アルダン

アルダン

名無しの権兵衛



「ふんふふ〜ん♪」


俺の担当であるメジロアルダンが鼻歌を歌いながら楽しそうに俺の部屋でヘッドドレスとロングスカートとを、つまりはメイド服をゆらめかせながら掃除機をかけている。現状が理解できないのでとりあえず今日一日を反芻してみよう。学園自体は休みであったがアルダンたっての希望で朝からトレーニングを入れていた。彼女の体に負担がかかりすぎてもいけないのでトレーニング自体は昼に入るかどうかくらいに切り上げた。それからトレーナー寮に戻ってしばらくしてインターフォンが鳴り扉を開けたらメイド服姿のアルダンがいて、学生、それも自分の担当にさせることではないからと止めようとはしたものの反対にベッドに座らさせられ——今に至る。


「いったいどうしたんだ?」


いくら考えても答えが出る訳もないので聞いてみる。掃除機をかけ終えて窓を拭き始めていたアルダンがこちらを振り返る。



「どうした……というのはどういうことでしょうか?」

「その、なんで急にウチに来て掃除をしてくれているのかな?」

「ご迷惑でしたか?」

「迷惑なんかじゃないよ。ただどうしてなのかなって。あとなんでメイド服なのかなって」


そう聞くとアルダンは少し恥ずかしそうに、


「実は昔からばあやや使用人皆さまの姿に少しだけ憧れていたんです。それと以前ライアンに借りた作品に男性はこのような服が好きだと書いてあったのでせっかくだからと服を用意して貰いまして……似合っていますか?」


顔を赤らめながらそう言った。似合っているか否かと問われればもちろん答えは一つだ。


「似合っているよ、これ以上ないくらい綺麗だ」


そうですか、と消えいりそうなか細い声でますます顔を赤らめてアルダンが照れる。少しして多少平静を取り戻したらしい彼女が綺麗なカーテシーとともに「身に余る光栄です。ご主人様」と……結構本格的なのね。———それはそれとして


「あっ…トレーナーさん……ではなくてご主人様はそのままお座りのままでいてください!」

「流石にそういう訳にはいかないよ。いくら君が好きでやってくれていることとはいえね。担当に掃除をしてもらってる時点でトレーナー失格だけど、せめて手伝いの一つもしなきゃ面目丸潰れだ」

「ですが……」


なおも食い下がるアルダンを「じゃあご主人様命令ということで」と無理くり納得させる。彼女の意思ならばなんでも叶えてあげたいが流石に年頃の女学生に家事をやらせて平然と座っていられるほど俺の肝っ玉は大きくない。今さっきまでは事態の唐突さに流されてしまっていたがいまや巻き返し、というか名誉挽回の時だ。


「ご主人様、その類の汚れは下手に擦ると跡が残ってしまうと昔ばあやから聞いた覚えがあります。確かその汚れを落とす時には——」

「ごめんアルダン、ちょっと窓開けてもらえる?タキオンのトレーナーから教わった特殊調合の洗剤ってよく効くんだけどさ——」


歳下の学生に自分の部屋を掃除してもらうというのは情けないことこの上ないが気心の知れた仲のアルダンとの共同作業は楽しかった。掃除を終えて2人してベッドに座って一息つく。ソファでは2人で座るには少々狭い。


「結局、トレーナーさ……ご主人様にばかり大変なところをお任せすることになってしまいました」

「そう気にしないで。流石に排水口だとかトイレを掃除させるわけにはいかないしさ……」

流石に2人がかり、普段はあまり手を出せない水回りの掃除をできた。


「こうなったら他の仕事で名誉挽回を……!」

「待って、それは待って!!


