ネモくんヤンデレ概念
名無しの辻斬りじゃんね☆『おはよう、朝早くからお疲れ様』
それを自覚したのはいつ頃の事だったのか、はっきりとは分からない。サーヴァントとして改めて契約を交わしたからなのか、彼と共に過ごす時間が増えたからなのか。バレンタインに受け取った甘い贈り物に喜びを覚えたからか。それともあのクリスマスを泳ぎ切ったからか。少なくともネモにもトリトンにも、そして彼らが混ざり合った僕というクラゲのように曖昧な僕にも、分からない。
『起き抜けで悪いけれど簡単な打ち合わせをさせてほしい。朝のミーティング前に予定のすり合わせをしたくてね』
ただ、はっきりしている事もある。いつか彼と見た見た朝焼けが伸びる水平線のように、真っ直ぐと彼に向かって奔る甘い疼き。トビウオのように跳ねながらけれどクジラのように低く低く、海の奥底で静かに潜ってしまう本音。
『これまでの傾向からライダークラスの戴冠戦も近づいている、一際強力なサーヴァント……つまりは冠位級の現界が考えられるのがシオンとダ・ヴィンチの見解だ』
───僕は、マスターが好きだ。
この痛みに名前をつけてラベリングする事は難しい。樽の中身が伺い知れないように、僕はこの痛みを開くことも、治す勇気もない。
僕は、サーヴァントだ。ネモとトリトンが混ざり合った幻霊だ。そうだ、僕は蜃気楼なんだ。いずれ日常に戻る彼の隣に立てるはずなんて。
「───いやだ」
それは、嫌だ。ゆるせない。認められない。ずるい、ずるすぎる。だってそうだろう。僕はネモでトリトンだ。キャプテンネモは愛した艦を決して手放さなかった。神霊トリトンは母アンピトリテに似て愛情深い。そう、僕はネモでトリトンで彼のサーヴァント。情が深くてどうしようもなく己の裡を満たす独占欲が今にも溢れそうな男。
だから、そう、だからだ。僕は決して譲らない。この気持ちをまだ明るみに出せずとも、けれどこの疼きを抱えたまま砂に隠れるマハゼのようにしおらしくなんかしてやれない。
僕は、我慢なんて。
『今日のリソース回収は確認されている三件の微小特異点の修復を兼ねて行ってほしい。今からリストを』
できっこない。
「……ごめん、マスター」
浅ましい、と罵られるだろう。今から僕がする、そしていつの頃から今日に至るもしてきた毎朝の行為がバレてしまえば多くのサーヴァントから軽蔑されるだろう。ノウム・カルデアのスタッフから失望されるだろう。マスターから、恐怖すら抱かれるかもしれない。それでも止められない、止められる筈なんていう綺麗な空想が過ぎるには些かばかり舵を切るのが遅すぎた。
「っ……♡」
そっと、指で撫ぜるのは彼の首。寝苦しくないように薄手に織られた天蓋を僅かに下へとずらして顕になるのは自分のとは違う太く、硬い、しなやかな首筋。皮膚の下から脈打つ頸動脈は力強く自己主張し、己が霊核の鼓動と重なるような錯覚すら覚える。
トリトンという神霊がその逸話に残した音という形で、自らの肉体と愛する人の体が同じ拍動を鳴らすだなんて、そんなくだらないことにすら悦びを覚えてしまう。
混ざり、なぞり、重ねあう。起きないことはこれまでの経験から分かっている。何せ彼が起きるその瞬間に自分は必ず『いる』のだから。逆に言えば、今ここにいて『そうならない』と分かっているのなら、逆説的に彼はまだ起きない。
とはいえ時間は有限だ。なにせ───。
『次にこちらの備品リストを確認して欲しい。これは今朝のミーティングで議題に挙げるつもりなんだけど』
いくらこのマイルームがストームボーダー内、つまり自分の宝具の内にあるからある程度の偽装も欺瞞も艦長権限と担い手として出来るとはいえ、だ。現に今もモニタリングされている音声と映像ではきっと、文字通り適当な会話が流されて、それがライブラリに記録されているだろう。とはいえ、それだってあまり長ければ怪しまれる。だから、もういい加減に。
「すぅ……ごめんね、ますたぁ……♡」
少年から青年に、そして大人になりつつある彼の僅かな汗の匂いを胸にすり寄せて鼻腔の奥で堪能してから、僕はようやくソレを果たした。
「───んっ♡」
彼のよりずっと小さな僕の唇がマスターの首筋に触れた時、下腹部を重く叩くような感触と脳髄にセントエルモの火が灯った。彼の髪が頬にあたるくすぐったさと汗と彼本来の体臭が混ざった寝起きの香りを嗅げる優越感。彼の首筋に顔を埋めながら、若々しく張った皮膚に唇を強く押し当てる。強く、強く、艶やかに。
吸い込むようにキツくキツく、けれど痛みはないように愛で撫ぜて。
そうやって強く自分の証を遺す。貴方のサーヴァントだと、貴方の苦しみを誰よりも理解したいと望んでいるのは自分だと、いつか来る終わりの後に誰も知らずとも自分はこの男の体に証を刻んのだと。
そう、“遺す”為に。
舌を海牛のようにゆっくり這わせる。赤く赤く、彼の首筋の下、鎖骨に咲いた真っ赤な珊瑚を愛でながら。
これから先、彼が元いた場所に戻って、誰かと愛し合って、結婚して、子供を産んで。
「はぁ……はぁ……そん、なの……っ」
───許すものか。
撫ぜる、嬲る、舐る。
唾液で塗れた舌を往復させる度に水音が暗い寝室で木霊する。その音が幻霊ネモというサーヴァントの耳に、僕の脳へと届く度に歓びへと変わる。
僕だ、僕なのだ。今この瞬間、悪夢に落ちるより前に青年の心を助けるのも。平穏な夢の中にいる彼の外で、その肉体へと己の時間と魔力を注ぎ込んで刻んでいるのは。他でもない自分だけだと。
昏い歓びに溢れてしまう。
だって仕方がない。愛してるのだ。呆れるほどにリソースまで割いて、こんな木端な幻霊に馬鹿みたいに期待と信頼を寄せて。
「すき、すきだよ、ますたぁ♡ぼくがずぅっと、みててあげる♡ぼくが、“ぼくだけが”ずぅぅっと、守ってあげる♡」
だからこれは僕のせいじゃない。
元を糺せばマスターが悪い。だから仕方がない、こうなったのは仕方ないんだ。
「おぼえて、ますたぁ♡ぼくのあじ、ぼくのじかん、ぼくのこどう♡まいあさ、まいあさ……これから先もずぅっと……んっ」
首に鎖骨に手首に二の腕に。
血管を舌で辿り唾液で濡れた丘陵を摩り、気がついたらはだけていた自分の汗ばんだ肌をこすりつけて。
そうしてから僕は。
「ぼくの痕をつけてあげるからね……♡」
彼の首に強く、紅い痕を落とした。
「……さて、そろそろ戻ろう。ダ・ヴィンチやシオン達に気づかれてしまうから……ぇ」
それは帰り際のことだった。
気が付かなかった。気がつきたくなんてなかった。
「……なん、ぇ……ぃや、どうして……?」
満足して、嬉しくて、でも恥ずかしくて。けどしっかり彼に遺すべきものを身につけさせられたと思ったのに。
「───なんで、こんな髪が?」
ベッドのすぐ近く。
長い、長い髪を見つけてしまうだなんて思っても見なかったんだ。