キリノスペシャル
マヨネーズが足りない。
アビドスに来てからというもの、日々の食事とは常に砂漠の『砂糖』や『塩』が使われた料理ばかりであり、キリノはそれに不満などは抱いていなかった。
だが毎日毎日美味しい料理が続くとそれだけで食傷気味になる、ということも起こりうる。
そういったことが起きた時には、やはり昔ながらの食事をしたいと思うことは決しておかしいことではないだろう。
彩や栄養など無視したカロリー重視の、所謂貧乏飯と言われる類の料理。
キリノにとってはマヨネーズがそれであった。
ホカホカのご飯の上にドンとマヨネーズを載せて、掻き込むように食べるのだ。
行儀が悪いと言われようと、これが美味い。
フブキには二度見されて距離を置かれたり、カンナには『まあ、なんだ……食堂のメニューの料金設定を見直した方がいいか?』とか聞かれたりもしたことがあるが、キリノは好きで食べているので問題はなかった。
そう、問題はなかったのだ。
今までは。
「マヨネーズが足りない」
つまりアビドスに来てから問題が起こったという訳である。
アビドスに蔓延している砂糖と塩は奇跡の調味料である。
それ故にどんな料理も美味しく食べられ満足してしまうことから、調理技術が拙いものが混ざっていることが多いにも関わらず、現状問題なく回ってしまっている。
マヨネーズ自体が無いわけではないのだ。
アビドスに運ばれる食品の中には当然調味料も含まれており、マヨネーズだけが無いことはあり得ない。
「でも、美味しくないんですよね」
キリノとて試したのだ。
だが納品されたマヨネーズは当然外で生産されたものであり、『砂糖』『塩』が使用されていない既製品では、キリノの満足できる味とは言えなかった。
「……ですから、いっそ自分で作ってみようかと」
「なるほどそうでしたか。それで私に声を掛けられたのですね」
「はい。アビドスに来てからも精力的に美食を追及している、美食研究会として一家言あるハルナさんならいいアドバイスを頂けると思いまして」
「食事とは幸福を得るもの。美味しくない料理では例え満腹になったとしても満足は得られないものです」
「では?」
「ええ、是非とも協力させていただきますわ」
キリノの頼みにハルナは快諾した。
アビドスで料理部門を一身に背負う身であれば、空腹や不満を抱えるなど許しがたいのだろう。
「マヨネーズならば手作りのレシピもありますし、料理初心者でも大丈夫でしょう」
「本当ですか?」
「ええ。材料は卵黄・酢・植物油・『塩』の4種類……お好みで『砂糖』を入れることもありますがそれだけです」
「それだけでできるんですか!?」
そんな身近なものでできるとは思っておらず、キリノとしてはびっくりである。
企業が作ったものは成分表示がたくさん書かれているので難しい工程があるのだと思っていたが、簡略化してしまえばそんなものである。
「大事なのは分量をきっちり量ること、油を少しずつ入れながら攪拌することでしっかりと乳化させることです」
ハルナの言う通りの分量を量り、電動泡だて器でキュルキュルと攪拌する。
油と酢で二層に分かれていた液体が卵黄と混ざり、段々と乳化が始まってもったりとしたクリーム状に変化していく。
「お、おお~! マヨネーズです。マヨネーズが出来ています!」
「どうです? お料理は楽しいでしょう?」
「はい!」
目の前でマヨネーズが出来上がっていくのに目を輝かせるキリノ。
ハルナはそれを見て満足げに頷いた。
「ん~~~~っ!! これ! これです!」
一掬いしたマヨネーズを口に入れると、キリノが待望の味に歓喜の声を上げる。
まったりとした触感と共に仄かな塩味が美味しさを際立たせているのだ。
既製品では味気が無くべたついた触感だけが不快感を齎していたのだが、これにはそれが全くない。
飽きることなく食べられるマヨネーズの完成である。
「では、私も一口」
「どうぞどうぞ! ハルナさんのおかげですからね」
キリノの差し出したスプーンを受け取り口に運ぶハルナ。
舌の上で転がすように味わいその美味を堪能していたが、眉尻が下がり困惑したような声を漏らす。
「これは……」
「美味しいですよね」
「……いいえ、私の想定とは少し異なります」
分量も正確であるし、キリノの調理工程に間違いはなかった。
何が原因か、と周囲を見渡して、次の瞬間カッと目を見開いてハルナは原材料を見下ろした。
「卵」
「卵がどうかしましたか?」
「マヨネーズには卵の旨味が必要なのです。この卵はアビドスの外で産み落とされたものですから、『塩』に力負けしてしまっている」
「そうですか? ほんか……私は美味しいと思いましたけど」
「いいえ! 確かに美味しいですが、それはまだまだ改良の余地があるということです」
もっと上を目指せるのだとハルナは断言する。
「卵は鶏の餌によって色、艶、栄養価がガラリと変わります。ここにもしアビドスの砂糖や塩を餌に混ぜ込んで食べさせたら、最高級のブランド卵が生まれるでしょう」
それはアビドスでの新たな名産であり、美食の可能性を広げるものだ。
「こうしてはいられません。ホシノ様にアビドスでの養鶏の許可をもらいに行かなくては……ではキリノさん、お先に失礼します。ああ、手作りのマヨネーズは日持ちしないので早めに食べてくださいね」
そう言い残して、ハルナはそそくさとその場を後にした。
「う~ん……十分美味しいと思うんですけどね」
初めて作ったキリノからしたら、これでも上出来だった。
キリノにとって隅々まで妥協しないハルナは舌が優れていてやっぱりすごいな、という感想だった。
「ただいまー」
「あ、お帰りなさい。ご飯できてますよ」
「本当? 嬉しいわ。もうお腹がペコペコで」
帰って来たアルの言葉に待たせてはいけないな、と判断したキリノはすぐさま準備を終えた。
「どうぞ、召し上がれ」
ドン、と食卓に置かれたそれを見て、アルの口元が引き攣る。
「……気のせいかしら? 私の目の前にはどんぶりの上で蜷局を巻いてるマヨネーズの山しか見えないのだけれど」
「ご飯の上にマヨネーズを掛けたキリノスペシャルです! 美味しいですよ」
「……な」
「な?」
「なんですってぇぇぇーーっ!!」
「あ、意外といけるわね、これ」
「そうでしょうそうでしょう!」