エピソード凑2話
「にぃに!」
冴がやっと言葉を話し始めた頃、凑は寝不足に悩まされていた。
まだ空も明るくならない頃、冴は凑の腹の上によじ登りそのまま馬乗りになる。
「にぃにー!」
「冴…にぃにまだ眠いから、サッカーは勘弁して……てかまだ、3時じゃん」
カメラばかり弄り回す凑を見て母親が外で遊んでこいと凑を放り込んだのはとあるサッカークラブの体験場であった。
そこに母親と一緒に見学に来ていた冴はなんと凑よりもサッカーにハマった。
「にぃ……」
「まだお日様まだ出てないから寝ような冴」
そんなサッカーがしたくてたまらないらしい冴に毎朝早くから起こされる日々。
凑は冴を布団の中に入れてトントンと背を優しく叩く。
「や」
「嫌じゃなくて……もぉ、早く寝てくれよ冴……にぃに今日も学校なんだよ」
「いーやー!!」
とうとう冴が泣き出した。
はぁ、とため息を吐いて冴を抱き上げるとそのまま両親の寝室へ向かう。
抱っこされたことでサッカーをしてもらえると勘違いしていた冴は、両親の寝室を見て顔をハッ!とさせて凑を見上げた。
「もー、今度は本をを台にしたな?」
扉の近く置いてある大きく分厚い本が幾つも重なっているのを見る。
「あれ、また冴そっち行ったの?」
「うん」
物音で起きた母親が、眠たそうな顔でこちらへやって来るので、凑はそのまま冴を預け自室へ戻る。
「にぃにー!!」
冴の叫び声を聞きながら、凑は再び夢の世界へ旅立つのだった。
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「ね、ねぇ糸師くん!」
学校はいつも通り退屈だ。
そう思っているとクラスの女子が凑に話しかけてきた。
「……なに?」
「あ、あのね…今日、もし良かったら放課後2人で遊ばない?」
放課後…そこまで考えて、思い出したのは冴の顔。
「にぃに〜!」と凑が学校へ行こうとすると泣きながら追いかけてくる冴は、今年から通い出した保育園でも凑を求めてギャン泣きしているらしい。
「……ごめん、弟と遊ぶから無理」
「え、お、弟…?」
「話それだけ?」
「あ」だとか「えっと」だとか言う彼女に別れの挨拶をして、凑は外へ写真を撮りに行ってしまう。
「な、なによそれ!」
「仕方ないよ、凑くん弟大好きだもん」
クラスメイトが何か言っているが、彼女にそんなことは聞こえていなかった。
今重要なのは、自分のことを選ばなかったこと。
彼女は自分でも顔が良いことを自覚している。
大抵の人達はそんな彼女の言うことを聞いてくれるし友達も多い。
だからあの近寄り難い雰囲気のある、糸師凑だって自分の言うことを聞いてくれると思っていた。
だが、彼女は凑の弟である冴に負けた。
そんな理由で断られたのは初めてだった。
男子は彼女の誘いを断らない、むしろデレデレと嬉しそうに付いてくる。
彼女のプライドは凑にズタズタにされたも同然だ。
せっかくの中間休み、最悪な気持ちで迎えてしまった彼女は、廊下に落ちていたあるものを見て足を止めた。
「何コレ」
黒い…小さな板。
何に使うかはわからないが、それが機械の類であることはすぐにわかった。
「ユイちゃーん、早く行こー!」
「あ、うん!」
彼女…ユイはそれをポケットの中に入れて廊下の先で待つ友人達を追いかける。
中間休みが終わり、授業が始まる頃にはその板のこともすっかり忘れてしまっていた。
「あれ?糸師くんは?」
1年生は基本的に集団で下校する。
「今日はお迎えなんじゃない?」
ユイはいつまで経っても来ない凑が心配になって、教室まで向かう。
そこには、ランドセルがひっくり返り、なんなら今から引き出しをひっくり返そうとする凑がいた。
「い、糸師くん!?」
「……ユイちゃん」
何やってるの!?と駆け寄ると、凑は困ったように眉をひそめる。
「SDカードしらない?」
「エスディーカード?」
「黒い…これくらいのカード」
ユイにはそのカードに心当たりがあった。
中間休みに拾ったあの板だ。
「……これ、のこと?」
ユイがそれを差し出すと、凑は「あ!」と目を見開いて嬉しそうにユイからSDカードを受け取った。
「ありがとう、コレないと写真撮れなくなっちゃうから……」
「糸師くん、本当に写真が好きなんだね」
ユイは少し面白くなさそうにつぶやく。
そうこうしている間に凑はカメラにSDカードを入れて、カメラを起動させている。
ピッピッとカメラの音がするのを見て、ユイはこっそり後ろから凑のカメラを覗きみようとすると、急に凑が後を振り返った。
「……見る?」
「え、……あ、うん」
ユイは凑からカメラを戸惑いながら受け取り、今まで凑が撮った写真を見ることにした。
「もしかして、この子が弟?」
「うん、冴」
他にも校庭の様子や街の風景、色んなものがそこにおさめられていた。
ユイはその世界に思わず夢中になる。
何より…弟の冴と一緒に写る、優しい笑顔の凑に見とれてしまった。
「糸師くんって本当に写真が好きなんだね」
「うん」
「写真、撮るの楽しい?」
「楽しいよ」
「そっか……ねぇ、ユイにも写真…撮れるかな?糸師くんみたいに」
ユイがそう言うと、凑は嬉しそうにコクンと頷いた。
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「そ、凑くん!おはよ!」
「……ユイちゃん」
「兄貴、誰コイツ」
糸師凑、立花ユイ、小学6年生。
糸師冴、小学1年生。
はじめて出会ったユイと冴は直感的に気が付く。
──コイツ、めっちゃくちゃ嫌い!!!
こうしてユイと冴の静かな凑争奪戦が開始されるのであった。