アスカ兄妹の買い物
和解後のアスカ兄妹
シンはオーブに出向中
対兄仕様なのでマユの態度が今まで以上にツンケンしてます
女性の買い物というのは、どうしてこうも面倒なのだろうか。長い時間をかけてあれやこれや品定めするくせに、買いもせずに店を後にしたかと思えば「やっぱり気になる」なんて言って一度訪れた店へととんぼ返りしたりもする。簡単に言えばひどく面倒で疲れる。服なんて見苦しくなければなんでもいいじゃないか。
…なんて愚痴、天地がひっくり返っても言えないけれど。
「ねぇお兄ちゃん、こっちのワンピースはどうかな?」
色とりどりの服が飾られた店内に、幼い少女の声が響く。側から見れば微笑ましい光景だと目を細めていられただろう。
「んー、いいんじゃないか?」
しかし、残念な事に現在のシンは当事者だった。幼い少女は自分の妹で、自分はそんな妹に連れられショッピングモールを歩き回ること既に2時間。そろそろ休憩がてらに喫茶店にでも入って一服したいところだ。
しかしそんなシンの態度は妹様には不服だったらしい。幼さの残る頬をプクッと膨らませ、いかにも不機嫌ですという様に両手を腰に当て眉を吊り上げる。
「なぁにその言い方。ちゃんと見てよ」
「いやだってさ。分かんないんだって、ドレスの良し悪しとか。つかお前にドレスなんてやっぱ早いよ。正装なら制服でいいじゃんか」
今日の予定はマユのパーティードレス選びである。現在シンはオーブ出向プログラムに参加し、生まれ故郷であるこの国に滞在している。それは上司となったキラ・ヤマトやラクス・クラインも同様なのだが、シンより階級が上な彼らは他国に長々と滞在するわけにはいかない。そのためシンやルナマリアより先にプラントへ帰還するのである。
そんな彼らの帰国を惜しんだこの国のトップは、親しい身内だけを集めて送別パーティーを開くのだという。そこに招待されてしまったのが目の前で熱心にドレスを選んでいる妹なのだった。
「だいたいさ、身内の送別会なんだろ? お前みたいなお子様がそこまで気合い入れてどうすんだよ。浮かれ過ぎて浮きまくるのがオチだって」
「はぁ? 何言ってるのお兄ちゃん。そんなんでよくルナマリアさんに愛想尽かされないよね!」
「なんでそこにルナが出てくるんだよ!」
「あのね、パーティーなの! パーティー! カガリ様主催の! 私だってパーティー初めてだから色んな人に聞いたんだよ? ラミアス艦長とか、ミリアリアさんとか、フラガ大佐とか!」
眦を吊り上げて詰め寄る妹の勢いに、シンは思わず後退る。昔からこうだ。この妹は負けん気が強く、口が達者で、一度火が付くと手が付けられない。
「そしたら『カガリさんは堅苦しいの嫌いだから無理しなくていいのよ。でもマユさんがおめかししてくるならきっと喜ぶわね』って! 『ラクスもきっと素敵なドレスを着るだろし、せっかくならマユちゃんも着たら?』って! 『嬢ちゃんのドレスアップかぁ。きっと綺麗なんだろうなぁ』って! そんなこと言われたら着ないわけにはいかないでしょう!?」
「知らないってば」
「だってパーティー初めてなんだもん! しかもカガリ様のお屋敷で! 信じられる? あのカガリ様のお屋敷に招待されちゃったんだよ私! そんなの失礼がないようにおめかししないワケにはいかないじゃない!」
なんだかやたらとヒートアップしているが、つまるところパーティーに浮かれてドレスが着たいだけ。全く厄介な事を吹き込んでくれた。マユが気合いを入れてドレスアップする事は既に相談者を経由してカガリや他の参加者にも伝わっているに違いない。ならばマユが多少場違いなドレスを着て来たところで、幼い少女の微笑ましい光景として受け入れられてしまうのだろう。
「分かった、分かったってば。ごめん。ちょっと落ち着けよ」
「身内の集まりって言っても、参加する人達は錚々たる面子なんだから。ほとんどが将校クラスなんだよ? 適当な服なんて着てられないの」
そこまで一気に言い切ると、プイっと顔を背けて再びドレスがかけられたラックへと向き直る。まあマユの言いたい事も分かる。名だたる将校や国のトップが集まるパーティーに一人だけマユのような学生が参加するのだ。浮かれているのも間違いではないが、緊張だってしているのだろう。先の大戦では同じ艦に乗り共に戦った仲間ではあるが、こうして日常に帰れば雲の上の存在なのだと嫌でも自覚したに違いない。
「うーん、ラクスさんとカガリ様はどんなドレス着るんだろう。カガリ様はスラックスかもしれないし…。ラクスさんはやっぱりピンク? でも紫もあり得るよね」
「…なんで紫?」
そんな事をつらつら考えていたシンをそっちのけにドレスを物色していたマユが、やけに具体的な事を言い出した。ピンクは分かる。ラクスの髪の色だからだ。しかし紫はどこから来たのだろう。ある程度確信を持った妹の言葉にシンは首を傾げる。
