに知らないんだ)
だから馬鹿正直に言葉を鵜呑みにして、その裏側の真意を推し量ることもできずに利用されて傷付いていく。
エラン・ケレスにも、ミオリネ・レンブランにも、プロスペラ・マーキュリーにも。ーーラウダ・ニールにも。
「そうだな、お前の言う通りだ。ーーだけどそれがなんだっていうんだ」
白いズボンを力任せに剥ぎ取れば、悲鳴を上げてスレッタの恐怖が濃さを増す。
道理など知ったことか。ラウダはただこの女を傷付けたい。
「お前なんか認めない、絶対に。この学園に来たことを後悔させてやるよ」
蹂躙が始まる。本来は愛のための行為が、ただ傷付けるためだけに。
ーーこうして、スレッタの苦難の日々は幕を明けた