カミキヒカルは2児のパパ (師匠と弟子と、時々修羅場)

カミキヒカルは2児のパパ (師匠と弟子と、時々修羅場)




「おじゃましまーす!」


「わー!皆いらっしゃーい!」


先週あかねにステージアラウンドでの舞台を見せて貰った帰り道、俺は吉祥寺先生に連絡を入れて先生のお宅を訪問させてもらえないかとアポを取った。メンバーは俺、有馬、メルトの『今日あま』組に、あかねを加えた4人だ。


「すみません、私『今日あま』とは関係ないのに…」


「全然良いわよ!来てくれて嬉しいわ」


「私、漫画家さんのお家って初めてです!」


「俺も」


「私は映画の時何度か遊びに行った事ある」フフン


「ヘースゴーイネー」


あかねとメルトがキョロキョロと部屋の中を見回し、有馬がマウントを取っている。俺も漫画家先生のお宅を訪れるのは初めてだが、やはりと言うべきか仕事場を兼ねているようで、大きめの作業台がある。


「どうやって描くんですか?」


「これ液タブって言うんだけど、モニターに直接描けるのよ?最近の主流はこれね」


「全部デジタルなんですね!」


へえ、最近はペンとインクで描くことは少ないのか。手塚治虫とかのイメージが強い俺としては、あれはあれで味がある手法だと思うんだが……時代か。


「ま、漫画家って凄いっすよね!絵も脚本も全部自分でやるんですから」


メルトが若干ギクシャクした感じになりながらも、吉祥寺先生との会話を試みる。が…


「ん……まぁそうね」


「やっぱ先生俺に塩対応じゃね!?」


そんな泣きながら俺に訴えられてもな、吉祥寺先生からしたらどのツラ下げて来たって感じだろうし。


あかねや有馬と仲良さそうに話して気分が良くなった先生は、冷蔵庫を開けて缶ビールを取り出した。まだ昼だぞ。


「さっそく乾杯……って思ったけど、皆いくつだっけ!」


「16です」「17」「17」「16」


「わっか……死にたくなってきた……」


先生の目と顔が死んだ、さっきメルトへ対応した時以上に。


「ごめん、じゃあ私だけイかせてもらうわ」プシュッ


構わず開けやがった、さては飲兵衛だなこの人。


─────────。


先生がビールを開けたのを皮切りに、俺達も軽く飲み食いを始めた。冷蔵庫から缶ジュースを取り出してくれて、それぞれが飲みたいものを手に取る。つまみ代わりにと開けたポテチを摘まみながら、しばらくの間談笑をした。

少し時間が経った辺りで、あかねが俺に小声で耳打ちをしてきた。


「ねえ……GOAさんに助け船を出すって話だったと思うけど、それがどうして吉祥寺先生の所に遊びに来る事に繋がるの?」ヒソヒソ


「漫画家に限らず1度売れた創作者ってのは大体、自分が一番実力があると思ってるもんなんだよ。編集の言う事なんて聞かなくなるし、周りは太鼓持ちばかりになって助言を聞こうともしなくなる」


