イケ悪おじとスミレ

イケ悪おじとスミレ



外に出ることを恐ろしいと思うようになったのはいつからだったでしょうか

…そうです、私のドーピングが露見し、世間から猛バッシングを受けた日

あの時のことが脳裏に焼きついて、私は外に出て人と会うことが…それどころか人と関わること自体がたまらなく怖くなってしまいました

私の糾弾と同時に興奮剤・覚醒剤としてスポーツ会で禁止薬物に指定された、私がその頃愛飲していたプロテインやスポーツドリンクに含まれていたある甘味料

それがただのドーピングではなく強い多幸感と中毒性、深刻な禁断症状を伴うドラッグとして"サンド・シュガー"と呼ばれるようになったのは、私がバッシングと罪悪感、そしてサンドシュガー配合以前の成果すら否定することになってしまった喪失感からミレニアムを去った後でした


ミレニアムを離れ隠棲し始めた私は、それでもしばらくは日課のトレーニングを続けていました

ひたすらに、自分の誤ちから目を背けるように…現実に耳を閉ざすように…部屋に閉じこもったまま体を鍛えようとしました

そして私は気づいてしまいました、ただの引きこもりの影響では説明がつかないほど体力が落ちていることに…

そんな私の目に入ったのが…捨てるに捨てられず保管し続けていた例のプロテインとスポドリの粉末です

それからはかつての虚飾に塗れた栄光に縋るように、トレーニング後にサンド・シュガーを取り続ける日々でした

きっと砂糖のせいなのでしょう、それでも尚体力の低下が止まらなかった私はやがてトレーニング前にプロテインやスポーツドリンクを飲み、砂糖の興奮作用で僅かに身体能力が回復することだけを頼りに無意味な運動を行うようになりました


プロテインの袋が空になり、逆さまにして振っても粉の一粒も出てこなくなった時、私は本当に終わりました

いえ…それよりずっと前に私はスポーツマンとして、トレーニング部として終わっていたはずです

鍍金が剥がれたとでも言うべきでしょうか

ミレニアムに戻って砂糖中毒の治療を受ける?

人には…特にミレニアムの人には会いたくありませんでした、再びあの日私を糾弾した者の視界に入るくらいなら死んだ方がマシだと…私は……

もう一度プロテインやスポーツドリンクを…サンド・シュガーを入手する?

無理です。サンド・シュガーの危険性が周知された時点でキヴォトスからあの製品は姿を消しました、ニュースを見る限りアビドスを中心に砂糖は出回っているようですが…私にはそれを買うためのツテも、人と会う勇気もありませんでした


私は私しかいない筈の部屋の虚空から投げかけられる非難と侮蔑の声に怯えてずっと毛布の中で丸まって過ごすようになりました

そして…これはきっと、走馬灯と言うものなのでしょう

今鳴った玄関のチャイム、誰がそのドアの向こうにいるのかは分かりません

どうやったか私の居場所を突き止めた反砂糖の人間か、最近現れたという砂糖買う金欲しさの強盗か…なんでも関係ありません、とにかく私は人と会いたくない、人に見られたくないんです

だから私は押し入られてその恐怖と対面する前に死んでやろうとしばらく使っていない包丁を手に取り、毛布の中で自分の首に押し当てて…


バキンッ‼︎ドガッ!

