ウマ娘-stellar record-

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まえがき(注意事項)

続きものだよ! ↓これまでのお話

第0話_cleared for take-off 

1.part301>>33

第1話_Clibming to Japanese 2000 Guineas

1.part301>>164

2.part303>>80

3.part304>>56

第2話_ Clear direct Tokyo Yushun

1.part307>>137

2.part309>>29


06_ハッピー・サマー・バケーション!/Vector to Triple Crown


こと近年において、日本の夏というのは度し難いほどに熱くなるものである。

温暖化だのヒートアイランドだのと叫ばれているが、都市部を離れたところで暑さがマシになるわけもない。潮風は生ぬるいと通り越して熱風と化しているし、木立から聞こえるのは喧しいセミの大合唱だけだ。

避暑地などという括りですら、最近の猛暑の前には誤差に等しい。真夏の海沿いを散歩しようものなら、待っているのは素敵な一夏の思い出などではなく、日射病による救急搬送である。白ワンピに麦わら帽子のお姉さんを見かけたら、ひまわり畑に連れていくよりも先に日焼け止めを差し入れた方が良い。

数少ない利点といえば、折からの流行病に酷暑も相待って、日中に人影と呼べるものをほぼ見ないことか。声をかけられたりサインをせがまれたり、その手の煩わしさから──むろん、これは大層ありがたいことなのだが──彼女たちが解放されるのは一考の余地がある。もっともこの暑さの中、それでも海に来たという非日常感を楽しめるのは、体力が有り余っている中高生くらいのものなのだが。

「ねえコンちゃん! ほら見て!! 海!!! 素潜りとかやっていいかな?!!!?!」

「こらパンちゃん、騒がないの〜。素潜りってもう、アワビとかサザエとか取れるわけでもあるまいし……つぼ焼きとか食べたくなってきちゃったな……」

「マルシュ、あんたランニング2キロ追加だからね」

つまり。体力が有り余っている中高生たちにとって、現在の状況は非日常そのものというわけで。

トンネルを抜けた先、一気に開けた視界に飛び込んでくる光景に、冷房のよく効いたバスの中から歓声が上がる。確かに、陽光きらめく海沿いのハイウェイを進むバスなど、そのシチュエーションだけでテンションが上がってしまうこと請け合いだ。わけでも今回が初めての合宿となるクラシック組にとっては、目新しさに心躍らせる体験だろう。

毎年恒例、チームミモザ合同での夏合宿。このご時世であっても何とか開催に漕ぎ着けられたのは、ひとえに先生をはじめとした大人組の努力あってこそだ。夏休み突入後に間髪入れず出発するそれは、特訓の場である以上に選手たちのリフレッシュも兼ねている。

学園という日常を離れ、非日常に囲まれてまとまった日数を過ごす。合宿なのだから旅行気分でいてはダメだ、という指導者も一定数いるが、うちのチームはそのあたりには意外と寛容だ。遊びに来たわけではもちろんないが、遊びなしでは肝心のトレーニングの効率も落ちる、という話は、このチームに在籍しているのなら耳にタコができるほど聞かされている。

「よく働き、よく遊べ」。先生が掲げたそのモットーに、指導者と生徒の区別はない。ウマ娘にオンオフの大切さを教えたいなら、まず大人が率先して姿勢を示せ、という話は、折に触れて散々教えられてきた。しっかり休めて初めて一流、というのは今やスポーツに限らず物事の大前提となっているが、それもチーム単位で徹底するとなると想像以上に意識が変わるものだ。

そんなわけで。当チームのモットーを実践するべく、到着初日の今日は、先生の一声で自由行動の時間となった次第なのである。

「すげー!! ずっと海!!! これあれだよね、しじゅうくりはまってやつ!!1! どこまで続いてるのか見てきまーす!!!11!!」

「ちょうど半分足りないね、それだと。──そんなわけで、トレーナーさん。わたしたち、ちょっと走ってきますね」

「おう、水分補給と避暑はしっかりな。ちょっとでも異常があったら休むんだぞー」

爆速で過ぎ去っていくチームメイトにも慣れたものなのか、およそ焦る様子もなく頭を下げるコントレイル。相変わらずマイペースに駆けていく教え子の背を見ながら、さてどうしたものかと腕を組んで考える。

