カミキヒカルは2児のパパ (カミキヒカル)

カミキヒカルは2児のパパ (カミキヒカル)



───僕は愛情を知らない。


この世に生を受けてから1度も、人から愛情を向けられた事が無かった。

勿論、僕から他の誰かに愛情を向けた事も無い。


僕という存在に価値はあるのだろうか。僕の人生に意味はあるのだろうか。


僕の命に、重みはあるのだろうか。



◇◆◇◆◇◆



物心がついた頃には、僕は施設に預けられていた。両親に褒められた事は無く、抱きしめられた事も、まともに名前を呼ばれた事すら無い。

そんな風にまともなコミュニケーションを取ることが無かった為、他人との接し方というものが何一つ分からなかった。


会話の1つも満足に経験してこなかった僕に言葉と知識を教えてくれたのはTVだけ。


何も変化の無い日常。両親と会話することも無く、殺風景な部屋でただ独り、無言でTVを見ていた。


ある日、そんな灰色の日々に変化が訪れた。いつも居たはずの両親が居ない。だが、そんな事は些細な変化だ。僕はそれを気に留める事も無く、いつも通りにTVを見続けた。


いつの間にか閉じていた目を開けた時、僕は見知らぬ場所に居た。


後に経緯を教えてもらったのだが、僕が暮らしていた部屋から人の気配がしないという事で、アパートの大家さんが様子を見に来たらしい。

中に入ると、餓死寸前で気絶している僕を発見した為、救急車を呼んで搬送してくれたとの事だった。病院で点滴を受け、体を動かせるようになるまで3日掛かった。


動けるようになってからは、大家さんが児童養護施設を探してくれた。僕にとって大家さんは命の恩人なのだが、当時の僕は人の顔の区別が付かなかったから顔をよく覚えていない。


入所した児童養護施設で僕は、初めて両親と大家さん以外の人間をまともに目にした。施設の職員から同じ施設に身を寄せる子供達、勤勉な人や怠惰な人、よく動き回る子も居れば部屋の隅で大人しくしている子も居る。

そんなことを考えていると、背の高い男の人が話しかけてきた。


その人こそ、僕に生きる意味を示してくれた人、風見先生。


「今日から入ってきたって子は君かな?私は風見、気軽に風見先生って呼んでくれ」


初めて他人から目を見て話しかけられた。どう受け答えをしたら正解なのかが分からずに口ごもっていると、風見先生は笑って僕の手を引いてくれた。

その手はとても大きく、暖かく。まるで真っ暗な部屋の中から引っ張り出してくれたような気がした。


それから風見先生は、他の職員さん以上に僕の事をよく気にかけてくれるようになった。先生に対するこの感情の正体はまだ言葉に出来ないが、先生と話している時は不思議と暖かな日差しの中に居る気分がして心地良かった。

ある日、風見先生が僕に尋ねる。


「ヒカル、お前は将来どんな大人になりたい?」


「将来…?まだよく分かりません……」


「まぁそりゃそうか。だったら今はまだ分からなくて良いから、分からないなりに聞いてくれ。

人生ってやつはあっという間に過ぎて行くものなんだ。ついこないだまで20代だと思ったら30代、40代と歳を取ってて、気付いたら私みたいなオジさんになってるもんなんだよ」


「先生はまだ若いと思いますが……」


「ははは、ヒカルは優しい子だな。そんな風に人に対して優しく出来るのは美徳だから大切にするんだぞ。

…今は実感が無いかもしれないけど、その優しさは人を救うことが出来るし、必ず自分に返ってくる」


「まだ良く分からないですが…。そうですね、先生が言うなら他の人には優しくしていこうと思います」


「お、素直なのも良いところだぞ。さて、話を戻そう。人生が過ぎるのは早いって話だったな。オジさんからお爺さんになるのもあっという間で、いづれその命を終えて土に還る。『後悔先に立たず』という言葉があってな、後悔する時ってのは大体の事はもう手遅れなんだ」


「……」


「だから後悔だけはしないように、毎日を大事に生きてほしい。学ぶことも勿論大事だが、何より人と関わっていくという事を大事にしてほしいと俺は思ってる。人は、絶対に独りだけじゃ生きて行けないんだ」


独りだけじゃ、生きては行けない……。


「これは園長先生からの受け売りだけど、人間の価値は亡くなったその時に分かるらしい。死ぬまでに何を成したか、何を遺せたか…。価値ある人間になれとは言わないけど、さっきも言ったように後悔だけはしない人生を生きてほしい。人に優しく、親切にするんだよ、自分の人生の為にも」


人に優しく、親切に。その言葉が何故か僕の中に刺さった。僕に光を差してくれた先生がそう望むなら、これから僕はそう在ろう。


それからの僕は、人の喜ぶようなことや人に親切だと思われることを第一に考えるようになった。誰か困ってる人は居ないか、この人は何をしたら喜んでくれるのか、そんな事を1日中考えながら動くようになった。

そのおかげで人との会話が増え、人並みのコミュニケーション能力を身に付ける事が出来た。何を考えているのか分からない無表情も、人当たりの良い笑顔を分析して作れるようになった。


