トリニティ編 IF 夢心地の幸福 急
「・・・フゥー・・・ッ、遅いぞ、サオリ。」
「アズ、サ。それは・・・」
「む?ああ、これか。トリニティの嗜好品の一つだ、気にしなくていい。」
定期報告に訪れたサオリは絶句していた。
合流地点にはアズサが持つ棒状の物から立ち昇る煙によって、甘い匂いが立ち込めている。
その上、アズサの見た目も大きく変わっていた。
制服は着崩してスカート丈も膝上と、肌の露出が増えており、耳や翼にはピアスを着けている。
爪も色鮮やかに装飾されて、翼の飾りも光沢を放つ派手なものが増えていた。
その変わり様に茫然としているサオリにアズサは連絡事項を伝える。
「・・・”栄養剤”を含む各種物資の搬入は明日になった。」
「大口での取引も出来るようになったから、今後は安定して供給されるだろう。」
「ま、待ってくれアズサ!あれは危険なものだ!」
「ヒヨリもミサキも何か様子がおかしいんだ!考え直してくれ!」
「いや、明日だ。これは確定事項、しっかりと準備をしておいて。」
「それとも、マダムに逆らう気?」
「ッ・・・それ、は・・・。」
しどろもどろになるサオリ。
そんなサオリを目を細めて見ていたアズサはため息を一つ置き、静かに告げる。
「・・・スクワッドの皆に情が無いわけじゃあない。」
「特別に”栄養剤”の詰め合わせセットをあげる。大事に使って。」
急に投げ渡された箱をサオリは慌てて受け止める。
アズサはその様子を見ないままサオリに背を向けた。
「じゃあ、私は行く。」
「待ってくれアズサっ、アズサぁっ・・・!」
アズサの姿が見えなくなるとサオリは力無くその場に膝を着く。
二人の間に空いた距離は、埋めようも無いほど遠いものとなっていた。
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その後、意気消沈してアリウスに戻ったサオリを待っていたのは、筆舌に尽くしがたい苦痛だった。
「お帰り、姉さん。」
「サオリ姉さんっ!次の任務はまだですか!?早く、早く”栄養剤”が欲しいんですぅ!」
「あ、もしかしてサオリ姉さんなら”栄養剤”の予備とか持ってます!?」
「私のとっておきの雑誌とかあげますから!うわぁん!あれが無いと私の人生終わりですぅぅ!」
「あ、あれは・・・持っていない。」
鬼気迫る表情でサオリに詰め寄り、縋りつくヒヨリ。サオリは思わず嘘をついた。
任務の成功報酬で”栄養剤”が配給される為、二人はかなり意欲的に任務を受注している。
そのせいで、二人は任務中に負った怪我による血と泥で酷い姿だ。
ヒヨリの片目は眼帯で覆われ、手足には擦過傷が多数。
ロクな手当も出来ないから炎症を起こしている傷すら見受けられる。
ミサキも全身の擦過傷に加え、左足の捻挫を”栄養剤”で堪えていた。
だからこそ”栄養剤”は渡したくなかった。これ以上、壊れて欲しくないからだ。
だが、ついた嘘は間髪入れずに見破られてしまった。
「姉さん、匂うよ・・・あれの匂いだ。持ってるなら早く出して。」
「あれは、あれだけは、この冷たくて苦しい世界から私を解放してくれる光。」
「くれないなら今度こそ”そうする”。あれが無いなら躊躇いは・・・」
「わ、わかった・・・!丁度二本持っている!お前たちにやるから・・・!」
歯を食いしばりながら、震える手で、”栄養剤”を二人に差し出す。
すると二人は我先にとサオリの手からそれを奪い取り、自らの首に突き刺した。
「はぁぁぁ~・・・!」
「ふ、ふふふっ。えひっ・・・!」
サオリは恍惚とした表情で天井を見上げる二人から、逃げる様にその場を後にした。
そして別室にいた同じスクワッドのアツコに何も言わずに抱擁をし、その肩に顔を押し付けると心情を吐露し始めた。
