ウマ娘-Stellar Record-
まえがき(注意事項)
続きものだよ! ↓前回のお話
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01_ストリート・ビュー/Clibming to Japanese 2000 Guineas
初めてかけっこに勝った時、両親がとても喜んでくれたことを覚えている。
地域の運動会で、一番を取ったあの日。優勝賞金も枠順抽選会もない、ただ50メートル先の白線を目指して走るだけのものだったけれど、彼らはまるで我が事のように喜んでくれた。
男の子はおろか、年上のウマ娘にも負けない走りを披露したわたしに、両親はすっかり気をよくしたらしい。こりゃあ進路はトレセン学園だなあ、なんて父の言葉に、いまひとつ実感が湧かないまま笑っていた。
その数ヶ月後には、隣町の市民運動場で体育大会があった。先のかけっこ大会で”圧勝”したわたしは、地域の秘密兵器よろしく、両親と何人かの期待を背負って送り込まれることになった。
と、まあ。ここまでならありがちというか、ちょっとした子供の頃の自慢話だ。意気揚々と大きめの大会に乗り込み、身の程を思い知らされて鼻っ柱を折られる、なんてストーリーは、きっと今でも全国で展開されている。人生最初の挫折を味わうことになるかわりに、使い勝手のいいエピソードトークがひとつ手に入って、このお話はそれでおしまいだ。
けれど。わたしの場合、そうはならなかった。
小学生以下、ウマ娘の部。「かけっこに自信がある」なんてレベルではなく、トレセン学園への入学を真剣に目指している子たちがしのぎを削る、小さいながらもれっきとした檜舞台。この市で1番の有望株を見定める市民運動会で、わたしは。
小学2年生の身でありながら、高学年のお姉さんたちをぶっちぎって、勝ってしまったのだから。
ゴールした瞬間の水を打ったような静寂、そこから一拍遅れて弾ける歓声。信じられないものを見た、と言わんばかりのどよめきが、走りきったわたしの体を包み込む。ゲストとして来ていた元オリンピアンのお姉さんが、驚きを隠しきれない口ぶりでコメントしていたことを、わたしはたぶん一生忘れないだろう。
一度目も二度目も、わたしにとっては何の変わりもない話だった。勧められるがままに走って勝利した、言ってしまえばたったそれだけのこと。結果そのものより、その事実に周りの人たちが喜んでくれたことの方が、わたしにとってはよほど重要だった。
違いがあったのだとすれば。それはわたし自身ではなく、わたしを取り巻く周囲のほうだ。
体育大会が終わったほんの数日後、我が家に二人の男の人がやってきた。うち一人、帽子を被った恰幅のよいその人は、トレセン学園のトレーナーと名乗った。最初半信半疑だった両親も、差し出された名刺を見て、その人がダービーを勝っている名伯楽だと思い至ったらしい。
「お嬢さんの走りっぷりを観せてもらって驚いた」「間違いなく、この子は将来ダービーを、いやそれ以上の結果を出すだろう」「ご成長された暁には、ぜひトレセン学園の我がチームにスカウトしたい」──目の前で繰り広げられる話は、他の誰でもないわたしの処遇に関するもので。どうやらとんでもないことになっているのかも、と子供心に驚いているうちにも話は進み、気づけばもう一人の男が自己紹介を始める段になっていた。
曰く。その人はトレセン学園と縁深い、とある「スクール」の経営者らしい。放課後の習い事と呼ぶにはあまりに本格的なその教室は、学園入学前から才能のあるウマ娘たちを集め、トレーニングを行うための施設だった。かつてティアラ三冠バやダービーウマ娘も所属していたそこは、歴史は浅いながらも十分な実績を備えた、いわゆる名門と呼べるところだった。
もちろん、このあたりの内容は後々になって理解したものだ。いかに自分の今後を決定する場といえど、小学2年生がこの手の話を完全に理解できるはずもない。7歳のわたしの全神経は、どうにかして退屈と欠伸を押し殺すことに注がれていた。
ただ。彼らがしきりに繰り返していた言葉だけは、今でもはっきりと思い出すことができる。