要は天狗になるという事だ、成功した人間の性とでも言おうか。創作者に限らず、芸能関係者でもよく聞く話である。

そんな人間でも唯一助言を聞き入れるとしたら同業者くらいだ、そしてそれが先輩や師匠なら尚良し。


「将を射んと欲すればまず馬を射よ、鮫島アビ子を説得出来るのはこの人しか居ない」


「なるほど…」


しかし、この場に当のアビ子先生は見当たらない。


「アビ子先生は、やっぱり来れない感じですか?」


「私は月刊だから暇な時は本当に暇だけど、向こうは週刊だからねー……。こないだの見学も原稿の合間縫って無理矢理時間作って来た位で……」


それもそうだ。週刊連載漫画のページ数は約20ページ、それを毎週描くとなると相当の激務になるだろう事は想像に難くない。その証拠に吉祥寺先生も……


「基本的に週刊連載って人間のやる仕事じゃないから!脳を週刊用にチューンナップされた兵士がやる仕事だから!」


「こわ……」


この調子である、顔の陰が濃い状態の笑顔ってのは恐ろしいもんだ。父さんが静かに怒る時とかがこんな感じなので、俺としては見覚えしかない。


「デートしてる時でもネームの事考えちゃう人しか務まらないのよ」


「えーやだー…」


「アビ子先生は今特に忙しいでしょうしねー。アニメ化やら何やらで描かなきゃいけないカラーイラストの仕事だとか監修物だとかが山のようにあるでしょうし」


「アビ子先生とは昔からのお友達なんですか?」


「んー……」


あかねからの質問に、吉祥寺先生は少し微妙な表情になる。


「『今日あま』の時にうちでアシスタントしてたのよね。昔から変わった子でさ、あんまり人と馴染むのが得意じゃなくて、アシスタント同士でもあんまり会話出来なくて。

ただ漫画は多弁。漫画家同士ってね、漫画を読めば作者が大体どういう人間なのか大体分かるのよ」


「どういう所で分かるんですか?」


「大体絵で分かるわ、どういう所に拘ってどういう所で手を抜くのか。

アビ子先生の漫画を読んですぐに分かったわ。この子は『他者と解り合いたい』、けどそれが出来ずに苦しんでる子だって。だからちょっと私から絡むようになったらわりと懐いてくれて、可愛い子なのよ」


そう語る吉祥寺先生は、可愛い妹の自慢話をする姉のような表情をしている。だが次の言葉を紡いだ時にはその顔は曇り、切なさを感じさせるものになっていた。


「まぁ、その後サクッと週ジャンで連載決まってトントン拍子で売れていって……一瞬で追い抜かれていった……。挫折も知らずに売れたから、自分の意見が絶対だと思ってる感じが出てるのよね…」


「編集さんは注意とかしないんですか?」


「ふふふ、編集の仕事って2つあるの。何だと思う?」


「売れる漫画を作らせる事」


正解、と俺の解答に返事をする。まぁこれは当然の事だ、読み切りだけで食っていける漫画家なんて居るはずがないからな。しかしあと1つは……


「2つ目はなんだろ…」


「セリフ入れるとか?」


「宣伝とか?」


「ふふふ、正解は~♪


売れた漫画を終わらせない事」ズオォ…


「こわ……」


いやマジで怖えーよ、表情豊かかよこの人。


「ドル箱連載を終わらせたら査定に響く、メディアミックス中の作品なんてま~~終わらせてくれない。そのためには作者のメンタルケアも仕事に含まれるワケ、編集者はわがままな作家のベビーシッターみたいな事をする羽目になる。

その結果売れた漫画家は増長していって、忙しさを言い訳にして破綻した振る舞いをしがちになる……」


なるほどな、そういう苦労も色々な業界でありがちなのかもな。壱護さんやミヤコさんがその手の愚痴をこぼしていたのを耳にした事あるし。

などと考えていると、妙に隣が静かな事に気付いた。ふとそちらを見てみると、有馬の様子が何やらおかしい。


「どうした有馬」


「身に覚えがありすぎて死にたくなってきてます……。

周りにイエスマンしか居ないと本当に駄目……売れたらどうしたって自信も付くし増長しちゃうのよ……」


そうか、そのせいで一時期干されたもんなお前。でもだからってそんな何とも言い難い表情で泣くなよ。メルトはメルトで胸元押さえて苦しい顔してるし。


過去の自分に悶絶して使い物にならなくなった2人を捨て置き、あかねが今日ここを訪れた本題に入る。


「先生……今脚本家の人が降ろされそうになってるんです。先生からアビ子先生を説得する事は出来ませんか?」


「……」


『───この世のクリエイターの9割は三流、信じられるのは自分の才覚だけ』


(私も……アビ子先生に思う所は死ぬほどある。あっという間に売れていく背中を見て、同業者として何も思わなかったワケじゃない。

だけど……)


「ごめんね」


(私だけは、味方をしてあげないと)


「原作をいじられる事に不満を持つアビ子先生の気持ち、とてもよく分かるから。出来る事なら愛を持ってキャラに触れてほしいの、キャラは自分の子供みたいなものなんだからさ。

ごめんね。舞台のスケジュールとか押してるのも知ってるんだけど、この件に関して力にはなれないかなぁ…」


「……分かりました」


こうなる可能性はうっすらと感じていた。いくら天狗になっているとはいえ、吉祥寺先生にとってアビ子先生が可愛い後輩分である事に変わりはない。土壇場となればそちらの味方をするのも無理からぬ事である。


「でも1つだけ」


そう言って俺は1通の封筒を取り出す。


「これをアビ子先生に渡してもらえませんか?」


これだけはあの人の手に渡って貰わないと困る。俺の予想が合っているなら、恐らく……



◇◆◇◆◇◆



「アビ子先生、おじゃまするわよー」


アクアくん達が相談に来た数日後、私はアビ子先生の自宅を訪れた。途中のコンビニでいくらか差し入れになる物を買って行ってるのだけど、それは単純に手土産になる物を見繕う為だけじゃない。多分まともにご飯も食べてないんじゃないかと思ったからだ。

週刊連載とは、それほど地獄の仕事なのである。


LINEで先生に連絡を入れると、鍵は開いてるから入ってきてくれとの事。あの子、セキュリティの事考えてないのかしら……。



「原稿中なので、こちらからすみません」カリカリ


部屋まで上がらせてもらうと、アビ子先生は執筆の真っ最中だった。しかしチラッと原稿を見てみると、記憶が確かならこれは昨日締め切りだったはずのもの。もしかして…


「……オーバーしてるの?」


「はい」カリカリ


まさかの締め切りオーバー。作家だと時々聞く話とはいえ、仕事受けすぎじゃないかしら。


「ごめんなさい汚い部屋で」カリカリ


「汚いってレベルじゃないでしょ…こんなんでアシスタント呼べるの?」


「今アシスタントいないんで」カリカリ


えっ……?