もとよりトレーニングを主題とした場所だけあって、リゾートとはいえ歓楽地からはそれなりに外れたところにある。合宿センターの他にあるのは民家とコンビニ、そしてどこまでも続く渚沿いの街道くらいものだ。

担当を持つのはこれが初めてとはいえ、チームの手伝い要員として夏合宿自体には何度か参加している。合宿センターの様相も街並みも、一年でそう様変わりするものでもない。ぐるりを見て回るだけでワクワクできるような段階は、数年前の時点で既に過ぎ去っている。

「……あ”ー、ダメだ。暑すぎる」

何をやろうか、と考えをまとめる僅かな間ですら、灼熱の太陽の下ではあってないようなものだ。全身から吹き出してきた汗に、辛抱たまらず建物の中に逃げ込む。年季の入った合宿センターの冷房は、しかし堅実な仕事ぶりを発揮して、建物の中をしっかり冷やしてくれていた。

想定外に響く靴音を引き連れて、人気のない空間を歩く。上級生やらトレーナー陣の姿が見えないのは、おそらく隣にある宿泊棟に直行したが故のことだろう。初の合宿で浮かれて飛び回っているクラシック組とは違い、経験者たちは力の抜きどころをよく理解しているというわけだ。どうせ外に出ても暑さでやられるだけなのだから、クーラーの効いた部屋で思いっきりだらけるのが正解というものである。

屋内トレーニング室やら体育館やら、施設の充実っぷりはトレセン学園に勝るとも劣らない。トレーニング器具は最新、とはいかずとも新しめのものが揃っているあたり、機材に糸目はつけないということか。例年合宿先の候補として人気があるという話も、この力の入れようを見れば納得の一言しか出ない。

真夏の陽光と蝉声に相反するように、トレーニングルームには誰の姿もない。老骨に鞭打って働く冷房の音以外には何も聞こえないまま、ただ空気中の塵がきらきらと光っている。これが木漏れ日の中であればそれなりの絵になるのだろうが、残念なことに周囲には無骨なトレーニングマシンが並んでいるだけだ。

「んお」

ふと目に飛び込んでくる、休憩用と思しき丸テーブルの上に放置された競バ雑誌。心持ちボロい椅子に腰掛けて、誰かの読みかけと思しきそれをパラパラと捲る。はてさていつの時代のジャンク品だ、と思ったがそんなことはなく、意外にも内容は新しめのものだった。

『あの熱闘を振り返る! 宝塚記念プレイバック』と題されたそれのメインを張っているのは、当然先月に行われた宝塚記念の様相だ。前評判からレース展開、担当記者の回顧録まで含まれているだけあって、特集には相応の文量が割かれている。

宝塚記念。ファンの人気投票によって出走ウマ娘が決定するグランプリレースであり、言わずと知れたトゥインクル・シリーズ前半の総決算。何かと年末の有マに比べられてしまうことも多いが、選出されるだけで名誉ある大レースであることは改めて明言するまでもない。

スターが輝くさまを見たい。推しが走っているところを見たい。最強だと信じるウマ娘に一番になって欲しい。そんなファンの声がそのまま選手に届くグランプリというシステムは、多くのウマ娘たちが目標とするところだ。分けても応援の声を力にするタイプの子たちにとっては、クラシックに並ぶ価値を持った大レースであると言っていい。

例えば。我らが無敗二冠馬様などは、その中でも最たるものだろう。

誰かの応援を力にするコントレイルにとって、グランプリ制覇は三冠達成に並ぶ大目標のひとつだ。ましてチームの先輩であるリスグラシューが、宝塚と有マの双方でとんでもない圧勝劇をぶち上げたのだから、これで意識するなという方が難しい。表立って口にこそしないものの、三冠路線を走った後は有マに挑戦することも意識しているはずだ。

何の因果か必然か。今年の宝塚を勝ったのも、同じくティアラ路線のウマ娘だ。ほんの数年前まで3人しか成し得なかった偉業──ティアラの宝塚制覇が2年連続で達成されている、などと一年前の自分に言っても、世迷言だと言って信じないに違いない。