この娘こそが、無敗三冠を継ぐ器だと言っていた。10年と少し前、圧倒的な強さでもって無敗三冠を達成した孤高のウマ娘、彼女と同じ高みに登ることのできる存在だと、彼らはそう断言して憚らなかった。
──きみなら、■■■■■■■■■と並ぶ存在になれる。
映像すらまだ観たことのない、わたしが生まれる前に偉業を成し得た”誰か”。わたしこそがあの衝撃を継ぐ存在だと、彼らは心底から信じきっていた。数えきれないほどの原石を見たはずの二人が、たった一度走りを見ただけの小娘に、並ぶ者のない伝説の姿を重ねていた。
その期待と信頼が、あまりにも眩しいものに映ったから。
あの日の幼いわたしは、首を縦に振ったのだ。
# # #
4月。新生活が始まるこの時期は、誰しもドタバタとするものです。
進級に進学に、あるいはお仕事を始められる方。新しい環境に慣れるだけでも一苦労なのに、場合によっては引越しなんてものが絡んでくる場合もあります。県外への転勤が決まった日にはもうてんやわんや、なんて話は、古今東西枚挙にいとまがありません。
もちろん、わたしたちトレセン学園のウマ娘にとっても、4月の忙しさは例外ではありません。日本中から集まってくる新入生は皆、未来のレースに向けて心躍らせていますし、トレーナーさんはそんな彼女たちをスカウトするためにほうぼうを駆け回っています。上級生であろうと空気に当てられてしまうくらいには、学園全体が浮ついた空気に包まれているのです。
ただ。それはあくまで、一部のウマ娘を除けばの話。
人生でたった一度の大舞台、クラシック競争。その緒戦に挑むことを許された一握りのウマ娘たちにとって、年度が明けることはすなわち、戦いまでのカウントダウンが最終局面に入ったことを意味しています。そのピリつきたるや、とても浮ついた空気が入る隙間などありません。
今年の皐月賞の開催日は4月19日、桜花賞ともなれば12日。進級して早々の大一番を前にしては、ドタバタなどとやっている時間すらありません。環境の変化なんてものを言い訳にできるほど、クラシックは甘くはないのです。
と、いうわけで。始業式を控えた4月6日の早朝でも、わたしは通常運転で朝のルーティーンをこなしています。
言ってしまえば朝練の前の軽いウォームアップなのですが、寒い時期は特にこれが大事だったりするのです。分けても今日からは学校が始まるのですから、練習に使える時間も少なくなります。準備運動不足で怪我なんてしようものなら、応援してくれているみなさんに顔向けができません。
「筆箱よし、ノートよし、制服よし。あとは……あ、予備のマスクもいるかな」
最後に鞄の中を確認し、薄明に包まれた寮の外へ。既にもぬけの殻の隣のベッドは、掛け布団が持ち主の性格を示すかのようにきっちりと畳まれています。誰よりも早起きして練習するのはあの頃と同じなのに、スクール時代からは考えられないくらいに角が取れたことが不思議でなりません。男子3日会わざればなんとやらですが、ウマ娘も同じくらいに変わるものなのでしょう。
変わる、といえば。世界規模で色々なことが、今まさに変わっているわけですけれど。
ワンちゃんのお散歩をされているお兄さんと目が合って、どちらからともなくご挨拶。彼もわたしも同じようにマスクをつけている、なんて光景は、数ヶ月前まではそれなりに珍しいものだったと記憶しています。まして学校にいる全員、みんながみんなマスクをつけているなんて話をすれば、きっと何かのイベントだと思われたことでしょう。
例の流行り病の影響は深刻なもので、トゥインクル・シリーズのレースも無観客が基本になりました。マスクをつけて生活することにもすっかり慣れましたが、レースの度に映るガラガラのスタンドを見るのは未だにショッキングです。ウイニングライブも無観客になり、練習のやる気を削がれている子も少なくありません。
数少ない利点といえば、こうして肌寒い時間帯に口元の暖かさを保てる、くらいのものでしょうか。年上のお姉さんたちはメイクの手間が省けて楽だと口々に言っていますが、わたしにはあまり実感が湧きません。それこそ同室の彼女などはオシャレさんなので、マスクの恩恵に最大限預かっているようなのですが。
「……よし、そろそろ走ろうかな」
あることないことを考えながら歩いているうちに、眠たかった頭は完全に冴えていたようで。すう、と息をして地面を蹴り出せば、準備万端の身体はそれだけで滑るように動き出します。