…返事を待つのもそこそこに侵入者はドアを蹴破って私の部屋に踏み入ってきました

思わず小さく悲鳴を漏らしてドアの方を振り返った私が見たのは、予想より遥かに背丈の小さいシルエットでした

「うへー⁉︎ちょっとちょっとタンマ!死なないで〜!」

焦りながらもやけにふにゃふにゃとした声で呼びかけてきたその子は、私を気遣ってかゆっくりとかがみ込んで座り込む私に目線を合わせます

「おじさんはアビドスで生徒会長をやってる小鳥遊ホシノって言うんだ〜、最近ちょっとは有名になったと思うけど…知ってる〜?乙花スミレちゃん」


小鳥遊ホシノ

その名乗りが本当なら、目の前の彼女はあのサンド・シュガーの……

「うへ〜、おじさんはスミレちゃんに用があってここに来たんだよ〜…単刀直入に言うとアビドスに協力して欲しいって話なんだけどね〜?」

優しくも暗い重圧を感じる、頼りないようで確固たる意志を秘めた声

そんな声で語るのは…

「今、私達には一人でも多くの味方が必要なんだよ〜、だから君にも仲間になって欲しいんだ〜…うへ、もちろんタダでとは言わないよ?例えば…もしもアスリートも一般人も皆"砂糖"を使うようになれば二度と君はドーピングだなんて非難されることはないよね〜」

無茶苦茶な理屈でした、実現できる筈がない…実現して良いはずがない未来です


それでも

「スミレちゃんは名誉が、これがもう一度欲しいんでしょ〜?うへへ…おじさんと一緒に来てくれるなら手を握ってこれを受け取ってよ」

私は彼女の掌の上に置かれた純白の砂糖が入った袋から目が離せません

思わずそれに手を伸ばし、彼女の手に自分の手を重ねて…私はしばらく迷って、そして砂糖を取ることなく、手を引きました


もう手遅れだったんですよ、ホシノさんの提案に飛びつくには私はもう遅すぎます

トレーニングは意味がない、人と接する恐怖にも耐えられない

何より変わってしまう自分自身が怖くて仕方ない…こんな卑怯な役立たずは何処でだって見捨てられて蔑まれるに決まってます、だから

「スミレちゃん」

息を切らしてもう死なせてくれと口に出そうとした私を優しく制止し、ホシノさんはまっすぐにこちらと目を合わせます

「それでもおじさんには君が必要なんだ…アビドスにとってじゃなくて、私がその人生を壊した人たちに、せめて居場所だけでも用意できたと思いたいおじさんに必要なんだよ」

彼女はそのまま私に抱きつき、そっと背中をさすりながら私を励まそうとしました


「一番悪いのはおじさんだからさ〜、スミレちゃんも今ミレニアムに戻れば無罪放免で治療を受けられると思うよ。きっと君のことも全部責任ナシってことで非難もされないと思う」

ぴりぴり

ゆっくりと話しながら彼女はサンド・シュガーの袋の封を切っていきます

もう一度しっかりと私を抱きしめた後、彼女は封を切った砂糖の袋ごと私の手を握りました

「それでもやっぱり元の場所が怖くて、今の状況にも耐えられなくて、もう死んでしまおうと思うなら…一度おじさんにスミレちゃんのことを預けてくれないかな〜、なんて…私ずっと間違えてばかりだけど…間違った道の先でもいいなら私が君の居場所になるよ」

薄暗い部屋の中で玄関からの光を背に浴びる彼女はまるで底のない闇のように見えて…しかし、わたしはその闇の優しさと温かさを既に知ってしまいました


ホシノさんがゆっくりと手を離しても、私は砂糖を手から落とすことはありません

これはきっと間違った決断です、それでも正(おそろ)しい方の決断に比べれば…確かに私のことを救ってくれる人がいる側を選んだんです


砂糖を口に流し込むと強烈な甘さと痺れるような多幸感に目を見張ります

そして立つどころか這って移動することすら億劫だった痩せ衰えた体が羽のように軽やかになり…私はもう一度立ち上がることができました

「うへ〜、元気になったみたいだねぇ…これからよろしく、スミレちゃん。うん…やっぱり笑った顔の方が素敵だよ、またアビドスでも一緒に頑張ろうね〜!」

ホシノさんと手を繋いで壊れた玄関から外に出ます

ずいぶん久しぶりに浴びる陽光の元で、私はやっぱり…ホシノさんの手を取って良かったと思えたのです

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