ゲヘナ編 8話

ゲヘナ編 8話


「マコト…貴女はいつも…!」


空崎ヒナはゲヘナ風紀委員会本部の屋上に階下から飛び上がり着地する。

既に日は落ち切り、星屑の光を全てかき消す大きく美しい満月が夜空を満たしていた。

しかし、そんな夜空はいざ知らず、ヒナの表情は並大抵の者であれば竦み上がる程の憤怒を湛えていた。


「考えるだけで頭が痛い…!」


その苛立ちは留まる所を知らず、際限なく高まる。

ヒナは親指を噛みながらブツブツと独り言を始めた。


「今の地下牢は収容限界…雑居房…いやダメ…アレは集団に放り込むと何を起こすかわからない…」


結論が出ないことに更に苛立ちが募り、ガリガリと頭を掻き毟る。


「仮に確保したとしても、他の万魔殿のメンバーもどう動くか…」

「あぁっ!対応すらこんなに悩まされるなんて、本当に腹立たしいっ!!」


遂には髪を引き千切り始めてしまう。

長い髪が手の中にある事に気づき、ヒナは慌てて頭部から手を離した。

最近は砂糖のおかげでほぼしなくなっていた抜毛行為をしてしまった事に失意を覚える。


「またやっちゃった…砂糖が足りてないわ…」


ヒナはタブレットケースから先程口にしたばかりの白い塊を、掌一杯に取り出す。

そしてそれらを一気に頬張り、ゴリゴリと音を立てて咀嚼した。


「んぐっ・・・はぁ・・・」


ヒナは感情を落ち着けるために一呼吸置く。

多量摂取した砂糖による多幸感はバチバチと脳内で弾け、苛立ちを溶かしていった。

すると、不思議なことに脳裏に聞き覚えのある声が響き渡った。


『ヘ───を、破壊し─────しょう。』


声はアコに非常によく似ていた。思わず周りを見渡すが姿はどこにも見えない。

だが、声は途切れ途切れでもまだ聞こえているため、ヒナは目を閉じて耳を澄ませる。

そうしていると徐々に声は鮮明になり、遂にその声を聞き取ることが出来た。


『ヘイローを、破壊してしまいましょう。』


「え…?」


ヒナの思考は停止した。

その声が告げたのはキヴォトス内外を問わず禁忌とされる”殺人”。

そんな事を彼女が言うだろうかとヒナの心に迷いが生まれる。

だが、声はヒナを導く様に言葉を継ぐ。


『これまでの委員長の頑張りを、ずっと間近で見てきました。』

『来る日も来る日も終わらない業務の山を消化し続け、眠れない日もよくありましたね?』

『ただでさえ忙しい委員長に対して、あの女は何をしていましたか?』


「それは・・・」


ああ、覚えている。覚えているとも。

一度落ち着いていたヒナの心は、またも騒めき始める。


『そうです。生徒会長の椅子に座りながら、何もしていませんでしたね。』


声はヒナの回答に是を唱える。


「・・・そう、何もしていなかった。」

「それどころか・・・」


『ええ、そうです。あまつさえ、邪魔すらしていましたね。』

『どうでもいい事で苦情の連絡を寄越し、仕事を増やして、予算は減らすばかり。』

『挙句の果てには万魔殿という行政権の私物化です。』

『ゲヘナの治安維持組織である私達に対するこの仕打ちは、ゲヘナへの敵対行為と言っても差し支えないのではありませんか?』


「…その通りだわ。」


アコの声はまたもヒナの回答に是を唱え、ヒナに問う。

ヒナはアコの声の主張に正当性を感じ、同調した。

そして内に秘めた憎悪が膨れ上がり、臨界状態に近づく。


『例えるなら、ゲヘナという家の屋台骨を食い荒らすシロアリ、と言った所でしょうか?』

『放置すれば、いずれその家は食い潰され、下にある全てを巻き込み崩れ落ちる事でしょう。』


「…!」


アコの声の問いにヒナは気づきを得る。マコトは、ゲヘナにとっての脅威だ。

放置すれば、いずれこのゲヘナを崩壊させる一因に成り得ると。


『お気づきになりましたか?彼女がどういった存在であるか。』

『もちろん委員長のお考えの通り、ヘイローの破壊は禁忌。ですが、これは”ゲヘナの為”なのです。』


「…ふふっ」