「『URAの歴史上、最強のティアラが揃った世代』ねえ……」

大袈裟にぶち上げられたお題目は、しかしそう的外れな見解でもない。少なくとも現行のGⅠ戦線を追いかけている者からすれば、それは周知の事実だろう。

現役最強の7冠女王は言うに及ばず、その彼女を安田の大舞台で破った桜花賞ウマ娘グランアレグリア、そして件の宝塚記念を圧勝した秋華賞バクロノジェネシス。ティアラ路線から三冠路線に殴り込みをかけてくるウマ娘は歴代にも多々あれど、ここまで多士済々といえるのは類を見ない。リスグラシューが大ティアラ時代の幕開けに過ぎなかったなど、半年前にはまるで想像していなかった。

加えて言うなれば。現行のクラシック世代ですら、その「時代」の一部となりつつある。

デアリングタクト──コントレイルのダービーより遡ること一週間前、府中で誕生した無敗の2冠女王。長い歴史の中で、彼女以前に無敗のティアラ2冠を達成したのはたった1人だというのだから、その実力は言うに及ばない。ティアラ路線と三冠路線で同時に無敗二冠が誕生するなど、空前絶後の出来事だ。

無敗三冠の同時達成などという事態になれば、偉業という言葉すら飛び越えてもはや絵空事だ。そんな話が今や大真面目に語られるまでになったのだから、つくづくとんでもない時代にトレーナーをやっているものだと実感する。なんとなれば、最強女王による8冠目、すなわち日本競バ史上最多の芝G1勝利すらも同時期に達成される可能性があるのだから、もはや何らかの異変が起こっていると言っていい。

ただ、まあ。全員が全員上手くいっているかといえば、決してそんな話でもないわけで。

近年のティアラ三冠で活躍したウマ娘たちの躍進。それを見るにつけ、頭によぎる感情が何かといえば──

「はい、没収」

「おわ」

前触れも何もなく、唐突に頭上から伸びてきた腕。虚空からにゅうと生えてきた細い手は、しかし見た目からは考えられない強さで雑誌を取り上げる。まったくの不意打ちに対して俺ができることといえば、調子の外れた声を上げるくらいのものだった。

「歴代最強のティアラ布陣、ねぇ。ま、構いませんけれど──ハナからカウントにも入っていないのは、あまり良い気分ではないわね。あげつらわれるより余程堪えるわ」

「それは……いや、すまん。配慮が足りてなかったな」

「ええ、まったくです。私が深く傷ついて、身も心も空っぽになってしまっていたかもしれないんだから。今流行りの無気力系よりさらに進んだ、ロスト・ソウル系女子としてトレンドを席巻していたらどうするつもりだったのよ、トレーナーさんは」

「どんなトレンドだよそれ。病み系の究極版みたいな話か?」

「相手の手札をすべて捨てさせる系女子に決まってるでしょう」

「とっとと殿堂入りしろ」

病み系というか闇の呪文ではないか。コスト7もあるのかおまえは。

とりとめもない無駄口を叩きつつ、俺から取り上げたそれをパラパラと捲る彼女は、しかし内容そのものにはさほど興味を示していない。はん、と鼻を鳴らして雑誌を突き返すその振る舞いは、チームの外ではまず見ることなどできないだろう。もしこの合宿を取材しにきた記者なりが潜伏していたら、イメージの違いにひっくり返っているに違いない。

ラヴズオンリーユー。昨年度のオークスウマ娘にして、我らがチームミモザの旗振り役だ。その実績と性格から、リスグラシューが舞台を退いた昨年末以降は、特にチームの顔役として表に出ることが多くなっている。選手としての堂に入った立ち居振る舞いに、アイドルもかくやの大胆なファンサービスが付いてくるとなれば、なるほどファンが量産されるのも道理というものだ。

曰く。どんな時も笑顔を忘れない、タレントとしての才覚に溢れたウマ娘だとか。誰に対しても物腰柔らかで、関わる人間は皆スマイルの虜になってしまうとか。酒を飲んだ頭で考えたかのような、『アイドルの理想像そのもの』の具現ともいうべき彼女を賛美する声は、現在でも枚挙にいとまがない。この間もCMの案件が──確か、大手のレンタルビデオ会社だったか──来ていたあたり、その人気は業界内外で周知の事実となっている。

もっとも、それは外面の話、というか。早い話が、営業用のペルソナというやつだ。

「にしても、初日から見回りなんて、トレーナーさんも精が出ますこと。別に今日くらい、客室でだらけていてもバチは当たらないと思うのだけれど。マルシュなんて、私が出る前の段階でアイスふたつ食べてたわよ? ほっとけば明日の朝にはセイウチくらいのサイズになってるわね」