朝の空気をいっぱいに吸い込みながら、未だ人通りの少ない府中の往来を駆け抜ける。程度の差こそあれ、学園に来たウマ娘なら誰しも、一度は夢中になるシチュエーションです。トレセン学園のジャージを着てランニングすること、それ自体が憧れの対象になっているフシもあるのですから、蓋し学園のブランド力とは恐ろしいものだと言えるでしょう。
たっ、たっ、たっ。己の足が奏でる軽快なリズムを聞きながら、数えてふたつめの信号を左へ。目覚めつつある街に耳をすませば、色々な音が四方から聞こえてきます。中には音楽を聴きながら走る方もいるようですが、わたしに言わせれば街の音を聴かないのはあまりにも損というものです。
たっ、たっ、たたっ。まばらに通る車のエンジン音、時折すれ違う人たちの表情。なんてことはない日常でも、毎日見ているとどこかしらに変化があります。それを見つけるのもまた、日課の醍醐味と言えるでしょう。
たたっ、たたっ、たたっ。例えば、街角のコンビニの旗が変わっていたりとか。神社に朝早くから参拝に来ているあの方は、何か叶えたい願いがあるのかしら、とか。眠そうな目を擦って自転車を漕ぐあの男子学生さんは、部活の朝練でもあるのかな、とか。そういう些細な変化を見つけることで、人生がちょっとだけ豊かに──
「……あの」
うん、そんなことより。なんか途中から後ろにいますね、誰か。
足音が重なっているのは偶然かと思いましたが、ここまで続くとさすがにそうも言っていられません。適当なタイミングで抜かしていってくれたらよかったのですが、どうやらそんな気は毛頭ないようです。
仮に追っかけやファンの方なら随分な根性ですし、不審者の類であればちょっと足腰が強すぎます。無視し続けるのもそれはそれで面倒ごとの気配がしますし、ここはこちらから反応する方が身のためでしょう。
「あの、すみません。わたしに何かご用でしょうか?」
覚悟を決めて声をかければ、背後の方は驚いたことにスピードを上げて隣に並んできます。並走するタイプの変質者なんだ、などと考える間もなく、その人影はわたしの視界に姿を晒しました。
わたしよりほんの少し高い背丈がトレセン学園のジャージに包まれているのは、予想通りというかなんというか。いくらウォームアップとはいえ、ウマ娘の脚力についてこられるのは同じウマ娘くらいのものですし、そこはさほど驚くことではありません。
そう。驚くべきは、相手がウマ娘であることそのものではなく。
「──こんなもの? もう少しペース上げられるでしょ、あなた。本気で走らないの?」
現れた相手が、まったくの想定外だった、という点にこそあるのです。
「本気のあなたと一度競ってみたかったのだけれど、残念。勝負は皐月賞までお預けかな」
ウェーブのかかった栗毛のボブカットも、それを徐にかき上げる姿も、なかなかどうして様になっていて。走っている姿から気品を感じるのは、どこかリスグラシュー先輩にも通じるものがある気がします。これでタキシードでも身に纏えば、少なくないファンの需要を大いに満たせることでしょう。
……ただし。およそタキシードには収まらないであろう一部を除けば、の話ですが。
「にしても、あなたがこんな朝練をしてるなんてね。正直予想外というか、もっと泰然と構えているものとばかり──ねえ、聞いてる?」
「え? ごめんなさい、ちょっと圧倒されてて。見失ってたというか、それしか目に入らなかったというか」
「はあ……あのねえ、話の筋を見失うなんて、それじゃこの先やっていけないじゃない。要点を得ないインタビューなんて山ほどあるんだから、意識をしっかり持たないと。どっしり構えてなきゃ、あっという間に色々なものに押しつぶされておしまいよ」
「どっしり……押しつぶされる……」
思わず繰り返してしまった言葉は、しかし相手からすれば不自然なものには映らなかったようで。いえ、ここで突っ込まれようものならボロが出てしまうので、何も言われないに越したことはないのですが。
初対面にも関わらず、彼女は見知った仲のような口ぶりでわたしにアドバイスします。一見すると馴れ馴れしい口ぶりは、どちらかといえばお互いの立場を理解しているからこそのものだと言うべきでしょう。