「あのねぇ…。そんなのキラさんの瞳の色だからに決まってるでしょう?」
「瞳の色? だから?」
「好きな人の色を纏いたいって乙女心、分かんないかなぁ。お兄ちゃんだってルナマリアさんが赤や黒のドレス着てたら嬉しいでしょ?」
そう言われても。ルナマリアと赤、というのはシンと付き合う以前から彼女のイメージカラーのようなものだった。赤服で、赤髪で、以前の愛機も赤だったし。そして黒というのは「なんか大人っぽい色」という印象しかない。というかそもそもがフォーマルの色だ。赤や黒のドレスを着たルナマリアはさぞ綺麗だろうが、それを見て「自分の色だ」とは思えない。きっと「大人っぽいドレスだなぁ」という感想になるだろう。
「……………………うーん?」
「うっわ、信じらんない」
そんなシンの考えは乙女的にアウトだったらしい。バッサリと容赦なく切り捨てられた言葉に少しだけ痛みを覚える。しかし負けっぱなしなのも癪だ。少しは言い返してもいいだろう。
「じゃあなんだよ。お前の…その…カ、レシがさ。茶色のスーツとか着たら嬉しいわけ?」
「嫌だよ、茶色のスーツなんて。そんなダサいの着る男なんてお断り」
「オイ」
乙女心どこいった。自分の色を纏うのは嬉しいのではなかったのか。こっちは妹に彼氏ができるという仮定で精神的ダメージを負ったというのに、その態度はあんまりだ。
「だいたい色が被ったっていいだろ。いちいち気にすんなよ、そんなの」
ああ言えばこう返す妹の理解不能なこだわりに面倒くささを感じはじめ、シンは買い物序盤から抱いていた本音をついにぶつける。しかし、そんなシンの言葉を聞いたマユのリアクションは想像以上の刺々しさを孕んだものだった。具体的にいうと「正気かコイツ」とでも言わんばかりの形相だ。
「あのねぇ…。ホストや主賓と衣装が被らないよう気を使うのは当然のマナーでしょ! じょ・う・し・き! スーツやタキシード着とけばOKな男とは違うの! 女性には女性のマナーがあるの!」
「分かった! 分かったよ俺が悪かったって! だから耳元で叫ぶな鼓膜破れる!」
絶対に考えすぎだと思う。賭けてもいい。身内のみの気軽なパーティーという前提がすっぽ抜けてるのではないだろうか。決して親しい仲とは言えない関係だけれど、あの面子がマユに対してそこまでの気配りを求めるなんて思えない。けれどそれを言えば何倍にもなって返ってくるので、賢明なシンはもう何も口答えしない事に決めた。だから嫌だったのだ、妹の買い物の付き添いなんて。
既に帰りたくなっているシンを放っぽいて、マユは眉間に皺を寄せながらドレスを物色している。たかだか服にそこまでの熱意を向けられる事を賞賛すべきだろうか。絶対に嫌だけど。シンはそんな妹を諦観の目でぼんやり眺め───ふと、ある事に気付く。
店内をくまなく見て回りながら、マユは時折チラチラとショーウィンドウに視線を向けていた。本当に、思い出したように、でも確実に、ショーウィンドウが気になって仕方がないといった様に。不審な態度の妹に首を捻り、シンもまたショーウィンドウへと目をやり、そして納得する。
なるほど。確かにアレはマユ好みだ。
「なぁ、マユ」
「なによ」
妹は全身から邪魔をするなと言わんばかりのオーラを滲ませているが、それに怯む事なくシンは声をかける。
「アレ、どう?」
シンが指差したのは、ショーウィンドウに飾られた一着の子供用パーティードレス。白いふんわりとしたワンピースだが、スカートの部分には所々にピンクのレースやリボンがあしらわれている。良く言えば可憐で可愛らしく、悪く言えば子供っぽい。そんなドレスだった。
「…………あれ、は」
指し示されたドレスを視界に収めたマユは、目を見開き、伏せ、気まずげに彷徨わせる。
「なんだよ。結婚式じゃないんだから白でもいいだろ。それにさ、お前好きじゃん、ピンク」
「だって…」
「だって?」
「………………子供っぽいし」
なんだ、つまりはそういう事か。さっきからマナーがどうとか乙女心がどうとかやたら煩かったのは、大人だらけのパーティーに気負って背伸びをしていたから。必死になって大人の仲間入りをしようと無理をしていただけ。
「子供っぽいって…。いやお前子供じゃん」
「ううううるさい! だって! 他の人達はみーんな大人なんだよ!? なのにマユだけ子供っぽいドレスなんて、そんなの……恥ずかしいじゃん!!」
あ、昔の癖が出た。
そうだ、目の前で顔を真っ赤にして喚いている妹は、昔から感情が昂ると自分の事を名前で呼んでいた。マユはね。マユだって。マユのだから。そうやって甘えて、怒って、泣いて、笑っていたのだ。昔から、ずっと。
