アナタノ・ソバニイテ
とあるアパートの一室、ここにはトレセン学園でトレーナーとして働いている一人の男性が住んでいた。今日は久しぶりの休日。しかしせっかく早く起きたのに何もするにも無気力でありこのまま一日中横になってようと思っていたときである。
———ピンポーン
「こんな朝早くに誰だ…?」
新手の勧誘かそれとも悪戯か、そう思いつつも玄関を開けるトレーナー。しかしそこにいたのは———
「おはようございます…トレーナーさん」
彼の担当ウマ娘であるマンハッタンカフェだった。
「……カ、カフェ!?どうしてここに!?」
「ここの場所は以前トレーナーさんが教えてくれたのを覚えています…ですが理由は別にあります」
首を傾げるトレーナー。彼女の話によればお友達が自分に良くないものが取り憑いていると語りかけてきたという。それにこの部屋にも何かが集まっているので危険だからといった理由でここにやってきたとの事だった。
「とにかく入って…でもごめんな、こんなに散らかってて」
「———ッ」
トレーナーの部屋は酷くはないが散らかっていると言えただろう。見渡せば資料やノート類が広がっており、机の上にはインスタント食品の容器や栄養剤の空き瓶が置かれていた。
「ここでも…仕事を?」
「そうだね、なんだか落ち着きがなくてさ」
苦笑いするトレーナーを見てカフェは深呼吸をして振り向く。
「部屋の乱れは心の乱れともいいます。それにこんな食生活じゃ身体がいくつあっても持ちません。だからトレーナーさんに取り憑いているものが無くなるまで…私に任せてください」
そう言いながら掃除を始めるカフェ。何でもここに来る前にエアグルーヴから掃除など家事について教えてもらっていたらしい。カフェ曰く、適切な指導であったが惚気話も負けていなかったとの事。
掃除か済ませた後、彼女の淹れたコーヒーと朝食を食べて寛ぐ。
「トレーナーさん、また明日」
そして夕方まで一緒に居てそして学園へ帰って行ったのであった。
次の日———
「おはようございます。トレーナーさん」
また早朝インターホンが鳴り、カフェがそこに立っていた。
昨日の様に一緒に掃除をして、食事をして、出かけて、そうしてまた一日が過ぎていった。
「トレーナーさん、今日も来ちゃいました」
休日だったのが平日も、そしていつしか毎日、カフェはトレーナーの家へ通い続けたのであった。
いつしかトレーナーの部屋にはカフェの物も多く置かれる様になり、二人の思い出が満ちていった。
そんなある日———
「いつもすまないなカフェ…カフェ?」
トレーナーが顔を覗き込むとカフェは浮かない顔をしていた。
「おかしいんです…まだトレーナーさんに取り憑いているものが消えないんです…」
「………」
その言葉を聞いて考え込むトレーナー。
(思い当たりは…ある。もしそうであるならきっと…)
「カフェ…これから話す事を聞いてくれないか?」
「話……?」
「うん、きっとカフェの言う良くないものの原因かもしれないから」
そう言ってトレーナーは意を決して語り始める。
「ちょうどカフェがこの家に来た前かな、彼女と別れたんだ」
トレーナーが思い当たった事、それは以前別れた彼女の事であった。
あの時突然自分をもっと愛してくれる人が出来たと出て行ったあの日、それから割り切れていたつもりであったが何処かで未練に感じているところがあり、それがカフェの言う取り憑いているものであるのではないかと、そうトレーナーは語った。
「ごめんな、君に今、こんな事を話すなんて失礼極まりない事だというのは分かってる。だから……」
その瞬間、カフェに後ろから抱きしめられた。
「良いんです…トレーナーさんの心に気付けなかった私も同じですから…でも、嬉しかった」
「……別れた事を?」
「いいえ、トレーナーさんが私にその話をしてくれた事を…私を本当に頼ってくれた、信じてくれた…それが嬉しいんです」
そう言って抱きしめる力を強めるカフェ。しかしそれはトレーナーの心を暖かく包み込む様に優しかった。
「ありがとう…カフェ…」
トレーナーはその暖かさに包まれながら静かに涙を流し続けていた…
暫くして二人は同じソファでコーヒーを飲んでいた。何も語らずともその心は幸せに満ちていた。
(……お友達?)
『モウイッポ、ソノサキヘフミダセ』
そんな中カフェの脳裏にお友達の声が響いてきた。しかしその言葉は彼女の静寂を乱すには十分過ぎたのであった。
(で、でもそんな事…あの人の心につけ込む様な事…)
『オマエノトレーナーハ、オマエをシンジテクレタノダゾ?ソレニカレノココロハ、マダボロボロノママダ…』
(…………)
『イマオマエガ、ソノココロヲダキトメナケレバ、イッタイダレガカレノコカロヲスクウンダ?……オマエシカイナインダ…カフェ…』
その言葉を聞いてカフェは思い出した。自分が彼の家に訪れたのはこうして一緒にいるだけではなく、彼に取り憑いているものから助ける事を…
そこからもう、迷わなかった———
「トレーナーさん…私の方こそこのタイミングでこんな事を言うのは失礼かも知れません…だけど!」
「あなたのそばにいさせて下さい、あなたの心に寄り添わせてください。私はあなたの事が大好きだから———」
その瞬間、夕陽に照らされた二人の影は一つに重なった……
そして月日は経ち、カフェは数々の功績を打ち立てて行った。そしてその間もトレーナーの部屋に通い、二人で思い出を積み重ねていった。
そして卒業式———
「カフェ…実は引っ越そうと思うんだ」
「え…?」
突然のトレーナーの発言に言葉を失うカフェ。しかしトレーナーは真剣な眼差しで続ける。
「確かにあの部屋は君との思い出もたくさんある。でもあの部屋はかつての彼女もそこにいたんだ。君が卒業したからこそ、君と新たな場所で思い出を積み重ねて行きたいんだ」
「———ッ!」
「だからカフェ…新たな家探しを手伝ってくれないか?君と僕の二人のこれからの居場所を」
「はい!」
そうして二人は、桜が舞い散る道を手を繋いで進んでいった…
「おはよう、あなた」
「おはよう…カフェ」
ここは学園に近いとある一軒家、そこにはマンハッタンカフェとその元トレーナーが暮らしていた。
食事を済ませ、二人は机の上に一杯のコーヒーとトーストを置く。カフェが追いついた時に見えなくなってしまったお友達。だけどきっとそばにいる…そう思いながら。
「今日も無理しない様に」
「あなたこそ…無理して倒れられたらみんなが…私が悲しみます…だから気をつけてください」
彼はトレーナーを続けており、カフェは学園でカウンセラーと時折学園内の喫茶店で働いている。
後から聞いた話ではあるが、トレーナーと別れた元彼女はその後も多くの者と同じ様な事を繰り返し、最後は周りに誰もいなくなってしまったとの事らしい。
それを聞いた二人は幸せは誰かから与えられるものではない…見つけ、掴むものだと言う事を改めて知ったのである。
「さてそろそろ仕事に向かうか。カフェ…本当に大丈夫か?」
「ええ、それにあなたがいるから…ね?」
そう言ってお腹をさするカフェ。
かつて通い妻の様だった彼女はいつしか母親になったのであった———