ザ・シェフ

ザ・シェフ


フミコと別れてから、岸辺は別のカフェに向かった。待ち人はまだ来ておらず、岸辺はここでもアルコールを頼む。時折グラスを傾けつつ待っていると、1人の少女がテーブルを挟んだ向かいの椅子に座った。

「おぉ、来たか」

岸辺が待っていたのは、フミコがショッピングモールで出会った飢餓の悪魔だ。

キガは店員が来るなり、バニラアイス、季節の盛り合わせフルーツ、いちごパフェ、窯焼きホットケーキ、ハニートースト、チョコレートケーキをそれぞれ5つずつ注文する。

「聞くだけで胃もたれしてくるな…」

「何か頼む?」

「結構だ。正直来るとは思ってなかった…飢餓の悪魔」

岸辺に名前を呼ばれると、キガは「キガちゃんって呼んで」と言った。岸辺は声色から不服そうな印象を受けたが、キガの表情に変化はない。

「正体を隠すつもりはないらしいな」

「別にバレてもいい。要件は何」

岸辺は溜息をつくと、要件を切り出した。

「人類滅亡説ってのがあってな…どこだったか、古代の暦の区切りが2015年の9月で、そこで人類が滅亡するんだと」

昔、1999年7月のノストラダムスの大予言が巷を騒がせた事があった。公安は予言が的中した場合に備えていたが、何事もなく1999年は過ぎていった。2012年にも似たような噂があった。

「で、以前ほど話題になっちゃいないが一応…囚人30人に釈放を条件に未来の悪魔と契約してもらった。

そいつらに自分がいつ死ぬか聞いてもらったんだが、30人中23人が2015年9月に命を落とすと予言された」

「それで?」

「お前が裏でコソコソやってるのは把握してる。それも人類滅亡に関わりがある何かだ。素直に明かしてくれるなら、悪魔ではなく人間と同様に扱うと保証する」

キガは一瞬間を置いて、「その30人の内7人は…今週中に命を落としているんでしょ」と言い切った。

岸辺の目つきが鋭さを増す。キガは気にする様子を見せず、40秒前に東区玉野集合団地に出現した悪魔の名を告げた。

「彼女は根源的恐怖の名を持つ悪魔。その名前は」

「なにこの臭い…」

自宅のソファでくつろいでいたナユタは携帯を操作する指を止めて、ふと顔を上げた。かつてデンジと引き合わされた頃から見違えるように成長した彼女は、既に一人暮らしを始めていた。

デンジの人生に深く影響した女性同様、その黒い髪を三つ編みにしているが、その髪型が持つ意味をナユタはまだ知らない。

「今までに嗅いだ事のない…ヤバい悪魔の匂い…!」

岸辺と待ち合わせたカフェを出たフミコが自宅に向かっていると、戦争の悪魔が突然代わるように要求してきた。

(なんですか、いきなり?)

「早くしろ」

首を傾げたフミコが、戦争の悪魔に体の主導権を明け渡す。その瞬間、肉体の細胞全てが最大級の警報を鳴らし始めた。

「サインペン爆弾」

戦争の悪魔は最も嫌な感覚がする方から、距離を取るべく早足で歩いていく。その視界の中で、建物の窓やバルコニーから人が顔を出し、次々と飛び降りていく。

その瞬間、

戦争の悪魔は自分の警戒がまだ甘かった事を悟り、脇目も振らず走り出した。肉体が訴えてくる感覚が、向こう側に遭遇してはならない相手がいるとしきりに訴えてくる。

東区玉野集合団地。

大量の飛び降り自殺者の山の中から、一体の悪魔が現れた。姿は人間の女性の裸体に酷似しているが、肩から伸びる腕は肘の関節が2つある。背中からは更に複数の腕と、鳥の骨を思わせる肢が生えており、顔は見当たらない。

悪魔は死体の中から、若い女性を取り上げて首をちぎり取る。背中の腕で奪った頭部を本来首がある位置にもってくると、異形は声を発した。

「おや、おや、おや。見苦しい姿をお見せしてしまいました…」

悪魔が指を1本立てる。

次の瞬間、裸体はコックコートに前掛けエプロン、長手袋にコック帽を揃えた料理人の衣装に包まれる。

「本日の調理を担当する私、落下の悪魔…と申します。

地獄の皆様よりリクエストを受けて参上しました。尚…料理を残された方は死を味わう事になるのでご注意ください」

落下の悪魔は何処かに向かって語りかける。

「どうしたんですか、さっきから!?珍しく慌ててますけど!?」

「フミコ!しばらく身体を使うが、何をやっても口を挟むな!」

「なんですか、いきなり!?」

「問答する余裕は無い!」

戦争の悪魔は疾走しながら、フミコの意識に語りかける。

「それでは早速調理を開始させていただきます。最初にお口へ運んでいただくのは前菜…ラ・根・ヴォンラ」

落下の悪魔が手を叩いた。そのタイミングで、フミコの意識が現実から過去に向かって、急速にスライドしていく。

「あああああああっ!?」

フミコの意識が現実に戻った時、落下する感覚が彼女を襲ってきた。反射的に近くにあったガードパイプを掴み、目を開けると天地が反転していた。

「うわっ」

異変はフミコ以外にも襲い掛かり、通行人の一部が天に向かって落下していく。異変に気づいていない者は、まだそれぞれの行く先を見ている。

「心が下へ落ちるほどに、体は上へと落ちる仕組みになっております。過去に心へ傷を持つ者の味をお楽しみください」

落下の終着点は何処かへ繋がるドア。独りでに扉が開き、落下していた者達を呑み込むと、やはり独りでに閉まった。

「フミコ!私が体に入れないぞ!!恐れるな!!」

足元に広がる空を見下ろすフミコを、逆さまになった戦争の悪魔が叱咤する。落下の悪魔の力を受けた際、身体から追い出されてしまったのだ。


「手の力が弱まってきている!…おい!私の話を聞け!!」

戦争の悪魔はガードパイプを掴んで耐えるフミコを叱咤するが、ついに指が離れた。

「フミコ!私の言葉を反復しろ!!

爪ナイフ!!」

戦争の悪魔は上に向かって落下するフミコに命令、彼女が悪魔の言葉を反復すると爪がナイフに変化した。爪の一枚が弾け飛び、その痛みと共にフミコは地面に落下。

「やはり私の地面は下にある…フミコは爪の痛みだけ考えてろ。そうすれば恐怖は忘れられる」

「気休めにしかなりませんよ…こっちを狙ってるみたいですし」

戦争の悪魔は移動を開始。その間に考えるのは、相手の正体について。

発生した現象はネガティブな過去のフラッシュバックの後、重力の反転。そこからトラウマ、重力、月、自殺と悪魔の名前を推測していくが、どれもしっくりこない。

全身の毛が逆立つ感覚は、もっと根源的な恐怖を司る悪魔。

「落下…?

なぜ私の前に現れた…?偶然…?それともまた飢餓のヤツが…」

戦争の悪魔は手元にある材料で推測を進めていくが、今は逃げるしか無い。

フミコは爪の痛みに集中しているが、他に意識が向くか、悪魔に接近されたらトラウマの想起が再開する可能性がある。戦争の悪魔は走るスピードを上げた。

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