スワロー島の冒険 序

スワロー島の冒険 序

笛のSSとか書いた人

・ノベルローをベースとした再構成系

・弟君の名前はルカ


「……ルカ、平気か?」


 何度目かも分からない兄の問いかけに、ルカは小さく頷いて返した。

 「そうか」と短く呟くと、繋いだ手はそのままにしてローはまた前を向いて歩き始める。

 本当はちっとも平気なんかじゃない。しんしんと雪の降る一面の銀世界を歩き続けてもう三日。しかも飲まず食わずだ。冷えた手足は殆ど感覚がなく、兄と繋いだ右手だけが微かな体温を感じている。

 "となり町"まで一体あとどのくらいだろうか。もう、気が遠くなるほどの距離を歩いたような気がする。足取りは重く、心が潰れてしまいそう。兄に手を引かれてやっとついていけている状態だった。


(立ち止まって蹲ったら、兄さまは許してくれるかな)


 そんな考えが一瞬脳裏を過り、慌ててかぶりを振った。

 そんなことはできない。してはいけない。許されない。

 もしここで何もかも諦めたら、自分たち兄弟を逃がす為にその身を賭してくれたコラソンの犠牲が無駄になってしまう。


(だめだ、それだけは……絶対に……)


 珀鉛病治療の為に二人を連れ出してくれた。二人が迫害を受ければ本気で怒ってくれた。二人の為に泣いてくれた。ボロボロになりながらも最後に笑顔を見せてくれた。

 コラソンのことをひとつひとつ思い出すだけで涙が溢れる。


(コラさん、ぼく、がんばるよ。がんばるから)

(ホントは生きてるって言ってよ)

(──あいたいよ)


 決して叶うことのない望みを胸に、ルカは兄の背を追い続けた。



 それから暫くして、二人はよくやく灯りを見つけた。

 町の灯りだ。きっとコラソンが言っていた"となり町"に違いない。胸中に安堵が広がっていく。それはローも同じだったようで、喜色を滲ませた顔でルカを振り返った。


「ルカ、町だ! コラさんが言ってたとなり町だぞ! おれたち助かるんだ!」


 声を弾ませるローに、ルカは何度もこくこくと頷く。


「もう少しだけ頑張れ! 今日はあったかい布団で眠れる。飯だって食えるからな!」


 早歩きになったローに手を引かれ、躓きそうになりながらも必死に歩調を早めてついていく。

 煉瓦で作られた外壁。入り口にある看板には"プレジャータウン"と書かれていた。通りを大勢の人が歩いているのが見える。こちらは子供がたったの二人だ。声をかければきっと優しい誰かが助けてくれて、温かい部屋に案内してくれて……。

 案内、してくれて──。


──ギャーーーーッ!! ホワイトモンスターーーーー!!


 瞬間、浮かんだのは半年間の病院巡りの日々。

 珀鉛病に侵された皮膚を見ただけで皆青褪め、火がついたような数多の悲鳴。病院からはもれなく門前払いを食らい、通報されそうになったことだって一度や二度ではなかった。

 身を引き裂くような酷い言葉が、恐怖と侮蔑の入り混じった視線が、深く突き刺さって忘れられない。

 またあんな迫害を受けたら? 酷い言葉をぶつけられたら?

 不安が絶えず噴き出して足が動かない。

 兄もまた立ち止まっていた。けれど小さく息を吸って吐いてから、ルカの手を引いて一歩踏み出した。


「あ、あのっ!」


 雪かきをしていた女性にローが声をかけた。女性はこちらに気づき、ローとルカを見下ろす。


「あら? あんたたち、その顔……」


 二人の背筋が強ばる。

 フードを被ってはいたが、それでも珀鉛に侵され白く変色した皮膚は隠しきれない。

 思わず硬直して動けずにいるルカの手を引き、ローは弾かれたようにその場から逃げ出した。



 偶然見つけた海岸の洞窟で、兄弟はひとまず腰を落ち着けることにした。ルカは兄が焚いてくれた薪に当たりながら、パチパチと音を立てる炎をぼんやりと眺めていた。


「ルカ、魚が釣れたぞ」


 食い物をとってくると言って出ていたローが二匹の魚を持って戻ってきた。手際よく内臓を取り出して枝に刺すと、焚火の近くに突き刺して焼く。


「まず、食って体力をつけてから考えよう」


 魚が焼けるのを待ちながら、暫しの沈黙。

 ややあって、弟の不安を汲み取ったかのようにローは呟く。


「……大丈夫だ。おれがなんとかしてやる。コラさんの分までお前を守るから……」

「…………」

「ん? どうした?」


 ローの言葉を聞いたルカは、少し眉尻を下げる。声の出ない唇が微かに動き──。

 次の瞬間、ルカは前髪に隠れた瞳を見開いて地面に倒れた。


「ルカ!? おい、どうし──ぐっ!?」


 弟の安否を確認しようとしたローもまた、苦痛に顔を歪める。

 全身が激しく痛む。身体が灼けるように熱い。数日前に覚えのある症状に、珀鉛病の発作だと気づいた。

 ドンキホーテファミリーで過ごした時間と、コラソンと共に病院を巡る旅をした時間。合わせて既に三年近く経過している。いつタイムリミットが来てもおかしくはない状況だった。まずい、と冷や汗が伝う。このままでは二人とも死んでしまう……!

