オトナの時間

 オトナの時間


 夜のアビドス。皆が帰り、静まり返った校舎にただ一人、彼女は黄昏れていた。からん、とグラスに入った氷が揺れる。

 と、研究室のドアがそっと開かれる。「やあ、これはこれは…いらっしゃい、先生。」動きもせず、軽い声でカナミがそう出迎える。「相変わらず、こんな時間まで仕事かい?お勤めご苦労様。」そう言うと、彼女はまたくいっとグラスを呷る。「あんまり飲み過ぎちゃ駄目だよ」先生はそう言いつつ、彼女の隣にそっと座る。「先生も飲むかい?」カナミが差し出した飲みかけのグラス。それを受け取り、少し飲み込む。「ふぅ…」アルコールが喉を潤す。「いいのかい?生徒の飲酒を咎めなくて」冗談交じりにそう聞く彼女に、「カナミは飲めるトシだしね」と微笑みながら返す先生。

 「そうだ、先生に見せたいものがあるんだ。新しくこの研究室を改良してね」カナミがポチポチと腕に巻いたスマートウォッチを操作すると、ゴコゴゴゴ…と物々しい音を立てながら研究室の壁が変形してゆく。そしてあっという間に、研究室の壁は大きな縁側になっていた。「いつの間にこんな物を…?」「夜な夜な、チマチマとね。この体は寝る必要が…まあ無いわけじゃないが頻度は生身より少ない。一週間完徹も余裕さ。」そう嬉嬉として語りながら、彼女はひょいっと縁側に腰掛ける。

「すまないね、グラスが一つしかなくて。先生の為に買い足そうと思っていたのだが、タイミングを逃してしまったんだ。」彼女は空のグラスに新たに酒を注ぎ、先生に渡した。「以外だね、カナミ。もっと気にするかと思ってたよ。間接キスとか」くすくすと笑いながら酒を呷る先生。カナミもその手からグラスを受け取り、一息に飲み干す。「私はそんな事を気にするほど、子供じゃないよ。それに…機械にキスも何もないからね」自らの身体を嘲笑するように、そう彼女は笑う。「カナミは人だよ、機械じゃない。その証拠に…」そっと先生の手がカナミの頬に触れる。途端、カナミの顔がかあっと熱くなり、彼女は急いで後ずさる。

「ななな、何するんだ先生!!」逃さないとばかりに彼女の眼前まで迫り、額をコツンとぶつける。「ほら、こんなに照れちゃって」悪戯好きな子供のように、ニヤッと笑う先生。「せ、先生!もしかして酔ってるんじゃないか!?」「さー、どうだろうね」さらに後ずさって、なんとか逃げようとするカナミ。それを追う先生。そして、先生の手が滑った。ドサッ!!押し倒されるように、覆い被さる先生。数秒の硬直。と、途端に先生がハッとした顔で飛び退く。

「ご、ごめん。私やっぱり酔ってるのかも…ちょっともう帰るね」そう言って、今度は逆に先生が逃げようとする。だが、カナミはその手をぐっと掴んで離さない。「いいんだよ、先生。私も酔ってるから…明日になれば何も覚えてないよ」そう言って彼女は握った手をぐいっとと引き寄せ、勢いのまま頬に口付けをする。

「なっ!!?」驚愕する先生にカナミは平気な顔で「大丈夫大丈夫。『機械にキスも何もないから』ね?」赤ら顔でニヤニヤしながら、またグラスの酒を飲み干す。

「ぷはっ、ふう…さ、先生ももっと飲みたまえ」

二人の“オトナ”の密会を、月が優しく見守っていた。

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