「何度言っても絵柄合わせてくれないし、背景で感情表現全然出来てないし。修正繰り返すより自分で描いた方が早いからクビにしました」カリカリ


「……」


これで何人目だろう、この子のわがままと横暴さに振り回されたアシスタントは。それ自体もそうだけど、何より問題なのはその首切りを『いつやったのか』だ。


「今1人で描いてるの?いつから?」


「先月……いや163話の時だから2ヶ月前からですね」


そんな前から……はっきり言って正気の沙汰じゃない。この様子だとしばらくまともに寝てもいないだろう。これが続くようなら死ぬ、リアルに言うなら鬱病でリタイアするコースまっしぐらだ。

正直見ていられない。


「手伝うわ、適当に背景埋めるからね」


「いやいいです、座っててください」


「言ってる場合じゃないでしょ」


一応仕事が出来るように準備しておいてよかった。デスクを借りて原稿を預かり、私も執筆を開始した。


─────────。


カリカリと室内に小さく反響する、ペンが走る音。作業を始めて1時間半ほど経過しただろうか、ぶっちゃけ結構キツい。背景だけ手伝うなんて豪語したけど、その背景埋めだけでこのキツさか……。


「あーもうなんだこの描き込み量……。週刊でなおかつ1人でやる密度じゃないでしょ……早くアシスタント雇いなさい」


「編集にも言ってるんですが使えそうな人持ってこないんで。どうせ大御所に良い人材全部送ってるんですよ、あの担当使えないんで」


またそういう事言う。アシスタントは育てるものなのに、恐らくは選り好みし過ぎなだけだろう。


「作品に拘りが強いのも分かるけど、こんな生活は駄目よ。多少妥協してでも人間らしい生活しなさい」


「私の作品は妥協したら終わりなんです…!一瞬で読者から見放されます」


「そんな事ないでしょ、やり方が悪いだけ」


「先生に何が分かるんですか「少なくともこれは間違ってる」


そう、これは漫画家だけじゃなくクリエイターに有りがちな事。作品のクオリティを人質にして言い訳して、他人と真っ当なコミュニケーションを取る事から逃げてるだけ。自分が上手くやれないのを周りの人間のせいにしてるだけなのだ。

これは回り回って自身の首を絞め始める。


「……そんな事、月刊でのほほんとやってる人に言われたくないです」


そういうとアビ子先生はデスクを強く叩き、こちらに向かって吼えてきた。


「そういうの5000万部売ってから言って貰えます!?こっちはそういうレベルで戦ってるんです!重い期待の中、毎週必死にやってるんですよ!?」


「……」


……言うようになったわね、この子も。

それを言われて言い返せる漫画家なんて、今この業界には殆ど居ない。本当に無敵の返しだ。


確かに私はアンタほど売れてない。でも……


「でも悪いけど私の方が面白い漫画描いてっから!!アンタのセンスに頼りきった目新しい感じの漫画は確かに読者には新鮮でしょうね!

でもそれだけ!本質的にエンタメでは無い!!」


「はあーー!?出た出た、読者に媚びた展開をエンタメと勘違いしたプロフェッショナル!紋切り型のありふれた展開を王道だと思い込んでる古いやり口!!」


「最近の『東ブレ』がまさにそれでしょうが!!読者に媚び始めた12巻以降、正直微妙だから!

『刀鬼』と『つるぎ』のカップリングはなんだ!読者人気に気圧されて中途半端にねじ込んでるだろ!!半端な漫画描いてるんじゃない!!」


「ひっ、ひどい……!私なりに読者の期待に応えようと頑張って……!」


「図星ですかぁ!?売れっ子様が読者の意見でブレちゃいましたかぁ!?