僕に笑顔が増えるのに反して風見先生が僕に向ける表情は、寂しさの籠った笑みが増えた。

この時の僕には、先生が向ける表情の真意を知る事は出来なかった。


この施設に来て数年が経ったある日、風見先生がここを去るという話を耳にした。


「…先生、どこか行ってしまうんですか?」


「ああ、私の親父が死んでな。年老いたお袋を1人にするなんて出来ないから、故郷に帰らないといけない。

……すまない、ヒカル。お前が大きくなってここから旅立っていく様を見送りたかったが、出来なくなってしまった」


先生が寂しそうな表情をしながら僕の頭を撫でる。

先生の話を黙って聞いていた僕は、気付けば涙が流れていた。視界がぼやけ、胸の奥がズキズキする。


「ヒカル……私の為に泣いてくれてありがとう。もう会えないかもしれないけど、私はいつまでもお前が幸せになってくれることを願ってるよ……」


「先、生……僕は…僕は……」


言葉が上手く出てこなかった。最後になるかもしれない先生との会話なのに、言葉ではなく涙ばかりが出てくる。


溢れ出る悲しみで冷たくなる心を暖めるように抱きしめてくれた先生の胸で、僕は声を上げて泣き続けた。



◇◆◇◆◇◆



風見先生と分かれて数年、僕はあの時の先生が向けた表情の意味を理解した。


先生は自分の言葉のせいで僕が『カミキヒカル』という人間を蔑ろにし、決まった動きしかしない『機械』のようになってしまった事を嘆いていたのだ。

決まった動作、張り付けたような笑み、そして自分自身ではない『誰か』でいること。なるほど、端から見ればロボットのようなものだ。


だが、僕の中ではこれが自分の行動原理であると定義されてしまった。今の自分自身には命の重みや価値など無いも同然だろう。


そんな自分を変えたいと思う一心で、様々なものに目を向けてきっかけを探し続けていた時、1冊の本を手に取った。

本のタイトルは、『舞台演劇論』。


「演技、か……。」


皮肉なものだ。演技という概念に触れたのは初めてだというのに、今の僕の人生はまさに演技そのものだ。

だが、妙に心を惹かれる…。その正体を探るために、手に取った本を図書館の受付に持って行って借りることにした。『演技』の中に、僕が僕足る理由を探すために。


それからの僕は、演劇の世界にのめり込んでいった。自身を最大限に活かして表現する者、役柄と自身を上手く融合させて魅せる者、自身の上に他人という殻を纏って別人に成り切る者と様々な種類がある。

その中でも僕は別人に成り切る演技に興味を惹かれた。他人の殻を纏うためには強固な土台、つまり『確固たる自分』が必要だと考えたためだ。

図書館で様々な本を借りた。手に取れる資料を片っ端から読み漁った。そんなある日、園長先生からある劇団に入ってみないかと紹介された。


劇団ララライ。


設立されて比較的間もない小さな劇団。そこの創設者と縁があるとのことで園長先生に場所を教えてもらい、門を叩いた。


「ん?誰だ坊主」


「初めまして、園長先生の紹介で参りましたカミキです」


「カミキ…あぁ、ジイさんが言ってたのがお前か。ふむ……」


金田一敏郎。劇団ララライの創設者の1人で演出家。ぶっきらぼうで頑固な人だが人を見る目は確かで、その才能を見出だして伸ばす事に関しては一流の人間だとのこと。

そんな人が僕を品定めするようにジロジロと眺め、やがてその口を開く。


「良いだろう、ウチに所属しろ。人が中々集まらねえのもあるが、お前からは確かな才能を感じる。ジイさんには俺から話通しとくから、必要なもん纏めてもう一度来い」


「荷物を纏めて、ですか?」


「ジイさんのとこに居るってことは親無しだろ?ウチの劇団に住み込みって形で演技を仕込んでやる」


唐突な施設退所を突き付けられた。しかしここまでお膳立てされて話を蹴る訳にもいかないので、金田一さんの言葉に甘えることにした。

施設に一度戻り、園長先生に長い間お世話になりましたと挨拶をしてから、施設から旅立つ。これから歩み始める道に僕が求める何かがある、そう信じて。



◇◆◇◆◇◆



ララライに所属し、金田一さんの指導を受け始めて数ヶ月が経った。演技のイロハや細かなテクニック、観客への魅せ方など様々な技術を習得させてもらっている。


「カミキ、ここ数ヶ月でお前の演技センスを見せてもらったが、お前はどうも自分自身って軸が見えてねえように思える」


痛いとこを突かれた。確かに僕は機械のような決まった表情や決まった行動を繰り返した結果、自分自身というものが見えづらくなっていた。元々自分の中にそんなものが在るのかは知らないが。