そう。初対面ではありますが、わたしは彼女のことを知っています。去年の年末以降、いやと言うほどに並べて比較されてきたのですから、意識するなという方がおかしな話と言えるかもしれません。
皐月賞史上初、無敗のジュニアGⅠバ同士の大激突。西の大将をわたしとするのなら、東の横綱に位置付けられるのが彼女──無敗の朝日杯バ、サリオスです。最速上がりのタイムも、2戦目のGⅢでレコード勝ちしていることすら同じなあたり、偶然では片付けられない何かを感じずにはいられません。
朝日杯での勝ち方は、まさにお手本のような横綱相撲。立ち振る舞いもバ体そのものも、ジュニア級を上がったばかりとは思えない貫禄です。中でも熱狂的なファンの一団は、己を“おじさん”と自称しているとか、していないとか。
お互いに前哨戦を挟まず、ぶっつけ本番で皐月に挑戦することもあって、世間は大きく盛り上がっています。そんな相手と路傍で巡り合う確率など、いかに同じ学園で過ごしていてもそうはあり得ないはず。
つまり。彼女のこの行為は、要するに、
「……ひょっとして、出待ちとかしてたりしました?」
「まさか、そんな暇なことやるわけないでしょう。私はただ、偶然あなたと同じ時間にランニングを始めて、たまたま同じコースを走っていただけだもの。同じ無敗の三冠を目指しているもの同士、波長が合った可能性はあるけれど」
「いっそ故意だった方が安心できませんか、それ」
「恋だった方が安心できる……あんまり健全じゃない関係性ね。いえ、憧れる気持ちも勿論分かるから、あまり強くは言えないけれど」
「『愛がなんだ』とか最近見ました?」
文字媒体でなければ分からないような小ボケを差し込み、ふふふと口元を隠して笑う彼女。意外と恋愛ドラマとか好きだったりするんでしょうか……それはそれとして、拾う側が大変なので、あまり変化球は投げないで欲しいところです。
「まあ、冗談はたておき──」
「平積みでも良いですけど」
「──さておき。あなたとこうやって走ってみて、分かったことがひとつある。それを知れただけでも、今日のこの場に価値はあった」
「……ちなみに、内容を聞いても?」
「あら、聞かなきゃ分からない?」
歩調を緩め、足を止めて。ずっと正面を向いていた彼女の視線が、初めてわたしの瞳を捉えます。
切れ長の目から放たれるのは、今の今まで感じなかった「圧」。隠されていた獰猛さが、不意にわたしの首元に牙を突き立てます。それが何を意味しているのか分からないほど、わたしは勝負ごとに疎くはありません。
「簡単な話。真っ向勝負なら、きっと私が勝つってことよ」
# # #
「で、私が生まれたってわけ」
「何の話をしてるんですか」
絵に描いたようなダル絡みに、さてどうしたものかと疲れた頭で自問する。もっとも、思わず反応してしまっている時点で、その後の対応も決まってしまったようなものなのだが。
22時過ぎまで仕事をしていた頭は、疲労の蓄積を示すようにモヤがかかっている。覚悟して飛び込んだトレーナーの世界とはいえ、新人の身で世代トップクラスの才能を預かることに、想像以上のプレッシャーを感じていることもまた事実だ。どれだけ準備をしても足りないと思ってしまうものだから、結果として仕事終わりがこんな時間になってしまう。
学園から一人暮らし先のアパートまでは、自転車でおよそ15分。日頃の運動不足解消も兼ねて通勤経路を考えたつもりだったが、こう残業が続くと帰るのも億劫になってくる。疲れた体に鞭打って、何とかのろのろとペダルを漕いでいるのがここ最近の実情だ。
いかに春が来たとはいえ、深夜の街を行き交う人の数はそう多くない。千鳥足の酔っ払いやら、騒ぎながら2軒目を探す大学生の集団やら、すれ違う人の属性はだいたい同じようなものだ。基本的に男性の割合が多いからこそ、そこに混ざり込む女性の姿は嫌でも目立つ。
ましてや。それがウマ娘なら、尚のことだろう。
「おい、相手ほっぽって考え事してるんじゃないよ。こんな美人のお姉さんとタダで話せるんだぞ? 普通なら30分3万でも安いくらいなんだからな」
「言うほどお姉さんって見た目もしてないでしょうに」
「え、マジ? 若く見えちゃう? やだお姉さん恥ずかしい……今からトレセン学園の制服着てもイケるかしら」
