独りぼっちのお姫様

独りぼっちのお姫様

ヒマナッシオ・ボンビーナ


「ーーやぁ、ミオリネ。元気そうだね。安心したよ」

 意外なぐらい上機嫌なミオリネはキラキラと目を輝かせて花の咲くように笑った。味気ない面会室がそれだけでパッと華やいでいく。

「ええそうよ、聞いて!ようやくアリヤの地元企業を買収できたの。これであの子を地元に帰さずに済むわ!」

「……そうかい。それは何より」

 アスティカシアの学生達は各々企業の後援を受けて在籍していた。基本的に卒業後に後援企業か、或いはその取引先に就職する前提で。

 地球寮の学生達だってそうだっただろう。グループ解体のどさくさで有耶無耶にしてきたが、誤魔化されない企業もあった。取引先のベネリット内企業の後援枠に地球籍の企業が自社の社員の子息を推薦したケースである。

 ミオリネのやり方をどうかと思うが、シャディクの口出すことではない。気が済めば落ち着くことだろう。そう、シャディクは思っていた。落ち着くどころか以降、他のアーシアンの生徒の地元企業ーー親の在籍する企業を次々買収するようになるとは思ってもいなかったのだ。


   ◆◆◆    ◇◇◇   ◆◆◆


「ねえ、聞いて!サビーナに恋人ができたの。2つ3つ歳下なんだけどね。子犬みたいにキラキラした目で追っかけ回されて、サビーナも悪い気はしなかったみたい。あれはきっとゴールインまで一直線ね。

 レネが電撃結婚した話はしたかしら?レネ、理想の男は高かったけど、ちょっと見ただけだとなんだかパッとしない男だったわ。でもあの子すっごく幸せそうにあれこれ世話を焼いてたわよ。

 エナオの養子はもうすぐ小学校に上がるの。不思議よね。全然似てないはずの顔なのに、そっくり同じ顔することがあるのよ。

 イリーシャは来月が臨月なのよ。大きなお腹で大変そうだけど、でも幸せそうなの。精子バンク利用するって聞いた時はびっくりしたけど、メイジーと二人で話し合って決めたことだものね。みんな祝福してるわ」

 きゃらきゃらと少女めいた笑顔のミオリネにシャディクの口元も自然と緩んだ。話の内容がかつての同志達の幸せな近況であるから、尚更。それでも少しだけ、寂しい気がする。

(ーーああ、もう俺は要らないんだな)

 後はただ、最後の役割を果たすまでだ。己の死を以て。

「時間です」

「それじゃあ、ミオリネ。ーーさようなら」

 看守の言葉に立ち上がってシャディクは別れの言葉を口にした。これが本当の別れになるだろうことを、シャディクは確信していた。

 何年も長引いた裁判も全てが終わり、シャディクの死刑は確定した。方々からの圧力によって、きっと遠からず刑は執行される。






 はずだった。






「ーーえ?」

 シャディクは目を覚ました。それが一番理解できない。死刑は執行されたはずだ。薬物を腕に注射された。そして意識が遠のいたのを、確かに覚えているのに。

「よかったわ、ちゃんと目を覚ましてくれた」

 にこにことベッドサイドに腰掛けて笑うミオリネにシャディクは悟った。脱獄させたのだ。死を偽装して。バクバクと目覚めたばかりで心臓が嫌な音を立て始める。

「ミオリネ、馬鹿なことを……幾らなんでも、死体がなければいつか発覚するんだぞ!」

「大丈夫よ。結構いるの、自分が死んでも家族に大金を残したいって人間って」

「は」

 一瞬、何を言われたのか脳が理解を拒んだ。じわじわと心に黒いシミが広がる。その中心で幼い自分が嘆いている。ミオリネに恋に落ちた日のシャディクが。

(君は、君だけは、こんな、命を平気で使い潰す人間じゃなかったのに……!)

「そうねーーシャディク、アンタ忘れてるみたいだからもう一度言ってあげるわね。あれから時間が経ってる分、ちょっと進展してるけど。

 サビーナに恋人ができたの。2つ3つ歳下なんだけどね。子犬みたいにキラキラした目で追っかけ回されて、サビーナも悪い気はしなかったみたい。あれはきっとゴールインまで一直線ね。この前プロポーズされてたって照れながら言ってたわ。

 レネが電撃結婚した話はしたかしら?レネ、理想の男は高かったけど、ちょっと見ただけだとなんだかパッとしない男だったわ。でもあの子すっごく幸せそうにあれこれ世話を焼いてたわよ。

 エナオの養子はもうすぐ小学校に上がるの。不思議よね。全然似てないはずの顔なのに、そっくり同じ顔することがあるのよ。

 イリーシャは今月が臨月なのよ。大きなお腹で大変そうだけど、でも幸せそうなの。精子バンク利用するって聞いた時はびっくりしたけど、メイジーと二人で話し合って決めたことだものね。みんな祝福してるわ」

 ほとんどが一度聞かされたことのある話に、背筋が凍っていく。シャディクにはミオリネが何を言っているのか理解できてしまうーー理解したくなかった。

「ねえ、わかってるでしょ?アンタが生きてたら、脱獄してたらーー誰が一番最初に疑われるのかなんて」

 はくはくと、シャディクの唇が動く。何かを言わなくてはいけないのに、言葉が出てこない。そんなシャディクの様子に構わずミオリネは笑う。バターを舐めた猫のようにうっとりと。

「心配することなんてないわ、アタシが最近顔はともかく背格好や色がアンタに近い男を雇ったことはよく知られたゴシップですもの!アンタを連れ回したって、ついに整形までさせたか!って噂されるだけよ」


「こんなーーこんなことをしても、水星ちゃんは生き返らないんだぞ!」


 ようやくシャディクが絞り出した言葉に、ピタリ、とミオリネの言葉が止んだ。

 スレッタ・マーキュリー・レンブラン。ーーミオリネの今は亡き夫。その早過ぎる死と、続けざまに父デリング・レンブランを喪ったことが彼女の暴走の原因であることは間違いない。

「わかってるわ、そんなこと」

 シャディクの想像よりもずっと、凪いだ声が返ってきた。

「ああ、でもね、もうアタシ間違えないわ。あんな風に、突き離して守ろうなんてしなかったらよかったの。大事なものはちゃんと危ない目に遭わないように自分の手の中でしっかり守らなくちゃ。大丈夫、どこへもやったりしないわ。チュチュもニカもアリヤもリリッケも、マルタンもティルもオジェロもヌーノも!全員ちゃんと、アタシが支援企業ごと全部管理して守ってみせるもの。アンタとアンタの元部下達だってアタシが大事に守ってあげる」

 ミオリネは慈愛に満ち満ちた笑顔でシャディクを抱き締める。どこまでも真っ白に濁った笑顔で。

 シャディクの震えが止まらない。こうして触れることを夢見た日もあったのに、まるで悪夢のようだ。

「愛してるわ、シャディク。ーーああ、新しい名前何にしようかしら?それともシャディクって名乗らせてることにする?どっちでもいいわよアタシは、アンタが一緒にいてくれるならね」

 シャディクは呆然と天井を仰いだ。

 独りぼっちのお姫様。かつて恋した少女の残骸、独り善がりの怪物に成り果てたその腕の中で。

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