カミキヒカルは2児のパパ (『愛してる』)

カミキヒカルは2児のパパ (『愛してる』)




───AM 05:45


いつもより早い時間にアラームが鳴り、僕は目を覚ました。


今日はとうとうアイのドーム公演当日。まだ夢の中にいるアイの頭を軽く撫でてからベッドから起き上がり、キッチンへ向かう。少しでもアイの負担を減らすため、内緒で朝食を用意しようという小さなサプライズだ。


料理に関してはミヤコさんにお願いして少しずつ習っていたから、今はかなり上達したので自信がある。

今朝の献立はトーストとベーコンエッグ、サラダ、バナナとオレンジジュースだ。アイは未だに白米に対し苦手意識があるので、我が家ではパンや麺類が主食になることが多い。『未だに』というのは、アイ自身が食べられるように少しずつ努力をしているからだ。


「ヒカルが用意してくれるんだから、食べれるようになりたい」


とのこと。それを聞いた時には涙が出そうになった。いつか美味しいご飯を食べさせてあげるからね……。


そんなことを考えながら食材を用意し、調理を開始する。


「さて、早速取り掛かろうか」


───AM 06:10


人数分の朝食が出来上がり、テーブルに配膳する。そのタイミングでアイが眠そうに目を擦りながらリビングまで来た。


「ふぁ…ヒカルおはよ……あれ?なんか良い匂いがする……」


「おはよう、アイ。ちょうど朝ごはんが出来てるから、アクアとルビーを起こしてきてくれるかな?」


「え!ヒカルが朝ごはん作ってくれたの!?やったー美味しそう!」


アイは一気に目が覚めたようだ。ここまで喜んでくれるとはね、調理者冥利に尽きるよ。

ウキウキしながら向かった寝室からアイの大きな声が聞こえる。それから少し後に子供達を連れたアイが戻って来た。


「おはよう」


「おはよう、アクア。おや、ルビーはまだおねむかな?」


「ルビーはあんまり朝強くないからな。何回幼稚園に遅刻しかけたか…」


「あはは、でもアクアは毎回待ってあげてるんだよね?優しいお兄ちゃんだねー」


アクアがぷいっとそっぽを向く。アイが頭を撫でながらそう言うものだから照れたんだろう。

ルビーに起きてもらって全員が食卓に着く。


「「「「いただきまーす」」」」


うん、美味しく出来てる。


───AM 06:45


朝食を済ませて食器を片付けた後、アイに今日の予定を確認する。


「今日はどういうスケジュールだっけ?」


「えーっとね、私達の出番は午後からだから午前中はみんなで最後の調整。この後ミヤコさんが迎えに来てくれるって」


ということはアイが家を出るのは7時辺りになるかな、と目星を付ける。さて、となると本番まではどうやって過ごそうか。出掛けるには余り時間の余裕が無いし、かといって午後まで家に居ても2人が退屈だろう。

午前中の過ごし方について悩んでいると、ルビーがある提案をする。


「ママ、その最後の調整って見に行ってもいい?」


「ん?多分大丈夫だよ。それにルビーとアクアが来てくれたらみんなも喜ぶと思う!」


「やった!パパ、いいでしょ?」


「よし、じゃあ後でミヤコさんに聞いて確認してみようか」


「また俺達もみくちゃにされるのか」


「お兄ちゃん、そんな事言ってホントは嬉しいんでしょ~?」


「いや疲れるんだよ…」


以前にB小町のライブを3人で観に行った時、ライブ後の楽屋に関係者として差し入れを持って行ったのだが、その時はもう大変だった。アクアとルビーが入った途端、アイ以外のB小町メンバーから抱っこされ頭を撫でられ抱きしめられと、それはもう大変な目に遭っていた。

楽屋から出る頃には2人とも髪はぐしゃぐしゃ、アクアに至っては疲労で真っ白に燃え尽きていた。


「特に芽依さんのスキンシップが激しかった。どんだけ撫でられたことか…」


「あの時のお兄ちゃん顔死んでたもんね」


「僕は2人がみんなに人気で誇らしかったよ。アクアには悪いけどね」


「みんな凄い可愛がりっぷりだったよねー」ケラケラ


また楽屋に遊びに行こうかと言うと、アクアの体がビクッと震えてた。B小町が大好きなはずのアクアがここまでなるとは、そんなに大変だったんだね…。


アクアの着替えを済ませ、アイがルビーを着替えさせている時、玄関のチャイム音が鳴った。


ピンポーン


「あれ、ミヤコさん来たのかな。もうそんな時間だっけ」


「予定よりちょっと早く着いたのかもね。僕が出るよ」


足早に玄関の方へと向かい、ドアのロックを解除する。


(そうだ、ちょうど良いからさっきの話をミヤコさんに相談しよう。ふふ、ルビー喜ぶだろうなぁ)


