キスで締め括れ!

キスで締め括れ!


彼女に似合うものを考えるのが最近のおれの楽しみだった。

 例えば真っ直ぐ凛と咲いた花とか、瑞々しくて形のいい果物とか、彼女の傍に置きたい物を見つける度に手に取って懐のベリーと交換してしまう。

 そしていそいそと持ち帰って彼女に捧げるのだ。「お前にあげたくなって」と素直な言葉を添えながら。



 我ながらクサいアプローチだと分かっていながらも、惚れた女に物を捧げるというのはなんて満たされる行為なのかと世の男共に深く共感してしまう。自分が選んだ物を「ありがとう」と嬉しそうに受け取ってもらえたときの喜びは麻薬のような中毒性を持っているのだと最近知った。知ってしまえば、ついつい良さそうな物を見つけてしまったときに勝手に手が動いてしまう。

 惚れた女の喜ぶ顔を思い浮かべながら軽やかな足取り――驚いたことにこういうときはまだ一度も転んだことがない――で帰路に着き、なんでもないような顔を取り繕いながら渡すのだ。

 花を渡せばいつも自室に生けてくれる。花瓶などないと言いながら、惚れた女はガラス瓶の注ぎ口を斜めに切り落として即席で小洒落た花瓶を作り出すのだから惚れ直してしまう。

 果物を渡せば、一緒に食べようと切り分けて半分をこちらに寄越す。

「コラさんは口が大きいからなんでも一口ね」と差し出された果肉に食らいつくと、それがとんでもなく幸せなことのように笑い声を上げる。

 ああ、好きだと己の恋心を確信するたびに鼓動が跳ねる。回数は増える一方だ。惚れた女の笑った顔が見たい。叶うものならおれにまつわることで笑って欲しい。

 そんな欲を抱えながらおれは今日も彼女に似合う物を探してしまうのだ。


 やっと年齢が二桁になったばかりの子供に劣情を抱いてしまった日のことを、おれは生涯忘れられない。

 斑模様の肌に、涙が尽きたような干上がった瞳、そのくせ眼光は暗い望みでギラギラしている。何もかもを破壊したがる性質は兄を思わせるのに、おれはこの子供が欲しくて欲しくて堪らなかった。

 服の間に手を差し込んでしまいたい、唇を吸ってしまいたい、かき抱いて首筋にむしゃぶりつきたい。どんな悩ましい体つきをした異性を見ても湧かなかった欲望が、この子供の前では際限なく溢れそうになる。

 同時におぞましさに胃液がこみ上げる。

 たとえ身寄りがなくとも、救いようのない性格を宿していようと、子供は子供だ。安全な環境で庇護されるべきである。職場で叩き込まれてきた倫理観が心の中で罵ってきても、生理的な欲求は抑えられなかった。

 心が引き裂かれそうなほど良識と劣情がせめぎ合い、どこかに欲だけ置いてくることは出来ないかと一時は欲を司る臓器を切り落とすことも考えた。

 転機はたまたま聞いてしまった子供のフルネームだ。ここにいてはいけないと己の役目も劣情も全て吹っ飛んで衝動的に連れ去ってしまった。

 後になって何故自ら子供と二人きりになる道を選んだのかと悩んだことはあっても、悔やんだことはない。

 何度同じことがあってもおれは同じ行動を取っただろう。隠し名とか自分の欲とか、この子供を選んだきっかけはいくつもあったけれど、一緒に過ごすにつれておれはもうただただ死なせたくなくて全てを賭けた。おぞましい劣情が霞むほど、この子供が愛おしくて仕方がなくなった。

 そして今は成長して女へと変貌した子供に笑って欲しくて夢中になっている。

 肌から白い斑が消え、発育の遅れていた小さな体が艶めかしい曲線を描いても、おれの欲は変わらず同じ人間に向き続けている。

 子供の未成熟な体に発情する最低野郎ではないと判明したことが、いくらかおれの罪悪感を和らげた。同時に律し続けていた部分をひとつ緩めようと思った。

 それが惚れた女への贈り物だった。



「お手をどうぞ」

「あら、ありがとう」

 船から降りる際におどけた調子で手を差し出した。久しぶりの地上に浮かれてしまっていたのもあった。いらぬ世話だと振り払われてもおかしくない手を、素直に握ってくれただけで舞い上がるような心地だった。ほっそりとした指先が委ねられ、出来るだけ優しく腕を引く。

