エピローグ
空色胡椒「…」
「のどかちゃん!」
しばらくその場で空を、ダルイゼンが消えた場所を見つめていたのどかにゆいが声をかける。えへへ、と笑いながら差し出されたその手をそっとのどかが取った時、ようやく実感した。
「…終わったんだね」
「うん。のどかちゃんは、自分のやるべきことをやり切ったんだよ」
「そっか…そうだね」
「のどか、ほんとによく頑張ったラビ!」
「ありがとう、ラビリン。コメコメもね」
「コメ!」
「ほら、みんなのとこに行こう!」
「うん!」
手を繋ぎ合ったまま2人はふわりと仲間たちのもとへと向かった。見上げてくる顔は笑顔ばかりで、
「ってあれ?ブラペがいない」
「ほんとだ。ブラックペッパーさん、どこ行っちゃったんだろう」
ひとまず地面に降りる2人。それが合図になったのか、姿が変わり、再び通常のグレースとプレシャスに戻る。そんな2人に真っ先に駆け寄ってきたのはスパークルとヤムヤムだった。それはもう飛びつくような勢いで。
「グレース!よかったねぇぇぇ!!」
「スパークル、ありがとう」
「プレシャスも、お疲れ様だよ!ハラハラしちゃった」
「えへへ。応援してくれてありがとう、ヤムヤム」
「みんな、グレースに、そして私たちに力を貸してくれてありがとう」
「はい。今回はわたくし達だけでは対処できませんでした」
「そんな…私たちだって、レシピッピを助けられなかったと思う」
「私達には君達が必要で、君達も私達を必要としていた。本当に君たちに出会えたことは幸運だったよ」
「みんなお疲れ様!よく頑張ったわね」
「あ、マリちゃん!」
「あの、ブラックペッパーさんは?」
「それが、私も気づいた時にはもういなかったのよ。折角一緒に喜びを分かち合いたかったのだけれども」
「そっか…ちゃんとお礼言えるといいなぁ」
「私も、お礼が言いたかったな」
「そうね…私達ならまた会えると思うから、その時に伝えておくわ。とにかくみんな、お疲れ様。元の世界に戻りましょう」
全員がうなずくのを見て、ローズマリーはデリシャスフィールドを解除するのだった。虹色の光とともにフィールドが消えていく。それに合わせるようにのどか達もまた、プリキュアの姿から元の姿に戻る。気づくと周囲は既においしーなタウンの見慣れた景色だった。
「戻ってこれたね」
「町の方もなんともなかったみたいでよかったわ」
「花寺!」
「へ?」
のどかを呼ぶ声が聞こえる。そちらを見ると丁度曲がり角の方から拓海の姿が現れるところだった。
「拓海君!?」
「あ、そういえば拓海のこと、忘れてた!」
「皆さんは彼とお知り合いでしたか」
「あれ?アスミン、たくみんのこと知ってるの?」
「はい。皆さんと合流する直前に少しだけお話ししましたので」
駆け寄ってくる拓海を見て少々あたふたするメンバー。ヒーリングアニマルとエナジー妖精達は素早く近くの壁の裏に隠れる。詳しいことは話せない、それでも彼がメガビョーゲンを目撃したことも、のどかが狙われたところを目撃したことには変わりがない。なんて説明したものかと思考を巡らせる。
「大丈夫か?」
「う、うん。拓海君の方こそ、大丈夫だった?」
「ああ。まぁ、なんとかな。っていうかいつの間にゆい達も来てたんだ?」
「うえぇっ!?あ~いや~」
「実は折角なら合流できないかと思って君たちを探していたんだが、その中で何やら騒ぎが起こっているらしいことを聞いてな。怪物騒動ということらしかったので、無事を確認したくて探していたんだ。今さっき、この近くで出会えたというわけだ」
「…ふ~ん。で、怪物は?」
「あぁ、それなら解決したらしいわよ。なんでも謎の仮面のヒーローが倒した、らしいわよ」
「はぁ?なんだそりゃ」
とりあえず少し怪しいところはあるが納得させることはできた、と思う。などと考えているローズマリー達をよそに、最初から事情をすべて知っている拓海は改めてのどかの方へと視線を向けた。
「ほんとに大丈夫だったか?怪物に狙われてたようにも見えたけど」
「うん。大丈夫。さっき言ってたヒーローさんに助けてもらったから。ほら!ちゃんと、って、ふわわっ!?」
大丈夫であることをアピールしようとしたのどかだったが、予想もしていなかった戦いや因縁との決着、張り詰めていた緊張の糸が切れたことによる影響か足元がふらついてしまう。
