スワップ・パニック!
目を覚ました瞬間、視界にはとんでもない光景が映し出されていた。
ベッドの上で見覚えのある少女が2人、心地良さそうに眠っていたのである。
赤と青のツートーンカラーが特徴的な少女と、栗色の三つ編み(目の前にいる人物のそれはほどかれているが)がトレードマークの少女だ。
慌てて身体を起こし、周囲を見渡す。
間違いないのはここがアカデミーの寮である事。そして、この部屋が自分のものではない事。
飛び起きた衝撃で、2人もつられて目を覚ましたようだ。
赤と青の髪色の少女……ボタンは手探りでメガネを拾い上げ、三つ編みの少女……アオイは大きな欠伸をしていた。
「朝から元気すぎん……?」
ボタンはやや不機嫌な様子でそう言いながらメガネをかける。
一方アオイは、未だ眠そうに目を擦っていた。
「……」
未だに声が出せずに口をパクパクさせているのを見ながら、ボタンがゆっくりとベッドから降りる。
「とりあえず顔洗ってくる……洗面借りるから」
そう言ってのそのそと歩いて行った。
「な、なんでぇ……?」
ようやく絞り出された言葉は、静かな室内でなければかき消えてしまうほど小さい。
それを聞いて、アオイは不思議そうにしながらぽつぽつと状況を説明し始めた。
昨晩、3人でささやかなパジャマパーティをしていた事。
そうして話し込んでいるうちに睡魔がやってきて、1つのベッドに無理矢理3人詰めて眠っていた事。
パーティ会場としてこの部屋にアオイ達を招いたのが、他でもない自分である事。
……だが、おかしい。
そんな会話をした覚えが微塵もないのだ。異性を部屋に招いて、その上泊まらせるなんて以ての外である。
しかし、現状を見る限りだと部屋を除いてアオイが話した通りだ。
妙な状況にこんらんしていると、顔を洗い終えたボタンがベッドの方に戻ってきた。
「ネモ、タオルの替えってある?」
「へ?」
「どしたん、ネモ」
辺りを見回すが、名前を呼ばれた人物は見当たらない。
「……え、ほんとにどうした?」
唐突に、ある日の友人との会話がフラッシュバックする。
──カントーの映画も侮れんな。"入れ替わり"という定番ネタで、あのような結末に持っていくとは……
いや、でも、そんなまさか。
だってあれはフィクションじゃないか。
「か、鏡……」
アオイに差し出されたコンパクトミラーを受け取り、恐る恐るカバーを開けると……
「…………」
絶句。
目の前に映し出されたのは、先ほどから名前を呼ばれて続けていた"ネモ"という少女だったのだ。
「ええーーーーーっ!?」
今日イチの叫び声に、アオイとボタンは揃って小さく悲鳴を上げた。
「何なんもう……」
「だ、だ、だって、ボク、何で……こんなのおかしいっしょ……」
「!」
「その喋り方……」
しばらく間をおいて、2人が思い当たる人物……ピーニャの名前を呼んだ。
「いやいや、どう見てもネモだし、ピーちゃんなわけない……」
「…」
困惑しているボタンに、アオイがこっそりと耳打ちをする。ボタンが頷いた事を確認し、2人はピーニャ(推定)に向き直った。
「あ、あのさ……相棒のポケモン、言ってみて」
ネモなら、ピーニャなら、こう答えるだろうという予測を胸に、2人は目の前にいる人物に質問を投げかける。確かめたいのだ、今話している人物がどちらなのかを。
それに応えるように、答えは返された。
「うーん……やっぱり、ドドゲザンかな」
それを聞いた少女達は顔を見合わせ頷く。
ネモなら、切り込み隊長のルガルガンや仲良しのパーモット、もしくはアオイと同時期に貰ったあのポケモンだと言うはずだ。
ドドゲザンだと、迷いなく回答したという事は……
「今ので確信できた……見た目はネモだけど、中身はピーちゃんだ」
安心したのも束の間。アオイが続けて口にした言葉に、2人はあっと声を上げる。
ピーニャの姿になったネモも、今頃戸惑っているのではないかと。
それを聞いて、ボタンはスマホロトムを起動させる。電話をかけて向こうの状況を確認し、迎えに行く事を伝えた。
「うん……また後で」
スマホロトムをしまい、ボタンはピーニャの方を見た。
「ピーちゃん、昨日寝る前どこ居たん?」
