アロンソがローの船に襲撃かます話・2
「よし、もう動いていいぞ」
先のどったんばったん大騒ぎから十数分後。
治療は滞りあったが無事終了した。
腹に巻かれた真新しい包帯をおそるおそる指先でなぞったアロンソは、次の瞬間満面の笑みを弾けさせた。
「うっわ、ぜんぜん痛くない!
血も滲んでない!!
さっすがロー!天下に名高き死の外科医!
持つべきものはやっぱり名医の親友だな!!」
「誉めてるのか貶してるのかバカにしてるのかどれだ……?」
うんざりした様子のローなど見えぬ聞こえぬ、アロンソは無遠慮にローの肩を叩いて感謝の意を示す。
ローはそれを鬱陶しげに手払いしながら立ち上がると、さも興味なさげに、
「それで――――その脇腹のキズ、誰にやられた」
と、傷跡を見下ろした。
アロンソの動きが一瞬止まる。面から感情が抜け落ちる。
海では嵐より時化より、おだやかな凪の方が恐ろしいこと多々ある。
静かなアロンソの姿は、そういった物静かな不穏を感じさせるものだった。
「――――なんだなんだ。
名医のおまえにしちゃ、笑えない誤診だな。
この傷は、アレだ。
おまえの船を追いかけようと海に飛び込んだとき、そのへんの岩に引っ掛けたやつで――――」
「てめぇはあいかわらずジョークの才能がねえなあ、バカアル。
俺が刃物による刺し傷と岩による擦過傷を間違えるヤブだとでも?
ま、言いたくないならそれでもいいぜ。
ただ、いつかてめえの弟妹たちに会ったとき、
"お前らのアニキは自分を自分でめった刺すのが趣味なマゾヒストらしい"
ってチクるだけだ」
「~~~~妹たち出すのはずるいだろッ!」
「ハッ! 先にレイナさんやコラさん出したやつがなにほざきやがる」
さきほどの攻防とは一転反転。
今度はアロンソが苦虫噛み潰し、ローが口角上げる形となる。
アロンソは声にならないうめきをこぼしつつ己の髪をかき乱した。
「――――せめて、人払いしてくれ」
噛み締めた歯の隙間から絞り出すようにアロンソは乞う。
興味津々、物見高い船員たちを鋭い視線ひとつで持ち場に戻らせると、ローは無言で先を促す。
周囲に人の気が完全に消えてから、アロンソはやっと、ぽつりぽつりと口を開きだした。
「オレ、さ。いま、城下の花屋で働いてるんだ。
じつは前に城を抜け出して街をうろついてたとき、美人局に会ってさ。
そんとき、相手の情夫に刺されたのを運悪く地元の新聞社にすっぱ抜かれちまって。
その反省っていうか?
そもそもオレ、ドレスローザじゃ、
"あのドフラミンゴ国王の嫡子にしてはあまりに頼りない。
次期国王にふさわしい器じゃない"
って思われてるんだよ。
――――おい、笑うな。事実だろって顔すんな。
とにかく美人局の件で、頼りないにくわえてさらに世間知らずのおまけまでついちまった。
――――したら、途端にトレーボルを筆頭とした"第一王子(オレ)排斥派"が燃え上がっちまってなー。
もうほんと、オレへの抗議文が新聞に載らない日はないってくらい盛り上がっちゃって!
さすがにこのまんまじゃまずいってんで、
"世間を知り、将来国民の目線で立つことのできる王となるため"
って名目で、一時的に王族離れて平民やってるんだ。
あ、ちなみに働いてる花屋ってのはキュロスって親衛隊長の奥さんがやってるとこでな。
オレ、住み込みなんだよ。
城からはちょっと離れるけど、キュロスもいっしょだから、防犯面も安心だぜ!
っていうか、オレがいっしょに暮らし始めてからキュロスの帰りが早くなったってスカーレットさん――あ、キュロスの奥さんな――に感謝されてさー。
いやー、街でも評判の美人母子に感謝されるとか、なんか刺されて逆にラッキーっていうか!
あとは娘のレベッカと喋ってる間、キュロスがすげぇ顔でこっち見てくるのさえなけりゃ、一年と言わずずーっと店員続けてもいいんだけどなー」
「じゃあ、その腹の傷はそのキュロスって兵士に襲われたときの傷か?」
「なんで自国の親衛隊長に襲われるんだよ。
わけわかんねぇ」
「わけわかんねぇのはお前の神経の図太さだ。
なら、その腹の傷は……」
見下ろすローの眉間にいつもよりシワが寄る。
アロンソは苦笑とともに話を続けた。
「さっきも言ったけど、スカーレットさんやレベッカは街でも評判の美人母子だ。
前国王の身内だが、それを抜きにしてもファンは多い。
それまで店員と言ったら彼女ら親子の他にはスカーレットさんの妹の、おなじく美人なヴァイオレットさんが入るくらい。
そんな花園に忍び込む害虫が一匹――――。
自主的に害虫駆除をかってでるやつがいたって、おかしくないだろ?」
アロンソは顔の横で両の手のひらを上に向け、肩をすくめる。
伊達男(ドンファン)を気取るにはいささか貫目が足りない、それより軽さのほうが目立つ。
ローはとくになにもコメントすることなく、船縁に背を預け、地平線に視線たゆたわせる。
その方角にあるのはアロンソの故郷。
一時、自分も世話になった男が治める国の――――。
「なるほどな」
ローはひとつ、うなづいた。
「護衛の大勢いる王宮から離れ、
身近にいるのは非力な女だけで、
ターゲットは色か情に訴えりゃかんたんに釣れるバカ。
たとえ路地裏で野垂れ死んでるのが見つかったって、例の美人局の一件もある。
世間は花を装った毒虫にでもやられちまったと思うだろうよ。
なるほど。まったく都合がいいな。
まったく――――
暗殺には都合のいい条件が揃いすぎてる」
ローは視線をふたたびアロンソに据えた。
言葉が耳に入りそこねたか、きょとん、とした顔でアロンソはローを見る。
薄く開いた唇、すこし見張った目、眉間と鼻梁にうっすらと困惑を漂わせた、貴い生まれの者がよくみせる、品よく穏やかな戸惑い顔だった。
見るものが見れば典雅な貌(かんばせ)とも映ろうが、ローからすればこれまさに鳩が豆鉄砲食らったような面。
間抜け以外に形容しようがない。
このままにらめっこを続けたところで得られるものなど、間抜け面にこらえきれなくなったローのドカ笑いくらいのもの。
ローはさらに切り込む。
「お前のそのキズ、暗殺者(プロ)にヤられたもんだろ」
ローの指摘はさながらガラスでできたメスの鋭さで、アロンソの腑抜け面を割く。
アロンソの表情がこわばる。視線が揺らぐ。空気を求めるように、のどがすこし震えた。
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