「もうちょっと可愛く喩えられないか? 仮にも女の子なんだからさ」

「あら、セイウチが可愛くないとでも言うつもり? 鼻セレブのアザラシと似たようなものじゃない。もっともあの子の場合、鼻セレブというか腹ゴージャスになりそうだけど」

「仮にも同期になんてこと言うんだ」

「いいじゃない、ゴージャスなんて言われて悪い気になる人間なんていないわよ。あとは地球儀でも持ち歩けば完璧でしょう? あの子ならワオキツネザルの群れの中でも、きっと問題なくレボ☆リューションできるわ」

「言い方ちょっと寄せなくていいよ」

勝手に同期をマダガスカル送りにするな。そもそもこのネタが伝わらなかったらどう責任を取るつもりなんだ。

と、まあ。彼女の人となりがどういうものなのかは、今まさにご覧いただいている通りなのである。

徹底して華やかなアイドルをやっている表向きの顔とは似ても似つかない、チームメイトにしか見せない裏の顔。裏の顔、などと表現すると陰湿な響きがあるが、要するにただのオフモードだ。各方面で評判の天使の笑顔とやらも、身内に対してはこの通り、欠片もサービスしてくれることはない。

根っこの部分は変わらない、というか、根っこの部分以外は全部作り物というか。外付けの淑やかスイッチが我々の前では一切動作しないのだから、ツンデレヒロインからツンを抜いたようなものである。なんのかんので面倒見がいいので、そのあたりがツンデレ風味を補っていると言われれば頷けなくもないのだが。

「で、ラヴズこそ何しに来たんだ。建物の中身なんて、去年全部見て回っただろ? マルシュと一緒にアイスでも食べてれば良いだろうに」

「ありがたいご提案ですけれど、そういうわけにもいかないのよ。これだけ時間があって、機材もあって、それなのにトレーニングのひとつもしないなんて、時間が勿体ないじゃない。夏休みの宿題とエビフライにはなるべく早く手をつけたいタイプなのよ、私」

「おまえの好きな惣菜の話はともかくとして……今日は休みの日だって、先生も言ってただろ。トレーニングメニューだって今日が休みの前提で組まれてるんだから、ここで無茶したらかえって効率が落ちるまであるぞ」

「わかってるわよ、そんなこと。あくまで身体が鈍らないように動かすくらいで、ガッツリ目のメニューをこなすわけじゃないわ。一日分の遅れを取り戻すには三日かかる、なんてよく言うでしょう」

「いや、しかしな……」

譲歩するような口ぶりながらも、その実己の主張は一切曲げていない。オンとオフ、自己管理を徹底している彼女だからこそ、彼女が本人の意思で決めたことをひっくり返すのは至難の業だ。

彼女のトレーナーでない俺がその方針に口を出すことなど、そもそもが出過ぎた行為だとも言える。一方で指導者の端くれである以上、過度のトレーニングを見過ごすことなどできるはずもない。

「……じゃあ、折衷案だ。トレーニングの内容と時間はこっちで決める。ちょっとでも増やしたり、負荷を上げたりするのはナシだ。その条件を飲むなら、俺も共犯者になろう」

「共犯者……って。じゃあ、貴方は」

「もちろん、つきっきりで監視させてもらうぞ。ほっといたら絶対メニュー以上のことやり始めるだろうからな。で、もし先生とか他の人にバレたら、潔く一緒に怒られるんだ。いいな?」

思わぬ展開に面食らっているラヴズには悪いが、この手の話は一気に進めてしまうに限る。どの道俺では彼女の説得など不可能なのだから、ここは妥協してでも次善の策を押し付けてしまった方が良い。

要するに、だ。止めることができないのなら、せめて方向性くらいはこっちでコントロールさせてもらう、という話なのである。

驚いていたのか、はたまた呆れていただけか。しばしの間口を小さく開いていたラヴズは、しかし5秒もすればいつもの澄まし顔に戻っている。そこにどのような感情があるのか、それを敢えて口にするような人物でないことくらいは、俺も彼女と付き合っているつもりだ。

備え付けの機材を確認し、負荷の少なそうなトレーニングメニューを即興で組み上げる。わかったわよ、と一言だけ返して背を向ける彼女からは、反論のひとつも上がってくる様子はない。納得した理屈には従う、という割り切りは、俺よりも男らしいと言っても良いくらいだ。