「ボクの部屋だよ」
「じゃ、行こう」
言うや否や少女達がパジャマを脱ぎ始めたので、ピーニャは慌てて視線をぐるりと変える。
「あ、ごめん」
「大丈夫……終わったら声かけてね」
そう言って、2人が着替え終わるのを待つ。静かな部屋を布擦れの音が満たしている様な気がして、居た堪れない。
作成中の新曲について考える事で、彼は何とか気を紛らわせていた。
少し時間が経った頃、小さな手がピーニャの袖を引っ張る。
制服姿になったアオイが、ネモの制服を手にしていた。そして、着替えを手伝った方が良いか尋ねる。
そう、ネモもまだパジャマ姿なのだ。
異性に着替えを任せるのは躊躇われるが、他人の身体を必要以上に見たり触れたりするのはもっと躊躇われる。
着せて貰う方がベターだと、ピーニャは判断した。
「……じゃあ、お願いしてもいいかな」
覚悟を決めて彼が目を瞑ると、身に纏っていたワンピースの裾にボタンが手を伸ばす。
「バンザイして」
ピーニャが言われた通りにすると、ボタンは引っこ抜く様にそれを剥ぎ取った。それからインナーやワイシャツに袖を通させ、仕上げにネクタイをキッチリと閉める。
……久しぶりに着崩しのない格好をしているな。首元の窮屈さを感じ、ピーニャはそんな事を考えていた。
「次、下ね。足上げて」
促されるまま床につけていた足を少し持ち上げると、ハーフパンツがスルリと通された。
その間にアオイが後ろで髪を梳かし、ネモのチャームポイントであるポニーテールを作っていく。
「おっけ……もう目開けて大丈夫」
「ん、サンキューね」
「じゃ、行こっか」
3人は部屋を出て、目的地へと向かった。
***
「あれ?」
同時刻。目を覚ましたピーニャ……もとい、ネモはそんな声をあげた。
自身の記憶が正しければ、昨日はアオイとボタンの3人でパジャマパーティを開催し、楽しい余韻を残したまま就寝……という形で幕を閉じたはずだ。
しかし、一緒に寝ていた2人の姿が見えない。その代わりに、なぜかドドゲザンが座ったまま眠っている。
どうしてトップのポケモンがここに?いらっしゃるならご挨拶しなきゃ。
そう思いネモは辺りを見回したが、その姿はどこにも見当たらない。
こちらが目を覚ました事に気がついたらしく、ドドゲザンはネモをジッと見ていた。おはよう、と挨拶をするように一鳴きし、頭をそっと寄せる。それを撫でてあげながら、ネモはふと考えた。
自分はまだ、コマタナもキリキザンも育てた覚えが無いのだ。それ以前に、ボールを投げても全て弾き返されてしまうので、捕まえた事すらない。
それなのに、どうしてここに?しかも、こんなにも懐いた状態で。
満足そうに撫でられているドドゲザンをよく見ると、その身体に自身の姿がチラリと映し出されている事に気がついた。
……違う。そこにいたのは、ネモではない別人の姿だった。
「えっ?」
彼女が戸惑っていると、誰かのスマホロトムが鳴り出す。通知名にはボタンの名前が映し出されていた。
持ち主ではない自分が出るのは良くない。けれども、昨日一緒だった彼女なら何か分かるかもしれない。
友人の聡明さを信じて、躊躇いながら受信と表示された方に指を伸ばした。
『……ネモ、だよね』
通話が始まって真っ先に、ボタンはそう切り出しす。
そうだよ、と返事をすると、電話の向こうで安堵の声が聞こえた。
『えと……信じられんかもしれないけど、ネモとウチの友達が入れ替わってるみたい……』
入れ替わってる。
さっきの状態から考えると、中身……と言う事だろうか。ネモはそう推測する。
『今からウチらでそっち行くから、そのまま待ってて』
「分かった、また後でね」
『うん……また後で』
そう話をして、通話は終了した。
待っている間する事もなく、ネモは部屋の中を眺める。
机の上には沢山の本が丁寧に並べられている。各科目の教科書と、付箋で分厚くなった辞書、あくタイプのポケモンに関する専門書など様々だ。その近くにノートパソコンと、モンスターボールモチーフの可愛らしいヘッドホンも置かれていた。
機器の電源はつけっぱなしで、複雑そうな何かがディスプレイに映し出されている。
