シルクハットの悲劇

シルクハットの悲劇



ダンジョン『旧アイオン・モール』BF3・通称『ゴブリン・パレード・ロード』。


かつて全国展開していたショッピングモールを前身とする魔境の一角で、今、一つの探索屋パーティが死闘に巻き込まれていた。


パーティは総員6名。前衛が〈侍/頭目〉〈戦士〉〈僧侶〉、後衛が〈盗賊〉〈魔術師〉〈司教〉。お手本通りのWIZパーティ、物理戦にも魔法戦にも柔軟に対応可能な堅実な構成である(なお、ダンジョン内の探索屋は言霊による呪詛を防ぐため、基本的に名前の代わりに簡易なコールサインを用いる)


実力は中堅。本来ならば現在のダンジョンも狩り場でこそあれ死地ではない。


本来であれば。


現在、ある理由でパーティは機能不全に陥っていた。その上で帰還中に【小鬼中隊】との会敵が重なったのだ。


小鬼──ゴブリンは弱敵である。身体能力は低く魔法は使えない。しかし【中隊】の識別名は伊達ではなく、その数が脅威だった。そのため遠距離戦で方をつける、ないしは数を減らすのが攻略の王道。


が、パーティはその機を逃し、泥沼の白兵戦に引きずり込まれていた……



◇◆◇◆◇



『いいか絶対こっち見るなよ! 見るなよ! 振りじゃないからな! 見たら《火炎》をぶち込むぞ! ……あ、テメェチラ見すんじゃねぇ! 分かってんだぞコラァ!』


迷宮の暗い通路、狭苦しい戦場に甲高い女の声が響き渡る。声量とは裏腹に非常に目立つ、脳に直接響くような声──戦場での指揮用に開発された魔力式発声法だ。その本来の意図通りに、肉弾相撃つ戦闘音を圧して意識に切り込んでくる。


『見るなよ! 前見てろ前! あ、テメェ横も見んじゃねぇ! 前を見ろっつってんだろ!』


一瞬一瞬に生死を賭けた戦闘中に、危険極まりない。


「やかましい! 集中力が途切れるから少し黙ってろ!」


漆黒のフルプロテクト・アーマーを纏った〈侍/頭目〉が、セラミック・カタナで小鬼と切り結びながら怒声を上げた。

肩越しに、思わず振り返って。


と、


『見るなっつってんだろーがー!!!!!!!!』


一際強烈な圧を込めた絶叫を伴って炎の波が男を襲った。

〈侍/頭目〉は危ういところで身を躱した。鎧のプレートが瞬間的な高熱に炙られる。しかしさらにその先にいた小鬼はもっと悲惨な末路を遂げた。死角からの直撃を受け、断末魔と共にこんがりとローストされたのだ。


《火炎》の呪文にしても異様な熱量である。よほどの念が込められた一撃だった。


〈侍/頭目〉と戦列を組んでいた前衛二名、〈戦士〉と〈僧侶〉が横を掠めた熱量に慄く。また女の左右で後衛を務める〈盗賊〉と〈司教〉が頬を引きつらせてそっと女から距離を取った。


『てめー! 終わったら灼きいれてやるからな!』


呪文を放った女──激怒する〈魔術師〉は奇態な格好をしていた。


身につけているのは怪しげなオーラを纏う漆黒のシルクハットのみ。それ以外は何も無し。一糸まとわぬ全裸である。後衛とは言え若さと探索屋稼業で鍛えられた肢体を惜しげもなく……いや、体の隠し所に迷う両腕を上下にさまよわせながら……晒している。


重ねて言うが彼女は極まった〈忍者〉ではない。ごく普通の〈魔術師〉である。


羞恥か、怒りか、彼女の顔は朱に染まり、あらゆる意味で現状が不本意であることは明白で、それは激発するのも無理からぬこと……ではなかった。


「自業自得だろうが!」〈侍/頭目〉が吼えた。「そのシルクハットは鑑定結果が怪しいといっておいたはずだぞ!」





そう、全ての原因はシルクハットにあった。


もし、今の〈魔術師〉の戦闘ステータスを閲覧できるものがいれば、そこには【状態:呪い】という文字が燦然と輝いているだろう。身体と精神とを問わずあらゆる能力に負の補正をかけ、装備制限を強制し、専門家によって解呪されるまでは自然治癒しない凶悪かつ厄介な状態異常である。