そう、全てはゲヘナの為だ。


『マコトが如何様になったとしても、それはその結果を招いた彼女自身の報いというもの。』

『仮に委員長がマコトのヘイローを破壊したとしても、それは”職責を全うした”だけなのです。』


「…うふふふっ!」


そうだ、私はいつも通り仕事をするだけだ。

その過程でマコトがどうなろうと、知った事ではない。


『私は委員長の味方です。…もちろん、”最期”まで。』

『では最後に聞きましょう。委員長は、どうなさるべきでしょうか?』


「あっはははははははは!!!」


やるべき事を完全に理解し、迷いは断ち切られた。


「また私は、こんな簡単な事に気づいていなかったのね…!」 

「ありがとう!やっぱり貴女は最高の副官よ、”アコ”!」


先程までの憤怒はどこに消えたか、今のヒナは喜びに満ちていた。


「さて、どうしようかしら?」

「あ、丁度いいわねこれ。」


ヒナは近くにあった避雷針を易々と蹴り折ると片手で掴み、月に向かって天高く掲げる。


「仕方無い。そう、これは仕方の無いことなのよ。」


『ええ、先生も納得して下さるでしょう。』


月明かりに照らされたヒナの表情は、その言葉とは裏腹に溌剌としていた。

そして、万魔殿の居る校舎を見遣ると楽しげに告げる。


「仕方無いから殺してあげるわ、マコト♪」


空崎ヒナは笑う。

危険な光をその瞳に宿し、その憎悪を殺意に変えて。


────────────────────────


「チッ…イオリめ、しくじったな。」


イオリからの連絡を受けたマコトは書斎で冷や汗を流しながら、周りに聞こえない小声で悪態をつく。

成否に関係無くいずれこうなるだろうと踏んでいたものの、無いに越したことはなかった。

そう思いながらも万魔殿の各員に指示を出す。


「サツキ、総員に警戒態勢を。今から何が起きるかわからん。」

「最悪の場合、降伏も許可する。素直に従えばヒナは何もしないはずだ。」


『待って!マコトちゃ』


何かを言いかけたサツキに構わず通信を切る。

そして書斎にただ一人、マコトの他に居たイロハにも指示を出す。


「イロハ、機甲部隊にエンジン始動の通達を。陣頭指揮は任せる。」


「言われなくてももう終わってます。・・・風紀委員会のイオリからは何と?」


イロハは素っ気なく返す。そしてマコトに問いを返した。

その問いにマコトは少し言い淀みながらも返す。


「イオリからは・・・『お前には付き合いきれん』と来た。当然だな、私ならそうする。」

「どうだ?この人望の無い情けない女は。何なら、部隊を連れてゲヘナから逃げていいんだぞ?」

「キキッ、今なら退職金も思うがままだ。幾ら欲しい?言ってみろ。」


「・・・それで、貴女はどうなさるんですか?」


イロハはマコトの軽口を無視し、更に問いかける。

途端にマコトは視線をイロハから逸らす様に手元の端末に向け、静かに告げた。


「私は・・・ここでふんぞり返っているだけだ。これまでずっとそうだった様に、な。」

「さあ、さっさと行け。戦車長がここに居てどうする。」


理由はわからないが、見え透いた嘘で部屋から追い出そうとするマコトにイロハは苛立ちを覚える。

苛立ちのままに胸ぐらを掴もうと、椅子に腰掛けるマコトに歩み寄ろうとして───


「ッ!?イロハッ!!!」


「げうっ!?」


腹に強い衝撃を受けて吹き飛ばされた。

窓の外を見たマコトが突如立ち上がり、イロハを部屋の入口目掛けて蹴り飛ばしたのだ。

その事をイロハが認識した瞬間、目の前のマコトの姿が消え、轟音が鳴り響く。


「げほっ!げほっ!一体、何が・・・!?」


顔を上げたイロハの目の前には瓦礫の山があった。

書斎はもちろん、天井まで吹き飛び夜空が見えてしまっている。

混乱するばかりのイロハだったが、次の瞬間には何が起きたのかを理解した。


「マコト…先輩…?」


先程まで自分が居た場所のすぐ側にあった柱に、マコトはいた。

