ダメになるイスとゴム
ウタが人に戻っても時折人形時の癖を出してしまう事は度々あった。食事をとり忘れそうになったり、高いところから飛び降りようとしたり、怪我などをチョッパーではなくナミに報告したり……
その様な危ない事に関してはキチンと説明をし、ゆっくりと慣れさせていこうとルフィを含む一味の者達は考えており、ウタもまたそれに従順である。
…だが
「…っ!?」
その日、その状態のウタを最初に見つけたのはナミだ。
「………」
壁に背を預け、手足も脱力し、そのどこを見ているとも言えぬ瞳と表情には一切の感情が乗っていない。
静かに呼吸で揺れる肩と、時折ある瞬きがなければ、死んでいるのではと勘違いされそうなこの状態は、人に戻ったウタが時折陥る状態…否、玩具の時からこの様な時があったのかもしれない。
眠れない彼女にとって一日とは普通の人より長い。しかも布と綿の身体である為に灯りのランプ等に火を灯すなんて危険な事も出来ない為に、夜などは暇潰しの幅もとても狭い。
更には天気の良い日には洗濯されて干されたりして動けなかったりするのだから余計に暇だったろう。無論、一味の誰かしらが話しかけたりしていたが…
とにかく、ウタにとって眠れない代わりにこうしてボンヤリとする時間はある種睡眠の代わりと言っていい。
心の休息の時間でもあるだろう、刺激だけ与えれば健全な精神になるなんて理屈は日光が有れば水と土がなくても植物が育つと言っている様なものだ。
問題は、人に戻れた今もなお、ふとした時にこの状態になるという事だ。
人形だった時になかった表情や、そもそも筋肉を動かそうという意識も働かず、ただ無気力な体勢と虚な目で動かない。
皆、最初に見た時はそれぞれギョッとして慌てて声をかけたり肩を叩いたりチョッパーを呼んだりとしたものだが、本人曰くただボーッとしているだけ。寧ろ慌てて声をかけられて驚いていたりした。
「…ウタ」
「……ぁ、ナミ?どうしたの?」
一拍程遅れて返事をするウタにホッとしつつナミは話しかける。
「なんでもないけど、またボーッとしてたから…」
「ああ、ごめんごめん。いやァ、皆驚かせたいわけじゃないけど、ついね…」
12年そうだったのだから、いきなりなおすのも難しいのは当たり前だ。
寧ろ昼も夜も関係なく働いて人形時代と変わりなくどころか更に皆を支えようと健気に頑張る彼女から、この時間を奪うのは酷にも感じている…だが
「よいしょっと……ン〜〜〜!!」
立ち上がった彼女がグーッと身体を伸ばしたり、肩を回したりする、と
バキバキッ、ゴキッ、パキン!
「あ〜やっぱり全身バキバキだ〜」
おおよそ人体から、それも21歳の若い女性の身体から出るにはやや恐ろし過ぎる音が出てくるのも一味の皆が心配する要因の一つだった。
フワフワの人形の身体の感覚で壁に寄りかかって脱力してる為に、人が休むには体勢が悪過ぎる。いくら激しいダンスや戦闘をしていても関係なく痛めたり身体が歪みかねないので心配しないなど無理な話だ。
「(ついでに、もう少しでも健全な休憩方法をとってくれれば…どうにか出来ないかしらね…)」
そんな悩みを抱えていた時、偶々降りた島にて一味はあるものと出会う事になったのである。
「はい、これクッション」
「…くっしょん……」
「そう、クッション」
突然その日の食事終わりにナミに呼び止められ、ソレは手渡された。
抱えている柔らかく大きなその物体にウタは目を点にしつつ、おうむ返しをする。
それに対してナミも頷いて肯定した。
正確には「ビーンバック」や「ビーズクッション」などと呼んだ方が正解なのだが分かりやすくクッションとだけ伝えた。
「それにならもたれ掛かっても身体痛くなったりしない筈よ」
「…いいの?」
「いつも頑張ってるのに何も欲しがらないからね、アンタ」
少し違う。ウタは人に戻り、玩具では出来なかった事を謳歌してはいる。だがやはり感覚がズレている以上普通の人よりも娯楽や欲しがるものが思いつかないのだ。一番の娯楽が自身の才能でカバー出来ている歌である為にお金も然程かけていない。
だが、お陰でこうして渡す口実が得られたのだから今回ばかりはよかったのだとナミ思うことにした。
「……もふもふ」
手がどこまでも沈む感覚が不思議なのか、つついたり、抱きしめてみたりなどしているウタ。彼女の相棒である人形のムジカもまた不思議そうにそれを触っていた。ひとしきり堪能して、満足したのか最後にぎゅう〜と抱き締めたあと、ナミの方を見た。彼女の瞳はそれはもうキラキラしていたしトレードマークのリボンの様な髪は上がりきっていた。
「ありがとう…!大事にする…!」
結果として、この作戦は大成功と言ってよかったのだろう。分かりやすい休憩スペースが出来た事で、ボーッとするにしてもクッションを使ってくれる為、発見時の船員のショックは多少は少なくなり、ウタも身体を痛めないでいられている。何より、ちゃんと睡眠をとる様になったのが大きい。
成長期を飛ばした為か少し身の丈が小さい彼女とムジカが共に寄りかかっても問題のないサイズのクッションは寝心地がいい様で時折、仕事の合間にキチンと仮眠をとる姿も見られる様になった。
思った以上の成果にナミ含め他の者もよかったよかったと喜んでいた。
その男も、喜んでいた一人…だった?