 転んでしまわぬように慎重に階段を降りれば、華奢な手は解かれずにまだ自分の掌に収まっていた。

「どこへ行くの?」

 きょとんとした眼差しがこちらを向く。

「エスコートしてくれるから、てっきりどこかに連れて行きたいんだと思った」

 手を取ることが目的だったので目を瞬かせると、さも当然のようにローは自分と行動を共にする気でいるらしかった。一人で行動するものだと思っていたので嬉しい誤算である。

「じゃあコラさんとデートしてくれるか?」

「もちろん!」

 花が綻ぶようなとはこのことだろう。喜びで彩られた笑顔にこちらも自然と笑みが出た。


 秋島の夏を言い表そうとするなら、爽快の一言に尽きる。上着は必要ないが、立ち止まれば涼しい風が吹き抜ける。湿度も高くなく、日差しも強過ぎない。おれの好きな季節の一つだった。加えて秋島は年中果物が豊富に採れるのもいいところだった。

 書店を探したいというローの希望に付き合って、骨董品を並べてある市場を冷やかして、季節の果物が摘まめる場所へ向かう。海上生活において果物は貴重品だ。折角美味しいものがあるのだから堪能してもらいたくて、市場で教えてもらった店へローを連れて行く。

 果肉を贅沢に盛り付けると噂の屋台で、大粒のマスカットが散りばめられたかき氷と果汁の滴る梨の盛り合わせを買って、城があった名残だという古い石垣のある丘へと向かった。

「ほら、ここ座れ」

「ありがとう、コラさん」

 脱いだ上着を石垣に引いて促すと、細い体がすとんと腰を下ろす。多少暑くとも着ておいてよかったと、かき氷を食べ始めたローを見て思った。

 デートと銘打っただけにもう少し男女が連れだって行きそうなところへ向かうべきかと考えていたが、おれは一緒にいられるだけで嬉しくて、ローの散策に付き合うように足を進めていた。

 さくさくと削った氷をスプーンで掬って口に運び、足を投げ出してリラックスした様子のローを特等席で見られる幸せを噛みしめる。おれの分の梨を顔の前に持っていけば頬張ってくれる。お返しにとかき氷の乗ったスプーンを差し出される。

 さっき見かけた記念コインはどこのものか、夕飯はどんな店がいいか、今いる城跡はいつ頃の年代のものか、他愛のない話が進んだときふとローが目を逸らして話題を変えた。

「あのね、気を悪くしたら謝るんだけど……」

「どうした?」

 言葉を濁す様子が珍しくて首を傾げる。 

「コラさんは私のことが好きなの?その……、恋愛的な意味で……」

「うん?」 

 今更な部分を確認されて真意を計りかねていれば、もじもじとローが言葉を付け足した。

「勘違いしちゃいそうになるから、今日見たいなこと、私はいいけど他の子にやっちゃダメよ……」

 ローがぎゅっと心細そうに愛刀を握りしめる。いつだって首が痛くなりはしないか心配になるほどこちらを向いて視線を寄越してくれるのに、俯いてしまって表情も伺えない。

「なァ、なんでそう思っちまったのか教えて?」

 質問を質問で返したのは混乱していたからだった。どうやらおれはこの子に気の多い色ボケクソ野郎だと思われているのがショックだった。色ボケクソ野郎は事実でも、気が多いと思われるのだけはいただけない。

 ローは賢い子だ。直感より理屈を信じていて、どんな考えにも根拠がある。本人なりに筋道立てて結論に至っているので、頭ごなしに否定するより過程を聞いて勘違いを紐解いた方がいい。

「す……」

 震える唇がなんとか言葉を紡ごうとする。少しでも落ち着かせたくておれの膝を叩いた。嫌がる素振りもなく腿の上にちょこんと座ったローに続きを促す。

「好きって言われてない……」

「へっ?」

 自分の間の抜けた声と同時に金色の瞳に涙がみるみる溜まっていった。

「やっぱりそのつもりないんだ!愛してるとは言われてたけどいつも家族愛だと思ってた!なのに急に恋人にでもするみたいに触ってくるの、なんで?コラさん、私に罪悪感持ってたから違うのかなって思ってたのに!もしかして他の人にも同じことしてるの?誰でも花あげて、果物あげて、手を繋いで、上着貸して、間接キスするの?コラさんにはそれが当たり前の仕草なの?耐えられない!なんでコラさん、今日デートしようなんて言ったの!?」