一体何だろう……と見に行こうとしたネモの視界は、ドドゲザンに遮られた。
グゥ、という音から察するに、お腹が空いているのだろう。
「うん、ご飯用意するね」
キッチンへ移動し、ポケモン用のご飯がありそうな場所を探す。
いくつか棚を開けた所で、『ドドゲザン』とラベルが貼られた箱を発見した。
お皿にご飯を盛って差し出すと、嬉しそうに食べ始める。体格の割に小さな口をしているな、などと考えながら、ネモはドドゲザンを何となく観察した。
目立った傷や汚れの無い身体に、どっしりとした佇まい……
大切にされ、とても強く育てられている事がよく分かった。よきパートナーなのだろう。
ボタンの友達って事は、凄腕のトレーナーなんだろうな。元に戻ったら、バトルしてみたい……
ネモがそんな事を考えていると、ノックの音が聞こえて来る。
アオイ達が来たのかと急いでドアを開けると、そこにいたのはこれまたネモの知らない人物だった。
「遅いじゃん、いつも頼んでもないのに俺の事起こしに来るくせに」
上品で可愛らしい服を着た少年……オルティガが、ムッとした顔で入り口に立っていた。どうやら何か約束をしていたらしい。
「着替えもまだだし……体調悪かったの?だったら早く言えよな」
「ミモザ先生呼んできてやろうか?」とオルティガは提案する。気の強そうな口調だが、こちらを心配しているのだと初対面のネモにも理解ができた。
体調は悪くない。しかし、今置かれている状態は相談したい。先生なら何か分かるかもしれない。
そこまで考え、ネモは口を開いた。
「じゃあ、お願いしてもいい?」
「すぐ戻るから待ってろよ」
そう言って、オルティガは去って行く。
小さくなっていく背中を見送っていると、後ろから声をかけられた。
「ネモ、お待たせ」
振り返ると、アオイとボタン……そして、ネモの姿をしたピーニャが立っていた。
***
そうだ、今朝はいつもの挨拶運動をする約束をしていたんだ。申し訳ない事をしたな。あとでオルティガに謝らないと。
姿が見えなくなって行く友人を見て、ピーニャはそんな事を考えていた。
それから、自分の姿をした人物……ネモに軽く頭を下げた。それを見て、ネモも会釈を返す。
「さっき来た子がね、ミモザ先生呼んでくれるって。何か分かるかもしれないからお願いしちゃった」
「うん、いいと思う」
ボタンに続いて、アオイもコクコクと首を縦に振った。
「それで、着替えをしようと思ったんだけど……」
ネモはそう言いながら眉尻を下げる。
他人のクローゼットを開けるのに躊躇していたのだ。
「オーケー、ちょっと待ってね」
そう言ってピーニャは部屋に入り、自身のクローゼットから制服を取り出した。
「はい、どうぞ」
「ありがとう!」
制服を受け取り、ネモはワイシャツを広げ始めた。配慮するように部屋から出て、ピーニャは2人と一緒にミモザの到着を待つ事にした。
少し時間が経つと、オルティガが戻って来た。その後ろに、ミモザの姿も見える。
「あれ、あんた達何してるの?」
「ミモザ先生、それより早くアイツの事診てよ」
「分かってるって」
そう言いながらミモザが部屋のドアをノックすると、中からネモが「はーい!」とピーニャの声で返事をした。
「……思ったより元気そうじゃない?」
「そ、そうみたいだけど……でも、何かいつもと様子が違ったんだよ」
オルティガは俯きながらそう返す。杖を握る手が僅かに震えているのを、ミモザは見逃さなかった。
「そんな心配しなくても、ちゃんと診てくるって。泣かない泣かない」
「な、泣いてないよ!」
ミモザは笑いながら部屋に入って行く。
からかわれてぷりぷり怒っていたオルティガは、落ち着くと同時に視線を変えた。
「……で、ボタン達は何しに来たの?」
どう話したら良いかとピーニャが考えている間に、ボタンが代わりに説明する。
「オルくん、信じられんかもしれないけど……」
「……はぁ!?じゃあ、そっちにいるのがピーニャなの!?」
オルティガが驚きの声を上げるのと同時に、ミモザが部屋から飛び出す。
「あー良かったまだ居た!ちょっと何が起きてるか聞かせてもらえない?」
今度はアオイが状況を説明した。