「別にいいだろ、子供っぽくても」
「でも…っ!」
「大人なんて、なりたくなくてもいつか必ずなるんだ。ならなきゃいけない。でもお前はまだ子供だろ」
「……でも」
「いいんだよ、子供でも。そんなに焦って大人になんてなるなよ。せっかく周りが子供でいる事を許してくれてるんだ。マユはまだ子供でいてくれ」
ぐっと言葉に詰まる妹を、何も言わずにただ見つめる。そうしてマユの気持ちが整理されるのを待つ。本当に世話の焼ける妹だ。ワガママで、怒りっぽくて、泣き虫で、放っとけない。
「いいのかな、子供でも」
「いいんだよ、子供なんだから」
「でもマユ、もう12歳だよ?」
「まだ12歳だろ。プラントの法律でも子供だぞ」
「もうモビルスーツだって乗れるもん」
「そんなの関係ないだろ」
「お兄ちゃんにも勝ったし」
「……アレはルナのサポートがあったしノーカン」
───痛いところを突くな、コイツ。
せっかく良い話風に持っていこうとしてたのに水を差さないで欲しい。それはシンも未だに気にしてる事なのだ。
「嫌か? あのドレス」
「嫌じゃない…」
「別のにするか?」
「……ううん、アレにする。アレがいい」
「じゃあ着てみろよ」
「え?」
「試着。サイズとか合わなかったら大変だろ?」
そう言って店員を呼び、ショーウィンドウのそれを試着したい旨を告げ、ついでに先ほどから騒がしくしていた事も謝っておく。そして未だにモゴモゴ言い訳を口にする妹を、ドレスと共に試着室へと押し込んだ。
「あの…どう?」
押し込んでから十数分。
試着室からおずおず出てきたドレス姿の妹は、身内贔屓もあるだろうがとても可愛らしく、そして文句なく似合っていた。だからシンも素直にそれを伝える。本当は恥ずかしくてたまらないが、今日くらいは妹を褒めたって罰は当たらないだろう。
「うん、可愛い。似合ってる」
「…………バカ」
「なんでだよ。褒めただろ」
「うっさいバカ。お兄ちゃんのバーカ!」
兄の言葉に顔を真っ赤にしたマユは、シャッと勢いよくカーテンを閉め、試着室へと逃げ帰る。シンは今日何度目かも分からない溜息を吐いた。恥ずかしいのを我慢して褒めたというのに、なんだあの態度。本当に妹という生き物は面倒くさい。
さっきの倍の速さで私服へと戻った妹は、赤を真っ赤にしたままシンと目も合わせようともしない。そんなマユの手からドレスを引ったくり、シンはさっさとレジへと向かう。
「ちょっと!」
「俺が払うよ。子供が無理すんな」
「マユのドレスだもん! マユが払う!」
「いいって。……2年分の誕生日プレゼントだ。素直に払われとけよ」
「…………なにそれ。バカ」
さっきからバカバカ言い過ぎだろう、このバカ。だいたい自分は兄なのだ。先の戦争では情けない所を見せすぎたから、ここらで格好付けないと兄貴の威厳を失いかねない。そのくらい察して欲しいものである。
店員が告げた値段は予想より良心的だった。既に軍で働いてるシンにとっては大した額ではない。問題なく料金を支払い、何故だか微笑ましげな店員に礼を言って紙袋を受け取り、そのまま妹へ押し付ける。
「ほら」
「…………………………ありがと」
「よろしい」
全くもって可愛げのない態度だが、ちゃんと礼を言えたので良しとする。自分はコイツの兄貴なのだ。うるさくたって、可愛げがなくたって、ワガママ言われたって、受け入れてやるのが兄貴の務めなのだろう。
「さぁ、買い物は終わったんだ。なんか飲もう。俺、喉乾いて仕方ないんだよ」
「もう、しょうがないなぁ。じゃあ3階のカフェに行こう? あそこのパンケーキ美味しいんだよ」
「はぁ? 今からそんなの食うのかよ。晩飯入らなくなるぞ?」
「入るもん。甘いものは別腹なの。ねぇ、晩ご飯は何食べよっか。マユはイタリアンがいいなぁ」
真っ赤だった妹の顔は、いつの間にかいつもの憎たらしさに戻っていた。調子のいい奴だ。しれっとシンの服の裾まで掴んでいる。
「パンケーキ食うって言いながら晩飯の話するか普通。俺は肉が食いたい」
「男の子って本当にお肉好きだよねぇ。でもキラさんは毎日ヘルシーなもの食べてたっけ」
「あの人は少食すぎるんだよ。ガリガリじゃんか。だからか知らないけど、この前フラガ大佐に口にハンバーグ突っ込まれてたぞ」
「えぇ、なにそれぇ!?」
裾を掴んでいたマユの右手を一度ほどき、しっかりと自分の手を握らせる。義手で引っ張られたら服が伸びてしまうし、目を離すとすぐ迷子になりそうだったから。だからこれは仕方ないのだ。仕方ないからシンも、マユも、互いに繋いだ手には一切触れない。わざわざ言う必要なんて無い。
しっかり手を繋ぎ、並んで歩く。
いつものように。あの日のように。
今までも。これからも。いつまでも。ずっと。
だって、自分たちは兄妹だから。