「ギフト」
「どうでしょうか?」
「…ダメだけど、まあ今日はもう帰って良いよ。」
「あ、はい。じゃあ上がらせて頂きます…。」
「代わりに朝は早く来なよ?」
「…はい、分かっています。お疲れ様です。」
「ん。」
ぱたり、という音と共に暗いオフィスは静寂に包まれる。それを破ったのは、ぐしゃりと資料を握りしめた音だった。
「あいつ、なんでこんな事に何時間も掛けてるんだ?粗が多すぎる、こんなものを出先で見せて案件を取れるとでも本気で…」
ぐちぐち、ぶつぶつ。誰も聞いていない罵倒と愚痴と打鍵音が暗いオフィスに響く。時刻はとうに終業時間を回り、終電ギリギリの時間に差し掛かろうとしていた。
時計を確認し、それを認識した女──樋沼桐子は、舌打ちをして帰宅の準備を始めた。誰もが認めるワーカーホリックである彼女にとって、このような事は日常茶飯事である。その有様と言動に部下達は恐れ、上司からは有り難がられつつも、扱いに大いに困られている状態であるが、それはまた別の話。
「どいつもこいつも『役に立たない』。社会に貢献するという事を自覚したらどうなんだ。本当にあいつも、あの新入社員も…」
夜道を歩きながら恨み言を漏らす姿は、さながら幽鬼のよう。しかしその表情には、口に出す以外の「何か」への強い怒りや憎しみが窺えた。それが何かは分からないが……これはこれで、面白くなりそうだと思う。
そういうわけで、だ。
「そこのご婦人、少々お時間よろしいでしょうか?」
「…あ?」
〜
社会の役に立たない奴は、ゴミだ。
人間は社会の為に生きている。社会を維持し、他人のために働き、他人を助けて生きる。それが正しい在り方だ。
その自覚が無い人間はカスだと、アイツらは何度も何度も何度も何度も何度も私に怒鳴り散らした。
そして、あいつらはゴミでカスだ。
『社会の役に立て。人類のために立て。その為にお前は我らの家に生まれたのだ。もう一度殴るぞ、受け止めろ。』
『なんでそんな顔をするの?桐ちゃんは他人を守るのが嫌なの?この恥知らず。』
『我らは人を、社会を守る役目を担うのだ。貴様には自覚が足らん。』
何が自覚だ。何が恥知らずだ。
人外や人の理から外れた者を殺す、その役目を代々担ってきたという私の家。だが、家族がその務めとやらを果たしている所など、一度も見た事が無かった。
過去に、確かに人外は居たと聞く。だが、今はもはや居なくなって久しいとも聞いた。奴らは実際に人外を殺した事など無かった。だと言うのにちっぽけな誇りを、ゴミのような自尊心を奴らは持ち続け、自分達が社会に貢献出来ているなどと思い上がり、私や兄弟をモノのように扱った。
私は怒った。何が社会に、人類に貢献だ、お前達は実際には何もしていないじゃないか。過去の栄光だか技術だかに縋って、貢献しているフリをしているだけの、ゴミ以下のカスが。
17の時、私は死に物狂いで覚えた人外殺しの技術を使って、どうにか家族を退けて家から逃げた。あんな奴らと同じような人間になるなど、まっぴらごめんだと思ったからだ。
紆余曲折あって、私は普通の人間として会社で働き始めた。奴らとは違うと、私は実際に社会の為に生きて貢献しているのだと示したかった。だから全てを投げ出して働いた。全ては、あいつらを否定してやる為に。
「…ああ。でも、否定するならもっと良い方法があったんだな。」
「……ッ!……ッッ!!」
「なあ?」
「貴様ッ、それ…ゴァ、その力はァッ!!」
「喚くなカスが。さっさと死ねよ。」
久しぶりに差し向けられてきた、実家からの追手と思しき男。そいつは今、腹に風穴を開けられて地べたを這いずっている。
私が消し飛ばしたからだ。奴の腹ワタは面白いように四散し、そして何も出来ずに死のうとしている。
「なあ、どんな気持ちだ?小さい頃から身につけてきた技術だとか、そういうの全く役に立たずにさ。社会になんの価値も残せず死ぬのって、どんな気持ちだ?なあ、お前の人生って何だったんだろうな?」
「一族の、恥、め、が……!!」
「黙れよ。」
ぱちん
ビーズが弾ける。
キラリとした小さな光と可愛らしい音とともに、男の頭部は爆発した。
「…はは、はははははははは!!!」
そうだ、奴らに取って最も屈辱的なのは、私が社会に貢献する事なんかじゃない。奴らにとっては、人外と戦って負ける事が最も忌避すべき事なのだ。
負けてしまったら、本当に奴らには価値がなくなる。人類のためにと嘯いてきたやつらの自尊心は粉々になり、自他共に認める「無価値なゴミ」として死ぬ。ああ、なんて素晴らしいんだろう。
「…その為には、力が必要よね。」
追手の男は、素の私にすら劣る程度には弱かった。だが、本家の連中──私の父は、こんなものではない。力だ、もっと力が必要だ。
「滅ぼしてやる樋沼。この、人外の力で…!」
〜
夜の町の一角、まさしく幽鬼の如き化け物となった女を、影にて見つめる男が一人。
「いい憎しみと歪みですね。年齢的にどうかとも思いましたが、アレはアレで良い。」
「さて、次は誰に渡したものか…悩みどころですねぇ。」
『抗争』の始まりは、近い。