スワロー島の冒険 1 老人ヴォルフ
笛のSSとか書いた人・つづいた
・ノベルロー再構成
・弟君の名前はルカ
アロハシャツの老人はヴォルフと名乗った。
ルカに案内された洞窟で気絶したローを発見すると、ヴォルフは彼を背負い自身の家に案内してくれた。
「安心せい。疲れて気を失っとるだけじゃよ」
兄を案じる不安げな視線に気づいたのだろう。ヴォルフはローをベッドに寝かせてそう言った。見下ろす視線は優しく、声音も穏やかだ。ルカは身を縮こまらせながらも小さく頷いた。
直後、グウ、と気の抜けるような音が鳴った。それが腹の音であることを理解した瞬間、ルカの頬はカッと赤く染まった。
兄が釣ってきてくれた魚は結局食べ損ねてしまった。相変わらず胃の中はからっぽで、思い出してしまうと目眩がするような空腹感が絶えず襲いかかってくる。
「ああ、随分身体が冷えとるようじゃったからのう。腹も減っとるじゃろうて。スープを温めてやろう」
ヴォルフはそう言って部屋を後にしようとして、不思議そうに振り返る。
「なんじゃ、一緒にこんのか?」
どうやら、ローが目覚める前に先にルカに食事を摂らせるつもりだったらしい。
ルカはびくりと身体を震わせた。兄の眠るベッドへ目を向けてから首を横に振る。
兄の傍にいたい。言葉はなくとも、長い前髪から除く瞳は如実にそう訴えていた。
「……分かった、分かった。立ちながら待ってるのもなんじゃ。ほれ、この椅子にかけてなさい」
小さな木製の椅子をベッドの横に置くと座るよう促す。ルカはヴォルフと椅子を交互に見て、やがておずおずと遠慮がちに腰掛けた。
……どのくらい経っただろうか。椅子に座ったルカはこくりこくりと舟を漕いでいた。
すると、ベッドの上のローが僅かに身動ぎした。閉ざされていた瞼がゆっくりと開かれる。数度瞬きをしてから上体を起こして周囲を見渡した。
見知らぬ部屋の中に弟の姿を見つけ、微かに安堵する。
「ルカ、ルカ」
声をかけながら軽く揺すると、小さな肩が跳ねる。ぼんやりと顔を上げたルカは数秒、ぼーっとローを見つめていた。やがてハッと我に返り、感極まったようにふるふると震えたかと思えば、勢いよくローに飛びついた。
「うおっ!?」
衝撃でひっくり返りそうになるのをどうにか耐える。ぎゅうぎゅうと抱き締めてくる弟の腕を軽く叩いて「痛ェよ、ルカ」と伝えると、申し訳無さそうに離れていった。
小さく息を吐いてからローは改めて口を開く。
「ところで、ここは一体……」
ガチャリ。
口にしかけた疑問を遮るようなタイミングで扉が開いた。ヴォルフが戻ってきたのだ。手にしたトレーには皿が二つ乗せられていて、香ばしいスパイスの匂いが鼻を通り抜けていく。
「おう、やっと起きたか」
ローにとっては初対面の、名前も知らない相手だ。強い警戒心をその目に浮かべ、ヴォルフの動きをじっと見つめる。
「ほれ、温かいスープじゃ。美味いぞぉ」
小さなテーブルにトレーが置かれる。先程言っていたスープを持ってきてくれたようだ。
そうだ、兄に伝えなくては。この人が助けてくたのだと。ルカが筆談用のノートと鉛筆を取り出そうとした、その時。
ローはポーチからメスを取り出したかと思うと、素早くヴォルフの背後に回っていた。左腕を首に回し、鈍く光る切っ先を喉元に突きつける。
もし声を出すことができたなら、ルカは悲鳴を上げていたことだろう。
「何が狙いだ? じいさん」
底冷えするような低い声。自分に向けられているものではないと分かっているのに、ルカは背筋が冷たくなるのを感じた。
一方でヴォルフはといえば、刃物を突きつけられているのにも関わらず少しも動じていない。小さく嘆息を洩らしたかと思えば、次の瞬間には回された腕を掴みローを投げ飛ばしていた。
「な────!?」
背中から床に叩きつけられたローは、何が起こっているのか分からないとばかりに目を白黒させた。
呻きながら起き上がる兄にルカは駆け寄る。ローはそんな弟を守るように前に立った。
まるで飢えた獣の如き目。鋭い眼光に射抜かれて尚、ヴォルフは肩を竦める。
「まったく……荒んどるのう。兄弟思いなのは結構なことじゃがな」
溜息混じりに呟くと、ヴォルフはスープ皿をトレーごと差し出した。
「食え。二人共、ロクに栄養も摂っとらんのじゃろう」
