ケーキ化生殺し
どろどろに赤黒く煮溶けた光景。瞬きをする度、少しずつスグリが見えにくくなる。
スグリの紫と赤がとろけて混じり、白に近い部分が薄れ、不鮮明さが増し、静かにスグリが離れていくような──どこか親の姿を見失った子供のように目を動かす。
す…… すぐり…… みえない…… どこ……? どこ いった……? すぐり…… おいてかれた……?
スグリが声を殺して泣いていたため、認識出来る情報がゼロに近くなっていく。求める人は近くに居るのに、なぜか世界でひとりぼっちになってしまった。
──ひとよ
ふと頭に響いたそれはスグリではない、ということだけが理解出来た。思いがけない刺激にビクリと反応し、声の主が何者なのか不安になる。
──わたしは 激甘大明神 あなたたち ひとがそうよぶもの
唐突に素っ頓狂な単語が聞こえた気がしたが、相手が未知の存在であることに変わりはない。慎重に片方になった耳を澄ませる。
──あなたは われわれの どうほうを ぞんざいに あつかいました
いのちは めぐるもの…… あなたのなかの どうほうの おもいが かたちになったのです
肉食を忌避する人の理由に食べたものと同質化するという考えがある。材料か作り手か、どちらにせよ恨まれるだけの理由はあったということだ。
──しかし どうほうは あなたが いのちを おとすことを よしとしていない……
雪に埋もれては自らの命も無駄になりそうだから?食べられ、生殺しの状態で彷徨い続ける方が、何も感じなくなるより罰になるから?
目には目を歯には歯を。かつて自分が相手にした状態と同じになったことを思い知らされる。
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「あ……? すーぐぅ りぃ…… おうぃ…… ぁ……あつ……あー……」
まともに話せなくなったカキツバタが苦しげな声を出し悶える姿が恐ろしく、スグリは泣き崩れていた。
一方でカキツバタはどうやって意思疎通を図るか考えていたのだろう。次第に何も言わず、ただ黙ってこちらに微笑んでくるだけになり、もう後戻りができない、進めてくれと、無言で訴えているようで、不意に心のどこかで諦めてしまったのか、手が勝手にフォークを握っていた。
何か考えたところでどうにもならない。自分が自分でなくなりそうな恐怖は吹っ切れ、本能に身を任せてしまいたくなり、彼の顔へと手を伸ばす。
甘い。甘い。砂糖の中毒性に元々のめり込んでいた体だ。するすると手が進んでしまう。
カキツバタだったものを口に運びながらも、まだ話したい気持ちが残っていたのか、無意識に中央部は避けていた。
頭部の半分を腹に入れたあたりで、突然目線の上にフワッと現れた者に驚き、思わずフォークを落とす。
マホミルだ。ポーラエリアで彼女と遭遇したあたりの記憶からこの異様な空間に閉じ込められている。
通常の白目ではなく、生気がないようにも見える瞳が、スグリをじっと見つめ、くるくるとスグリの頭の周りを回ると、そっと頭頂部に触れた。
必死に記憶の断片をつなごうと頭の中を引っかき回していたのもあり、ドキッと目を瞑る。
灰色の瞳のマホミルはスグリの頭頂部を軽くぐにぐにと押し、何かを確認するようにひとしきり触ると、フワリと離れ、スグリの背後に回った。それを追うように振り返り、謎のマホミルを探すも、食器棚と空の暖炉のようなものがあるだけ。
何が起きたのか分からず、視線を机の方へ戻すと、そこにあったカキツバタは影も形もなくなっていた。
ほんの一瞬目を離しただけなのに、たった一人のよすがを失い、あっという間におどろおどろしい空間に飲み込まれそうになる。
「え"…… う わ"ぁぁぁぁ!! つ……つぎ おれが……っ ひっ…… や"ぁ"ぁっ……! たす、たすけ…… ゔ…… ううぅっ……」
さっきまでカキツバタを貪り、消えていくのを止めなかった口が何を言う?
自身の言葉を遮り、泣き出すことしか出来なくなる。
誰も居なくなった部屋で静寂に包まれ震えていると、ガタン!と出入り口のあった位置で音がし、顔を上げると、重さで扉が開いたのか、膝を曲げて丸まり眠っているカキツバタが冷蔵庫から飛び出していた。