「あぶねっ」
とっさに手を伸ばして支えようとする拓海。しっかりとその腕はのどかを受け止め─
「あ、ダメだ」
正体を隠しているものの、自分もまたこの戦いで大きく消耗していた拓海の身体はその咄嗟の衝撃に踏ん張ることができず、膝がガクッと行く。後ろ向きに倒れる中、せめてのどかはケガしないようにしようととっさに衝撃に備えた。
「のどか!?」
「拓海、大丈夫!?」
ドサッという音とともに拓海の背中に衝撃が走る。とはいえ先ほどまでの戦闘で受けたダメージと比べると大したことはない。小さくうめき声が出たものの、さしあたっては問題なさそうである。
「っ、ああ。花寺、大丈夫か?」
「う、うん。ごめんね…あっ」
「うぁっ…」
のどかが衝撃に耐えるために縮こめていた体から力を抜き顔を上げると、すぐ目の前─あるいは物理的に目と鼻の先に拓海の顔があった。鼻と鼻が触れ合いそうな距離でつい見つめ合ってしまう2人。互いの息すら届く、それこそ下手な動きをしたらその下…口元が触れ合ってしまいそうなその距離に、つい動きが止まってしまう。ドクン、ドクンと拓海の鼓動が彼の胸に添えられたのどかの掌から彼女に伝わり─
「いつまでそうしているつもりだ?」
「「!?」」
いつの間にすぐ隣にしゃがみこんでいたあまねに声をかけられたことで、はじかれたように2人が距離をとった。
「あ、あまねさん!」
「ふむ…どうやら本当に2人の世界になっていたようだな。邪魔者になってしまったか?」
「ななななな、なにを言ってんだよ!」
「そそそそ、そうだよ!今のはただの事故だっただけだし!」
「落ち着け。さすがに動揺しすぎだぞ」
「ひゃ~、今のはさすがにドキドキしたね。ね、ちゆちー…ってあれ?」
「な、ななな、今のは外でやってて大丈夫だったのかしら?応援するとは言ったけど、さすがに注意した方がよかったかしら??」
「ちゆは何をそんなに焦っているのですか?」
「?拓海ものどかちゃんも顔赤いけど大丈夫なのかな?」
「う、うん。大丈夫だと思う。病気とかじゃない、と思うから。ね、らん」
「はわわ~、甘酸っぱさマシマシだったね」
「あらあら、もしかして…これは見守りがいがありそうね」
各々のリアクションを見せる他のメンバー。その中で優しいほほえみを浮かべながらローズマリーが拓海に手を差し出す。
「大丈夫?」
「あ、ああ。悪い、助かる。思ったよりも力が入らなくて」
「無理もないわ。生身で怪物の攻撃を受けて、無事だったことの方がすごいんだから」
「まぁ、運がよかったんだよ。殴られた方向と同じ向きにもう飛んでたから、そっちの衝撃はあんまりだったしな。むしろそのままの勢いで壁にぶつかった方が痛かったし」
「とっさにそんな風に動けるなんて…驚きだわ」
「ほら、のどか。つかまれ」
「あ、うん。ありがとう、あまねさん」
「ふむ」
「え、えっと。何かな?」
「いや。なんとも難儀なものだと思っただけだ。君という友人ができたからには、片側だけに肩入れするわけにもいかなさそうだ」
「???」
一方あまねの手を取って立ったのどかだったが、あまねの意味深な言い回しに首を傾げる。一方あまねの方はのどかを見て、拓海を見て、最後にゆいを見てやれやれと言いたげな笑顔になっている。
「とにかく、一旦みんなで福あんに戻りましょう。みんな疲れているでしょうし、ゆっくりした方がいいわ」
「マリちゃんの言うとおりだな。特に品田とのどかはしっかり休んだ方がいい」
特に反対意見もなかったため、全員で福あんへと向かうことに決めるのだった。とはいえ拓海とのどかは消耗が激しかったということを全員理解している。
「では、のどかはわたくしにつかまってください」
「あ、アスミちゃん、ありがとう」
「気にしないでください。わたくしは遅れての到着でしたから、皆さんほどは疲れていないので」
「じゃあ拓海はあたしにつかまってよ」
「は?いや、別に大丈夫だって」
「ダメ。拓海、すごく疲れてるのわかるもん。幼馴染なんだよ?あたしに頼ってくれてもいいんだよ?」
「っ…かっこつかねぇな」
「大丈夫。拓海のカッコ悪いとこ、もうたくさん見てきてるんだから」