特段生き物を飼っているだとか花を育てているという訳でない以上他の仕事と言えば料理と洗濯くらいだ。……昨日、乾燥機まで回しておいて本当によかった。今ばかりは洗濯時期を見誤ったここ数日のドジに感謝だ。


余程素っ頓狂な声を出してしまったのだろう、アルダンがクスクスと笑った。少々キマリが悪いが彼女の笑顔を見ていたらこちらも釣られて笑ってしまった。しばらく笑いあっているとふと時計に目が止まった。時刻は午後の三時過ぎ。門限までは余裕があるがそろそろ彼女を寮に帰す頃合いだろう。そう思った時だった。アルダンの可愛らしい笑顔を捉えていたはずの視界が一瞬天井を捉え、ついで薄暗闇で覆われる。理解には数瞬を要したがマットレスの反発を一瞬覚え、温かな熱を感じている現状から察するに


今俺はアルダンに押し倒され、抱きしめられているらしい。


「あ、アルダン?」


掃除を始める前の状態、現状を把握こそすれ何故彼女がそうしたのかがわからないというあの状況に回帰したことで思わず口をつく。


「今日のトレーナーさんは私の目からは体調を崩しつつあるように見えました」


アルダンが話を続ける。


「幼い頃から体が弱く何度となく病院のお世話になっていましたからそういった機微には多少聡いんです」


言われてみれば今日はいつもより体が重かったような気もするが……


「それに何年もの間貴方を間近で見続けてきましたから一目瞭然でした」


しかし、それとこれとがどう関係するのか?それがよくわからない。


「トレーナーさんの事です。お仕事に熱中するあまり体の不調に気づかず体を壊したり、思わしくない体調を押してより酷いことになってしまうかもしれせん」


そんな事はない、と言いたいところだがいつかのバレンタインのことがあるので否定できない。


「ですので、今のうちに多少強引にでもトレーナーさんに休んで頂こうと」

「今に至ったのね」


はい、と彼女が首肯した気配がした。


「それならどうしてわざわざメイド服を着てきたんだ?」

「この姿ならを演じていればいくらトレーナーさんの鋭い観察眼でも私の真意に気づけないでしょう。……ばあやや使用人への憧れもありましたが」


こちらの意図にギリギリまで気づかせず、絶好の機会を作り出して一気呵成に攻める——レースの駆け引きと同じだ。俺の教えた事をレース外でも活かしてくれているのは嬉しいが、まさかここまで担当に心配されていたとは……今後はもっと身の振り方に気をつけよう。そんな事を思っていると彼女の抱きしめる力が強まった。


「本当は今日の残りの時間をトレーナーさんにごゆるりと過ごして貰うために諸々の家事を肩代わりさせて頂こうと思っていたのですが……上手くいかないものですね」


彼女の体温と鼓動とがより明確に伝わってくる。


「苦しくは無いですか?」

「そんな事は無いよ……ちょっと気恥ずかしいけど」

「ふふ、そうですか」


抱きしめる力は確かに強いが苦しいと感じるほどでは無かった。唯一、彼女の柔らかで豊かなものに顔が埋まる形になってしまっていることだけは辛いものがあるが……。しかし同時に彼女の優しさに包まれているような感があって安心感を覚える。次第次第に瞼が重くなってきた。如何な特殊な状況とはいえこんな時間帯にここまで急激に眠気を覚えるあたり自分が思っていた以上に疲れが溜まっていたらしい。


「しばらくしたら私もお暇せざるを得ません。……私が帰ったからといって今日は頑張り過ぎないでくださいね?」


アルダンに優しく背中を撫でられ、眠気がますます増していく。半ば夢の中なせいで彼女の甘い声が聞こえていてもその内容が聴こえているかまではよく分からない。いよいよ瞼を持ち上げる事が出来なくなってきた。