無言のままマシンをガチャガチャと弄り、ウエイトの重量を調整するラヴズ。今しがたまでのおちゃらけた空気がどこにもないのは、それだけ彼女の切り替え能力が突出しているがゆえだろう。

「──結局、オークスから1年、未勝利のままになるとはね。無敗のオークスウマ娘が聞いて呆れるわ」

であれば。その背中から溢れ出してくるものは、そんな彼女をもってしても割り切れない情念なのか。

「秋華賞は回避だし、ドバイはやむなしの事情があっただろ。そりゃ1年と言えばその通りだが、きちんと走ったレースはエリ女とヴィクトリアマイルだけなんだから、そう悲観するほどの話でもないんじゃないか」

「ええ、普通に考えたらそうなのでしょうね。けれど私の同期は、ティアラを分け合ったはずのライバルたちは、時代の最前線で活躍しているのよ。これで焦るな、なんて言われる方が無理な話だと思わない?」

苦虫と焦燥を、一緒くたにして噛み潰したような。顔を見せないままに、彼女は名状し難い感情を吐き出す。

脳裏に過ぎるのは、まさに数分前に読んだばかりの記事のこと。時代を創ると喧伝されている女傑たちの中に、ラヴズの名前がなかったという、ひっくり返しようのない事実そのものだ。

「結果が出ないのは仕方がない、勝負とはそういうものだから。けれど、だからこそ、一回でも足を止めてしまったら、私はきっと戻れなくなる。何かしていないと、前に進むフリをしていないと、気が狂いそうになる。何もかもを捨てて諦めるには、私は少し遅すぎたのよ」

結果を出してしまったからこその苦悩、既に背負っているものを捨てられない苦痛。それは競技者の中でも、選ばれた者にしか抱けない葛藤だ。およそ9割9分のウマ娘にとって、彼女の告白はあまりにも傲慢なものに映るに違いない。

それでも。この上ない“結果”を既に手にしているウマ娘を担当している身として、どうしてもそれは他人事だと思えなかった。

「けれど、でも。どうなのでしょうね。何もかも捨てて、逃げることができたら──逃げおおせることができたら。それはそれで、幸せなことなのかもしれないじゃない?」


# # #


おや、ここはどこでしょう?

「ん……んん?」

きょろきょろと周りを見回しても、そこにあるのは見覚えのない景色ばかりで。どうやら調子に乗って走りすぎたらしい、ということを察するのに、そう長い時間はかかりませんでした。

爆速で遠ざかっていくパンサを追いかけ、沿岸沿いをとたたと走ること30分ほど。パンサを捕まえたら適当なところで引き返そう、と思っていたのですが……こうして走り続けてしまうあたり、わたしも案外、非日常にテンションが上がっていた、ということなのでしょうか。

いつの間に追い抜いたのか、どれだけ走れどパンサの後ろ姿が見えてくることはなく。どこでバテてへばっているものやら、あるいはテンションMAXになってヘンな脇道に入っていったか、気付かずに通り過ぎてしまったことに一抹の申し訳なさを覚えます。連絡先は持っているので、万一の時は何か連絡があると思うのですが。

「ま、わたしも人のことは言えないんだけど……」

左手に海、右手に住宅街。走るペースを多少落として、沿岸の道を眺めつつジョギングに移行します。走れば走るほど見たことがない景色が出てくるというのは、なんとも言えない楽しさがあるというか、不思議な旅情があると言っても良いかもしれません。わたしにとっては旅先でも、ここに住んでいる人にとっては日常の風景だというのだから、考えてみれば不思議なものです。

吹き抜ける潮風に波の音、真横を通り過ぎていく車の走行音。どこかから聞こえる蝉の声もあわせて、まさに日本の夏といった感じでしょうか。実に小市民的な楽しさがあるというか、一日中このあたりをぶらぶらと歩くだけでも、まったく飽きがこないかもしれません。

「いや暑い暑い無理無理」

うん、さすがに無理ですね、これは。いくら旅情があるといっても、この暑さはたまったものではありません。

噴き出してくる汗はさすが真夏日、気を抜いていたら簡単に日射病まっしぐら。いい加減に何処か日陰に逃げ込まないと、冗談抜きにばったりと倒れてしまうことは目に見えています。パンサを連れて帰るつもりだった当人が倒れるとか、ミイラ取りもいいところでしょう。

