カフェとお祭り
囃子の鳴り響く夕暮れ。トレセン学園の隣にある小さな町の片隅で、僕は担当ウマ娘と待ち合わせしていた。
現在時刻は17時50分を少し過ぎた頃。季節は夏から秋へと移り変わりつつある────……とはいえ近頃の秋はほとんど夏の延長で、夜になってもまだまだ暑さが尾を引いているようだった。
過ごしやすいかと思って押し入れから引っ張り出してきた甚平だけど、それでも暑いものは暑い。
腕時計を忙しなく確認する自分がなんとも情けなく感じてしまう。彼女との付き合いも3年目。ふたりで出かけることは多いけれど、実はイベントに参加するのは初めてなのである。
普段は彼女の本選びに付き合ったり、逆に僕の買い物に付き合ってもらったりと日常の延長のようなお出かけばかりだから。
たまには買い物以外でも出かけてみようか────……と誘ってみたのが今朝の話。彼女は少し驚いた顔をして、それからこう言った。
────……私が相手で……構わないのですか……?
初めて買い物に誘った時にも同じことを言っていたっけ。
自分で良いのかと、他に相応しい相手がいるのではないかと。
だが生憎、僕にそんな相手はいない。友人を誘おうにも、何が楽しくて男数人で来なければならないのだという話だ。
それなら教え子とはいえ、可愛らしい女の子とご一緒できる方が嬉しいし楽しい。
なにより、僕は────
「カフェと行きたかったからね……」
「……私とどこへ行きたかったんです?」
小さく口の中でつぶやいた言葉に、静かな声で問い返された。勢いよく振り返ると、目の前には僕の待ち合わせ相手が佇んでいた。
「…………お待たせして、すみません。帯を巻くのが……難しくて」
ぺこりと小さく頭を下げた、マンハッタンカフェ。
黒い長髪を背中に垂らし、綺麗な黒い浴衣を纏った美しい少女。僕の担当ウマ娘だ。
「ううん、僕もさっき来たところだよ」
ありがちな返し方に、少し気恥ずかしさを感じてしまう。ありきたりなセリフだなぁ……なんて。
「……綺麗だね、浴衣。すごく似合ってる」
これも、ありきたりなセリフ。でも心からの気持ちを伝えようとすると、こんな言葉しか出てこない。
もう少し言葉を上手く出せれば、彼女に喜んでもらえるくらい褒めてあげられるのに……なんとももどかしい気持ちを感じながら、僕はカフェの浴衣姿を目に焼き付ける。
「ありがとうございます。あまり、こういった服装は慣れなくて……恥ずかしいのですが、トレーナーさんの好みには……合いますか?」
袖を振り、くるりと僕に全体を見せるようにその場で動くカフェ。その仕草のひとつひとつが可愛らしくて、僕はほとんど時間をおかずに首を縦に振った。
「すごくいいと思うよ。和装のカフェも綺麗で見惚れちゃいそうだ」
「……そ、そうですか」
僕の答えに、カフェは少しだけ頬を赤くして薄く笑ってみせた。それから僕の服装を指差して、
「トレーナーさんも……似合っていますよ、甚平。ふふ、新鮮ですね」
「やっぱりそうだよね……あんまりこういうの着慣れてないから、カフェと並んで歩くのに不釣り合いだったらって不安でさ……」
やはり今からでも着替えに戻った方がいいだろうか? 浴衣姿のカフェの隣を歩くのに、僕の甚平じゃ釣り合いが取れていないように見える。それなら普段の服装の方が────
その考えを伝えようとすると、カフェは静止をかけるように僕の手を握った。
「お祭りですから……この方がいいと思います、トレーナーさん。それに……浴衣と甚平、色が似ているので……釣り合いは取れていますよ」
「それなら、これで行こうか。カフェのお墨付きだから、自信を持つよ」
「はい……そうしてください。とても素敵……ですから」
「ありがとう」
言葉を返し、僕らは手を握ったまま、どちらからともなく歩き始めた。
2人で草履の足音を立てながら、ゆっくりと進む。
道中で交わすのはどうでもいい雑談。
浴衣を着ている時にお友だちからいたずらをされたという話や、あの子がミント味のわたあめを欲しがっているという話。
本当にどうでもいい話をしながら歩いて、10分ほど────……僕らは河川敷のお祭り会場に到着した。
「わあ……お店がたくさん……」
河川敷に並んだ出店の数々に、カフェは感嘆の声を漏らす。隣に並んだ僕も小さく唸ったのは内緒。
「パンフレットが……あったあった」
新聞広告と一緒に投函されていたお祭りのパンフレットを開いて、カフェと共に確認する。このお祭りは花火大会も兼ねており、小さな町の主催にしては大きめのお祭りだ。
ウマ娘の客層を狙ってか、食べ物の出店は種類も数も豊富に揃っているし、射的やスマートボール、ヨーヨー釣りや金魚すくいといったお遊びもたくさん開かれている。
「どこから回ろうか? カフェは気になるものはある?」
そう尋ねると、カフェは少し唸るような声を出して、
「今まであまり……お祭りに参加したことがないので……なんとも、言えません。目で見ながら……歩いてみるのは、どうでしょうか」
「……そうだね、そうしようか」
そう2人で決めて、ゆっくりと出店の並びを見て回った。
たこ焼き、ベビーカステラ、焼きそばにチョコバナナ。お祭りの代名詞と呼べるフードメニューがずらりと並ぶ通路が続き、その奥には射的をはじめとしたお遊びのコーナーだ。
小さな子供たちが風船で膨らませたビニールの剣を振り回したり、水風船のヨーヨーで遊んだり、おもちゃのピストルでスパイごっこをやっているのが見える。