いや、”縫い付けられていた”。その右肩に聳え立つ棒状の物によって。


「無事か・・・イロハ・・・」


「あ、あぁっ・・・!ど、どうすれば・・・!?」


柱伝いに血の川を作るマコト。

その姿を見て狼狽するイロハは、何も出来なかった。

足場が崩れ、マコトに近寄る事も出来なかったのだ。

そんなイロハにマコトは諭すように告げる。


「…キキッ、年貢の納め時というやつか。」

「ぐっ・・・早く、行け・・・!ヒナの狙いは私だ・・・!ゴホッゴホッ!」


「で、でも・・・!」


「お前がこの状況に残って何になる・・・!今、私なぞどうでもいいだろう!」

「クソッ・・・元気そうだな、ヒナ・・・!」


マコトの視線の先をイロハは見る。

それなりの距離があるが、そこには月を背に校舎の屋上からこちらを見下ろすヒナがいた。

見ればマコトに突き刺さっているものと同じであろうものを持っている。

そして無情にもヒナは高く飛び上がって次の投擲を開始した。


「イロハ・・・私の権限は全てお前に移譲する。」

「だから万魔殿を、イブキを・・・頼む・・・!」


投げ放たれる死に至る一撃。

マコトは静かに目を閉じその運命を受け入れ、イロハは立ち尽くすばかりだ。

凄まじい勢いで迫るそれは、間も無くマコトを刺し貫くだろう。


「・・・・・・!?」


だが、その一撃はマコトに着弾することは無かった。

空中で火花が散り、辺りに金属同士の衝突音が木霊したのだ。

何が起きたのかはわからない二人は呆気に取られる。

しかし、何かがヒナの一撃を逸らしたことだけは認識していた。


────────────────────────


「誰!?」


投げた避雷針が迎撃されたことに驚愕を露にするヒナ。

下手人を探すために周囲を見渡すが、屋上であるため、見えるのは月明かりに照らされた景色だけだった。

だがその時、階下から爆発音が轟く。

音の方角にヒナが顔を向けると、そこには予想だにしていない光景があった。


「死んでください。」


「───」


視線の先は空中。そう、音の方向に床は無いはずなのだ。

だが、手を伸ばせば届きそうな距離に、ショットガンの銃口があった。


「ぐぅっ!?」


顔面にショットガンをモロに食らったヒナは怯み、後ろに跳躍する。

だが、飛んだ先には新たな脅威があった。


「じゃーん!花火の時間だよ♪」


「なっ!?」


着地した場所はいつの間にか地雷原と化していた。

踏んでいないのに地雷原は炸裂し、ヒナの全身に爆風と熱線を叩きつける。

地雷原を仕掛けた張本人、浅黄ムツキは辺りにもうもうと立ち込める煙を背に声を掛ける。


「アルちゃんの狙撃すごかったよー!」


「・・・完全に殺る気だったわね、ヒナ。」


相手は狙撃ポイントからこちらに移動してきたばかりのアルだった。

ヒナの一撃を弾き飛ばしたのは彼女だったのだ。


「うん、あれはハルカちゃんでも数発が限界じゃないかな。」

「あ、そうそう!ハルカちゃんったら爆薬で空飛んでたんだよ!こっちもすごかったぁ!」


「流石ね、ハルカ。」


「あ、ありがとうございます、アル様!」


アルはハルカの活躍に微笑みながら称賛を送る。

すると次はカヨコから通信が来た。


『社長、こっちは準備出来たよ。マコト議長ももうすぐ回収できる。』


「ありがとう、合図までは待機してもらえるかしら?」


『うん、了解。』


「ねぇねぇ、アルちゃん?」


「どうしたのムツキ?」


アルがカヨコに指示していた事も完了し、万全を期して挑むことが出来る。

そう考えていると、ムツキが腑に落ちない様な表情でアルに尋ねてきた。


「・・・かなり痛いの食らわせたけど、まだ健在って本当?」


「ええ、間違いないわ。」


無理もない、爆薬の量で言えば数十人を吹き飛ばす量を仕掛けたのだ。

だが、その疑念は吹き荒れる風と飛来する弾丸が晴らす事となった。


「皆さん、下がってください!」


「わわっ!」


重厚な発射音が辺りに響き渡り、鉄の嵐が吹き荒れる。