と、いうわけで。ばたりと倒れてしまう前に、避難先を見繕うことにしました。

最寄りの休憩所を検索したところ、ヒットしたのは個人経営のお土産やさん。汗ばむ体をえっほえっほと動かすことしばし、年季の入った建物が見えてきます。最盛シーズンにも関わらず人がいないのは立地が悪いのか、それとも暑すぎて人手がないということなのでしょうか。

「ん? ああ、このあたりは遊泳禁止区域だからね、泳ぎたい人はもっと向こうに行っちまうのさ。ウチが保ってるのは物好きの釣り人と、あとは合宿に来てくれるトレセン学園の生徒さんのおかげさね。お嬢ちゃんもそうなんだろう? あ、電子決済使えるよ」

「じゃあPayPayで。……この日替わりソフトクリームって、何が出てくるんですか」

「あー、今日はなんだっけね……湯葉と明太子?」

「湯葉と明太子」

じゃあ湯葉で、あいよ、などというやり取りと、小気味良く鳴り響く電子決済の音。店主さんが思いのほか気さくな方だったせいか、気付かないうちに散財してしまっています。儲かっていないなどと言っていますが、この条件で続けられているのは商売上手な気がしてなりません。

ついでに何か買っていこうかなあ、と周囲を見回すと、修学旅行でよく見るようなドラゴンのキーホルダーが目に飛び込んできます。こういうキーホルダーってついつい見ちゃうんですよね……トレーナーさんも好きですし、こういうの……。

「お嬢ちゃん、それに目をつけるとはお目が高い。そいつはただのドラゴンじゃなく、武器に変形するんだぜ? 斧とか刀とか、男の子は幾つになっても好きだろう?」

「わたし一応女の子ですよ?」

それはそれとして気になるので買いますが。だってみんな好きですからね、こういうのは。リュウケンドーとかあのへんなんて、少年ハートが疼く要素しかないじゃないですか。

出来上がった湯葉のソフトを受け取り、店の奥にあるというイートインスペースへ。人影がないわりに寂しさを感じないのは、壁一面に掛けられた色紙や記念写真のおかげでしょうか。ウマ娘の写真やサインが所狭しと並んでいるあたり、トレセン学園の利用者で店が保っている、という話もあながち誇張ではないのかもしれません。

サインに書いてある名前は、最新のものからまるで見覚えのないものまでよりどりみどり。中にはかなり年季の入ったものもあって、この店の歴史に圧倒されてしまいます。見る人が見ればテンション爆上がり間違いなし、まさしく垂涎のシロモノというやつでしょう。

うんまあ、中にはふざけたものというか、明らかに適当に書いたと思しき色紙もありますが。誰ですか、『トップウマドル☆マツカゼ』なんて書いた人は。しかも結構古めだし、昔の人もおふざけが好きだったみたいです。

「──あれ、もしかしてコンちゃん!? うっそ、すごーい! こんな偶然ってあるんだ、びっくり!!」

なんて。そんなことを考えていたから、目の前にいる人に気が付かなかったのでしょうか。

いえ、あるいは逆に、わざと目を背けていたのかもしれません。

だって、そうでしょう。こんな人を──その場に居るだけで周囲全てを照らす、太陽のような存在感に溢れる人を、間違っても見落とすはずがないのですから。

こんな場所にいるはずがないと。こんなタイミングで、何も準備がないまま出会うなんて、天地がひっくり返ってもあり得ないと。そんなふうにタカを括っていたからこそ、その事実を咄嗟に処理することができなかった。いわば思考停止の産物であるそれは、裏を返せばそれだけその衝撃が大きかった、ということでもあります。

何故ならば。其処に居たのは、紛れもなく。

「こんにちは、はじめまして! わたし、アーモンドアイっていいます。これからよろしくね、コンちゃん!」

紛れもなく。当代最強のウマ娘、だったのですから。


あとがき

・ルート444_「??????????」が開放されました。

[開放条件:クラシック期夏合宿(1日目)でラヴズオンリーユーと会話する]

※本ルートを選択できるのはシニア編11月以降以降になります。


夏合宿編、もうちょっとだけ続くんじゃ

次回は……そのうち!


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