アンタにエンタメ叩き込んだのは誰だか忘れたか!こっちは全部お見通しなんだからな!」


他に誰か居たならば、聞くに耐えない感情の応酬だろう。売り言葉に買い言葉、ああ言えばこう言う…子供みたいな口喧嘩だ。

でもこんなバカみたいな口喧嘩でも無いと、今のアビ子先生とは本心を酌み交わせないと思ったのだ。感情的にぶつけられた私の言葉に若干涙声になって、アビ子先生の勢いが弱まった気がする。


「……先生こそ、牙抜けちゃったんじゃないですか…?

見ましたよ『今日あま』のドラマ!まぁ酷かった!あんなの許しちゃってプライド無いんですか!?」


気のせいだった。ていうか今それ言うのか。

そういうのヨソから言われるのが一番腹立つんだよな……!まだ言われ足りないか!


「皆それぞれ必死に仕事してんだ!そりゃ全部が大成功すれば理想でしょうけど!

天才だの鬼才だの持ち上げられて忘れちゃったかもしれないけどね…!貴方も私も3本描けば2本はつまんない漫画上げるじゃない!

自分が打率3割程度なのに他人の仕事には常に名作を求めるなんて虫の良い話!」


「くっ……!でも先生のドラマは任せすぎ!」


「……まぁ、それはそう!」


くそう、急に反論出来ない返ししやがって…!


「私だって上手く出来ない事も多いわよ!根が陰キャなんだから!」


「先生が陰キャなら私はどうなるんですか!漫画が無ければ社会不適合なただの引きこもりですよ!?

聞きましたよ!先生、自宅にキャスト呼んでご飯会とかしてるらしいじゃないですか!ズルい!!この陽キャ!」


「そのくらいあなたも出来るでしょ!」


「出来るわけ無いですよ!私は先生みたいに他人と上手くやれないんです!!

私だって本当は、皆と……!」グスッ


あーーーもう、やっと本心出したと思ったらメソメソと!


「黙ってペン入れ進めなさい!」


「先生こそ背景なんていつぶりに描くんですか!パース歪んでたら没だしますからね!」


「なめんじゃないわよ!!何年プロやってると思ってるの!!」


ギャーギャー!


…………………


…………



─────────。


ピピピピ…ピピピピ………


「お預かりしまーす」


ブロロロロ……


時計のアラームが鳴り響く朝の9時41分。ベランダの窓から射し込む陽の光に晒されているのは、徹夜で原稿を仕上げ終えた私とアビ子先生の死に体。


なんとか…なんとか仕上がった……。


「毎度疑問なんですが…今週こそやばいっていつも思いながらも、なんだかんだ間に合ってしまうのってどうしてなんでしょうね……」


「腐っても私達は商業漫画家だからでしょ。プライドがあるのよ」


「先生の所も締め切り間際は酷かったですからね……。朝9時始まりの深夜4時終わりとかザラで……」


あー……思い出したくもないけどそんな事もあったわ。まともな労働待遇じゃないわよね、漫画家の仕事って。


「『今日あま』の時は本当にごめんなさい。今は割とホワイトよ……」


徹夜明けでシンドい体を無理矢理起こしてそう呟くと、顔を手で覆ったアビ子先生がポツリとこぼす。


「私もごめんなさい。寝不足で…マルチタスクで…頭分かんなくなってて……ひどい事…沢山……」ポロッ


覆った顔の目元から涙が一滴流れる。山場を超えて頭が冷え、先刻のやり取りを思い出したようだ。


……。


「良いわよ、私も大概だし。ただヨソでアレ言ったら速攻で縁切られるから気を付けなさい」


「……どうしたら人と上手く出来ますか?」


目にいっぱいの涙を浮かべたまま、震えた声でそう尋ねてきた。


「歩み寄りなさい。メディアミックスは他人との共同制作、自分だけでは出来ない事の集合体なんだから。

仕上がりがどうであれ私の作品がつまんなくなったわけじゃないもの、出来が良ければめっけもん位に思えば良いのよ。割り切る所は割り切らないと」


「でも……私は『今日あま』のドラマ嫌でしたよ。先生の作品は……もっとすごいのに……。

好きな作品が汚されるのは絶対に嫌なの、私が一番分かってるんです……」グスッ…グスッ…


悲しそうな表情のまま再び涙を流すアビ子先生。その彼女の言葉に私は、初めて出会った時の事を思い出す。あの時のまだ漫画家じゃなくて、1人のアシスタントだった彼女との出会いを。


『今日からお世話になります……。背景とかあまり上手くないですけど精一杯頑張ります…。

私……先生の大ファンで…』


『先生みたいな漫画家になるのが夢で……「今日あま」世界一面白いです!』


……全く、貴女は思った事をすぐ口にするのが良くないのよ。


「不器用な子……」クスッ


徹夜明けで疲労困憊のまま泣き疲れてしまった彼女に布団を掛けてあげ、私は小さく微笑んだ。



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