スペイン滞在期記

スペイン滞在期記


「綺麗だろ、これ」

フィンランドで撮ったオーロラの写真を冴に見せる。

フィンランドは空気が綺麗で長い期間オーロラを見ることができるが確実に見るには三日ほど滞在するべきらしい。一日のみの滞在では難しいかと思ったが、今回は運が味方した。自分でも満足のいく美しい光景を写真に収めることができた。

スポーツ選手のような人の動きのある写真もいいが、こういった自然の動きを追いかけるのも楽しかった。景色の写真を撮るのも好きだ。

空一面を覆う光のベールが幻想的で目が離せなかった。神秘的なその光景に呑まれてしまいそうだった。

オーロラは日本でも運が良ければ見られる場所もあるらしいが、なかなかお目にかかれない。あれが日常的に見ることができるのは羨ましい。


「こっちがヘルシンキ大聖堂で____んでこれは」


他の写真も見たいという冴にフィンランドで撮影した写真を見せる。

冴は印刷した写真を手に取って俺の話を聞きながらじっくり眺めている。普段サッカー以外に興味を持たないあいつが真剣に見ているのが嬉しくてつい饒舌になってしまう。

欲しいならやるぞ、と残りの写真も纏めて渡せば表情を緩めて嬉しそうに受け取り一枚一枚丁寧に見ていく。


そこまで景色が気に入ったならとフィンランドで買った観光用のガイドブックも差し出せば、先程まで(冴にしては)キラキラと輝いていた目がスンとした。

不満そうに「そうじゃねえんだよ...」と呟く声が聞こえて首を捻る。なんでだ、景色のプロが撮ってるんだからむしろ喜ぶところではないのか。餅は餅屋だぞ。そう言うと冴は呆れたようにこちらを見て小さく唸る。

いらないなら別に...と引っこめようとすると無言で奪い取られる。


「いらないとは言ってねぇ」


やっぱ欲しいんじゃないか。


母さんから預けられた塩昆布を使って作った塩昆布茶を啜る冴をぼんやりと眺める。

風呂上がりに飲んで暑くないのだろうか。あの塩昆布はスペインじゃ買えないから渡してきてあげてと大量に押し付けられたため、当分なくならないだろう。

スペインでは塩昆布は売ってないのか。茶そばはどうだろう。

......売ってなさそう。

やっぱり実際に住んでみないと分からないことも多いだろうな、苦労してるんだろうなと幼い頃から親元を離れて遠い異国で暮らす弟に感心してしまう。仕事で短期間滞在するだけでも苦労するのに。日本と違うのは当然として、実際生活するとイメージしていたこと違うことも多いだろう。

実際、スペインは時間にルーズな人間が多いイメージがあるので交通機関が割と定時運行しているのは来る度驚く。遅れるときは遅れるけど。

あとスペインに限らずヨーロッパでは自動車は左ハンドルだよな。

うん、我ながらすごくくだらないことしか思いつかない。

そうだ、自動車といえば__


ふと、ここに来るまでに見かけた光景を思い出し、口を開いた。


「そういえば、来る途中に交通事故__」


俺の言葉は陶器の割れる音に遮られた。音が響き、驚いて顔をあげれば、湯呑みが床に落ち割れている。冴が手を滑らせただろう。既に飲み終わっていたのかお茶が溢れていないのは不幸中の幸いだった。


「怪我してないか?危ないから動くなよ。箒とかあるなら貸し......冴?」


冴は真っ青な顔で俺の顔を見ていた。

ふらふらと足元に割れた湯呑みが転がっているのも気に留めず、こちらに歩き出そうとする冴を何とか止める。

そして、破片を踏まないよう注意して近づき、脇に手を差し込み持ち上げ、安全な場所まで移動させ、降ろす。怒ることも何もいうこともなくあっさり動かすことができた。

子供どころか幼児扱いにも近い行為に抵抗どころか文句の一つも言わずにされるがままの冴の様子に思わずぎょっとする。

ぼんやりとこちらをずっと見ていた冴だったが暫くすると無言で抱きついてきた。背中を摩ってやると落ち着いたのか口を開く。


「........事故ってなんだ」


「?スペインに着いた日にたまたま見かけた。何もない」


それを聞くと大きく息を吐き、そのまましばらく

ふざけんな、どんなタイミングだよ、ありえねえとよくわからないキレ方をしていた。けれど、文句を垂れ流しつつも俺から離れようとしなかった。


デカい男が二人で抱き合う様子は見れたもんじゃないだろと溢すと、スペインでの挨拶でハグは珍しくないとボソボソ呟くのが聞こえた。

別に言い訳にならねえからな、と思いながらもここまで素直に甘えてくるのは珍しいのでされるがままでいる。

ホームシックか...?と軽く頭を撫でてやると強張っていた声色が緩み、機嫌良さそうに笑った。


しばらく、抱きしめられたままでいたが、気恥ずかしくなり冴の肩を軽く押して離れる。


「......こんなのもう凛にもしてないぞ」


思わず呟くと冴はドヤ顔にも見える満足げな表情を浮かべていた。どういう感情なんだそれ。

ため息を押し殺し、落とした湯呑みを片付ける。手伝おうとした冴に座っとけと伝え、破片を一つも取り残さないよう神経を尖らせて掃除した。

妙な疲労感を感じ、風呂に入ると告げ背を向けると背後から冴の笑い声が聞こえた。先程までのしおらしい態度はどうしたと言いたくなる。まあ、元気が出たならいいか。そう思いそのまま浴室に向かうとまた声をかけられた。



「ああ、そうだった。兄貴、携帯貸せ。充電しといてやるよ」







おまけ


「帰りはドバイで乗継だろ。治安はいいけどスリは普通にいるからな。ボーッとして事件とか巻き込まれんなよ」


「いや、帰りはスイスに寄る」


「寄り道せず帰れ」






帰国後



「最近、携帯の充電が減るの早い。不便だ」


「.....携帯変えたらいいんじゃねえの」


「そうする。...凛も行くか?」


「俺は別にい......兄さん、米に塩かけんな」


「そんなに沢山かけてない」


「米に塩鮭のっけてるのにこれ以上足すなっつってんだよ」


「俺はもうちょっと塩味が強い方が美味しいと思う」


「没収」


「あー」


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