アルとムツキを庇い、銃弾の雨にその身を投げ出すハルカ。

彼女をもってしてもその嵐は痛いらしく、少し顔を顰めている。


「・・・やってくれたわね、便利屋。」


煙を大きな翼で吹き飛ばし、ヒナは姿を現す。

その姿はほぼ無傷であり、脚で踏みつける様に愛銃のリロードを済ませていた。


「あ、はは・・・マジ?」


「ほら、言った通りでしょ?ヒナは私の弾を頭に食らって無傷なのよ。」


「・・・同じ人間か疑わしいんだけど?」


アルとムツキの会話を聞き流し、ヒナは言葉を継ぐ。


「正直驚いた。貴女達はもう放置していいと思ってたのよ。」

「伊草ハルカは砂糖に手を付けていたから、美食研究会と同様にアテにしていたのだけれど・・・」

「ほらこれ、欲しくないのかしら?」


ヒラヒラと砂糖の入った袋を見せびらかす様に掲げる。

途端に摘んでいたその袋は銃声と共に弾け、白い粉末が夜風に消えた。


「・・・その節は本当に世話になったわね、ヒナ。」


片腕で硝煙が靡くライフルを構えながら、アルは誰にも向けた事が無い程の怒気を放つ。


「反吐が出るようなゴミのプレゼントをどうもありがとう。」

「私達からは上質な鉛玉をお返しするわ、感謝なさい。」

「あと、ハルカは強い子よ。あんなくだらないものに依存するわけがないじゃない。」


「アル様のお気に召さない物は赦しません。全部殺します。」


「へぇ…。」


ヒナは全く隠す気のない敵意をぶつけてくるハルカを見遣る。

ハルカの手の指の隙間からは赤い雫が滴り落ちていた。

尋常では無い力で握り込まれ、掌に爪が食い込み、肌を引き裂いてしまっているためだ。

それは、依存による衝動を自傷で堪えている証であり、ヒナは大したものだと感心する。


「それで、何故私の邪魔をするの?」

「私はゲヘナの為に、仕方なくマコトを殺さなきゃいけないの。」


「・・・まずゲヘナの為と言い張るのなら、その笑顔を隠しなさいな。」


「あら?」


これから”やむを得ず”人を殺すと宣うヒナの目は歓喜で見開かれ、口は弧を描いていた。

当の本人も自らの頬に手を当て、ようやく気づいたらしい。


「失礼、つい私情が漏れ出ていたみたい。」

「それで、邪魔する理由は何なの?アウトローになる為に貴女達も砂糖を使いたいのかしら?」


「・・・はぁ。」


アルはため息を一つ吐くと顔を上げ、真っ直ぐな視線でヒナを射貫き、言い放つ。


「いいわ、教えてあげる。よく聞きなさい。」

「そんな三下の悪党の道具、気に入らない・・・いや、不愉快よ、タダでも要らないわ。」

「人を操る事と従える事は似て非なるもの。私が信じるアウトローは、間違っても前者じゃあない。」

「そして何より───」


アルはアウトローらしくないと思いながらも、その激情を込めて吼えた。


「ウチの大事な社員を傷つけられて、黙ってられる訳無いわよねぇっ!?」


「・・・毎度毎度、私から逃げ回ってた貴女達が、私に勝てるとでも・・・?」


ヒナもまた激高するアルに呼応する様にプレッシャーを放ち、売り言葉に買い言葉で返す。

だがアルは一切怯まず、そのまま畳み掛けた。


「アンタとその他の風紀委員会が揃えば無理よ。でもね・・・」

「砂糖で頭のネジが飛んだ”バカ一人程度”なら、容易いものよ!」


「言わせておけば・・・!ん、何?”アコ”。」


コケにされたヒナは怒りを現すが、突然何も無い虚空に向かって話し出す。


「加減は要らない?でもそうするとマズくないかしら・・・なるほど。」

「・・・そうね。・・・そうよね!皆殺せば良いわよねぇ!」

「じゃあさっさと潰して、マコトを殺しに行くとしましょう!」


「・・・哀れなものね。」


その姿を見たアルの表情に少しだけ憂いが差すが、気を引き締め声高に叫ぶ。


「Alea jacta est!やるわよ、皆!」


キヴォトス最強と便利屋68の熾烈な戦いの火蓋が切られた。


[一覧に戻る]

Report Page