「はしゃいでるなぁ」
そんなことを呟きながら歩いていると、ふと隣にカフェがいないことに気づいた。ずっと手を繋いでいたはずなのに、いつの間に離れてしまったのか────慌てて来た道を戻ると、カフェはすぐに見つかった。
「カフェ……よかった、すぐ見つかって」
「あ……すみません……トレーナーさん」
ようやく見つけて伸びかけると、カフェは驚いたような顔で僕に振り帰った。
手に握られているのは赤い煌めき。大きなりんご飴だった。
「……透き通るような赤色が……キラキラと輝いて、美しくて……気づけば買ってしまいました」
その赤色は、カフェの黒い浴衣にとても似合っていた。目が覚めるほどに鮮烈な、美しい赤色。
「りんご飴、食べたことある?」
「実は初めてで……ふふ、こんなに綺麗だと食べてしまうのがもったいない……ですね」
そう言いながらカフェは前髪を少し横に流しながら、りんご飴を口にした。
「……甘い……ですね」
そう薄く微笑むカフェは、とても可愛らしかった。
次に目をつけたのは輪投げ。店の前を通ったカフェが、これがやりたいと言ってきたのだ。
「何か欲しいものあったの?」
「……はい、少し気になって」
頷くとカフェはすぐに店の前に行き、店主のおじさんから3本の輪をもらった。
少し並んでカフェの番になると、彼女は目標めがけて輪を投げていき、ひとつ外し、ふたつ入れる結果となった。
外しても入れても動じないのは流石だけど、おじさんが盛り上げようとしてくれてるのすら無視なのはちょっと可哀想だった。
「お嬢ちゃんの景品はここから選んでくれるかい」
「ありがとうございます……」
示されたエリアにカフェは腰を下ろすと、何やら黒いお面を手に戻ってきた。
「猫のお面?」
「はい……黒猫です」
カフェは猫好きだから、飾られていたこのお面が気になってしまったのだそう。
デフォルメされた可愛らしい黒猫のお面。カフェはそれを頭の横にゴムで引っ掛けると、少し照れたように笑った。
「……似合いますか?」
「うん、可愛いよ」
「っ…………そ、そこまでは聞いてません……」
軽口を叩きながら、僕らは出店を回り始めた。
隣のカタヌキでは猫の巾着を獲得し、ヨーヨー釣りでは僕が3つヨーヨーを釣り上げてひとつずつもらうことに。
金魚すくいは僕とカフェで勝負をすることになったのだが、カフェは金魚すくいがかなり上手で僕はボロボロに負けた。というか僕が下手だっただけかもしれない。
その後はフードコーナーに移動し、また端から気になった食べ物を購入しては2人でつまんでを繰り返していった。
もうすぐ花火も始まるということもあり、割と駆け足だったような気もするけど────……カフェは楽しそうにしてくれていた。
……────のだが。
「……すみません、トレーナーさん……」
「大丈夫だよ」
僕とカフェは、花火を待たずにトレセン学園へと向かって歩いていた。
河川敷を離れ、来るときに通った道を逆走している。
「本当にすみません……下駄が、壊れてしまうなんて」
「気にしないでってば。また、来年見にいけばいいんだから」
花火の時間を目前にして、カフェの下駄が壊れてしまったのだ。歩いているときに鼻緒が切れ、そのまま足も少し捻ってしまった。
確かにカフェと花火が見れなかったのは残念だけど、まだ来年もあるのだから気にすることはない。
「トレーナーさん……」
どん、どん、と……轟音が背中を叩き始める。どうやら花火が始まったらしい。
首に回されたカフェの手に力が加わるのを感じる。
残念だと、思っているのかな。
僕がせっかくだからと誘ったお祭りに、浴衣を用意してまで来てくれたカフェ。
カフェなりに楽しもうとしてくれて、事実、とても楽しんでくれて……────それで1番のメインイベントだけ見られないのは、確かにつらい。
僕も彼女と花火を見れたらどれだけ素晴らしいかと思っていたから、確かに後ろ髪引かれる気持ちはわかる。
でも何度も言った通り、来年また見に来たらいいのだ。
お祭りは来年も再来年もある。その度に僕は彼女を誘えばいい。
せっかくキミのトレーナーになれたのだ。ずっとキミと支え合っていければ……なんて、思ってしまうのはエゴだろうか。
「……トレーナーさん」
ゆさゆさと、身体を揺さぶられる。どうしたのかと聞こうとすると、見えない力が働いて首を無理やり後ろに向かされた。
「……ぁ」
目の前には……────閃光が大輪の花を咲かせていた。
小さいけれど。
あまりよくは見えないけれど。
夜空を彩る花の輝きが、薄く僕らを照らしている。
「……花火、見えましたね」
「うん……なんだ、ここからでも見えるんだ」
嬉しいような、残念なような。
来年も誘う口実ができたと思っていたのに。
楽しみを取っておこうと気持ちを切り替えたところだったのに。
────……そんな僕の考えを見透かしたのか、カフェが不安そうに僕の顔を覗き込んだ。
「……嬉しく……ないんですか……?」
「見れて嬉しいよ。嬉しいけど……」
「……大丈夫ですよ」
ぎゅう、とカフェが僕に抱きつく手に力を込める。
「来年は……私から誘います。あなたと一緒に、もっといい場所で……この花火が見たいですから」
「……うん」
「ですから……来年も……お祭りの日……空けておいてください。あなたの予定、私が先に予約しておきますから……」
背中越しに見えたカフェは、花火のせいだろうか────……あのりんご飴のように真っ赤に染まっているように見えた。