「それでは……おやすみなさいトレーナーさん」


「——て、ア——きて」


声が聞こえる。安心できる声。優しい声。いつも励ましてくれる声。大好きなあの人の声……


「アルダン、起きて」


重い瞼を持ち上げるとそこにはあの人の、メジロアルダンのトレーナーの顔があった。


「……へ?」


まだ寝ぼけている事もあってか妙ちきりんな声が出る。これはどういうことか?脳が覚醒していくにつれて眠りにつく前の記憶が蘇ってくる。いつかのように頑張りすぎて倒れてしまうのではないかと心配で、子供の頃の憧れも叶えてみたくて、………そんな気持ちにこの人と少しでも一緒に居たいといういつもちょっぴりとだけ奥底に抱えている我儘な心が刺激されてトレーナーの部屋にやってきた。そうしてトレーナーさんを寝かしつけたは良いものの、彼の寝顔を見たいという悪戯心に逆らえなかった。彼の安らかな表情を見ていたら愛おしくて、いつまでも眺めていたいと欲が出て———いつの間にか眠ってしまったのだ。


「ちょ、アルダン!?」


追憶をしているうちに完全に目が覚め、同時に顔が急速に熱を帯びる。鼻先が触れ合うような距離でお互い目線を合わせているからなのか?寝顔を見られてしまったからか?欲に身を任せて初志貫徹をできなかったからか?恥ずかしさや様々な感情で沸騰しそうな今の彼女の脳ではよくわからなかった。何をどうすれば良いかわからずあわあわと言葉にならない声を発していると視界が暗くなる。トレーナーに優しく抱き締められたのだ。


「落ち着いた?」

「…………はい、すみません取り乱してしまって」


暫く抱き止められ、頭を撫でられたりしているうちにアルダンも平静を取り戻した。


「まるであべこべですね……貴方に休んでもらいたかったのに却って慰められて」

「いや、君がこうしてくれなければきっと俺は不調に気づかないでいただろうからさ、君には感謝しているよ」


初めは面を食らったけどね……と苦笑しながらトレーナーが付け加える。実際、トレーナーは自身の不調の芽をほとんど気にかけていなかったのだから早晩アルダンの危惧していた通りになっていただろうことは想像に難くない。


「本当に感謝しているよ。だからあとで何かお礼をさせて欲しい。………可愛いからって君の寝顔をまじまじ見つめていた償いもしたいしね」


十中八九見られているだろうと思ってはいたが、いざ寝顔を見たと伝えられるとアルダンの顔が僅かにまた赤らんだ。それと同時にちょっとした悪戯心もまた彼女の胸中に浮かんできた。


「それでは」

「うん?」

「それでは、このままもう暫く私のことを抱きしめていてください」

「……えっ!?」


そのまま暫くお互い抱きしめあったり、ベッドの中であれこれととりとめのない話をして笑い合ったり、たまたまテレビで流れていた映画の「そういう」シーンに2人して気まずい思いをしたりと穏やかな時間を過ごしあった。


日はとうの昔にとっぷりと暮れ、アルダンと別れる頃には外はすっかり暦の数字に相応しい……というより暦の数字以上の寒さになっていた。


「………夏用の生地だと流石に冷えますね」


寒そうに両手を擦り合わせながらアルダンが言う。


「ちょっと待ってて」


トレーナーがアルダンを玄関先に残して一端部屋に引っ込み直ぐにまた出てきた。


「はい、これ」

「これってトレーナーさんがいつも着ている……?」


トレーナーがアルダンに羽織らせたのは彼のお気に入りのコートだった。トレーナーの住む寮から彼女の住む寮まではそこまで離れていないとはいえ、それでも寒空の下にこのまま担当を行かせる訳にはいかない。


「年頃の子が着るには不恰好なモノだけどそれくらいしかないから今は我慢してね」


もう少しシャレたものがあれば良かったんだけどね……とトレーナーは苦笑するが、アルダンは彼が羽織らせてくれだコートを愛おしそうに纏うと


「ありがとうございます、トレーナーさん」


と心底嬉しそうな笑顔を浮かべた。



後日『トレーナー寮の方から』『彼女のトレーナーのコートを羽織った』『メイド服姿の』『恋する乙女そのものの顔をした』メジロアルダンの目撃談が学園を震撼させたのはまた別の話である







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