トレ×カフェSS

トレ×カフェSS

は健康にいい



人混みは嫌いでした。元々静かに過ごすのが好きというものもありますが、何よりも不安になるから。たくさんの知らない人たちの、たくさんの知らない人生が集まり形作られる活気。そんな所に誰に気づかれることもなく独りでいるとそれに飲まれてしまいそうだから。『私』という存在が黒山つの狭霧に溶け消えてしまいそうだから。その八潮道に呑まれて彷徨い失せてしまいそうだから。自他の境界が曖昧になって私が『私』でなくなったような感覚。まるで水面を漂うクラゲのような、ぐるぐる掻き回されて形の定まらない卵のような不確かなものになってしまったような感覚。そんな錯覚が怖かった、恐ろしかった。だから人混みは嫌いでした。


今は好き……かと言われるとそんな事はありません。今も苦手です。ですが、昔ほど嫌いではありません。学園の近所ですら入ったことのないお店、見たことのない商品に出会うことがあります。思いがけない掘り出しものに出会えた時などは本当に良かったと思える……そういう楽しみを知ってからは人の波に溶け消えてしまいそうな不安感も、まあ我慢できるようになったので。………いえ、それ以上に


「あっ居た!………ごめんカフェ、はぐれちゃってさ」

「別に構いませんよ。この混雑では仕方ありませんから」


アナタなら私が消えてしまっても見つけてくれる。そう確信できるからなのでしょう。それに——


「トレーナーさん」

「なんだい?」

「また、はぐれるといけませんから」


私が差し伸ばした手をトレーナーさんが優しく、それでいて離すまいという気持ちが伝わるほどにしっかりと握る。途端に今まであやふやに見えていた景色が形を取り戻していく。……本当に不思議な人。アナタに触れているだけで不安なんて消えてしまうのだから。


「君を探してる途中にアンティーク屋を見かけたんだ……行ってみる?」

「…………ぜひとも」


———それに、アナタと手を繋いでいる時間がこれほどにも幸福だから


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