 倒れたルカの手が虚空を彷徨う。顔は溢れる涙でぐちゃぐちゃになっていた。ローは何かに縋るような動きをするその手をしっかりと掴んだ。

 死ぬわけにはいかない。

 死なせるわけにはいかない。


(こんなところで二人共野垂れ死んだら、コラさんに顔向けできねェ──!)


「ルカ!! 諦めるな! 生きるんだ、生き延びるんだよ、おれたちは! ここで死んだらコラさんの優しさも! 笑顔も! おれたちにしてくれたこと何もかも無駄になっちまう! そんなのは絶対に嫌だ──!!」


 弟に叫びながら、己自身も鼓舞するようにローは吼える。

 刹那──まるで応えるようにローの心臓が大きく脈動した。

 ……それは低い虫の羽音に似ていた。妙な音と共に、ローを中心として半透明のドーム状の膜が出現していた。

 感覚が研ぎ澄まされていく。頭が痛い筈なのに、思考は驚くほどクリアだった。

 これがオペオペの実の能力なのだと、ローはすぐに理解した。ドームの内側にあるものを自在に"改造"できる。このドームは謂わば、ローの"手術台"だ。

 全身をスキャンすると、肝臓に珀鉛が蓄積しているのが分かった。恐らく、ルカも同じだろう。


「ルカ……少し待ってろ。お前のことも絶対助けるから……」


 ルカが小さく頷いたのを確認してから、ローはまず自らの手術に移る。

 肝臓を取り出し、能力を使って珀鉛を一箇所に集める。麻酔薬があればよかったと頭の片隅で考えた。そして意を決して、自らの肝臓にメスを入れた。


「ぐ、ああああああッ!!」


 激痛に悲鳴を上げながらも珀鉛の溜まった箇所を切除する。視界の端でルカが震えている。大丈夫だと声をかけてやりたかったが、そんな余裕はなかった。

 息を荒げながらも針と糸で傷口を縫い合わせ、肝臓を自らの身体へと戻す。

 "手術"の勝手はこれで分かった。後はルカだ。

 頭はまるで内側から激しく殴られているようにガンガン痛む。額には脂汗が幾つも浮かび、伝った。それでもまだ、倒れるには早い。

 まだ手術は終わっていない。


「ルカ……こっちにこい。治してやる……」


 ルカは弱々しく首を横に振った。

 直接内臓を弄るのを見て手術が怖くなったのか。それとも疲れ果てているローを案じているのだろうか。

 今のローには判断がつかなかったが、どちらにせよ元より拒否を聞き入れるつもりはない。ルカは既にドームの中に……即ち、ローの"手術台"の上にいる。


「兄さまを、信じろ」


 そう言って、ルカの身体から肝臓を取り出した。

 手順は先程と同じだ。珀鉛を一箇所に集め、切除する。弟を苦しませないように、できるだけ手早く。傷をしっかり縫い合わせてから、肝臓を戻した。

 そうしてやっとローは能力を解いた。直後、糸が切れたようにその場に倒れ伏す。ルカは慌てて立ち上がり、ローの元へ駆け寄った。

 ぱくぱくとルカの唇が動く。何を伝えたいのかは分からない。

 ドフラミンゴのところにいる間に、読唇術でも勉強しておくんだったな──そんなことをぼんやりと考えた。

 薄れゆく意識の中、瞼の裏にコラソンの姿が見えた。

 黒い羽のコート。真っ赤なコイフ。ハート柄の変なシャツ。派手なピエロメイクのコラソンは──笑っていた。



 悲鳴を上げた。

 上げたつもりだった。けれど実際には兄を呼ぶことも、兄を案じる言葉をかけることすらできない。

 ルカの"手術"を終えた兄は倒れ、ぐったりとしていた。頬を軽く叩いても反応がない。病人を揺さぶってはいけないと父から教わったのも忘れて兄を揺り起こそうとする。


(どうしよう、兄さままで死んじゃったら……)


 ルカには何もできない。

 兄ほどの医療技術も知識もない。動かない兄を前に泣くことしかできない。己の無力感がただただ恨めしかった。


「おーい、誰かいるのか?」


 知らない声が聞こえてきて、ルカは反射的に洞窟から飛び出した。

 するとすぐ近くに見知らぬ老人の姿があった。

 白髪をオールバックにし、真っ赤なサンバイザーをかけている。服装はアロハシャツにサンダル。真冬の北の海でする格好ではない。

 どう見ても怪しい。そもそも見ず知らずの大人は恐怖の対象だ。けれど今のルカにそんなことを気にしている暇はなかった。


「なんじゃ、子供か? 見かけん顔じゃな、一体どこから……」

「…………! …………!!」

「おっと! な、なんじゃ?」


 老人の手を取り、必死に引っ張った。


「こ、これこれ! 待たんかい、なんじゃ一体! そもそもお前さん、名前も名乗らずに……」

「…………!! …………!!」

「……? お前さん、まさか……」


 たすけて。

 にいさまをたすけて。

 おねがい、たすけて。

 声の出ない唇で訴える。泣きながら老人の腕を引く。

 尋常ではない様子に流石に異変を感じたのだろう。やがて老人は無言で……けれど、しっかりと頷いた。



続く?

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