ガチャ、とドアが開き、チャイムを鳴らした人物と対面する。



そこに立っていたのはミヤコさんではなく、初老程度の見知らぬ女性だった。


「え、あの…すみません。どちら様でしょうか」


「……」


「どうかされましたか……?」


「お前ね……。お前があの子を誑かしたのね……!」


想像していた人物ではない女性の訪問に意識が散漫になっていると、いきなり女性が手に持った鉄パイプを振りかぶる。完全に反応が遅れた僕の頭に、ガツンッ!という鈍い音と激痛が響く。その瞬間、目の前が暗転した。



──────。


「はーいルビー、お着替えしようねー」


朝ごはんを食べて少し満腹になり、軽い眠気に襲われてるルビーの着替えをさせていると、ヒカルが向かったはずの玄関から変な音が響いた。


「え、今の音何!?」


パッとルビーが目を開け、驚いた声をあげた。何だろう、胸の辺りがザワザワして嫌な予感がする。


「2人はここで待ってて!…ヒカル!」


だんだんと大きくなる胸騒ぎを抑えながら玄関へと走る。


「ヒカル!?今の何の音……」


そこで私の目に飛び込んできたのは……



頭からドクドクと血を流しながら倒れて動かないヒカルと、2度と会うことは無いと思っていた女性。


「お、お母……さん……?」


思考が追い付かない。何でヒカルは倒れてるの?何でヒカルの頭から血が流れてるの?


何で、お母さんが目の前に居るの?