「おーい、ウタ〜?」
「…スゥ……スゥ」
「ム?」
少し他が船を空ける事になり、サンジがルフィとウタの分の昼食も作り置きしておいてくれたのでそろそろ食べようかとルフィはウタを起こそうとした。
「なーあー?おれがお前の分も食っちまうぞー?」
「う、みゅ……」
頬や鼻をツンツンとつついてみたり、声をかけるが中々起きない。どうやら今回は大分深く眠っている様だ。
「ムー」
「まいったな、すっかり熟睡してるよ…スゥッ……おーきーろー!!ウター!!」
「…ぅ?」
しびれを切らし、少し大声で声をかけた。すると、漸く彼女の長い睫毛が震えて、瞼が上がる。ぼんやりとした紫が、ルフィを見ていた。
「やぁっと起きた!メシ食べようぜウタ!サンジの作ったやつ!!」
「……ルフィ」
「んあ?」
「…ん」
まだ寝ぼけているらしいウタは、ルフィに気付くと、彼に向かい両手を広げる。
意図がわからないでいると改めて「んっ」と腕を広げられたので思案し、少しして思い出した。人形だった頃、ウタは誰かに運んでもらう際、時折こうして持ち上げて欲しいと腕を広げていた。
つまるところ、寝ぼけてその頃の感覚でルフィに甘えているらしい。どうしたものかとも思わなかった訳ではないが、まあ、気にすることはないかとルフィはウタを抱き上げた。してほしい事を理解してもらえてウタもご満悦といいたげにルフィの肩に頭をグリグリと押し付ける。
「ふふふ〜くるしゅーない〜…」
「めちゃくちゃ寝惚けてんなァ」
ルフィの言葉に同意する様に、ウタに片手で抱えられているムジカも頷く。だが、なんとなくルフィは最近はクッションにばかりで自分にくっついてくる機会が減っていたウタがこういう行動をしてきた事に、嬉しくも思っていた。
「ルフィやっこいね〜」
「ゴムだからな」
「そっかァ…ん〜」
「まだ眠いのか?」
「ちょっと…」
ウタは嘘は下手だが隠し事はしがちだ。つまり、だいぶ眠い。音楽家や通信士としての専門職として分かりやすい仕事だけでなく、玩具時代に少しでも皆の役に…と、色んな手伝いをしてきた癖が抜けないのだ。ウタは基本的にはスペックがとても高い。更には歌い手としての芸術肌…故に「出来てしまう」事を途中で休んだり、適度に手を抜く事が出来ない。
結果、とても疲れてしまう。
休む事を覚えて少し改善された今でも、ウタにとって「自分に出来ること」をしない事はあらゆる行動に制限のかかっていた玩具時代の自分を否定してしまうと無意識に思っているのだ。
「無理すんなよな〜」
「うー…」
頬を軽く摘むルフィに全く怖くない声で唸るウタ。そんな彼女を労う様にムジカも、彼女をポンポンと撫でた。
「とりあえず飯は食べとこうぜ?」
「ぅん…」
「ダメだこりゃ…」
そうこう言いつつ、食堂につき、冷蔵庫の鍵の付いていない戸を開けて中から昼食を取り出す。ルフィの好きそうな肉料理だけでなく、サンドイッチやフルーツをカットした物、ヨーグルトなど、ウタにも食べやすそうな物も幾つかあったので、スプーンとフォークと一緒にそれらを手に取った。
「ほら、ウター、口開けろ」
「あー…ん……」
「うめえだろ?」
「ん…」
そうしてルフィは自分の分をサッサと食べ終えて、フルーツやらをウタの口に運ぶ。とりあえずルフィの言葉に応答してはいるが、まるで夢の中に意識をずっと飛ばしているかの様にぼーっとしているウタに心配になってきたルフィはムジカを見るが、ムジカは「大丈夫大丈夫」と言いたげに手を振り否定した。
どうやら、ウタは本当にただただ眠いだけらしい。ならば寝かせたままにすべきだったかとも思うがルフィは一人での食事が嫌だったのでそれならこうしてウタに食べさせるくらいなんてことなかった。
「食い終わったら寝直すか」
そう提案するルフィに素直に頷くウタ。「アレをしなきゃ、コレもしなきゃ…」と言いだして断らないだけいいかと思いルフィは改めてウタを抱え直す。
寝るという提案でまた眠る方にスイッチが切り替わったのか先程まではボーッとしてるのかな?程度だった意識がまた船を漕ぎ出してコクリコクリと頭を揺らしていた。
そうしてクッションの位置まで戻って来たルフィはこのままだと寝苦しいか、とウタのヘッドホンを外し、器用に片手で丁寧な手つきで彼女の髪を解いてクッションに下ろした…が
「おっとォ…ウタァ?」
「……」
下ろしたウタが片手でルフィの服の袖を存外しっかりと握っていて、少しつんのめった。ルフィは顔を覗き込む様にウタに声をかけるがもう殆ど寝ている様な彼女から返答と解放は期待出来そうになかった。
少し間を空けて、ルフィは諦めた様にウタの横に寝そべった。
ウタが愛用するのも分からなくない感触のクッションに思わず「おお…」と声が漏れたが、コレに自分の幼馴染が取られた様な気持ちがあったルフィはほんの少し複雑な顔をして、ウタを抱き寄せた。もう洗濯洗剤などではなく、キチンとシャンプーの、どこか甘い匂いがする。
「おれも寝るか…ふぁあ…おやすみウタ」
既に夢の中である彼女から返事はないが、ルフィが近くにいるとどこかで感じ取ったか、ふにゃ…と嬉しそうに頬を緩めた。
その後、しっかりと覚醒し、バッチリ覚えていたウタは「ルフィって人をダメにしないか心配…」と自分限定で起きている甘やかしに気付かず、幼馴染を心配した。