 すごい勢いで捲し立てたと思えば、涙が決壊したようにボロボロと溢れ出た。興奮して赤くなっていた顔は、泣き始めると血の気が失せて青くなった。

「待った」

 おもむろにかざした手を握って止める。能力を使って逃げるつもりだったのかもしれないが、ここで逃してもローが本当の意味で泣き止むことはないだろう。

「ごめん、一個一個な」

 背を抱いて額をくっつけ合わせる。子供にするようなスキンシップだったが、ローの行動でおれが気分を害していないと伝えるには、これくらいで丁度いい。久しぶりに盛大に泣いたせいか、止め方が分からなくなったらしく、ひっくひっくとしゃくり上げる様子が気の毒になって背を撫でた。

「まず一番大事なことな?好きだよ、ロー。好きなのはずっと昔からだけど、今は恋愛感情の意味でお前を愛おしく思ってる」

 伝わりますようにと念じながら額を擦り合わせた。おれがこんなこと言える資格ほんとはないと分かっていても、ローが泣き止むためならなんだってしてやりたい。すんと鼻を鳴らす音がして、ローは少し落ち着きを取り戻したようだった。

「コラさん私が好きなの?」

「好き。お前に惚れてる。あんなこと誰彼構わずしねェよ。ローにだけ」

「わかった」

 ぎゅっと体が密着する。おれの胴体をローが抱きしめていた。好きな女からの抱擁に心臓がドンドンと重く速い音を立てる。

「あ、心拍上がってる」

 ちょうど頬を左胸に押し当てていたローがぽつりとこぼした。どうやら論より証拠を

求めているらしかった。

「知ってるのよ。コラさんがどういう目で私のこと見てるのかは」

 己の劣情をその対象に知られたのは十数年前だった。大人の意地で隠し通そうとおれがそれなりに画策したはずのことを、まだ少女だったローはその聡明さであっさり看破したのだ。

「コラさんの欲はその……、生理的なものだし、私のことそういう目で見るのを、ずっと気に病んでるようだったから……。恋じゃないって思ってた」

 言葉を選び選び、ローが考えを話してくれる。おれが自己満足でやっていたことは、相当ローを悩ませてしまったようだった。そしておれはおれのことばかり考えていたのに、ローはずっとおれのこと考えていたのだと今更ながら気が付いた。

「コラさんは自分の性的指向に随分悩んでたみたいだから、触れるのはタブーだと思ってたの」

 ぐりぐりと心臓の位置にあるローの頭が動いた。トレードマークの白い帽子が揺れる。

「それで一回いなくなっちゃったし……」

 旅路の末に兄の手から二人で逃れて、オペオペの実によってローは病を克服した。逃れた先で海賊からも海軍からも隠れて安全に暮らせる環境を見つけて、もし追っ手が来ても逃げられるくらいにローが力をつけたと思ったタイミングでおれはローの傍を離れた。

 おれが情欲を持っていると知った上で懐いてくれたローといつまでも一緒にいれば「欲を受け入れてくれた」と勘違いしそうな気がして、もうおれの庇護を必要としなくなったタイミングで置いていったのだった。

 おれはおれが何をしでかすか怖くなって、ローから逃げたのだ。

「コラさん、私は貴方とこうしてまた一緒に旅ができるだけで幸せなの。だからこれ以上を望んで追い詰めたら悪いと思ってた」

 ローを害したくないだなんて本当は言い訳だ。おれはおれが化け物にならないように自分の身を守っただけなのに、ローは健気な愛をこちらに向ける。

 ずっとそうだった。会うつもりはなかったのにドレスローザでおれを見つけて、ボロボロの状態で駆け寄ってきたときから分かっていた。おれの罪悪感を軽くしてくれたのは年月じゃない。ローがひたむきにおれを愛してくれたおかげだった。

「でもそういうつもりなら私ももう我慢なんてしてやらない」

 顔を上げたローがまっすぐこちらを向いた。さっきまで泣いて弱り切った姿を見せていたとは思えないほど、強い視線に射貫かれる。

「好きよ、コラさん。私を恋人にして」

 端的に、だが疑いようのない好意を告げられて体温が上がる。

「大事にする」

 肩を抱いて、背を曲げる。唇の柔らかさを知っても、今度は逃げないと目の前の女に誓った。


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