「アイ!ヒカル!」


「ママ!パパ!何があったの!?」


「来ちゃだめ!!」


瞬時に2人を制止する。この子達だけは何があっても守らなきゃいけない。

状況を見るに、この人がその手に持つ鉄パイプでヒカルを殴ったんだ。


私が混乱する頭で必死に状況整理を終えるのと同時に、あの人が口を開く。


「あぁ……久しぶりね、アイ。お母さんが迎えに来てあげたわ。さぁ、こんな男は捨ててはやくこっちにいらっしゃい……?」


何を言ってるのか理解出来ない。今さら私に何の用があるのか。小さい頃あれだけ私を虐待しておいて、施設に入れられて、迎えにも来なくて。


怒りは込み上げて来るのだが、それ以上に困惑と恐怖が心を支配する。心の奥底に押し込めたはずのトラウマが、蛇口を開けたように噴き出す。思い出した恐怖に体が震える。


それでも自分を奮い立たせて母を睨み、口を開く。


「今頃会いに来て何の用なの…?何年も連絡すらしてこなかったくせに」


「言ったでしょ?迎えに来たの、私はあなたの母親なのよ?」


「私はそんなこと望んでない!母親としてって言うけど、1度でも母親らしいことしてくれたことある!?怖い思いと痛い思いをした記憶しか私にはない!」


今までこの人の下で育ってきた人生の不満が爆発する。


「私はあの日、あなたが迎えに来てくれるのを信じて待ってた。なのにあなたは迎えに来るどころか連絡の1つもしなかった。あの時から、私の中で母親は死んだの。

これからの私の幸せに、あなたは必要ない……!」


思いの丈を全て吐き出す。私は今とても幸せなのに、今度はそれを自分の都合で奪おうとしている。そんなこと許せるわけがない。

震える声で精一杯の反抗心を込めた本音をぶつけ、母はそれを氷のような冷たい表情で聞いていた。

するといきなり目を見開き、怒りの表情へと豹変する。


「さっきから黙って聞いてれば!母親である私に口答えする気!?いいからこっちに来いっつってんのよ!!」


小さい頃に何度も耳にした怒声。ビクッと体が強張り、まともに立っていられない程に震えが大きくなる。呼吸が乱れ、涙が溢れてくる。


もう嫌だ。どうして私の人生はいつもこうなの。


誰か、助けて……。



──────。


……頭が痛い。


吐き気もする。


視界は暗く、意識が混濁する。


一体何が起きたのか。そうか、僕は頭を殴られたのか。相当血が流れているのだろう、血溜まりの中に倒れ込んでいる感触がする。


少しずつ意識が薄くなっていく。このまま目を閉じてしまえば、自分の命の灯火が消えてしまうのではないかという程に。


僕の人生はお世辞にも良い人生とは言えなかっただろう。それでもアイと出会って、アクアとルビーをこの両手に抱いて、3人と一緒に過ごした日々は嘘偽りなく幸せだった。


ただ、心残りはある。ルビーには伝えることが出来たが、もう1人の可愛い我が子アクアと、何よりアイに『愛してる』と伝えられていない。


そんなことを微かな意識の中で思っていると、言い合いが聞こえる。

一際大きな声が頭に響いた後、誰かが泣く声が聞こえる。閉じそうな目を開けて見ると、アイが泣いている。崩れ落ちたアイが何かを呟く。


誰か、助けて───



その瞬間、僕の中で何かが切れた。同時に僕の心の中に、今まで感じた事がない程の怒りが満ちる。



動かない体に鞭を打って立ち上がり、アイを守るように立ち塞がる。どれだけ体が悲鳴を上げようと、出血が激しくなろうとどうでもいい。


こいつは、アイを泣かせた。


「ヒカル……?」


「……アイの母親として迎えに来た、と言いましたね?だったら何故アイはこんなに怯えてるんですか。……僕は親子の絆がどうだとか、講釈を並べられるような人間じゃありません。でも、これだけは断言出来る。


貴女には、親を名乗る資格は無い」


普段の僕からは考えられない怒気と気迫が溢れ出ているのが分かる。それに圧されたアイの母が少し後退り、しかし退くわけにはいかないとばかりに口を開く。


「な、何よ……。お前はアイを傷物にしたケダモノでしょ!?おまけにガキまで作って!お前に私達の何が分かるのよ!」


「確かに僕はアイと一線を越えた。でも結果としてアクアとルビーが生まれ、命の重みと暖かさを知った。この子達とアイのためなら、僕は僕の全てを捧げても良い……

それが僕の覚悟だ。親としての誓いだ!」


今まで閉じそうだった目を見開き、アイを泣かせた張本人を真っ直ぐに見据える。


「僕の愛する家族を傷つけることは、絶対に許さない……!!」


完全に気圧されたアイの母の顔が恐怖に歪み、得体の知れないものを見るような目で僕を見た後一目散に逃げ出す。


それを見た後、僕は緊張の糸が一気に切れ、再び倒れる。


「ヒカル !!」


「パパ!!」


目に涙を溜めたアイとルビーが僕に駆け寄る。良かった、みんな怪我はしてないね。


「もしもし!大至急救急車を1台寄越してくれ!場所は…」


アクアがスマホで救急車を呼んでいる。流石、アクアはいつでも冷静だね。


血を流しすぎた為か、先ほどまでハッキリしていた意識が一気に朦朧としてくる。


「あはは……柄にもなく熱くなっちゃったかな……」


これはちょっと危ないかもねと息絶え絶えに言うと、アクアも駆け寄ってきた。


「ヒカル、救急車を呼んだ!今はもう喋るな!」


アクアは手にしていたタオルで僕の傷口を押さえる。随分と手慣れているね、将来はお医者さんかな……。


(クソッ…!傷口が思ったより大きい、何より出血が多すぎる!)


アクアの表情が焦りに歪んでいく。それでも僕を死なせまいと、今出来る努力を重ねてくれている。


今にも閉じてしまいそうな目をなんとか開け、僕は3人に話しかける。


「…3人共、怪我はしてないね…?ふふ、ようやく父親らしいことが出来たかな……」


「ヒカル!死んじゃやだよぉ…!」


「パパしっかりしてぇ!」


アイ…アイドルがそんなに泣いてちゃ、ステージに立てないよ…?僕、アイのドーム公演、楽しみなんだ…


「ヒカルの方が大事だよ!お願いだから……逝かないで……」


「ヒカル!」


「パパぁ……!」


ああ、僕はこんなにも大事にされてたんだ…。大好きな3人が、僕のために泣いてくれている、僕のために悲しんでくれている。


僕は幸せ者だ。今までろくでもない人生だと思っていたけど、今この瞬間だけでも生きてきた価値があった。

僕の命にも重みがあった。価値があった。


けど、心残りだけは無くしたい。最後の力を振り絞って笑顔を作り、この世で一番大切な3人に、伝えなきゃいけないことを伝える。


「アクア……。ルビー……。アイ…………」



──────愛してるよ。



遠くから救急車のサイレンが聞こえる中、僕の意識は深い闇の中へと溶けていった。

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