「そういうオプションならアリかもしれませんね」
「表出ろお前。あと夜道には気をつけろよ」
もうここが表だし夜道なんですが。ここでお前を殺す、という遠回しな意思表示なのだろうか。
深夜に絡んできたウマ娘と二人、自転車から降りてだらだらと歩く。これが生徒なら大問題だが、生憎と夜中にファミマ前で酒を買っているような生徒はトレセン学園にはいない。まして上下スウェットなどという有様なのだから、トレセン学園よりもドンキのほうがよほど似合うと言わねばならないだろう。
”お姉さん”を自称してはいるものの、実際の年齢がいくつなのかはまるで判然としない。中等部と説明されればそう見えなくもないし、上の子を小学校に通わせているお母さんと言われればそんな気もしてくる。「ごく普通」の概念が服を着て歩いているかのような、飾りっ気のない栗毛のウマ娘だ。先ほどは冗談で流したものの、制服を着ていればトレセン学園生と言い張ることも難しくはないと思えてしまう。
そんな年齢不詳のウマ娘が、なぜ仕事終わりのくたびれた新人トレーナーに絡んでくるのか。その理由はごくごく単純、常日頃から顔を合わせているからだ。
数えて半年ほど前のこと。下宿先のアパートですれ違う顔に、いつの間にやら知らないウマ娘が一人増えていた。
最初は学園の生徒か親類縁者か、とも思ったものの、どうやらそうでもないらしい。だるそうに挨拶をしながら早朝に出かけていくこともあれば、一週間まるで顔を見ないこともある。何をどうして生計を立てているのかも判然としない、仙人のような生活をしている彼女との関わりは、もっぱらこうした夜中の帰り道だ。
柳のように生きている彼女だが、夜半の散歩は割と気に入っているらしく。ほぼ毎日のように深夜の街を徘徊しているものだから、必然的に顔を会わせる機会も多くなり、こうして話すようにまでなってしまった。ちなみに夜の散歩が好きな理由は、「暑いのがダメだから」らしいが、どこまで本当なのか怪しいものである。
「いいか、新人。こんな美人と歩いてる時はな、常に気を配らなきゃダメなんだよ。車道を歩くなんて初歩の初歩だぞ?」
「だから歩いてるじゃないですか、車道側」
「いーや、まだまだ想定が甘いぞ少年。車道側がなぜ片側だけだと言い切れるんだ? 私が歩いてるこっちも車道かもしれないだろ」
「中央分離帯歩いてます?」
両手でバランスをとりながらひょこひょこと歩く彼女は、相も変わらず適当な話しかしない。素性まで含めても、本当のことは何ひとつ話していないように感じるのだから、その雑さは筋金入りだ。
「なんだ、失礼な奴だな。私の経歴ならこの間話してやっただろ? 取れるタイトルは全部取ったし、アメリカ行きの話もあったし、凱旋門に行ったら確実に2着は確保してたな、まず間違いなく」
「急に頭の中読まないでください。だいたい、自己紹介でマッツ・ミケルセンとか名乗り始める人のこと、信用しようがないじゃないですか」
「えー、なんだよう。マッツなのは本当なんだぞう、ったく」
「それならそう名乗ればいいのに……行っておきますけど、きちんと自己紹介されない限り、こっちもアラタさんで通しますからね」
「アラタさん」。ぶーたれる彼女にそんなあだ名をつけたのは、言うまでもなく俺自身だ。
「新入居者さん」を略して新さん、つまりアラタさん。我ながら洒落たネーミングセンスだと思ったが、当の彼女本人からのウケはあんまりよろしくない。ノーヒントでそこまで近づけるのは才能だよお前、などという評価をもらったものの、それが加点なのか減点なのかはさっぱりだ。
「前から思ってたが、センスって点ではお前は今ひとつだな。父親から貰ってないのか?」
「センスの話はいいでしょう。……というか、知ってるんですか、父のこと」
「おう、そりゃもちろん。と言っても、直接の繋がりはないぞ? 私の後輩とお前の父親の間に、ちょっと縁があったりなかったりするだけだ。誰だっけな、CVは確か中田ジョージだったと思うんだが──」
「適当言わないでください」
そんな黒幕神父みたいな声で喋るウマ娘がいてたまるか。中途半端にあり得そうなことを言われると、こちらとしても期待してしまうのだからやめてほしい。
