ダンバルとロッククッキー

ダンバルとロッククッキー


岩山の斜面を泣き声と共に進んでいく一人の少年の姿があった。お使いの帰り道にポケモンと出会い、そのポケモンを追って夢中になって走り続けたところ、見知らぬ山に辿り着いてしまったのだ。心細さを抱える少年の頭からは、先程見たポケモンのことは消えて、ただ帰りたい一心でどうにか歩いている。山道を歩いて転んだ時に打った膝小僧が、血こそ出ていないもののずきずきと心に響く痛みを訴えていた。

小川のせせらぎに少年は顔を上げる。灰色の石が並んだ河原の傍に、澄んだ空の色が流れている。少年はほっとしてどうにか斜面を登りきった。水が飲めるという希望は、今の少年にとってとても大きなものだった。右膝をぴょこぴょこさせながらゆっくりと川に近づく。ポケモンや人の姿が見えないことに安堵して、少年はそっとしゃがみ込んだ。冷たい水の感触が心地いい。手ですくった澄んだ水に、ふと大きな何かの影が映る。

「うわっ!?」

それは規律正しく進んでいくダンバルと、メタングの群れだった。何匹かのメタングを中心とした大きな塊が巨大なメタグロスを象り、少年に腕部分を構成したダンバルが伸びてくる。

やっと辿りついた安堵を壊す大きな塊の登場に、とうとう少年は決壊してしまった。パニックになったまま泣きじゃくる少年の涙が、川に混ざって流れていく。手ですくいあげた水がぱしゃ、と落ちて、少年のそばの石を濡らした。

ダンバルは迷わない。磁力の波長で仲間と会話し、群れを作るダンバルにとって迷子という概念は縁遠いものだ。少年が泣いている理由も、ダンバルたちには分からなかった。しかし、経験豊富なメタングには何か感じ取るものがあったらしい。少年には分からぬ波長が、メタングとダンバルたちの間を行き来する。やがてメタングたちとダンバルたちは巨大な群れから散り散りになって、少年をそっと覗き込んだ。

しばらく泣き続けていた少年がそっと目を開けると、そこにはダンバルの赤い大きな瞳があった。カメラのレンズのような紅玉に、少年はびっくりして尻もちをついてしまう。

「いてて……」

その痛みと驚きで、多少なりとも涙は引っ込んだ。少年と目が合ったダンバルが別のダンバルと合流し、何事か話している。悪いポケモンではなさそうだ、と少年は思った。賢いポケモンなのかもしれない、とも。

「……あの!実はぼく、迷っちゃって……ここ、どこ?」

人の名付けた山の名をダンバルたちは知らない。彼らにとってそれは知らなくても良い知識だったためである。首を横に振るダンバルとメタングに、少年は少し気落ちしながら、それでも

「家に帰りたいんだ」

と伝えた。その感覚には分かるものがあったのか、ダンバルが何匹か集まってくる。

「お母さん、心配してるかも……夕方までには帰らないと」

背中のリュックを揺らして、少年はそう伝える。今日の夕飯の材料を家まで届けないと、自分も家族もとびきり美味しいシチューを食べられないかもしれない。相変わらず少年には何事か分からない内容を無線で飛ばして、ダンバルたちは少年に向き直った。一匹のダンバルの指が、川の向こうを指さす。

「知ってるの!?」

先導するかのように、再び群れが形成される。空にも似た色の怪獣のような群れの形は、少年にとってもう怖くはなかった。希望を感じさせる大きな腕と一緒に、少年は歩き出す。

そこからの旅路はとても一言では語り尽くせない。少年にとってもメタングやダンバルたちにとっても、映画のような、名作文学のような大冒険だった。

群れの背中に乗ってダンバルのごつごつした体に捕まって、危うくつるりと落ちかけながらもどうにか川を渡り、ポケモンの声にどきどきしながらも森を進む。洞窟では暗闇とクロバットたちの悪戯な羽音に怯えながらも進み、その先の開けた野原で体を乾かすダンバルたちと共にうとうとしていたら随分と長い時間が経っていたらしい。柔らかな午後の風にアブリボンの羽音が耳と羽をくすぐって、

「もうこんな時間!」

少年はがばりと飛び起きる。辺りの空色が、だんだんと黄色とオレンジのグラデーションに塗りつぶされていく。どうして起こしてくれなかったんだよと怒ろうにも、相手はお母さんではなくポケモンだ。賢いダンバルたちとはいえ、夕方の概念に少年と相違があったのかもしれない。あるいはここまで頑張った少年があっという間に眠ってしまったのを見て、気を使ってくれたのかもしれないが。

「ちゃんと、帰れるのかな……」

歩き出してから口にしなかった不安が少年の口から溢れた。言葉にしてしまうとそれは夕暮れの中で、壁のように差し迫ってくる。立ち止まってしまった少年の袖を、一匹のダンバルがくい、と引いた。赤い瞳が器用にウィンクするので、少年は最初に目が合ったダンバルなのだと分かった。それしか分からないまま、ダンバルに引っ張られて野原を進んでいく。怪訝そうに見ていたメタングや他のダンバルたちも、追尾するように間隔をあけてついていく。

「どうしたんだよ……うわっ!」

ダンバルが急停止したはずみで少年は投げ出されそうになる。メタングの一匹が受け止めてくれたので、出会った時のように転ばずに済んだ。

「ありがとう……」

立ち上がった少年が夕暮れの光と木々を掻き分けて見たのは、見知った街並みだった。夕方のオレンジに染まった小道を行き交う人に混ざって、夕飯の良い匂いがする。

「おーい、どこだー?」

どこからか少年の家族の声が聞こえてきて、少年の瞳が潤む。思わず駆けだしたくなる気持ちをぐっとこらえて、

「ここだよー!」

と、立ち並ぶ屋根に叫んだ。今日一番の、澄んだ大きな声で。

「あ、そうだ。これあげる!」

森の出口に繋がる下り坂の前で、少年は振り返る。ちょっと待ってて、と言いながら背負ったカバンをごそごそと探して、小さな包みを差し出した。

「ロッククッキーって言うんだって」

同じ岩でもダンバルのような切り立った三角錐ではなく、少年とダンバルたちが進んできた岩山のようなごろついたチョコチップの入ったクッキーだった。丸く平べったいクッキー生地に不規則に並んだチョコチップの茶色は、雪解け間近の地面のようにも見える。

「良かったら食べて」

そう言ってクッキーを差し出しながら、少年は彼らと別れたくないな、と感じた。一日一緒にいただけなのに、もう家族のような気さえしている。それほど濃い一日だった。少年の家族が呼ぶ声が、光の中からだんだんと近づいてくる。

「……じゃあ、」

それまで言葉を口にしなかったダンバルが、初めて鳴き声を上げた。少年には意味が分からないが、それでも分かる言葉だった。いくつもの赤い瞳が、夕暮れに楽しそうに笑っていた。

「またね!」

だから少年は笑い返した。泣かなかった。笑って、手を振りながら光の中に歩いていった。

きっとまた会える、と思いを込めて。


「次のニュースです。童話作家として知られる××氏が、絵本『ダンバルのロッククッキー』を発売することが決定しました。氏は絵本の内容について『子どもの頃に遊んでくれたダンバル、メタングたちへの恩返しです』とし、これまで通り売上は全額近隣の森林への自然保護に使うと発表しています。また、これに合わせて菓子メーカーである『mahomilk』が同絵本とコラボしたチョコチップクッキーの制作を発表。人もメタングも食べられる、絵本に出てくる岩山を思わせる仕上がりとなっています」

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