ひと通り話した頃に、着替えを終えていたネモも部屋から姿を現す。
「入れ替わり、ねぇ……」
ミモザは落ち着いた様子でアオイの説明を受け入れていた。
「その……驚かないんですか?」
「最近どっかの本で読んだのよねー。ポケモンの技でヒト同士の心が入れ替わる、みたいなやつ?」
「ポケモンの技で……?」
本の中の話だけどね、とミモザは言う。
「まあ、ポケモンが関わってると信憑性高いよね。過去に実例があれば、ジニア先生とか知ってるかも……もし聞きたいなら呼んでくるけど、どうする?」
答えは決まっている。
「お願いします!」
「はーい。じゃ、いい子で待っててね」
手を振りながら、ミモザは職員室のある方へスタスタと歩いて行った。
「かわいい見た目なのにスマート……惚れるわあんなん」
そんなボタンの呟きを聞きながら、ピーニャはその場に居た友人たちを自室へと招き入れた。
***
ミモザが戻ってくるまで、少年少女らは雑談をしていた。
「そう言えば、君のドドゲザンってすごく強そうだよね」
今朝の事を思い出したネモがそう言うと、ピーニャは笑顔で答える。
「コマタナの時からずっと一緒だったからね。頼れる相棒って感じ?」
「そうなんだ!ねぇ、今度バトルさせて貰えないかな?手加減なしの全力で!」
「勿論オーケーだよ。ボクもチャンピオンランクのバトりがどんな感じか、知りたいし」
快諾するピーニャの肩を、アオイがペシペシと叩いた。私もチャンピオンランクだよ、と得意気に言う愛らしさに、ネモは思わず彼女を抱きしめる。
「うんうん!私の最高のライバルだもん!」
大の男が小柄な少女を腕に収める画の完成である。
「ちょっ、ネモ」
「なに?」
思わぬスキンシップに驚き、アオイは固まっていた。それを見てボタンは、慌ててアオイを離すように促す。
「ごめん、つい」
そんなやり取りをしていると、ドアをノックする音がした。
「どうぞ」と部屋の主が返事をすると、ミモザがレホールを連れて現れた。
予想外の人物が現れた事に学生たちが首を傾げていると、ミモザは疑問を解決するように話し始めた。
「ジニア先生に相談してたらさ、それ聞いてたレホール先生が知ってる事があるって言ってくれたの」
なるほど、と相槌を打っているのを確認しながらミモザは続ける。
「じゃ、私やる事があるから行くね。レホール先生、後はお願いします」
頷くレホールに軽く頭を下げ、ミモザは部屋を後にした。
扉が閉まった事を確認すると、レホールは学生たちの方へ身体を向ける。
「……ヒト同士の入れ替わりが起きている。そう言っていたな」
レホールの目が、ギラリと光る。
「貴様たちの身に起きた現象……それは、幻のポケモン、マナフィの技によって起きるとされているものだ」
──幻のポケモン、マナフィ
聞き慣れない名前に学生たちが首を傾げていると、レホールは口角を上げる。
「耳馴染みが無いのも無理はない。マナフィはパルデアから遠く離れた地方に生息すると言われているからな……」
レホール曰く、マナフィというポケモンの技の中に『ハートスワップ』というものがあるらしい。その技を人間が受けると、外見はそのままで心が入れ替わってしまうと言うのだ。
「残された文献によると、マナフィは海に住むポケモン達を統べる王とされ……いや、これ以上は今回の事象には無関係だな。聞きたければ日を改めて私の元へ来ると良い」
話を切り上げながら、レホールはアオイをチラリと見る。飛び抜けて好奇心旺盛な彼女なら、きっと続きを聞きに来るだろう。そう考えを巡らせたのだ。
「……それで、元に戻すにはどうしたらいいの?」
オルティガがそう質問をすると、レホールは少し時間を置いて口を開く。
「ポケモンの技によるものならば、時が解決するだろうな」
単純明快な答えだった。
「それが何時間、何日続くかまでは私にも分かりかねる……私が力になれるのはここまでだ。講義の時間が迫っているので、これで失礼する」
そこまで言うと、レホールは部屋から出て行ってしまう。
「……つまり、自然に元に戻るのを待つしかないって事だよね」
「ど、どうしよう……」
──こうして、2人の奇妙なスワップ生活が始まった。