サナヨダ
「姉上……姉上……っ」
贅を凝らした褥は、平素ならば主人のドゥリーヨダナが日々の疲れを癒すためだけの空間だった。しかし今夜は、低く掠れた男の声が響く。
ドゥフシャーサナ。
ドゥリーヨダナと同じ時に生を受け、100いる弟妹の中でも双子のように育ち、王を僭称する姉の背を盲目的に追う弟。
そう、弟だ。腹違いでも義理でもない。その弟が、ドゥリーヨダナの褥に忍び込んでいる。彼女の手首は掴まれ、身体はドゥフシャーサナの背に覆い隠されてしまった。
紛うことなき、「襲われている」。
だがドゥフシャーサナは、その体勢から動こうとせず、先ほどから熱に浮かされたように姉の名前を呟き、姉の顔を貪るようにただ見つめ続けた。
今この瞬間だけでも、ドゥリーヨダナと、姉と、元のひとつの肉塊に戻れるのではないかと夢見るように。
「ドゥフシャーサナ」
不意に甘やかすような声が夜に響く。
こんなにも己の名前を大事に呼んでくれる人に、きっと俺は一生出会わないだろうな、と彼はぼんやりと確信する。
「わたし様を求めてそこまで狂うか。うふふふふ、愛い、愛いなあドゥフシャーサナ♡
のお、何がお前の癪に触った? 何がお前をそこまで追い詰めた? カルナと同じ玉座に座ったことか? アシュヴァッターマンの頭をわたし様の貴い膝にのせたことか? それとも……お前達に隠れて、ビーマと語らった」
「姉上、やめて、やめてくれ。それ以上は」
貴方を傷つけてしまう。俺の手で、俺の命を絶ってしまう。クソッタレな世を照らすこの絶佳の花を手折ってしまう。それだけは駄目だ。それだけは絶対に駄目なのだ。
なのに、なんで俺たち以外の命が、俺たちの間に入ってくるんだろう。カルナ、アシュヴァッターマン、それにゴミカス化け物ビーマ。そいつらだけじゃない。姉はその甘やかな光で、数多をその身に引き寄せていく。
ああ還りたい。還りたい。原初のひとときに、姉と俺と弟達しか存在しなかった世界に還りたい。不純物が多すぎるこの世界を脱して、早く、早く。そんな思いが募って、募って、ついに耐えきれなくなって、ドゥフシャーサナはドゥリーヨダナを押し倒してしまった。
一方、ドゥリーヨダナは目の前で苦しむ弟の思考を余さず読み取り、感じ入っていた。
知っていた。ドゥリーヨダナを己の半身、至高の王、この世唯一の光と呼ぶ愛しい弟、ドゥフシャーサナ。成長と共に、世界を滅ぼすため数多の人間も半神も神々さえも魅了してゆくドゥリーヨダナに対し、崇拝だけではなく、爛れる愛欲と狂気と執着を向けるようになったことも。
この冗談みたいな倫理観を持つ弟が、それでも保っていた道徳……「姉と弟の一線」を踏み外すまいと耐えてきたことも。それは己のためではなく、何よりも尊い姉のために。姉を傷つけないために耐えて、耐えてきたことも。
全部知っていた。
知った上で、神造の聖魔の華、ドゥリーヨダナは、ドゥフシャーサナの感情全てを欲しいと思ったのだ。
「ドゥフシャーサナ」
もう一度、名前を呼ぶ。少し身を起こし、己と同じ形をした耳に唇を寄せて囁く。とろりとした甘露を、ドゥフシャーサナは耳で感じた。
びくりと震える身体を柔らかく抱きしめ、更に続ける。
「のうドゥフシャーサナ。お前の愛が「わたし」を貫いても、わたしを汚し堕としても、それは罪になどならない。悔やまなくてよい。もう苦しむことはない。わたしが許す。全てを許す」
「すべ、て。全てを、俺の全てを許してくれるのか、姉上」
「許す。だから捧げろよ? わたしはこの世の全て、お前の全てが欲しいのだ」
欲しくて欲しくて、狂ってしまったのだ、とはにかむように笑う姉を、今度は己の意思で、力の限り抱きしめた。
花の匂いが昼よりも、夜の方がずっと濃ゆやかであると今更知った。乱れた肌が、こんなにもきらきらと輝くのを、今夜初めて目にした。
そして、俺は一生この人のものなのだと、ようやく思い出すことができた。一体何を悩んでいたのだろう。
例え、有象無象が俺たちを引き裂いたとしても、俺はこの人のものなのだ。
還える還らないじゃない。はじまりからしまいまで、この人だけのものなのだ。
ぜんぶ。ずっと、ずっと。
至上の現実にドゥフシャーサナは笑う。ドゥリーヨダナも優しく笑う。その夜、繋いだ手が離れることはなかった。