白い湯気の立つ半透明のスープ。大きめに切られた根菜や鶏肉がごろごろとたっぷり入っていて、見ているだけで口内に唾液が溢れてくる。
スプーンに手を伸ばそうとするルカを、しかしローが制した。
その表情に滲むのは懐疑心。スープに薬でも盛っているのではないかと疑っている。
故郷を理不尽に奪われ、迫害を受けてきた。ドフラミンゴには利用され、今ではオペオペの実の能力を狙われている。見ず知らずの大人を信じられなくなるのも無理はないだろう。
ふん、とヴォルフが鼻を鳴らした。
「他人が信じられんのだな」
好意を無下にされて怒っている……というよりは、どこか悲しむような、哀れむような、そんな声音だった。
それでも警戒を解くことはなく、ローは右手に握ったままのメスを向ける。
するとヴォルフは、二人が見ている前でスープ皿に口をつけた。
一口、二口とスープを啜る。もう片方も同じように。呆気にとられる兄弟にヴォルフは言った。
「これで毒なんぞ入ってないと分かったじゃろう?」
つまりヴォルフは、ローの見ている前でスープを毒見して見せたのだ。
「ワシはお前たちの敵じゃない。正義の味方を気取るつもりはないがな。死にかけのガキ共相手に駆け引きするほど腐ってはおらんわい」
再び、ヴォルフがスープを差し出す。
ローが何かするより早くルカがスプーンを手に取った。目を丸くする兄に、弟はこくりと頷く。
ややあってローもスプーンを手にした。片方の手はまだメスを握ったまま、スープに口をつける。
野菜や肉の旨味が口いっぱいに広がって、スパイスの刺激と香りが鼻を抜けていく。気づけばローの目は潤み、涙が溢れていた。
熱々のスープを吹いて冷まし、ゆっくり野菜を咀嚼する弟の横で、ローはあっという間に皿を空にしたのだった。
「世の中はギブ&テイクじゃ。お前たちはワシに借りができた。……だから、お前たちのことを話せ。それで貸しはチャラにしてやるわい」
ヴォルフが善意から助けてくれたことを知ったローは、ぽつぽつと事情を説明し始めた。
故郷フレバンスのこと。珀鉛病のこと。家族も友達も何もかも理不尽に奪われたこと。一緒に生き残った弟はショックで声を失くしてしまったこと。
何もかも壊したくて入ったドンキホーテファミリー。そして、ただ一人自分たち兄弟を本気で想ってくれた恩人コラソンの話。
ヴォルフはその間、真剣な顔つきで話を聞いていた。
「……なるほどな。子供なりに苦労してきたようじゃのう。それで」
話を聞き終わると、改まった様子でヴォルフは問いかけた。
「お前たちはこの先、どうしたいと思ってるんじゃ」
ローとルカは顔を見合わせた。少しして、ローの方が口を開く。
「……分からねェよ」
ルカが口をきくことができたなら、きっとローと同じことを言っていた。
コラソンが命懸けで逃してくれた後、目下の目標は珀鉛病に打ち勝って生き延びることだった。そしてオペオペの能力を使うことでそれは既に果たされた。
この先どうしたらいいのか分からない。
やりたいことは思いつかない。コラソンの命を奪ったドフラミンゴへの怒りはあるが、どうしたらいいか分からない。
ぐるぐると渦巻く思考を遮るように、だったら、とヴォルフは膝を叩いた。
「お前さんたちにやりたいことが見つかるまではこの家に置いてやるわ」
「い、いいのか?」
衣食住を保証してもらえるなら、知らない土地で知り合いもいない兄弟にとってこれほどありがたいことはない。
目を丸くして聞き返すローに、ただし! とヴォルフは指を突きつけた。
「覚えておけ! 人生は常にギブ&テイク! これがワシの信念じゃ! お前たちにはワシの労働力になってもらう! 掃除に洗濯、炊事に畑の管理! それとワシの仕事の手伝い! やってもらうことは山程あるぞ! ワシはお前たちに安全な暮らしを与え、お前たちはワシに労働力を提供する! それで構わんな!?」
……要するに、働かざる者食うべからずだ。衣食住を保証する代わりに家事や仕事の手伝いをしろと、ヴォルフは言っている。
そしてそれは居候する以上当たり前のことであり、ヴォルフは必要以上に仰々しく言っているだけだ。
なんだかおかしくて、ローとルカは顔を見合わせて笑った。
「……ようやく笑顔を見せたな」
ギラついた目で警戒心を顕にしていた兄と、恐怖と不安で泣いてばかりいた弟。二人の年相応の笑顔を目にしたヴォルフは心做しか嬉しそうに笑っていた。