そもそも、父がトレーナーとして活躍したのは、既に十余年も昔の話だ。名声も栄光も過去のもの、世間一般からすれば過ぎ去った幻でしかない。間接的とはいえ、そんな人と繋がりがあるウマ娘が下宿先に越してくるなど、どんな確率だと笑ってしまいそうになる。
「いやまあ、あの親父に比べれば、誰も彼もどんぐりみたいなもんだよ。その点で言やあ、お前は頑張りすぎてるぐらいだな。キャリアの初っ端から無敗三冠チャレンジなんて、まともな人間なら胃が弾け飛ぶだろ」
「──、よく知ってますね。俺の担当が、あの子だって」
「ニュース見てたら否が応でも目に入るっての。私だって一応ウマ娘の端くれなんだから、後輩がクラシックで頑張ってるところくらい見るさ。で、どうなんだ? 獲れそうなのか、無敗三冠」
「俺はあの子のトレーナーですよ? トレーナーがあの子を信じなくて、誰が信じてやれるんですか」
「おっ、いいねえその心意気。私が現役の頃に言われてたら嬉し泣きしたんじゃないか? レースの前に拗ねて深酒するようなヤツとは大違いだ」
からからと笑いながら、そんなことを嘯くアラタさん。鼻歌でも歌い出しそうな足取りに合わせて、適当にまとめたのであろう栗毛が揺れる。
与太話だろうと、真剣な話だろうと、その声色には恐ろしいくらいに変化がない。だからこそ得体が知れないというか、誇張抜きに何でも知っていそうだと思えてしまう。身に纏う空気は気だるげで重たいはずなのに、一方では産毛も剃り落とせそうなほどに凛と張り詰めている。
「けどな、忘れるなよ。ただ強いだけじゃ三冠にはなれない、まして無敗なら尚更だ。勝ち続けるだけで背負えるほど、クラシック三冠の称号は軽くないぞ」
「……じゃあ、他に何が必要だって言うんですか」
「さあ? そりゃ、走ってる当人にしか分からんからなあ。で、今までの歴史でそれを知ってるのは、残念なことに7人だけだ。もっとも、いざ聞いてみりゃ、全員違うことを答えるんだろうけどな」
「なんですかそれ……じゃ、結局は当人次第ってことじゃないですか」
「お、よく分かってるじゃないか少年。物分かりのいいキミには、特別にプレゼントをくれてやろう」
がさごそとポリ袋を漁った末に、彼女は缶チューハイを自転車の籠に放り込む。ついでにこいつもくれてやる、との言葉と共に出てくるのがチータラなのだから、お手本のような酒飲みの買い物だ。
「ま、焦んなくてもそのうち分かるさ。何をしようと勝負はやってくるし、その時は配られた手札で勝負しなきゃならない。答えなんてものは、最後の最後に見つけりゃそれで良いんだ」
「……さっきと違うこと言ってません?」
「ははは、言ってるかもな。全部冗談かもしれないし、実はそうじゃないかもしれない。他人の話なんて、文字通り話半分で聞いておくくらいがちょうど良いんだよ。んじゃ、私はこっちだから。おやすみー」
最後の最後まで適当なことを嘯いたかと思えば、アラタさんは手をひらひらと振って夜の闇に消えていく。話を始めるのも終わらせるのも唐突なあたり、つくづく自分のルールで生きている人だ。
掴みどころが無さすぎるその振る舞いは、ともすれば疲れた頭が見せた幻覚かと思ってしまう。これで自転車の籠にチューハイが転がっていなければ、明日の朝には間違いなく夢だと断じていただろう。
「……答え、ね」
もうじき、4月7日。皐月の舞台までは、あと二週間もない。
夜は、静かに更けていく。
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新しい投稿が一件あります。
Contrail_Team.M
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ウマいね!6378件
今日は#トレセン学園始業式! 今年もたくさんの新入生さんが入学してきました! みんな速そうでワクワク、先輩としてはちょっぴりドキドキ……
でも!先輩として、クラシックの舞台で情けない姿を見せるわけにはいきません!
4月19日は#皐月賞!ついにやってきたクラシックの初舞台、信じてくれた皆さんと駆け抜けます!
応援よろしくお願いします!
今日の写真はランニングコースをお届け!桜まつりが終わってもまだまだ、府中の桜は見頃です🌸