「未だに掴めないんですよね。自分は何なのか、自分の価値はどの程度のものなのか。『自分自身』とは何なのかっていうのを」


「ウチに来てすぐの辺りで言ったな、それを見つけたいって。俺が思うにな、そんな必死こいて探すもんでもねえと思うんだよ」


「そうなんですか?」


「『有為転変は世の習い』って言葉知ってるか?要はこの世にあるもんは常に移り変わってくって意味なんだが…。それは人にも言えることだ。

人間だって常に一定の存在じゃない。後から好みも変われば見た目も変わる。そういうもんを全部ひっくるめて『そいつ自身』って言うんじゃねえかな」


人も常に変わる…。金田一さんが言いたいのは、せっかく見つけた『自分自身』も時が経つに連れてどんどん変化していくということなのだろう。


「お前を見ていてな、カミキヒカルって役者は『状況に応じて求められる演技』が向いてると感じた。自分自身が無いからこそ、様々な役へと瞬時に切り替え、使い分けが出来る。役者としちゃ中々貴重な才能だ」


「求められる演技…。はは、僕の得意分野ですね」


話に聞いた通り、凄い人だ。僕の特性を見抜き、あまつさえそれを才能と呼んで評価をしてくれる。今さらながら、僕はとんでもない人に師事しているのかもしれないと思った。


「金田一さんがそう言うなら、僕はその道で演技を極めましょう。指導、よろしくお願いします」


「やる気は一人前、才能もある。上々だ。まだ舞台に立たせるには実力と経験が足りねぇが、それをどうにかするのが俺の役目だ。そこそこスパルタだが、着いてこいよ?」


それこそ、望むところだ。自分の中に1本、明確な『芯』が立った気がした。


それからの演技指導は厳しいなんてものではなかった。金田一さんが納得するまで何時間も繰り返すのは当たり前、時には目眩がしたり吐いたりしたのも1度や2度ではない。肉体的にも精神的にも疲労が蓄積していくが、不思議と不快感は全く無かった。


舞台裏の仕事や舞台を整えるための照明や演出等の勉強もさせてもらいながら小さな舞台には立たせてもらえるようになったある日、金田一さんがとある誘いを持ちかけてきた。


「カミキ、そろそろプロの演技ってもんを間近で見てみねぇか?」


「プロの演技…ですか?見せてもらえるならありがたいですけど、何か当てがあるんですか?」


「ああ、姫川愛梨って知ってるだろ?こないだも朝ドラのヒロインやってた売れっ子女優だ。今度新しく始まるドラマの公開撮影をするって話を耳にしてな、お前の新しい刺激にちょうど良いだろ」


なるほど、一人舞台やチョイ役しかまだ出来てない僕には確かに刺激的かもしれない。渡りに船という事で、ありがたくこの話を受けることにした。


───公開撮影現場


僕は今、夜の公園に居る。姫川さんが出演するドラマの公開撮影がここで行われる為だ。これから撮影されるのは、『恋人から一方的に別れを告げられ、泣き崩れるヒロイン』のシーンだ。所謂『感情演技』と呼ばれる技術を要求される場面であり、僕が理解の及んでいない課題点の1つでもある。

ギャラリーはたくさん居るが、撮影予定時刻より少し早めに到着してたため、間近でみられる場所を確保出来たのは幸運だった。


そうこうしている内に、女優・姫川愛梨と相手役の男性が現場入りした。やはり貫禄があるというか、実力者特有のオーラのようなものを漂わせている。

スタッフさんの指示があり、撮影の邪魔にならないようギャラリーの統制が取られた。監督の合図があり、ついに撮影が始まる。


「ねぇ!私の何が悪かったの!?」


「君は何も悪くない。だが、俺はもう君と一緒に居ることは出来ない。……ごめん」


「待って、お願い!置いていかないで!

……もう、独りは嫌ぁ……!」


圧巻の演技とはこういうものを言うのだろう。観客の目を釘付けにし、否でも応でも黙らせる。見る者全てを魅了して自分の領域に引き込む様は、さながら演劇の魔術といった所だろう。僕自身も始めから最後まで、黙って見入ってしまった。やはり金田一さんの言っていたようにかなり参考になったし、良い刺激になった。


大変良いものを見れたと満足して帰ろうとしたところ、誰かに肩を掴まれた。驚いて振り返ると、そこには件の女優、姫川愛梨が立っていた。


「ねぇ坊や。さっきの撮影、凄く熱心に見てたわね。もしかして役者目指してるの?」


「あ、いえ、まだ駆け出しですが役者をさせていただいてます」


「あら、そうなの?ふふふ、随分可愛らしい役者さんね」


有名女優から話しかけられ、全身が強ばる。近くで見るととても綺麗な女性だ。

しかしどこか先程までの有名女優のオーラは無く、怪しいようなよく分からない雰囲気が……?


「坊や、この後まだ時間はあるかしら?ご両親は迎えに来てるの?」


「いえ、僕に両親は居ませんので時間でしたら大丈夫ですよ」


「そうだったの…ごめんなさいね、変なこと聞いちゃって。でも…」


姫川さんが何か言いかけたようだったが、小声でよく聞き取れない。


「役者について勉強中なんでしょ?私が教えてあげるわ。付いて来てもらえるかしら」


僕は誘われるまま姫川さんの後に付いていった。僕から背けたその顔が、歪な笑みを湛えているのにも気付かずに。



その夜、僕は望まぬ形で初めて交わり、姫川さんが望むままに相手をさせられた。

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