ケーキ化食

ケーキ化食


食前の挨拶に「いただきます」と最初に言ったのは、きっと心優しい狩人だったはずだ。

目と目が合い、命であった者を口にしたのだから。

以前聞いたシンオウの昔話を思い出し──自分も食べられる番が回って来たんだな、としみじみ思う。

相手が冬眠出来なかったポケモン、意思疎通の不可能な人間、そういった類の者は映画のスクリーン越しに一通り見てきたが、それらは自分の置かれた状況には当てはまらなかった。

妙に生ぬるく弾力があり内臓のような色彩の部屋、鏡に映る自分の異様な姿、何も食べていない様子の大事な後輩の一人。

それらから察するに他に食べるものがないのだろうと案じ、話を終わらせようとする彼に慌てて声を荒げ、火の中に飛び込んだ兎の気持ちをなぞりしんみりと話すも上手く伝わらず、結局警告のような言葉で彼が力尽きるのを阻止しようとしたが、何をどう解釈されたのか、毒味という形で受け入れられた。


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「えっと…… じゃあ、い、いただきます……」


毒物を見極めるための銀食器が向けられ、注射が刺さるような痛みを予測し堪えようとキュッと目を瞑った。

冷たい針のような感覚がもぞもぞと体……と言っていいのか分からない部分で動き、部位ごと無くなってしまった、といった感じだろうか。

ゆっくりと薄目を開け様子を伺うと、恍惚とした表情が一瞬見えた気がした。というか、気のせいであってほしいとまばたきをすると、ハッと正気に戻ったようで、口の中で長めにもごもごとした後、飲み込んだ。

体調に変化がないかおろおろと交互に目をやるスグリに、先程一瞬目に入った顔を見なかったことにしたい気持ちで話しかける。


「ダイジョーブかー? お味はどうだーー??」

「うん…… 少なくとも急に踊り出したりはしないかな…… 味は普通のスポンジケーキで……その……な、中に、いちごが……」


生きている上で常に自分の体の中身を意識している人間はあまり居ないと思う。

いちご、と聞いて、ようやく自身が肉ではなく、体が変質し、甘さの塊になったことを実感した。

ぽたりと水の落ちる音が聞こえ、目線を上にやると、自身を食べた相手の目に涙が浮かんでいるのが見え、今は見当たらない心臓が跳ね上がり、間髪をいれずになだめ出す。


「わーっ! わー! 泣くなよ!? そんなに腹減ってたのか!?」


空腹は最上の調味料と言うが、そこまで不味くはなかったのも加えて生理的に流れたのか、自身が少し減ったにも関わらず、スグリが泣いてしまったことに対する心配の方が上回る。


「うっ……ちが、違くて…… 俺っ……カキツバタを食べちまう…… あぁぁ……っ!!」

「おわっ!?」


スグリは自分が人を食べてしまう衝動が恐ろしく、自分自身に怯えていたようだったが、数時間振りに口にした食糧を前に衝動を止められるほど強い精神力を持ち合わせていなかった。


「あまいぃ……うっ……やぁ…… て、とまらな…… うぇぇっ…… ひっく…… うぅ……」


ざくざくと本能的にフォークを進めていくスグリにどう声をかけていいか分からなくなり、とりあえず共倒れは回避したし、食べられているのは土台の部分だから……大丈夫大丈夫と自分に言い聞かせ、いつもの先を見ない悪癖を拗らせる。

局所麻酔を打たれていくような感覚の範囲が広がっていく中、徐々にぼーっとしてきた頭でただ目の前の光景を眺めるだけの状態になってしまった。


なぁんかひくく……ひくくなっちまったなぁ…… すぐり…… ばらんすよく たべるのうまいなぁ…… くびのした……くすぐったい? あれ? なんていうんだっけ……?


スグリの息の音が聞こえる。とうとう元のカキツバタと呼べる部分以外は食べ尽くしてしまい、流石に人の顔にフォークを入れるのは躊躇しているようだ。


「か、かきつばた……? え? おれ、まわりだけ、だよな? あ…… た……たべっ……?」


僅かに残った理性で止められた手からカキツバタに返答を求めるスグリ。ついさっきまで鬱陶しいと思われるくらいに話しかけていたのに、うまく話せない。


「んん〜……? あ? すぐりぃ…… ろぉし……た?」


うまく舌を回せず、溶けた意識で見つめ返す。よく見えない。瞼は開いているのに。

視界がぼやけていることを即座に認識出来ず、うつろな目をしている物体と成り果てていた。


「……あー?」

「え……ゔ わあ"あぁぁ!? あ"っ……! あぁっ……!!」


食べれば食べられた側は単純に減る。それが体積だけとは限らないというだけの話。

それとも情報を処理する器官となる部分が下部だったのかは、今となってはもう分からない。

軽い熱中症のようなほてりも自我を蝕む要因になっていたことに今更気が付いたが、それを伝えられるほどの余裕はとうに失われている。

もう少し話せると思っていたのに。うめくような声で何とか応えようともがく。が、声を出そうともがけばもがくほど不気味さが増してしまい、逆にスグリの恐怖心を煽ることになってしまった。


「ひっ…… やあ"ぁ!? うっ……うああ…… ごめ、ごめんなさっ…… うゔっ……」


これ以上泣いているスグリはいやだ。これが最期に出来ることかもしれないのに、怯えさせてどうする?

茶化すことで多少元気が出るならそうしたかったが、会話を諦め、じっと動かず大人しくすることにした。

しばらくすると泣き止み始めたスグリと目が合う。といっても、なんとなくこちらを見てるかどうかが分かるだけだが。音は比較的はっきり聞こえるので、自分が赤子に近い状態の視力でできることといえば、微笑することくらい。

もう冷凍庫に戻しても手遅れ。温度でダメになっていくのが身を持って分かる。せめて食べてくれ。

精一杯の目線で作った視界でちゃき、と輝く銀色がふらふらと揺れている。自分の焦点が定まらないのかスグリの手が震えているのかは分からないが、顔の方へと近づいてくる。

左の頬に冷たく刺さる感覚がし、力が入って、何も感じなくなる。一つしかない口や鼻は避けられていき──左耳が聞こえなくなった。

そして人体の急所の一つ、目。ここがえぐれたら片方だけ浮いて見えるのか?とわけの分からない考えがよぎる。実際は他の部位と同じく、離れた瞬間に無と化す。

左側の感覚がほとんど無くなった頃、カタン、と何かを置いた音が聞こえ、それがフォークであることを認識出来なくなるほどカキツバタは削れていた。

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