アスミの腕につかまりながらのどかは拓海の腕を自分の肩に回すようにしながら支えるゆいを見つめる。気やすい距離間の2人と、カッコ悪いとこも見ているという長い付き合いから出てくる会話。その様子が、どこか羨ましいと思ってしまった。
そして同時にやっぱり思い出していた。お姫様抱っこで助けてくれた白い姿の彼を。
(このドキドキ、おんなじだ…)
そっと胸にあてた掌から感じた鼓動は、さっき彼の胸から伝わったものと同じ─いつもより速くて、そしていつもより暖かかった。
──────────
(情けねぇ…)
というのが現在、ベッドの上で寝転がっている拓海の思考を埋めつくしている。
結局あの後、のどかを受け止められなかった姿から疲弊をゆいに見抜かれた上に、肩まで貸してもらうように帰ってきたのだった。まあ、疲弊についてはのどかが怪物から庇ってくれたという部分を説明したからゆい達も納得してくれたらしいのは助かる。
結局、福あんに着いたあと、ローズマリーに押し切られる形で自室で休むこととなったのだ。折角案内を頼まれたのに、のどかやちゆ、ひなたには悪いことをしてしまったと少し悩ましい。
ちなみにのどかもアスミに支えられて帰ったものの、それ以降は自力で立ち上がれたらしく、どうにもキュアグレーシャスの誕生の際に放たれた光が回復を手助けしてくれているらしい。やはりプリキュアと自分とでは力の働き方が違うのだなと、今更ながら実感する。
そう、彼女達はプリキュアで、特別な力を持った少女達だということくらいわかっている。ただそれでも、一応は男子である自分が年下の幼なじみに支えられるように歩くしかなかったことに、やっぱりどこかもどかしさは感じずにはいられなかった。
(まだまだ鍛えないとかな…ん?)
コンコンッとドアがノックされる音。母だろうか?しかし今仕事しているならゆいやあきほさんの可能性もある。とりあえずベッドの上で姿勢を正してからどうぞと声をかけてみる。
「お、お邪魔します」
「え、花寺?」
小さく声をかけながら入ってきたのは予想外の人物。キョロキョロと視線をあちこちさ迷わせながら、のどかはドアを潜り部屋へと進む。
「あの、あんさんからちょっと様子見て欲しいって頼まれて」
「母さんから?ったく、お客様にさせることじゃないだろ…悪いな、花寺」
「う、ううん!全然大変じゃないし、むしろ私の方が調子が気になってたから」
「…そ、そうか。なら、いいんだけど」
「うん…」
拓海としてはゆい以外の女の子が部屋に来ている事実、のどかとしては初めて男の子の部屋に足を踏み入れている事実から互いに緊張してしまい、どこか落ち着かない。2人っきりの空間に、ほんの少し静寂が訪れる。
「あの…拓海君、身体大丈夫?」
「あ、ああ、心配かけて悪いな。花寺の方こそ、大丈夫だったのか?なんか狙われてたみたいだけど」
「うん。助けてくれた人がいたんだ」
そう言うのどかは頬を赤く染めている。その人のことを思い返しているのだろう…が、
「ねぇ、拓海君…」
「ん?」
「…ありがとう」
「なんだよ急に?気にするなよ…結局気絶しちまっただけだったし」
「ううん、そうじゃなくて…」
拓海の言葉に首を横に振り、のどかは優しい微笑みを拓海に向けながら、言葉を紡ぐ。
「私は私のするべき事をやれ、そう言ってくれて」
「…は?」
「あの時、拓海君が背中を押してくれたから、私はレシピッピを助けられた。拓海君が時間を稼いでくれたから、ダルイゼンとも向き合えた。だから、ありがとう」
「いや、いやいやいや、ちょ、ちょっと待ってくれ…」
のどかの笑顔へと左手をタンマと突き出しながら、顔を逸らした拓海が右手で顔を覆う。ちらりと髪の隙間から覗いている耳が赤くなっているのが見える。
「…気づいてたのかよ…」
「うん。拓海君が、ブラックペッパーさんだったんだよね」
「…いつから?」
「う〜ん…はっきりとわかったのは全部終わった後だったよ。でも、落ちる時に抱きとめてくれた時とか、私の意思を尊重してくれるところとか…そういうのからなんだか、知らない人なはずなのに、安心感は最初からあったよ。あ、でも安心して。多分私以外は気づいていないから」
「そっか…悪い、花寺このことは内緒にしてもらっていいか?一応、ゆい達にも話してないんだ。いろいろ事情があって、ブラックペッパーの正体がオレだって知られたくない」