その原因がシルクハットなのだった。


【呪いのシルクハット】あるいは【シルクハット-3】。

魔法付与強度3はコモン級のカースド・アイテムとして最高レベルの代物だ。これ以上はいわゆるネームド、伝説級のアイテムとなる。

つまり〈魔術師〉を蝕んでいるのは一般的なものとしては最も高度な呪いであり、パーティの〈僧侶〉〈司教〉では太刀打ちできず、治療するには地上の施設で解呪措置を受けるほかないのだった。


ダンジョンで入手するアイテムにはそういう危険性がある。それは重々承知の上だったが……





『〈-3〉を〈+3〉に勘違いしたのは〈司教〉だ! あたしのせいじゃねー!』

「わ、私は自信は無いが、とちゃんと注意しましたぞ⁉」と、〈司教〉が抗議した。事の元凶扱いされてはたまらない。「それを大丈夫だからと言って被ったのはあなたでしょう!」

『〈+3〉なんて大物、見逃せるわけねーだろーが! 試してみるくらいでグダグダ言うな!』


呪いで浮かされた脳の産物としてもあんまりな発言だった。


〈侍/頭目〉は心中で舌打ちしつつ血刀を振るって小鬼の後続を切り捨てた。左右の動きが鈍い。先刻のフレンドリーファイアで一瞬戦列から離れたのが効いている。ほんの僅かなペースの乱れ。疲労の蓄積。そして後列……〈魔術師〉への不信と警戒。全てが悪い方向へと噛み合ってきていた。


【小鬼中隊】ごときを押し返せない。否、逆に押し潰されそうに感じる瞬間さえある。


一つの呪いがパーティを崩壊に追いやろうとしている──〈侍/頭目〉は、一瞬意識してしまった”終わり”を追い払おうと歯を食いしばった。


─────こんな馬鹿なことで死んでたまるか。


「くそ、解呪料金は、奢らねぇぞ」と、〈侍/頭目〉は荒い息をついた。「闇金に放り込んででも、ぜってぇ、本人に払わせてやる」



◇◆◇◆◇



結果から言えばかれらは生き延びた。


殆ど錯乱状態の〈魔術師〉を守りながら地上へと帰還、解呪施設に直行した。大枚を払い、呪いを解き、〈魔術師〉は正気に戻った。


その瞬間、羞恥と後悔で吐きそうになった、とは本人の弁である。


謝罪がなされ、他の者はそれを受け入れた。それが探索屋の掟だった。呪いによる錯乱は本人の責任ではない。なにより解呪業者から渡された鑑定結果により、問題の〈シルクハット-3〉には鑑定偽装と使用者誘引の魔力が付与されていたことが分かったからだ。


魔力に抵抗できなかったという意味で未熟ではあったが、少なくとも迂闊ではなかった。それが判明したため、〈侍/頭目〉は解呪費用をパーティ資金から出すことを認めた。


そして全てが元通り……とはいかなかった。


親しいがそんな関係になる気のない異性に裸体を見られたショックは大きく、〈魔術師〉が離脱したのだ。事が事だけに引き留めるのも気まずいものがあり、魔法火力を欠いたパーティは大きく戦力を低下させ、新たな人員の補充まま探索業の停滞を余儀なくされることとなる。


「結局、あの呪いのシルクハットに潰されたようなもんだ。これからは、こういう事態まで想定して対策練っておかないとマズいな……次こそ潜った先で全滅しちまう」


〈侍/頭目〉はダンジョンの恐ろしさへの認識を新たにした……それは当人にとっては苦い成長だったが、ベテランへの階段を一歩上がった瞬間とも言えただろう。


そして他の誰も気づかなかったのだが、シルクハットは〈侍/頭目〉にも呪いを残していた。

あのとき見た一瞬の光景。

裸体にシルクハット。

娼館の趣味が変わったのは誰にも言えない秘密であった。


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