「私は・・・スクワッドの仲間を護る為に、ここまでやってきたつもりだ・・・。」
「その為にマダムに従って、非情なこともしてきた。」
「時には虐待とも言える訓練も、皆を生き残らせるためと思ってしてきたんだ・・・。」
声が涙でくぐもり始める。
「だが、あれは何だ!?マダムに言われるがままに二人に打った薬は、明らかに二人を壊している!」
「アズサは変わり果ててしまった・・・!どういう訳か、マダムにも従って行動している様に見える!」
泣き言は遂に叫びに変わった。
「私はどうすればよかった!?どうすれば、皆を護ることが出来たんだ!?」
「アズサを連れ戻したり薬を絶ったりすれば、マダムへの裏切りと見なされ、アツコは勿論、皆殺される!」
「でも従っていれば、三人は更に壊れていく!」
「何故、私達はあれの服用が厳禁なんだ・・・!いっそ、狂えれば良かったのに・・・!!!」
呻き声を上げ、泣きじゃくるサオリ。
抱きしめるアツコの表情は仮面で見えないが、仮面の内側からは透明な雫が滴り落ちていた。
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「さあ、もうすぐ来られますよ。」
穏やかな陽光が射す昼下がり。私はある人物を迎えるため、ハナコと共にいた。
ある人物とは独立連邦捜査部シャーレの先生だ。
詳しくは聞いていないが、私はハナコと一緒に『補習授業部』なる新設の部活に所属することとなる。
成績は確かに悪かったのだが、クラスの皆に教えて貰ったりして赤点ギリギリラインまでは向上した。
そのため本来は不要なのだが、ハナコの護衛の件もあって『補習授業部』で先生から補習授業を受けるよう依頼されたのだ。
「アズサちゃん。」
「ん、何?」
「トリニティは、どうですか?」
ハナコが私に問いかける。私は偽りない本心でその問いに答えた。
「…楽しい。本当に色んなことが、楽しい。」
「新しい事を学んで、友達と遊んで、気持ち良くなる。」
「人生はこんなにも素晴らしいものなんだって、ヒシヒシと実感している。」
「ふふっ、それは何よりです。」
「もしもの話ですが・・・」
嬉しそうに顔を綻ばせるハナコ。そして再度、私に問いを投げかける。
「お砂糖を悪いものだとか言って、没収してくるような人がいたら・・・どうしますか?」
砂糖を没収?そんな事をする愚か者が、まだいるのか。
私の答えはただ一つだ。故に迷いなく回答する。
「もちろん制圧する。そんな悪い事をする奴は許しておけない。」
「相手がアズサちゃんよりも遥かに強かったら?」
「あらゆる手段を用いて、最後まで抵抗する。」
「例えそれが虚しい結果に終わるとしても、最善を尽くさない理由にはならない。」
私の回答を聞いたハナコはとても満足気に頷き、言葉を継ぐ。
「・・・流石アズサちゃん、頼もしい限りですね♪」
「私の護衛も、そのくらいの気概でお願いしますね?」
「任せて欲しい。一切の妥協をしないと約束しよう。」
ナギサ様から賜った任務、手を抜く訳が無い。
アリウスに砂糖を大量に送ることが出来る様になり、マダムも書面上ではあるが和平を考えると言ってくれていた。
誰も飢えず、苦しまず、悲しまない、幸せな世界に向けた大きな一歩と言えるだろう。
その恩に報いるためにも、ハナコはこの身に代えても護り通してみせる。
「あ、お話が終わったみたいですね。では先生をお迎えしましょう。」
いよいよ、先生との初対面だ。
良い印象を持ってもらうためにも、精一杯の愛想で迎えよう。
「「お待ちしておりました、独立連邦捜査部シャーレの■■様。」」
私は満面の笑みで先生を出迎えた。このトリニティという名の地上の楽園に。