「そうなの?じゃあ、わかった。私と拓海君との秘密だね?」
「そうしてくれると助かるよ」
2人の秘密、それもゆいですら知らないことを自分が知っていることに、つい嬉しい気持ちになるのどか。そのことが、自分の中にあった気持ちをより確定的なものにする。きっとこれがそうなのだ。今日ダルイゼンが生きてるってことを初めて知ったように、自分にとってのこれが初めて知ったものなんだろう。
「あ~、そろそろ戻った方がいいんじゃないか?みんな心配するだろうし」
「そうだね。じゃあ拓海君もちゃんと横にならないとだね」
「いや、オレは」
「ダメ。拓海君、私たちを助けるためにいっぱい頑張ってたんだから、ちゃんと休まないとだよ」
そう言いながらのどかは拓海が横になるように肩を押してベッドの上に倒す。のどかのその言葉に反論した気持ちもないでもないが、ここはおとなしくしていた方がいいだろうと判断した拓海は、枕に頭をのせるのだった。
「わかったよ。休む、休むから。明日花寺達が帰るときには見送りができるように」
「うん。じゃあ私は戻るね」
「ああ。ありがとな、花寺」
「あ、そうだ。最後におまじないかけてあげよっか?」
「おまじない?」
「うん。私病気の時、お母さんがよくなるようにってしてくれたんだ」
「ほ~ん。いいな、そういうの」
「じゃあまずは目を閉じるところから。ちょっと目を隠すよ」
「おう」
すっとのどかの両手が伸ばされ、片手が額に、もう片手は目元を隠すように置かれる。それに合わせて拓海の瞳が閉じられ、寝るときのように視界が遮られる。軽く額に乗せた手を上に、髪をそっとかき上げるように、なでるように動かす。普段は前髪で隠れている拓海の額があらわになる。そこを見つめて小さく息を吸って吐くのどか。
「早く元気になりますように…」
そう言ってからゆっくりと自身の顔を寄せ、優しくその額に唇を落とした。
チュッと小さな音とともにのどかの両手と顔が拓海から離れる。視界を遮るものがなくなった拓海は、頬を赤く染めながら優しく見下ろしてくるのどかを見上げるのだった。
「は、花寺!?」
「しーっ。これもみんなには内緒ね」
「いや、今お前っ」
「う、うん。おまじないだよ。また明日、帰る前に拓海君に会いたいから、ありったけの気持ちを込めたんだ」
「それって…」
「ま、また明日ね、拓海君」
拓海と同じ、あるいはそれ以上に頬が赤くなったのどかが慌てて扉から飛び出す。それを呆然と見送るしかなかった拓海は、額にそっと触れてから口元を隠すように手を当てる。
「あれって…そういうこと…だったのか?」
直接的な言葉で告げられていない、それでも先ほどの視線はいつか自分に告白してきたあの子とよく似たものだった、気がする。
もしそうだったら、自分はどうするべきなのだろうか。告白なら断るすべがある、けれどもこのあやふやなものはどうしたらいいのだろうか。
「っ。花寺のどか…か」
結局その翌日、のどか達が帰るときには拓海はしっかり回復していたので、あんとともに見送ることにしたのだった。幸か不幸か今日は別の予定が入っていたこともあってゆい達はいない。
「なぁ、花寺「のどか」へ?」
「拓海君、お母さんのことは名前で呼んでるでしょ?折角友達になったから、私のことも名前で呼んでほしいな」
「っ」「ダメ…かな?」
はにかむようなのどかの笑顔はどうしたって拓海の心をくすぐる。昨日彼女が見せたあの大胆な一面と、その行動がもたらした胸の高鳴りを思い出させる。
ずっとゆいが大事だった。ずっと一緒にいて、ずっとそばで見てきて…この気持ちがゆっくり育つのは当然だった。でも、自分はまだ子供だったんだろう。知らない世界、知らない人。それが自分の心にどう影響するかなんて、考えたこともなかった。
この子との出会いは、もしかしたら本当に運命だったのかもしれない。
今でもゆいは大切だ。けれども同時に、この子を大事にしたいと思う気持ちも確かにわいてくる。きっといつかその気持ちに向き合う必要があるのだろう。でも、それまでは…
「じゃあな、のどか」
「うん。またね、拓海君」
折角できたつながりを、大切にしてみるのもいいのかもしれない。
そう思いながら、遠ざかる車を見送るのだった。